01 世界の書 (2)
『見習い魔女の修行日記』
始めに書かれていたのは、そんな題名のお話でした。
ちょっと弱気で泣き虫な女の子が、老魔法使いの弟子となり、一人前になるべく奮闘するお話です。
「ほうほう。なかなかに楽しいお話ではないか」
このお話に登場する見習い魔女、弱気で泣き虫なところといい、そのくせ師匠の魔法使いも驚く才能の持ち主であることといい、マレによく似ています。
魔女の名前は書かれていませんが、ひょっとして、マレのお話でしょうか。
そのお話が終わると、また別のお話が書かれていました。
『見習い巫女、お化け屋敷に挑む』
ですがそのお話は、題名だけが残っていて、本文は消えていました。
文字が書かれた跡は残っています。一度書いたものを消しゴムで消してしまったような、そんな感じでした。
「ふむ……」
不思議に思いつつ、ハクトはさらにページをめくりました。
『勇者になった女の子』
『ココ料理長の幸せレシピ』
次の二つも題名だけで、本文は消えています。
さらにめくると、何かが書いてあったらしいページになりました。どうやら題名すらも消えているようで、どんなお話だったのかまったく分かりません。
「いったいこれは……はて?」
ハクトは首をひねりながら、ページをめくり続けました。
この世界の全てが書かれている、神様の本の写し。
悪魔はそう言っていました。ですがこうしてページをめくると、ほとんどのページが消えてしまっているのです。
「おや?」
何ページかめくると、ようやくお話が書かれているページがありました。
題名は、『小さな村の小さなパティシエ』とあります。
「ん? パティシエ?」
ハクトは『小さな村の小さなパティシエ』のページを開きました。
それは、山奥の小さな村にあるお菓子屋を切り盛りする、十歳の女の子のお話でした。ですが残っていたのは冒頭の数ページだけで、あとはほとんど消えていました。
「これは、ひょっとして……」
──すぅっと。
ハクトの頭が真っ白になりました。ほんの一瞬のことでしたが、意識が途切れたようです。
「おっといかん……貧血でも起こしたかな? 最近ちゃんと食べていないからなあ」
ハクトはポケットからチョコを取り出すと、ひとかけら口に放り込りこみました。
「これでよし。ええと……」
『小さな村の小さなパティシエ』
その主人公の十歳の女の子。
「うむ。これは……カナリア、だな」
どうやら間違いなさそうです。
ですが、なんとなく違和感を覚えます。はてどこに違和感を覚えるのだろうと、ハクトは首をひねりました。
「……まてよ?」
ひらめくものがあり、ハクトは慌ててページを戻しました。
「ココ料理長……思い出した、コック長のココか!」
コック長のココ。
海賊船デュランダルで、厨房を仕切っていた元気いっぱいの女の子です。パティシエのカナリアとは姉妹のように仲が良く、二人でいつもおいしいごはんとデザートを作ってくれました。
「ううむ……」
またです。
またマレと同じように、忘れてしまっていました。記憶力にはとても自信のあるハクトが、どうして大切な仲間のことを忘れているのでしょうか。
さらにページをめくり、ハクトは思わず息を呑みました。
『薬師ナギサのお薬手帳』
そのお話も、題名だけが残っていました。
ですが、知っています。薬師ナギサ、この名前をハクトは知っています。
「そうだ……ナギサだ。なぜ忘れていた?」
医者のハクトが診察をし、薬師のナギサが必要な薬を作る。
そうやって団員の健康管理を一手に引き受けていた名コンビです。誰よりも忘れてはいけないはずの相棒を、ハクトはどうして忘れていたのでしょうか。
『番外編・薬師ナギサのお友達~天才過ぎて、ちょっぴりおかしなお医者さん』
次のお話は、そんな題名でした。これは本文が残っています。
「番外編? これは……私か?」
ざっと読んで、間違いないと思いました。お話の中では「お医者さん」としか書かれていませんが、ハクトのことです。
「いったい、この本は……」
ハクトはぺらぺらと本をめくり、題名だけを拾い読みしました。
『海に住む竜王の宮殿』
『竜騎士アンジェの大冒険』
『風の女の子・大泥棒シルフィ』
『天才エンジニアの設計図』
『海賊コハクの航海日誌』
お話はたくさん、あったようです。
本文が残っているものは、ほとんどないのです。大半は題名すら消えてしまっていて、どんなお話だったのか想像することもできません。
「あっ!」
そこでハクトは気づきました。
書かれているのは、かつて一緒に冒険をした仲間のお話ではないでしょうか。
「ううむ……本文が残っているのは、『勇者の船団』に参加した六人だけ、か?」
ハクトは、もう一度最初からページをめくって確認しました。
どうやら、間違いなさそうです。
「この世界の全てが書かれている本……悪魔はそう言っていたな」
だとしたら、消えてしまったお話は、消えてしまった世界のことでしょうか。
題名すら消えてしまったお話は、ひょっとしたら、もう思い出すこともできない仲間たちのことでしょうか。
「ん? これは……」
ハクトはページをめくる手を止めました。
『泣き虫魔女と宮殿の少女』
そんな題名のお話が書かれています。本文もちゃんと残っていて、しかも、かなり長いお話です。
長いだけではありません。
これまでのお話は白い紙に黒いインクで書かれていましたが、このお話は黒い紙に白いインクで書かれています。
明らかに他とは違う、特別なお話のようでした。
「これが、鍵となるお話か?」
ハクトは大きく深呼吸し、そっとページを開きました。
◇ ◇ ◇
まばたきの間に、不思議なことが起こりました。
洞窟で座って本を読んでいたはずなのに、森の中に立っていたのです。
「…………どこだね、ここは?」
五秒で平静さを取り戻すと、ハクトは周囲を見回しました。
なんとなく、見覚えがある場所です。「はて?」と首をかしげながら、じっとしていても仕方ないと歩き出しました。
「あいかわらず、夜か」
木々の間から見える空は暗く、星が輝いていました。月は出ていないようで、星がよく見えます。
不思議と、道に迷っている気はしませんでした。
通いなれた道を帰っている、そんな気がしながら、ハクトは森の中を歩きました。