11 シオリの元へ (2)
「……世界を滅ぼす魔女」
声が届く距離まで近づいたとき、コハクが静かな声で問いかけました。
「あれは、お前で間違いないんだな?」
「待てコハク、それは……」
「黙ってろ、リンドウ。お前はいなかっただろうが」
何かを言いかけたリンドウを、コハクは黙らせました。
世界を滅ぼす魔女。
新しく始まった物語で、勇者が戦った魔女の名前。
天使の仮面に操られていたせいで、記憶があいまいです。でもきっと、自分がそうだったのだろうと思いました。
「どうなんだ、マレ」
「たぶん……そう……」
「たぶん? どういうことだ?」
「それは……あのね……あのね、聞いて、コハク。私はね……」
天使に負けて、灰色の仮面をかぶらされて、操られていた。
マレがそう説明しようとしたときでした。
「コハク、リンドウ……置いていかないでよぉ……」
コハクとリンドウ、二人の背後に、もう一人女の子が現れました。
栗色の髪のお団子頭にエプロン姿、背中には黄色いリュックサック。
その女の子を見て、マレは目を丸くしました。
あまりに驚いて、話しかけた言葉を飲み込んでしまいました。
「カ……カナリア……?」
パティシエ・カナリア。
あの日、お話とともに消えてしまったはずの女の子。
「なんで、どうして……いるの?」
ドォンッ!!!
すさまじい爆発音が響きました。
岩山の上で戦っていた天使と悪魔が、お互いに全力の一撃を繰り出し、激突したのです。
「アジトが!?」
リンドウの声に、マレとコハクが同時に視線を向けました。
三角錐の形をしたあの大きな岩山が、半分以上吹き飛んでいました。
天使とにらみ合い、無数のアンドロイドに囲まれた悪魔が、いまいましそうな顔をしています。
一対一なら互角でも、アンドロイドも相手にしなければならない悪魔が不利なのです。
──どうした魔女、まだグズグズしてるのか。
不意に、マレの脳裏に悪魔の声が響きました。
──あと十分だぞ。早く行け、閉じちまうぜ?
「え、なに、今の声……」
カナリアが不思議そうな顔をしています。どうやら悪魔の声は、マレだけでなくカナリアたちにも聞こえているようです。
マレは空を見上げました。
満月だった月が、ほんの少し欠け始めていました。悪魔が開いてくれた「月の扉」が、閉じ始めたのです。
「マレ……お前、悪魔と契約したのか!?」
コハクの怒鳴り声に、マレは無言で──うなずきました。
コハクの言う通りです。マレは、悪魔と契約をして、天使が閉じた「月の扉」を開いてもらったのです。
「ならてめぇは……神様を……シオリを滅ぼすっていう、悪魔の手下かぁっ!」
なにそれと、マレは驚きました。
どうして、マレがシオリを滅ぼす、なんて考えたのでしょうか。そもそもシオリが神様だと、どうしてコハクが知っているのでしょうか。
(……しまった!)
マレは、すぐに気づきました。
天使が入れ知恵したに違いありません。きっと、マレは悪魔の手下で、シオリが閉じ込めた悪魔を解放させ復讐させるために近づいたのだとか、そんなことを言ったに違いありません。
「ち、違う! コハク、違うから!」
「何がどう違うんだぁっ、説明しろぉっ!」
コハクは声を荒げ、短剣を抜きました。
悪魔を解放してしまったことが、裏目に出たのです。どうしようと思いましたが、もう誤解を解いている時間はありません。
「……ごめん、コハク」
マレはほうきを操り、ついっ、とコハクたちから距離を取りました。
「今は時間がないの。でも信じて! 私は、シオリを滅ぼしたりしない! 助けたいの!」
「待ちやがれぇっ!」
コハクが投げつけた短剣を杖の一振りで払いのけ、マレはほうきにまたがりました。
「マレ!」
リンドウがマレを呼び、「行け」という顔でうなずきます。
「ごめんね……」
マレは小さな声でつぶやくと。
魔力をほうきに送り込み、月へ向かって全速力で飛び始めました。
◇ ◇ ◇
まるでロケットのように、猛スピードで上昇していくマレを見て、悪魔は肩をすくめました。
「やれやれ、やっと行ったか。グズグズしやがって」
対峙する天使と取り囲むアンドロイドを見て、悪魔はニヤリと笑います。
「さて。それじゃ俺も、退散するとしよう」
「逃げられると思っているのですか」
アンドロイドが一斉に悪魔に飛びかかってきました。
悪魔にしてみれば、アンドロイドなど敵ではありません。ですがこれだけの数となると、話は別です。
「チッ! うっとおしい人形だな!」
まとわりつかれ、動きが鈍った悪魔。それこそが天使の狙いでした。
「消えよ、悪魔!」
数千のアンドロイドがまとわりつく悪魔に、天使が槍の一撃を食らわせました。
「む!?」
ですが、全く手ごたえがありません。槍で貫かれたのは、悪魔を押さえ込んでいるはずのアンドロイドだけで、肝心の悪魔は、煙のように姿を消してしまいました。
──じゃあな、天使。
嘲笑うような悪魔の声が聞こえ、それきり、悪魔の気配は消えてしまいました。
「お、おのれぇっ!」
やられた、と天使は歯ぎしりました。
悪魔は、とっくの昔にここからいなくなっていたのです。
「……あの時ですね」
お互いの全力の一撃が激突し、天地が揺れたあの一瞬で、悪魔は分身を残し、本体はどこかへ逃げたのでしょう。
「魔女も、取り逃がしましたか」
月へ向かった魔女の姿は、もう見えません。いくら天使でも、今から追いかけて捕まえるのは無理でした。
「……まあ、いいでしょう」
怒りに任せて全てをなぎ払いたい、そんな気持ちをどうにか抑え、天使は槍をしまいました。
計画のすべてが失敗したわけではないのです。
天使は視線を海に向けました。視線の先には、海の上を漂う、黒く大きな船があります。
そして船の上では、三人の女の子──海賊・コハク、エンジニア・リンドウ、パティシエ・カナリアが、何やら言い争っているのが見えました。
「予定とは少々異なりますが……仕上げといきましょうか」
海賊・コハク。
お話『海賊コハクの航海日誌』の主人公。そんなコハクを取り込み、神様のところへ連れて行くことさえできれば。
「お話はそこで終わり。主人公がいなくなったこの世界は……消えてなくなるのでしょうね」