01 世界の書 (3)
「お?」
しばらく歩くと、森を出ました。
すると、森の木にさえぎられて見えなかった、三角錐の形をした大きな岩山が見えました。
「あれは……?」
悪魔が閉じ込められていた岩山にそっくりです。ひょっとして悪魔がいるのだろうかと、ハクトは岩山に向かいました。
岩山の入口は、封印の鎖もなく、鍵もかかっていませんでした。
用心しつつハクトが近づくと、プシュッ、という音がして、扉は自動で開きました。
「ただいま」
扉をくぐるとき、ハクトは無意識にそう言いました。
(ただいま?)
首をかしげつつも、その言葉が妙にしっくり来て、違和感がありません。
中に入り、そのまま通路をまっすぐ進むと、扉が二つありました。
右の扉には「談話室」、左の扉には「食堂」と書かれています。
(この時間なら、談話室にいるだろう)
そう考えたことに、ハクトは驚きました。
「誰」が談話室にいるのでしょうか。
ドキン、ドキン、とハクトの胸が高鳴ります。
何度か深呼吸して、少し気持ちを落ち着かせると、ハクトは談話室の扉に近づきました。
プシュッ、という音がして、扉が開きます。
ハクトは当たり前のように、談話室の右奥にあるテーブルに視線を向けました。
「あ……」
ドクン、と。
ハクトの心臓が跳ねあがりました。
銀髪のボブカットにカチューシャをし、ゆったりとした白い服を着た女の子が、本を読んでいました。
間違いありません。
ハクトより一つ年下で、医者のハクトの相棒、薬師のナギサです。
「ナ、ナギサ……くん……」
「おかえり、ハクト。待ちくたびれたよ」
読んでいる本から目を上げもせず、ナギサは淡々とした口調で答えました。
「ちょっと待って。キリのいいところまで読むから」
「あ、ああ……」
ハクトはうなずきつつ、ナギサの正面に腰を下ろしました。
「世界の書(写)」を読むまで、名前すら忘れていたナギサ。
そのナギサを目の前にして、さすがのハクトも冷静ではいられません。ひょっとしたらナギサは、ハクトが落ち着く時間をくれたのでしょうか。
「お待たせ」
しばらくして、分厚い本にしおりを挟み、ナギサが本を置きました。
「さて、僕のことは思い出してくれたかな?」
「ああ」
「それはよかった。相棒に忘れられるというのは、なかなかつらいものだからね」
ハクトが何とも言えずにいると、ナギサはくすくすと笑いました。
「気にしなくていい。ハクトのせいじゃない」
「ずっと、ここにいたのかい?」
「さて、何とも説明がしづらいね」
「というと?」
「ハクトが来たから、僕はここにいることになった。もしもハクト以外が来たら、僕はここにいなかっただろうね」
「……よくわからないんだが」
「物語が盛り上がるための配役、てことさ」
物語?
首をかしげるハクトに、ナギサはまた笑います。
「すまない、それが僕が君に与えられる、最大のヒントだ」
「……世界の謎を解くヒントは、君がくれるのかね?」
「無理だね。例えば……」
ナギサの言葉が急に聞こえなくなりました。口は動かしているのに、音が聞こえないのです。
「……という感じでね。話そうとしても、声にならない。ああ、唇の動きを読んでも無駄だよ、でたらめに見えるはずだからね」
「つまり君は、答えを知っているということかね?」
「なんとなく、だけどね。僕はもう退場しちゃった身だから」
「退場?」
「そうだよ。僕のお話は終わった。今ハクトと話している僕は、ただの残骸だよ」
『薬師ナギサのお薬手帳』
「世界の書(写)」に書かれていたのは、その題名だけでした。
本文が消え、題名だけが残っている。
残骸とは、つまりはそういうことなのでしょうか。
「この場所も含めて、ね。ハクト、ここがどこか覚えているかい?」
「……ああ。わが海賊団のアジトだ」
「ふふ。今の今まで忘れていたくせに」
「いじめないでくれたまえ」
やはりナギサはごまかせません。
ナギサの言う通り、ここがアジトだったことをハクトが思い出したのは、ナギサに問われた後でした。
「たくさんの人がいて、毎日お祭りで。ここは本当に楽しい場所だったよね」
「ああ」
「だけどシオリがいなくなって、マレが行ってしまって……海賊団はバラバラになった。そして僕は、消えてしまった」
「ナギサくん……」
「ま、いいけどね。ハクトがここまで来てくれた、それだけで僕はうれしいよ」
「君以外には、誰もいないのかね?」
「僕だけだよ。そして、君が出て行ったら、ここは消える。今は悪魔が捕らえられている牢獄だからね」
ナギサは、ハクトをまっすぐ見つめました。
「さて、感傷にひたっている場合じゃない。僕に与えられた役は案内役。ハクトを連れて行かなきゃいけないところがある」
「どこかね?」
「マレとシオリの物語──『泣き虫魔女と宮殿の少女』、その世界への入口さ」
ナギサは立ち上がると、「ついて来て」と歩き出しました。
「ハクト、君は悪魔から力を分け与えられ、『世界の書』を読むことができるようになった」
ナギサは言います。
「世界の書」は神様が書いた本で、本来は神様以外は触ることすらできない、特別なものなのだと。
天使と悪魔は複製を与えられているけれど、その複製ですら、読もうと思ったらものすごい力がいるのだと。
そして、書かれているからといって、すべてを読めるわけではないと。
「特に『泣き虫魔女と宮殿の少女』は、ね。あれは特別なお話で、天使や悪魔ですら読めないんだよ」
「そんなものが、私に読めるのかね?」
「ハクトは二人の友達だからね。きっと読めると思うよ」
「それは君も一緒じゃないか。君は読めたのかね?」
ナギサは何かを答えましたが、声になりませんでした。
「……答えられないみたいだね」
「そうか」
ハクトが連れて行かれたのは、三階の一番奥にある部屋でした。
閉じられた扉には、「団長室」と書かれた小さな看板がかかっています。
「シオリくんの部屋か……勝手に入っていいのかね?」
「いいんじゃない? あの子、扉はいつも開けっ放しだったもの」
「確かに」
朝から晩まで誰かが遊びに来ていて、いつもにぎやかな部屋でした。
たまに静かなときもありましたが、それはたいてい、外へ遊びに行っているときでした。
「さあ、ハクト。ここから先は、君一人だよ」
「……お別れかね、ナギサくん」
「そうだよ。僕の役目はここまで」
ハクトの視線に、ナギサは穏やかな笑顔で応えました。
「ハクト。また会えて、本当にうれしかったよ」
「ああ、私もだ」
「頼んだよ、相棒。いや、勇者・ハクト。どうかあの子を……シオリを助けてあげて」
「うむ、任せておきたまえ」
ハクトはナギサにうなずくと、シオリの部屋の扉に手をかけました。
「必ずや世界の謎を解き、みんなと一緒に、シオリを助けてみせるさ!」