#1 舞台
その人は、俺が見た中で、一番綺麗だった。
綺麗で儚くて、そして―限りなく強く不器用な人だった。
「ふぁ~、放課後って暇なだけだなぁ…」
俺はそう言いながら、教室の窓から外に広がる中庭を見下ろした。
たくさんの運動部が部活に勤しんでいる。帰宅部である俺は関係が無いけど。
不意に後方の教室の扉が開く音がしたので、俺は振り返った。
そこには今まで見た事も無いくらい、凄い可愛い子が立っていた。
「わぁ、こんにちはです」
嬉しそうに俺を見て言った。可愛い女の子だ。幼くも感じる。
「私服…って事は転入生?」
「はい。ルナって言います」
「俺は理人。理科の理に人って字」
「そうなのですか。此方はカタカナでルナです」
ルナはそう言って柔らかく微笑んだ。それから携帯で時間を確認すると、
しまった、と小さく言って俺に微笑みながら手を振って走り去っていった。
そして俺は、
「ルナか…。可愛いな…」
などと、早く明日になってくれないかなと願っていた。
翌日、俺は浮かれ気分で登校した。ルナに会えるかもしれない、そんな期待を抱いて。
「おはよー」
「よう榊原」
クラスメイトと挨拶を交わしながら、俺は鞄を机にひっかけて、椅子に座る。
よほど浮かれていたらしく、声まで弾んでいた。
「なんか機嫌良いな。どうしたよ?」
「今日は楽しみがあるんだ♪」
クラスメイトは不思議そうだ。俺の通う学校は幼から高まであるエスカレーター校でお坊ちゃん、お嬢様の学校として名高い。大抵の生徒が何処かの御曹司か御令嬢で俺もその一人だ。
そんな生徒が大多数なので、セキリティは高く殆ど情報漏れが無いし、その逆も然りだ。
「席に着け。先生の到着だぞ」
そんな声と共に、担任の先生が入って来た。俺と話していたクラスメイト達は、慌てて席に着く。
先生は全員が席に着くのを確認すると、静かにするようにと、視線で制した。
当然、我が校で最も美人だが怖いとされる先生に逆らう生徒はおらず、誰もが黙った。
「今日から理事長のお孫さんが、私達と共に過ごすぞ」
ルナが理事長の孫…?なんだろう、違和感があるなぁ……。
俺が疑問に思っていると、ルナが入って来て、俺を含めた皆が感嘆の吐息を吐いた。
ルナは昨日は片方に高く結っていた長く美しい髪を、両方に高く結っていた。
「初めまして、宮野川ルナと申します。これから宜しくお願い致します」
軽く頭を下げて、顔を上げた時、不意に俺と目が合った。俺は小さく手を振って、微笑んだ。
ルナも俺に気付き、昨日と同じ柔らかい微笑みを浮かべてくれた。
「なんだ。榊原と宮野川は既に知り合いなのか?」
「はい。理人君が初めての友達です」
ルナがハキハキと答えると、先生は考える様にして、
「じゃあ榊原、お前が学校を案内してやれよ」
俺に向かって言った。俺はもちろん、内心でガッツポーズを決めながら、返事をした。
それからホームルームが終わり、休み時間を使って俺はルナに学校を案内していた。
「私の見た限りですが、特に疑っている生徒などはいませんでした」
「…本当に…?」
理人とルナが学校を歩き回っている時、彼らの担任教諭は、息を呑む程に美しい少年と話していた。
少年は女性的でもあり、艶のある長めの黒髪で、仕手の良いスーツを綺麗に着込んでいて優雅だ。
顔立ちも東洋の美しい整った美貌を持っていたが、しかし何処か、無機質な人形を思わせた。
「え?!」
「なんでもありません。ちょっとした意地悪ですよ」
少年が小さく呟いた言葉に担任教諭は慌てて聞き返したが、少年は意地悪だと空っぽの笑みを浮かべて話をおわらせた。
「理人君。今日は有難う御座いました。御蔭で楽しかったです」
「良いよ、俺も好きでやったんだし。あ、呼び捨てで良いよ?」
俺とルナは、放課後のカフェテラスで話していた。とはいえ、殆ど俺の話で、ルナはそれを楽しそうに聞いていただけだが。
ルナの楽しそうな笑顔が、夕暮れに染まって綺麗で可愛い。
「(本当にルナって可愛くて綺麗だなぁ)」
「さて…。そろそろ帰りませんと、怒られてしまいます」
「そうだね。そういえばルナは迎え、あるの?」
暫くして、俺とルナは談笑を止め、帰り支度を始めた。
そうは言っても元から、教科書やらが入った鞄しか持っていなかった俺達だ。
上着を着れば支度は終わり。迎えがあれば、途中まで見送って。ないなら、一緒に帰りたい。
そんな事を思いながら、ルナに問う。ルナは一瞬、眼を伏せて、それから困った様に微笑んだ。
「そうですね…。あの人が良いと言って下さればあるかも知れません」
「…なんか、聞いちゃだめな事…聞いちゃった…?」
どことなく哀しそうなルナだったので、俺が恐る恐る訊ね返すと、ルナは首を横に振った。
「いえ。大丈夫ですので気にしないで下さい」
俺が納得いかないまでも返事を返そうとした時、最終下校時間だと知らせる校内放送がかかった。
放送が終わると、ルナは迎えがあるかどうかを確認するから、と言って携帯で誰かと話し始めた。
俺と言えば、時々迎えがあるけれど、基本はボディガード2人と徒歩通学だ。
「理人、終わりました。私の迎え、あるそうです」
携帯を胸元で握りしめながら戻って来たルナが、俺にそう伝える。表情は憂い気だった。
「そっか。でもあんまり嬉しそうじゃないね。どうしたの?」
「少々困った事が起きたみたいで…でも私ではどうにでもならない事ですので…」
「大人の事情って奴?」
「まあ…噛み砕いて言うならば」
ルナが心配そうな、それでいて何処か困った様な微笑を浮かべて頷いた。
大人の事情だと言うのならば、子供であるところの俺達は関与できない。
俺達は並んで歩き、駐車場までの短い距離でも、沢山の話をした。
うちの学校のシステムは特殊だと言う事や、担任の先生が如何に怖いかなどを話して聞かせた。
駐車場に着くと、白いベンツが停まっていて、近くに整った顔立ちの青年が立っていた。
俺達が声を掛けるより先に、青年が落ち着いた調子で声を掛けて来た。
「お帰りなさいませ、ルナ様。お待ち申しておりました」
「凛さん!?え、あの人は?!」
この場合、青年に驚くのは俺の筈だが、ルナが慌てて驚いていた。
ちなみに俺がベンツに驚かないのは、見慣れているからで。もっと言えば、うちの学校の半数近くの生徒は、ベンツとかの高級車での送迎が普通なのでスルーだ。
ぼんやりとそう思いながら、俺はルナと青年を見た。どうやら一応の決着をみせたらしく、ルナは落ち着いていた。不意に、青年が視線をルナから俺へと移し、恭しく立膝になり頭を下げた。
「お初にお目にかかります。榊原様。私、執事の凛と申します」
「あ…。僕は榊原理人です」
殆ど反射的に挨拶を返しながら思う。この人、日本人じゃないみたいだ。名前の感じもあるけれど、それ以外に見た目からも日本人だとは思えない。同性ながらも、カッコイイと思う。
そんな俺に気付いたのか、ルナがクスクス笑いながら教えてくれた。
「凛さんはハーフなんですよ」
「へぇ」
そんなやり取りをして、俺はルナ達と別れ、2人のボディーガードと一緒に帰った。
帰り途中、俺は道草しようとボディーガードを撒いて、近くの公園に入ると何か音がした。
この選択が、俺を“日常”から、“非日常”へと引きずり込んだ。
夕暮れの公園というは人が少ないものだが、一体何だろう。
俺は音がした方へ行って、絶句してしまった。
その美しいコントラストと、その子から放たれる物言えぬ威圧感に圧倒されて。
夕焼け空はまるで、綺麗なだけの背景にしか見えなくて。
艶やかな黒髪と黒曜石のような瞳を有する、その子が綺麗で儚くて―
恐ろしいくらいに威圧的だった。
これが、俺、榊原理人と斉賀京司の出会いだった。
そして知る、ルナの言う、「あの人」がこの子だと。
ルナを、他人を、避けて生きる孤高が過ぎる孤独な神様だと。