07 天使襲来 (2)
そんなバカなと、天使は首をかしげました。
確かに、侵入者はいたのです。通用口を開け、悪魔を閉じ込めている部屋の鎖を断ち切り、ここへ入った者が。その痕跡はちゃんとあるのに、侵入者はどこへ行ってしまったのでしょうか。
「……ん?」
ふわり、と。
天使のほおを、かすかな風がなでました。
ハッとして風が来た方を見ると、一か所だけ、他よりも大きく穴が開いている箇所があります。
「ばかな」
その穴を確認して、天使は歯ぎしりしました。
穴は、壁を貫いて外へ通じていたのです。
「おのれ、ここから、逃げたか!」
「あーあ」
歯ぎしりしている天使に、悪魔がクククッと笑いました。
「頭に血をのぼらせるからだよ。自分で逃げ道を用意してやった、てことか?」
「私はそんな間抜けではない!」
壁を貫いてしまうほど、光の矢を強く撃ってはいません。おそらく、天使が攻撃しているときの音に紛れて、壁を壊し外へ出て行ったのでしょう。
「おのれ、いったい何者だ!」
(誰だ、穴をあけたのは?)
悪魔も不思議に思いました。
岩山の壁はとても頑丈です。素手で壊せるものではありません。ハクトとシルバーはどうやって壁に穴を空けたのでしょうか。
(……あいつらか?)
悪魔の脳裏に思い浮かぶものがありました。
ハクトとシルバーの旅に、付かず離れずでついて来ていた、白いツナギ姿の妖精たち。そういえば、海賊のコハクを助けるため水上バイクで駆け付けたのも、色違いのツナギを着た妖精たちでした。
(なんなんだ、あいつらは?)
「世界の書」を書き換えようとする金色の光と戦う、虹色の光。
あの妖精は、その虹色の光なのかもしれません。いったい何者なのでしょうか。
「逃がしません!」
天使が踵を返しました。悪魔が声をかける暇もなく、そのまま部屋を出て行ってしまいます。
「おいおい、戸締りしなくていいのかよ」
扉は開けたまま、壁の穴もそのまま。これでは出入りが自由です。
また侵入者が来たら、今度は楽々と悪魔の所へ来ることができるでしょう。そして、手足を縛る鎖さえ切れれば、悪魔はここを出ていくことができるでしょう。
「ま、自分では切れないんだけどな」
岩山をふさいでいた鎖と違い、悪魔を縛る鎖には神様の力が込められています。天使ですら、この鎖を切ることができないのです。
ですが、おそらく。
「……あの泣き虫なら、切れるんだろうな」
はて、どうしてそう思うのだろう。
悪魔は首をかしげながら、やることもないので、また眠ることにしました。
◇ ◇ ◇
まさに間一髪でした。
天使が放った光の矢が当たる直前、ハクトとシルバーの背後の壁が崩れ、二人は力任せに引っ張り出されたのです。
「き、君たち……」
「ピィッ!」
驚くハクトに「よっ、危なかったな!」と気さくな感じで親指を立てているのは、白いツナギ姿の妖精たちでした。
「ふむ……味方、ということでよいのかね?」
ハクトの問いに、妖精たちがそろってまた親指を立てました。
「そうか。いや助かった。ありがとう」
どういたしまして、と言うように、妖精たちが優雅に一礼します。一糸乱れぬその動き、キビキビとして実に頼もしい感じです。
「ピピッ!」
「ん? ええと……」
「逃ゲルゾ、ト言ッテイマス」
妖精は早口すぎてハクトには聞き取れませんでした。ですが、シルバーにはわかるようです。
「逃げると言われても……どうやって?」
ハクトはちらりと足元を見ました。
目もくらむような高さです。このまま落ちたら絶対に助からないでしょう。しかも、思った以上になめらかな表面で、一度足を滑らせたら、一気に下まで落ちてしまいそうです。
「ピピッピ」
「走ッテ、ダソウデス」
「は? いやいやいや、冗談だよね?」
「ピピ」
「本気、ダソウデス」
妖精の一人が、ぴょん、とハクトの頭に乗りました。
「ピピーッ!」
「合体、ダソウデス」
「な、なな、なんと!?」
妖精が叫ぶと、ハクトの体を白い光が包みました。
そして、ハクトの体が勝手に動き出します。立ち上がり、足を踏ん張り、そうしたところで妖精たちが次々とハクトの体に飛び乗ってきました。
「ピピピ、ピピピ。ピピピー、ピピピ!」
「大丈夫、大丈夫。怖クナイカラ、任セナサイ、ダソウデス」
「いやいやいや、怖い、怖いから、これ!」
「ピーッ!」
「行クゾー、ダソウデス」
ハクトの体が、勝手に走り出しました。
岩山の壁を、らせんを描くようにぐるぐると回りながら、ぐんぐんスピードを上げて駆け降りていきます。
「うおおおおおっ、ちょ、ちょっと待ってくれたまえ! 足が、足がー!」
人間が出せる速度をはるかに超えて、ハクトは猛スピードで走りました。途中、つまずいて転びそうになると、妖精たちが「ピィッ!」と呼吸を合わせ、ハクトの体を宙返りさせます。
そして見事に着地すると、また走り出すのです。
そんな感じで、何時間もかけて登った岩山を、ハクトは三十分足らずで駆け降りました。
「ピピーッ!」
「トウチャーク、ダソウデス」
妖精たちはハクトから飛び降りると、「やったぜ!」という顔で、バンザイしました。
「……」
さすがのハクトも、何も言えません。すごく怖かったというのもありますが、限界以上に走らされて、息が上がってしまったのです。
「ピピピーッ!」
「ジットシテチャ、ダメダ。早ク逃ゲルゾ、ダソウデス」
「い、いや、ちょっと……ちょっとだけ、待って……息が……」
ゴウッ、と大きな音がしました。
見上げると、天使が翼を広げて空を飛んでいるのが見えました。何かを探すように周囲を見ています。逃げた侵入者──ハクトたちを追って来たのでしょう。
「まずい」
ハクトはクタクタの体に鞭打って、岩山の陰に隠れました。
「シルバーくん、念のため、映像でごまかしてくれたまえ」
「リョウカイ」
シルバーが映像を映し出し、ハクトたちを隠しました。これでしばらくはごまかせるでしょう。
「なるべく早くこの島を出たいところだが……」
水も食料もあと少しです。岩山しかないこの島では補給ができず、天使に見つからなかったとしても、飢えと渇きで倒れてしまうでしょう。
ですが、焦りは禁物です。
あの小さなボートで海へ出たところで見つかれば、逃げ切るのはまず無理です。天使が去るのを待つしかないでしょう。
「仕方ない」
ハクトは肩をすくめると、ごろりと横になりました。
「ほとぼりが冷めるまで、一休みするとしよう」