03 魔女、目覚める
何度戦っても、天使にはかないませんでした。
力の差は歴然、マレがどんなに強力な魔法を使っても、天使は槍の一振りで魔法をはね返してしまうのです。
挑むたびに叩きのめされ、地に落とされました。
ですが魔女は、叩きのめされても叩きのめされても、天使に挑み続けました。
マレは誓ったのです。必ずシオリを助けに行くと。
そのためには、たとえ圧倒的な力の差があったとしても、天使に挑むしかありません。
どこかへ消えてしまったシオリ、その居場所を知っているのは、天使だけなのですから。
「まったく、しぶといですね、魔女」
叩きのめされ、地面にはいつくばる魔女に、天使はギラリと光る槍の先を突きつけました。
「わかっているのですか? お前がやろうとしていることは、この世界を消すことになるのですよ」
「違……う……私、は……シオリを、助け……に……」
「お前ごときに、救えはしない」
反論しようとしたマレを、天使はしたたかに槍で打ち据えました。
雷に撃たれたような衝撃に、マレの意識が遠のきます。
「ですが、そのしぶとさは使えそうですね。一つ仕事をしてもらいましょうか」
天使の足先で蹴とばされ、ゴロリと仰向けにされました。
「お前はどうやら、特別な存在のようです。連れて来いと、そう言われているのはお前だけです」
天使が何かを取り出すのが見えました。
仮面です。
金属でできた、何の模様もない灰色の仮面。それを見た瞬間、マレの背中にゾッと悪寒が走りました。
あれは、まずい。
そう思ったのですが、もう体が動きません。
「魔女よ、『世界を滅ぼす魔女』となるがいい」
天使は冷ややかに笑うと、灰色の仮面をマレにかぶせました。
その途端、マレの頭の中に天使の声が響き始めます。
消せ、と。
すべて消せ、と。
何もかも消してしまえ、と。
「あ……がっ……」
「下手に抵抗するのはやめなさい。苦しいだけですよ」
うめくマレに、天使が優しい声でささやきます。
「声に身をゆだねなさい。そして、お前以外のすべてを消してしまいなさい」
そうすれば、この私が。
お前を、大切な友達のところへ連れて行ってあげましょう。
「それが、神様を助ける唯一の方法なのです」
「あ……あぁぁぁぁぁっ!」
頭の中に響く天使の声に、マレの心が押しつぶされていきます。
マレは悲鳴を上げ、必死で抵抗しましたが。
やがて、何も考えられなくなり。
マレの意識は闇の底へ沈んでしまいました──。
※ ※ ※
見渡す限りの海の中、ぽつんと浮かぶ岩の上で、マレはようやく目を覚ましました。
(ここ……は……)
まぶたをゆっくりと開くと、夜空に浮かぶ半月が見えました。
ここはどこだろう、そう思ったとき、ひんやりとした風がほおをなでました。
「うそ……」
風の感触に、魔女は驚きました。
歯を食いしばって手を動かし、間違いないことを確認します。
灰色の仮面が、取れていました。
頭の中に響き続けていた天使の声が消え、自分の意思で体が動かせました。
「どうして……どうやって……私……」
鳴り響く天使の声に押しつぶされて、マレの心はほとんど消えかけていました。
あの状態から、自分の力だけで戻ることなんて不可能なはずです。
私を助けてくれたのは──そう考えて、ぽろり、と涙がこぼれました。
「シオリ……だよね、シオリが、助けてくれたんだよね……」
意識がはっきりするにつれ、思い出してきました。
深く暗い闇へ落ちていく途中で、シオリに再会したことを。天使につけられた仮面を外し、気を失っていたマレを起こしてくれたのは、シオリでした。
「行か……なきゃ」
グズグズしている暇はないと、マレは全身の痛みをこらえながら、起き上がりました。
深い深い闇の中、やっと再会できたシオリ。
でもその姿は、傷ついてボロボロでした。
(もう……時間がない……)
折れたほうきを手に取り、マレは飛ぼうとしました。
ですが、ぷすん、と音がするだけで、ほうきは飛ぶことができませんでした。
「そんな……」
ならば杖を振るい風に乗ろうとしましたが、これもダメでした。まっぷたつに折れた状態で、無理矢理に力を振るったからでしょう。杖もほうきも、ほとんど力を失っていました。
そもそも、マレ自身の魔力が、もう残っていません。
「どうしよう……どうしよう……時間がないのに……」
こうなったら泳いででもと考えましたが、見渡す限り海なのです。どちらへ行けば陸地があるのでしょうか。泳ぐとしても、どちらを目指せばいいのでしょうか。
「私は……私は、こんなところで……グズグズして、いられないのに……」
うずくまり、大粒の涙をこぼしながら、声を殺して泣き。
泣いているうちに、マレはまた気を失ってしまいました。
◇ ◇ ◇
──どれぐらい気を失っていたのでしょうか。
気がつくと、やわらかくて暖かいものに包まれて、ユラユラと揺れていました。
(あ……れ……?)
目を開けると、小さなランプがぶら下がっている天井が見えました。
海の中の岩にいたはずなのにと、不思議に思っていると、「ピィ!」という声が聞こえました。
声の方を見ると、黒いツナギ姿の妖精が、心配そうにマレを見ていました。
「……よう……せい?」
「ピッ!」
正解、という顔で、妖精が親指を立てました。
「え……ええと、私……いったい……」
マレが起き上がろうとすると、妖精が慌てて声を上げ、「起きるな!」と言わんばかりに飛び乗ってきます。
「ピッ、ピピピピピッ、ピピッ!」
「え、ええと……ごめん、なに言ってるのか……わかんない」
「ピーッ!」
どうやらその身振りから、マレに「寝てろ!」と言っているようです。
「でも……」
と、反論しかけたところで。
「ピィッ!」
「あうっ!」
おでこに、渾身のドロップキックを食らいました。
「ピピピーッ!」
「は、はい! ごめんなさい、寝てます!」
ぷんすかと怒り出した妖精の剣幕に、マレはあわてて謝り布団をかぶりました。妖精は満足そうにうなずくと、マレに近づいてきて、よしよしと頭をなでてくれました。
──心配するな、助けに来たぞ。
優しく、温かくなでてくれる妖精の手から、そんな思いが伝わってきます。
そのぬくもりに、張り詰めていたマレの気持ちが、少しだけほぐれました。
──今は、ゆっくり眠りなさい。
「うん……あり、がとう……」
優しく叱られているような、そんなぬくもりにボロボロと涙をこぼしながら、マレは再び眠りにつきました。