06 泣き虫魔女と宮殿の少女-Ⅲ (4)
ツンツン、とほおをつつかれて、マレはうたた寝から目覚めました。
目を開けると、シオリがいました。口の前に指を立て、「静かにね」とウィンクしています。マレはうなずき、周りにいるみんなを起こさないよう、静かに起き上がりました。
二人は忍び足でデュランダルの船首まで行くと、そこに並んで腰を下ろしました。
「はーっ、楽しかったねー」
「うん」
西の空に半月が浮かび、優しく海を照らしています。その海に錨を降ろしたデュランダルは、おだやかな波にゆっくりと揺れています。まるで船全体がゆりかごのような心地よさです。
「マレをみんなに紹介できたし、歓迎会もかねて卒業のお祝いもできたし。うんうん、大満足!」
「ちょっと騒ぎすぎ、て気もするけど……」
お昼過ぎから始まった歓迎会兼お祝いの会は、夜中近くまで続きました。なんというか、みんな元気すぎです。
「いいじゃない、楽しかったでしょ?」
「うん、でも……」
マレはシオリの顔をまっすぐに見つめ、意を決して尋ねました。
「ねえ、シオリ。ここはどこなの?」
あとで説明するから。
シオリはそう言っていました。こんな夜中に起こされて、誰もいない船首まで連れてこられたのは、海賊船のみんなには聞かせたくないからでしょう。
「んー……そうね、わかりやすく言えば、お話の中、だよ」
「『海賊コハクの航海日誌』のお話?」
「ピンポーン、正解!」
マレが卒業試験を受けるために北の島へ帰る直前、新しく考え始めた物語。
戻ってきたら続きを考えよう、そう言っていたそのお話の中へ、シオリとマレは来ているといいます。
「どうやって?」
「んー……ナイショ♪ あ、マレが本当の名前教えてくれたら、教えてもいいよ?」
「そ、それは……」
いくらシオリでも、それはできません。魔女の絶対の掟なのです。
「ふふふ」
マレが口ごもると、シオリは小さく笑って空を見上げました。
「私ね、思ったの。マレと二人でお話を考えるのはとっても楽しい。でもどうせなら、みんなと一緒に冒険したいな、て」
「だから、お話の中に来たの?」
「うん。行けるかどうかわからなかったけど、思い切ってやってみたら、来れちゃった」
くすくすと、シオリは楽しそうに笑います。
マレは言葉を失いました。「思い切ってやってみたら」とシオリは言いますが、そんなこと普通は、いいえ、マレが知っている限りの魔法を使っても、できるわけがありません。
それこそ……シオリがやったのは、魔法すら超える力、まさに、神の奇跡です。
「ねえ……シオリは……」
マレはごくりと息を呑みました。
「神様なの?」
シオリは何も言いませんでした。じっと夜空を見上げたまま、マレの方を見ようともしません。
「……なんで、そう思ったの?」
長い沈黙ののち、シオリがポツリと言いました。
「街の人がね、言ってたの。宮殿にはお姫様が住んでいて、天使がその命令に従っている、て」
天使は神様に仕える、とても強い存在です。そんな天使に命令できるのは、神様しかいません。
「それに……ここへ来る直前、変な夢を見たの」
「どんな夢?」
マレは、宮殿でシオリの帰りを待っていた時に見た、夢のことを話しました。
夢とは思えない、とても現実感のある夢でした。何の証拠もありませんが、マレは、あれは本当にあったことだと思っています。
「ふーん。そんな夢、見たんだ」
「ねえシオリ。一つ聞いてもいい?」
聞いてはいけない、聞いたら大変なことになる。魔女としての勘がそう告げています。
でもマレは、聞かなければならない気がしました。もしここで聞かなかったら、ずっとシオリを一人にしてしまう、そんな気がしたのです。
「あの宮殿の地下に……悪魔が、閉じ込められているの?」
シオリはすぐに返事をせず、夜空を見上げたままです。
なんて答えるのだろう、ひょっとして「それはナイショ」と答えるのだろうかと、マレがドキドキしながら返事を待っていると。
「うん。いるよ」
シオリは、小さな声で、ポツリとそう答えました。
「昔、天使と悪魔は何度も戦ったの。本当に、何度も何度も、ね。そして最後に勝った天使が、悪魔を牢獄に閉じ込めた。あの宮殿は、その悪魔を閉じ込めた牢獄の上に建っているの」
シオリはそう言って、マレに視線を向けます。
その悲しそうな目に、マレはドキリとしました。
「だから、宮殿には出入口もないし、最上階以外に窓もなかったでしょ?」
「シオリは……宮殿に閉じ込められているの?」
「ううん、違うよ。私は、自分で望んであそこにいるの」
「どうして?」
マレの問いに、シオリは黙って首を振りました。答えたくないという気持ちが伝わってくる表情でした。
そんなシオリの顔を見て、マレも何も言えなくなりました。
ザァッ、ザァッ、と穏やかな波の音が二人を包みます。
どうしよう、何を言えばいいんだろうと、あせればあせるほど、マレは何も言えなくなりました。
「神様、かぁ」
長い長い沈黙の後、シオリが笑いを含んだ声で言いました。
「天使に命令して、悪魔を閉じ込めた宮殿に住んで。そうね、そんなの神様だよね。うん、正直に言うとね、私も自分が神様だと思ってた」
でもね、と。
シオリはマレを見つめ、ひび割れかけた声で続けます。
「違うよ。私は神様なんかじゃない」
シオリの目から涙がこぼれました。それをぬぐおうともせず、シオリはマレに向かって手を伸ばします。
マレはシオリの手を、両手で優しく包み込みました。シオリの手にギュッと力が入り、マレの手を握ります。痛いぐらいの強さでした。
「それを、マレが思い出させてくれた。あの日、宮殿に飛び込んできて、友達になってくれて。一緒にいてくれて、わがまま聞いてくれて、ケンカもして、叱ってくれて。私は思い出した」
ぐすっ、と鼻をすすり、シオリは両手でマレの手を握りました。
「私は神様なんかじゃない。お話を考えるのが大好きな、ただの空想好きの女の子だよ。マレ、あなたがそれを思い出させてくれたの」
「シオリ……」
「いつかきっと、全部話すから。でも、もうちょっとだけ。もうちょっとだけ、待っててね」
だからお願い。
ずっと、友達でいてね。
私が勇気を出すその日まで、そばにいてね。
そう言ってしがみつくシオリに、マレは小さくうなずきました。
「うん。私はずっと、シオリのそばにいるよ」
ありがとう、と言ってボロボロと涙をこぼし出したシオリを。
マレはしっかりと抱き締めて、優しく頭をなでてあげました。