08 シオリの居場所 (3)
カナリアの記憶にこだわりすぎていました。
カナリアが昔のことを思い出せないのなら、また一緒に冒険をして仲間として信頼を深めていけばいい、それだけなのです。
「うん、そうだよな。それでいいよな、シオリ」
やっと笑顔になって、コハクは夜空に浮かぶ半月に、そう語りかけました。
……。
…………。
………………。
「え?」
慌てて体を起こし、コハクは半月を見上げました。
「俺、なんで……月? 月!?」
月。
そうです、月です。
どうして今まで忘れていたのでしょう。なぜこんなに大事なことを、今までカケラも思い出せなかったのでしょう。
「そこ……か? シオリ、お前……そこにいるのか!?」
コハクの脳裏に、初めてシオリに会った夜のことがよみがえってきます。
一人でデュランダルに乗り、波にゆられていたコハクのところへ。
シオリは、月から「落っこちて」来たのです。
──あははっ、ちょっと家出してきちゃった!
シオリはそう言っていました。
だとしたら、シオリは家に連れ戻され、閉じ込められているのかもしれません。そしてその家は、あの月にあるのかもしれません。
「そうなんだな……お前、そこにいるんだな!」
立ち上がり、叫んだコハクに応えるように、何かが光りました。
月を背に、こちらに舞い降りて来るようです。いえ、ひょっとしたら「落っこちて」きているのかもしれません。
「シオリ!?」
コハクの胸が高鳴りました。会える、やっとシオリに会える。そう思い、ワクワクしたコハクですが。
(違う、あれは!?)
しまった、と思いましたが、もう手遅れでした。
翼をはばたかせ、猛スピードで降りてきたのは、金色の鎧をまとう天使でした。
あまりの速さに、逃げることはもちろん、リンドウたちに合図をすることもできません。
慌てて腰の短剣に手をやりましたが、コハクが短剣を抜くより早く、天使が目の前に降り立りました。
「お久しぶりですね、勇者・海賊」
「天使……てめえ……」
「おや、怖い顔をして。私と戦うつもりですか?」
天使が、冷たい目でコハクを見下ろし、ゆっくりと槍を構えました。
「ですが、あなたでは私に勝てませんよ」
息を呑むコハクの目の前で。
天使の槍の先が、ギラリ、と光りました。
※ ※ ※
──痛みが全身を貫き、闇の底に沈んでいた意識がたたき起こされました。
ズキン、ズキン、と痛みが走りました。
痛いのは体でしょうか。それとも心でしょうか。
あまりにも痛くて、どちらなのかわかりませんでした。
(あれ……私……は……)
何をしていたんだっけ。
意識がもうろうとしていました。体中が痛くて、指一本すら動かせませんでした。もしも今、敵に襲われたら、なすすべもなくやられてしまうでしょう。
(敵? 敵って……誰……?)
ぼやけた視界の中、小さな光が見えました。
月の光のような、でも少し違うような、淡く小さな光です。
(ここ……どこ……かな……)
確かめようと、体を少し動かした時。
全身にものすごい痛みが走って、また気を失ってしまいました──。
◇ ◇ ◇
──深く、深く、どこまでも深く、闇の底へ沈み続けている女の子がいました。
世界を滅ぼす魔女。
白い竜に捕らえられ、白い光に撃たれて気を失った魔女を、闇が包み込み、深い深い底へと連れて行こうとしていました。
底なしの闇でした。
このまま沈み続ければ、二度と出ることはできない、そんな深くて暗い、本当の闇でした。
その闇を貫いて、起きろ、という声が聞こえました。
寝ている場合じゃない、と叱咤する声が続きました。
──目を覚ませ。
──起き上がれ。
──それ以上、沈んではだめだ。
一つ一つは小さな声でした。でも、たくさんの声が、何度も何度も呼びかけてきました。
──消えるな、消えてはだめだ。
──忘れたのか、約束を。
──君は、誓ったではないか。
声はうねりとなり、闇を揺るがし、やがて一つの、大きな声となって響きました。
──あきらめるな!
「う……」
ズキン、と痛みが走りました。
その痛みが、闇の底に沈んでいた魔女の意識を叩き起こしてくれました。
(シ、オリ……)
ぞろり、と闇が動きました。
魔女が目を覚ましたことに気づいたのでしょう、逃すまいと、このまま引きずり込もうと、闇が魔女の全身にまとわりつきます。
(う、うぐっ……)
体が痛くてたまりません。ですが、うずくまっていては、二度と出られない闇の底へ沈んでしまいます。
(あき……らめない……)
魔女は歯を食いしばって体を動かしました。ねとり、とまとわりつく闇の中で必死にもがき、折れた杖を手にしました。
(絶対に……助けに……行くから、ね!)
折れた杖にありったけの魔力を込めて、闇を払いました。
まっぷたつになったほうきにまたがり、闇の世界を上り始めました。
「こ……のぉぉぉぉっ!」
闇が、このまま閉じ込めてしまおうと、行く手を阻みます。
それを体当たりではねのけながら、闇の外へ、遠くに見える光目指して、全速力で飛びました。
「てやぁぁぁっ!」
ドンッ、と大きな音を立てて闇をぶち抜き。
一筋の光となって、魔女──マレは闇の世界から抜け出しました。
間一髪、ギリギリでした。
マレを取り逃がした闇が、悔しそうに閉じていきます。
それを横目で見ながら、マレは最後の力を振り絞って、できるだけ闇から離れた場所へと飛んで行きました。
「ぐ……はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
力の限り飛んだマレは、海の中にポツンと突き出た岩にたどり着きました。
痛くて、苦しくて、気持ち悪くて、くたくたで、もう指一歩だって動かせません。
でも、その顔には、笑顔が浮かんでいました。
「シオリ……」
倒れるように仰向けになり、マレは空を見上げました。
空に半月が浮かんでいます。それを見て、マレは、ぽろりと涙をこぼしました。
「よかった……消えてなかった……シオリは、まだ消えてなかった……」
あふれた涙で、半月がにじみました。
いけないと、思いました。
またみんなに「泣き虫だなぁ」とあきれられてしまいます。
だけど、我慢しようと思っても、どうしても涙が止まりませんでした。
「行く、からね……」
涙をぬぐい、歯を食いしばり、マレは月に向かって手を伸ばしました。
「絶対、助けに、行くからね……だから、あきらめないで……待ってて、ね……」
──ムチャしちゃ、だめだよ。
シオリの優しい声が聞こえたような、そんな気がして。
マレは笑顔を浮かべながら、ひとときの眠りに落ちました。
第3章 おわり