09 新しい物語 (1)
マレはリンドウの手紙を抱きしめたまま、長い間泣き続けました。
泣いて泣いて、やっと泣き止んだ後、マレはリンドウの研究室の片隅にあるソファーに座り、空を見ました。
いつまでも明けない夜と、空に輝く半分の月。
ぼんやりと月を眺めながら、マレは途方に暮れてしまいました。
海賊団の仲間と合流することもできず、かといって一人では天使に勝つこともできず──これから、どうすればいいのかわからないのです。
──冒険、続けてね。
──ずっと見てるから。
──楽しいお話にしてね。
シオリは今も、あの月のどこかから、マレたちを見続けているのでしょうか。
(それとも……もう……)
ぶるりと体を震わせると、マレは頭を振り、浮かんだ考えを追い出しました。
大丈夫、きっと大丈夫、私があきらめちゃだめだと、マレはあふれそうな涙を必死でこらえます。
「そうだ……」
マレは、脱いでいた帽子を手に取りました。
マレの帽子の中には、魔法の力でできた収納庫がありました。あまりたくさんは入れられませんが、お財布とか手紙とか、大切なものをしまっておけるようになっているのです。
(帽子の中の収納庫……これを考えたのも、シオリだったな……)
マレは収納庫の中から、一冊の本を取り出しました。
文庫本サイズの小さな本で、表紙にこんな題が書かれています。
「世界の書(抄)」
シオリが天使に連れ去られた後、宮殿の図書室で見つけた不思議な本。あの本棚に付けられた名前と同じ題名の小さな本には、シオリが書いたすべてのお話の題名とあらすじ、そして目次が書かれていました。
「……開け」
マレは大きく息を吸い、魔力を込めて本を開きました。
この本を読むには、たくさんの魔力が必要でした。マレの魔力はとても大きいのですが、そんなマレでも、本を開いていられるのは一時間が限界なのです。
「よかった……消えてない」
本をぱらぱらとめくり、マレはほっと息をつきました。
シオリが書いた、たくさんのお話。
ですがシオリが姿を消して以来、そのお話が少しずつ消えていくのです。
主人公が命を落とし、あるいは、悲しい結末とともにお話が終わります。そして終わったお話は消えてしまい、それとともにデュランダルの仲間も消えてしまうのです。
そのことに気づいたマレは、仲間たちを救うため、必死でお話の世界を渡り歩きました。どうしてそんなことができるのか不思議でしたが、答えはこの本の中にありました。
『見習い魔女の修行日記』
一番最初に書かれた、一番古いお話。
魔女の名前は書かれていませんが、あらすじに書かれていたのは、間違いなくマレのことでした。
ああ、そうだったのかと。
マレは驚きながらも、ストンと腑に落ちました。
「私も……シオリが書いたお話の登場人物だったんだね」
臆病で泣き虫な、でも誰もが認める天才魔女。
その気になれば、次元を飛び越え別の世界へ行くことだってできる、すごい魔女。
シオリがそう決めたから、マレは世界を渡り歩くことができたのです。マレがその気になったから、次元を超えて、別のお話の世界へと行けたのです。
そして、それ以上に。
マレは、シオリとともにいくつものお話を考えた、そんな存在です。それが何を意味するのかに気付いた時、マレはシオリが何者なのかがわかりました。
そう、シオリが言っていた通りです。
シオリは、神様なんかじゃありませんでした。
「くっ……」
魔力が少なくなり、本を開いていることが難しくなってきました。
マレは急いでページをめくりました。
『海賊コハクの航海日誌』
マレが今いるのは、その世界のはずです。
マレの意識が仮面に乗っ取られている間に、お話はどうなったのでしょうか。お話はまだ続いていて、海賊団の仲間は冒険を続けているのでしょうか。
「……え?」
ページをめくり続け、目当てのページを開いたとき、マレは驚きました。
「なに、これ……」
『海賊コハクの航海日誌』、そのあらすじの最後に、こんな文字が付け加えられていたのです。
『勇者と魔女と星渡る船』へ続く。
『海賊コハクの航海日誌』の目次には「第8章 世界の果てへ」という章が追加されていました。どうやら海賊団は新しい冒険に出発し、『海賊コハクの航海日誌』はそこで終わったようです。
そして新しい冒険は、新しいお話で語られているようです。
「新しい、お話……」
マレは震える手でページをめくりました。
新しいお話、『勇者と魔女と星渡る船』は、次のページから始まっていました。
※ ※ ※
全ての世界が、たった一人の魔女によって滅ぼされようとしていました。
「世界を滅ぼす魔女」
そう呼ばれる魔女を捕らえるため、神様の命令で天使が「勇者」を集め、勇者の船団が結成されました。
そんな勇者の中に、海賊船デュランダルに乗る女の子たちがいました。
※ ※ ※
あらすじの最初を読んで、マレは息を呑みました。
「世界を滅ぼす魔女」、これはたぶんマレのことです。
海賊船デュランダルに乗る女の子たち、間違いありません、海賊団の仲間たちです。
マレは急いで目次に目を通しました。
剣士・アカネ。
巫女・ルリ。
飛行士・ヒスイ。
医者・ハクト。
すぐに顔が思い浮かびました。あの子たちは、こんな名前だったのです。
アンドロイド・シルバー
新しい仲間でしょうか。どんな子なのでしょう。
海賊・コハク
エンジニア・リンドウ
デュランダルの船長に、海賊団の副団長。頼もしい仲間の名前もありました。
「シオリ……シオリ……」
マレはポロポロと涙をこぼしました。
お話が消えていくのを見て、シオリはもうあきらめてしまったのではないかと、ずっと不安に思っていたのです。
でも、新しいお話が始まっていました。
シオリは、あきらめていない。
きっと、マレが助けに行くのを待っている。
そう思うと、マレに勇気がわいてきました。泣いてへたり込んでいる場合ではありません。
「……行かなきゃ」
マレは本を閉じると、涙をぬぐい、立ち上がりました。
行くべき場所が、なんとなくわかりました。手がかりは、新しいお話の目次です。
悪魔、参戦。
岩山の牢獄。
牢獄に捕らえられている悪魔が、お話に登場した。
その牢獄は、岩山にある。
そんな風に考えられないでしょうか。
岩山という言葉でマレが思い出したのは、海賊団のアジトです。
アジトは、三角錐の形をした、塔のような岩山にありました。シオリが住んでいた宮殿に閉じ込められていた悪魔ですが、ひょっとしたら今は、アジトの岩山に閉じ込められているのかもしれません。
「悪魔なら、シオリの居場所を知っているかも……」
あの天使と互角に戦ったという悪魔です、その強さを思うと、マレは身震いしました。
でも、行くしかありません。
マレは帽子をかぶると、新しいほうきと杖を手に、研究室の扉を開けました。