08 泣き虫魔女と宮殿の少女-Ⅳ (4)
必死になって飛び続けたマレは、ぐにゃり、という不思議な感覚に包まれました。
「うわ……うわわっ!」
ほうきが一気に加速し、マレは慌てて、ほうきにしがみつきました。虹色に光るトンネルをくぐり抜け、気がつけば宮殿のある南の街の上空を飛んでいました。
「あれは……」
雷が空を切り裂き、その光に巨大な影が浮かび上がりました。
金色の鎧をまとい、大きな翼を広げた、天使です。
天使が宮殿を破壊し、うずくまるシオリの前に立っていたのです。
「シオリ!」
マレは大声をあげました。
気づいたシオリが、マレを見て驚いた顔をしました。
「マ……レ?」
「何者です?」
天使が振り向き、マレをにらみつけました。
その視線に、ゾクッと、マレの背中が恐怖で震えました。
ダメだ……あれはダメだ。近づいちゃいけない。
うなじがヒリヒリして、鳥肌が立ちました。魔女としての勘が、すぐに逃げろと言っています。
「マレ、来ちゃだめ! 逃げて!」
でも、泣いているシオリを見捨ててなんて逃げられません。マレは、ありったけの勇気を振り絞って魔法を唱え、天使に向かって放ちました。
「光、集いて敵を穿て! 魔法の矢!」
「私に刃向かうか」
ブンッ、と。
まばたきの間に天使の手に槍が現れ、一振りでマレの魔法が打ち消されました。
「お下がりなさい!」
天使が一喝しました。
その一言で、マレの体がすくみ上がりました。
天使が再び槍を振るいます。マレは、まるで金縛りにあったように体が動かず、叩きつけられた槍先で吹き飛ばされました。
あまりの衝撃に、悲鳴も上げられませんでした。
帽子や服に仕込んでいた防御魔法が、たった一撃で消し飛ばされました。デュランダルの大砲だって弾き返すというのに、天使の槍にはまるで歯が立ちません。
「あ……う……」
壁に叩きつけられ、そのままずるりと崩れ落ちました。もしも防御魔法がなかったら、マレはその一撃で終わっていたでしょう。圧倒的な力の差です。
「なるほど……お前ですか、神様をたぶらかしたのは」
叩きつけられた痛みでうめくマレを、天使が冷たく見下ろし、槍先を突きつけました。
その冷たい目と鈍く光る槍先に、マレは震え上がりました。
怖い、怖い。
逃げたい、すぐ逃げたい。
臆病な気持ちがあふれて来て、マレの戦う気持ちはへし折れました。すぐにここから逃げたいと、思わずほうきを探してしまいました。
「おやおや。たった一撃で、すくみあがるとは……情けない魔女だこと」
天使がうっすらと笑います。
「消えなさい。これ以上、神様をたぶらかすことは許しません」
マレにとどめを刺そうと、天使が槍を構えます。
その氷のような笑みに──マレは「もうだめだ」と、観念するしかありませんでした。
「やめて!」
そこへ、シオリが飛び込んできました。
「友達なの! 大切な友達なの! マレを消さないで!」
「友達……」
天使は冷ややかな目でシオリを見つめました。
ですが、シオリはひるみません。
マレを守る、その気持ちだけで、強大な天使に立ち向かっていました。
天使の槍が、ブンッ、と空を切りました。
目にも止まらぬ速さで槍が動き、シオリの目の前、ほんの数センチのところでピタリと止まります。
それでもシオリはひるみませんでした。
マレの前に立ち、かばうように両手を広げたまま、歯を食いしばって天使とにらみ合います。
「……いいでしょう」
十数秒間のにらみ合いの後──天使が静かに槍を収めました。
「ですが、ここを出ていただきます。新しい宮殿を用意しますので、そちらに移っていただきます。よろしいですね?」
そして、二度とマレと会わないように。
宮殿から出たりせず、神様としての務めを果たし続けるように。
「……わかった」
シオリは天使の言葉にうなずきました。
そして振り返ると、ボロボロになったマレを見て、泣きながら笑顔を浮かべました。
「私、行くね。マレ、今までありがとう」
だめ、行っちゃだめ。
そう言いたいのに、マレは恐怖で金縛りになり、何も言えませんでした。
「怖い目にあわせて、ごめんね」
ちがう、そうじゃないと、マレは思います。
謝るのはマレの方です。助けに来たのに、逆に助けられてしまった、マレの方なのです。
「冒険、続けてね。ずっと見てるから。楽しいお話にしてね」
さよなら。
その言葉を残し、シオリは天使の方へと歩き出しました。
悲しみで一杯のシオリの背中を見て、マレはようやく金縛りが解けました。
「シオリ! シオリッ!」
マレの呼びかけに、シオリはほんの一瞬だけ立ち止まりました。でも、振り向くことはありませんでした。
「では、まいりましょう」
天使がシオリの手を取り、翼をはためかせました。
そして光となり、ふわりと浮いて──猛スピードで、飛んでいってしまいました。
◇ ◇ ◇
ボロボロの体にむち打って、マレはほうきにまたがり天使を追いかけました。
ですが、とても追いつけないスピードです。
どんどん引き離されて、やがて天使とシオリは、空に浮かぶ月の光の中へと消えてしまいました。
「シオ……リ……」
力尽き、マレは地上へと落ちました。
何もない草原の真ん中に落ちたマレは、うずくまり震えて泣きました。
──本気を出せば、天使や悪魔とだって戦えるよ!
魔法を教えてくれた精霊たちに、そう言われたこともありました。
でも、いざ天使を前にしたら、ただただ怖くて何もできませんでした。
天才だって、言われてたのに。
世界一の魔法使いだって、言われてたのに。
何もできなかった臆病な自分が情けなくて、悔しくて、マレはずっと泣き続けました。
「いやだよ……いやだよ、シオリ、これでお別れなんて、いやだよぉ……」
さよなら。
シオリからそんなことを言われるなんて、想像もしていませんでした。
ずっと一緒にいるんだと、信じていました。
「わたしが……おくびょう、だから……ごめんね、ごめんね……シオリ、ごめんね……」
泣いて泣いて、泣き続けて。
涙なんてもう出ないというぐらい泣き続けて。
そして、ありったけの勇気をかき集めて、マレは叫びました。
「いくからね……ぜったい、たすけに、いく、からね!」