08 シオリの居場所 (2)
さて、その頃。
海賊船デュランダルでは、ちょっと問題が起こっていました。
改造した船が、どこか故障したのでしょうか。
いいえ、新しいエンジンはとても調子がよく、船は大海原をスイスイと進んでいきます。
天使の手下である、金色のアンドロイドが襲ってきたのでしょうか。
いいえ、空に星は光っていますが、金色のアンドロイドはそれらしき光すら見えません。
では、何が起こったのでしょうか。
「コハク。本当に上陸しないのかい?」
「船に誰かが残らなきゃ、まずいだろうが」
コハクが、ふてくされた顔で答えました。
数時間前、リンドウたちは小さな島を見つけ、船を寄せたところです。島に仲間の誰かがいるかもしれないと、調査のため上陸することになりました。
ですが、いつもなら真っ先に上陸するコハクが、船を降りようとしませんでした。
「あんたねぇ」
リンドウは腰に手を当て、大きなため息をつきました。
「船長でしょ。いつまでもふてくされてるんじゃないよ」
「ふてくされてねえ」
そっぽを向いたまま、コハクはそう言いました。
ですが、目だけはちらちらとリンドウを──正しくは、リンドウの陰に隠れているカナリアを見ていました。
そして、見られているカナリアはというと。
「……」
無言のまま、今にも泣きそうな顔で、リンドウの陰からコハクの様子をうかがっています。
(勘弁してよね)
リンドウは、また大きなため息をつきました。
それは、昨日のことでした。
コハクとカナリアが大ゲンカをしたのです。
リンドウが駆け付けた時には、カナリアは大声で泣いていて、コハクも目にいっぱい涙をためてふてくされていました。
「ケンカの原因は何?」
リンドウが尋ねても、コハクは「うるせえ」と言うだけです。カナリアも首を振るだけで、答えてくれません。
妖精もケンカの原因は知りませんでした。ただ、仲良く夜空を見ていたと思ったら、突然口論になり、コハクが一方的にカナリアを責め立てているような感じだった、とのことです。
(これはダメだね)
仕方ないかと、リンドウは頭をかきました。
「わかった。それじゃ、私とカナリアだけで上陸するからね?」
「……妖精も連れてけよ。お前ら、弱いんだから」
「そう思うなら、コハクも来てほしいんだけどね」
コハクはむっつりと黙ったまま、返事をしませんでした。
リンドウはあきらめて、カナリアと二人で上陸することにしました。
「それじゃ行ってくるよ。何かあったら、合図して」
「ああ」
「行こうか、カナリア」
こくり、とうなずいて、カナリアはそっぽを向いているコハクに目を向けました。
「あの……行って、くるね、コハク」
無言のままのコハクに、カナリアはしゅんとした顔になり、とぼとぼと歩き出しました。
「……頭、冷やしとくから」
ですが、カナリアが歩き出してすぐ、コハクの小さな声が聞こえてきました。
「戻ったら、うまいパンケーキ、作ってくれよな」
「……うん」
ぐすっ、と鼻を鳴らしたカナリアと、いつになく弱気な背中のコハク。
そんな二人を見て、「ま、大丈夫かな」と、リンドウもほっとした気持ちになりました。
いつも強気で意地っ張りなコハクです。きっと、自分が悪いとわかっているけれど、素直に謝れないのでしょう。
(コハクがちゃんと頭を冷やせるよう、ゆっくり探検しようかね)
リンドウはそう考えながら、カナリアと一緒に上陸用のボートへと乗り込みました。
◇ ◇ ◇
「お前ら、どっか行ってろよ」
コハクは居残り組の妖精を追い払うと、デュランダルの船首に腰を下ろしました。
そこから、島へ向かったボートが接岸し、カナリアとリンドウたちがちゃんと上陸するまで、ずっと様子を見ていました。
「……ちくしょう」
そして、二人が森の中に入って見えなくなると──つまり、カナリアたちからもコハクが見えなくなると、コハクは舌打ちして、うつむきました。
ぽろり、ぽろり、とコハクの目から涙が落ちます。
「ったく……情けねえ……」
カナリアにひどいことを言ってしまったと、とても後悔していました。なんであんなに責めちゃったかなと、すごく反省しました。
だけど、どうにも我慢ができなかったのです。
「コハクの髪って、ふわふわ、もふもふ、だね」
「コハクって、かわいい服着たらお嬢様みたいだよね」
「船首から見える景色って、一番素敵だと思う」
「このまま、世界の果てまで行けたらいいのにね」
「あの月まで行ける船、世界のどこかにあるのかな」
カナリアの口から出た言葉は、どれもこれも、かつてシオリが言っていたことでした。
「なんで……なんでお前が、シオリと同じことを言うんだよ」
姿も声も、かつて海賊団の一員として一緒に冒険していた、カナリアで間違いありません。
料理なんてまるでできなかったシオリと違って、お菓子作りも料理もとても上手です。
別人なのです。目の前にいるカナリアは、シオリとは別人のはずなのです。
だけど、カナリアにシオリの影が重なって見え、ドキッとするのです。
カナリアは、シオリのことを忘れています。
海賊団の一員として一緒に冒険したことも、すっかり忘れています。
いえ、忘れているというより……知らない、という感じなのです。
それなのに、どうしてシオリと同じことを言うのでしょうか。
「カナリア、お前、いったい誰なんだよ!」
そんな思いが爆発して、カナリアを問いつめてしまいました。
お前、本当にシオリのことを忘れているのか。
お前、本当にカナリアなのか。
お前、世界と一緒に消えたんじゃないのか。
お前、俺が知ってるカナリアとは別人なんじゃないのか。
「俺をだますために潜り込んだっていうのなら、この場で切り捨てるぞ!」
思わずそう言ってしまった後で、コハクは「しまった」と思いました。
さすがに傷ついたのでしょう、カナリアは大粒の涙を流し、声を上げて泣いてしまったのです。
「あー、ちくしょう……俺、なんであんなこと言ったんだよ……」
コハクはデュランダルの船長です。誰よりも仲間を信じなければならない立場です。
だから、あんなことを仲間に対し、絶対に言ってはいけないのです。
「……くそ」
後悔して、反省して、情けなくなって、コハクは声を上げて泣きました。
「ごめ……ごめん……カナリア……ごめ……ん……」
そんな風に泣いたのは、本当に久しぶりでした。
でも、泣くだけ泣いたら、ちょっとだけスッキリしました。
「戻ってきたら……ちゃんと謝るか」
コハクは涙をぬぐうと、ごろりと寝転び、大の字になって夜空を見上げました。