07 コハクの疑念 (1)
ホゥ、という鳴き声に、甲板で寝そべっていたコハクが目を開きました。
手すりに止まったフクロウが、じっとコハクを見ていました。
「……ふん」
舌打ちしつつ、コハクは体を起こしました。
航海は順調です。アジトがある島には、あと二日ぐらいで到着できるでしょう。
ですが、コハクの心は晴れませんでした。
「何の用だよ」
コハクは、フクロウに声をかけました。
しかしフクロウは、ホゥ、ホゥ、ホゥ、と鳴き、首をひねるだけです。
「……ったく」
コハクはまた舌打ちすると、ふてくされた顔で甲板に寝転びました。
「用がないなら、来るんじゃねえよ、天使」
◇ ◇ ◇
天使が襲ってきた、あの日。
問答無用で繰り出された天使の槍を、コハクは防ぐことも避けることもできませんでした。
(やられた……)
コハクはそう思いました。
ですが天使の槍は、コハクを貫くことができませんでした。
ギィィーン、と鈍い音を立てて、不思議な力に防がれたのです。
「……なに?」
天使が絶句しました。
コハクの胸まで、ほんの数センチ。そこで止まっている槍先を見て、さすがのコハクも冷や汗をかき、どさりと尻もちをついてしまいました。
「……」
天使は怖い顔をして、無言でコハクを見つめました。勇敢さでは誰にも負けないコハクですが、このときばかりは、蛇ににらまれたカエルのように身動きできませんでした。
「ふむ」
しばらくコハクを見つめていた天使が、不意に空を見上げました。
空には、静かに光る半月。
その半月をしばらく見上げた後、天使は小さくうなずき、槍を収めました。
「失礼しました、勇者・コハク」
天使が膝をつき、コハクに頭を下げました。
コハクは面食らいました。
たった今、問答無用でコハクに槍を突き出したと言うのに、この変わり身はなんでしょうか。
「あなたは、どうやら本物の勇者のようです」
「……は?」
本物?
どういう意味だと、コハクは天使をにらみました。天使はかすかに笑います。
「魔女が、世界を滅ぼそうとしています。あなたはその魔女を倒せる、本物の勇者です」
「なに言ってるんだ、お前は」
コハクは素早く体勢を整え、腰の短剣に手をやります。
「あの魔女はマレだ。もうだまされねえぞ」
「なるほど、記憶も取り戻しましたか、これは重畳」
「うるせえ。世界を滅ぼす? マレがそんなことするかよ」
世界一の魔法使いのくせに、臆病で泣き虫だったマレ。
そんなマレが、本気で世界を滅ぼすわけがないと、コハクは思っています。
「いいえ、滅ぼします。おそらく……悪魔を復活させて、ね」
「……悪魔?」
「ええ、そうです。かつて私と何度も戦い、今は牢獄にとらえている、悪魔です」
天使は、リンドウが言っていたことと同じことを言いました。
「それ、本当のことだったのかよ」
「おや、ご存じでしたか?」
「……まあな」
「では話が早いですね。魔女は、悪魔を解き放つため、牢獄の場所を突き止めようとしているのです」
そのために。
「魔女は、悪魔の牢獄の場所を知る、シオリに近づいたのですよ」
◇ ◇ ◇
コハクは胸ポケットから、小さな封筒を取り出しました。
──コハクにあげる。お守りだよ。
シオリがくれた封筒。「お守りだから、中は見ちゃだめだよ」と言われているので、開けたことはありません。
そういえばと、コハクは封筒をもらった日のことを思い出します。
あの日、シオリは珍しく一人でした。
ぼんやりと空を見上げていて、とても悲しそうな顔をしていました。マレとケンカでもしたのかと思い、心配になって声をかけたら、おいでおいで、と手招きされたのです。
──コハクの髪って、ふわふわ、もふもふで、気持ちいいよね。
ギュッと抱き締められ、頭をグシャグシャなでられました。
「犬や猫じゃねえんだぞ」と文句を言うと、「もうちょっとだけ」と、苦しくなるぐらい強く抱き締められました。
──私にもしものことがあった時のために、リンドウを、副団長に任命したからね。
突然そんなことを言われて、とても驚きました。
どういうことだよと問い詰めましたが、シオリは何も言ってくれません。
──マレが無茶をしたら、止めてあげてね。
長い沈黙の後、その一言を残し、シオリは船室に戻ってしまいました。
シオリがいなくなったのは、そのすぐ後でした。