02 医者・ハクト (2)
『で、そうする? 助けてやろうか? もちろん代価はいただくぜ』
悪魔との契約は、代価に魂を差し出す、というのが普通です。もちろん物知りの医者はそれを知っています。
「ふうむ……よし、助けてくれたまえ」
『即決かよ。豪胆だな』
「このままではどうせ助からないのでね。魂を売ってでも助かってみせるさ」
『いいね、その割り切り。気に入ったぜ』
青白い炎が、ふわり、と高く浮かび上がりました。
『では、契約成立だ』
その言葉とともに、炎が大きくなりました。拳ほどの大きさから、頭の大きさに、そしてついには医者の体よりも大きくなると、そのまま倒れている医者を飲み込みました。
「うおっ!」
さすがに驚いて目を閉じてしまった医者ですが。
ほんの数秒で、体中の痛みが消えてしまいました。驚いて目を開くと、体は炎に包まれているのに、全然熱くありません。
『どうだ、治っただろう?』
治療が終わったのでしょう、青白い炎は元の大きさに戻り、またふよふよと宙を漂いました。
医者は起き上がると、「ふむ」とうなずきつつ両手両足を動かしました。
「完治、のようだね。いや助かったよ、ありがとう」
『どういたしまして』
ケガが治っただけでなく、海水と泥で汚れた白衣もさっぱりときれいになっていました。ぐちゃぐちゃになっていたツインテールも、きれいに結い直されています。
「至れり尽くせり、という感じだね」
『ま、たいした手間じゃないんでな。ついでだよ』
「で、代価は、やはり私の魂かね?」
『あん? いらねえよ、そんなもん』
「……私の魂は、そんなもん、かね?」
『スネるなよ。面白いやつだな』
ケラケラと笑うように、青白い炎が宙を舞いました。
『俺の頼みを、一つ聞いてくれればいいのさ』
「私にできることかね?」
『できる、できない、じゃねえ。やってくれ』
有無を言わさぬその口調、さすがは悪魔です。
「わかった。で、何をすればいいのかね?」
『この世界の、謎を解け』
「世界の……謎?」
『お前、謎解きが大好きだろう?』
悪魔が笑いました。
その通りです。医者は謎解きが大好きで、それが高じて、謎の塊である「人体」を解明する医者になったのです。
『天使は何をしようとしているのか。神様は何を考えているのか。今、世界に何が起こっているのか。その行き着く先はどこなのか。まあ、そんなことを解き明かしてくれればいい』
「ううむ。これはなかなか……挑みがいのある謎のようだね」
『お、武者震いか? いいね。お前、マジで気に入ったぜ』
「了解した。世界の謎、解いてみせようじゃないか」
『よし。では頼んだぜ……おい、そういやお前、名前は?』
「うん? そういえば名乗ってなかったね」
医者は姿勢を正し、青白い炎をまっすぐ見つめました。
「ハクト。私は、ドクター・ハクトだよ」
◇ ◇ ◇
『あまり時間がない。制限時間付きのノーヒントでは、さすがに答えにたどり着けないだろう』
悪魔は、ヒントをやるから自分のところへ来るように、と言いました。道案内は青白い炎がしてくれるそうです。
『天使に気づかれるとまずいからな。炎には最低限の力だけを残し、一度接続を切る』
「このままヒントを聞かせてくれればよいのでは?」
『お前、俺に百科事典並みに厚い本を、全部読み上げろと?』
読んでる間に天使に気づかれるだろ、と悪魔は笑いました。
なるほどね、とハクトはうなずきます。どうやら悪魔がくれようとしているヒントとは、かなり分厚い本のようです。
「ちなみに、これは好奇心からの質問なのだが。世界の謎を解いて、どうするのかね? やはり神に挑むのかね?」
『あん? なんで俺が神様にケンカ売らなきゃいけないんだよ』
「悪魔とは、そういうものではないのかね?」
『違うね。悪魔は神様が大好きで、独り占めしたくてたまらないのさ。だから、かまってほしくてイタズラするんだよ』
なんだか子供みたいだなと、ハクトは思いました。もちろん、怒らせてはめんどうなので口には出しません。
『俺がケンカを売るのは、神様じゃなくて天使だ。俺と違って、天使が大好きなのは神様の力でな。あいつは神様の力を使って、好き勝手にしたいのさ』
「……そうなのかね?」
『さて、どうだろうな』
悪魔はケラケラと笑います。
『悪魔の言うことだ。本当かどうかは、自分で確かめな』
「……そうしよう」
悪魔が接続を切ったのでしょう、それきり青白い炎は沈黙しました。
(ふうむ……)
ハクトは腕を組んで考えました。
「世界を滅ぼす魔女」となったマレ。
そのマレを倒せと、ハクトたちを勇者として呼び寄せた天使。
悪魔の言うことが本当なら、ハクトがマレのことを忘れていたのは、天使のせいかもしれません。
天使は、マレを倒したかったのでしょうか。
だとしたら、なぜ自分でやらず、世界中から勇者を呼び寄せて倒させようとしたのでしょうか。
「ふむ。確かに、手掛かりがなさ過ぎて、まったくわからないな」
はっはっは、と笑うと、ハクトは立ち上がりました。
下手な考え休むに似たり、です。
考えてもわからないときは、動くしかありません。
ボウッ、と青白い炎が揺れ、洞窟の出口へと向かって進み始めました。ハクトは小さくうなずき、炎の後についていきました。
「これはこれは」
洞窟を出ると、眼下に草原が広がっていました。柔らかなオレンジ色の光が大地を照らし、とても美しい光景が広がっていました。
その光の元である太陽は、なんと北の空に顔を出しています。
「ふむ。白夜、というやつかな?」
だとすれば、一日中夜の、極夜の世界もあるのでしょう。ぜひとも行ってみたいものだと、ハクトは思いました。
「いやはや、世界にはまだ見たことのないものが満ちている。解くべき謎は、ごまんとあるね」
なんと楽しいことかと、ハクトは笑いました。
「『名もなき勇者』などと、バカにされっぱなしではいられない。うむ、ドクター・ハクトの名にかけて、謎を解いてみせようじゃないか」
さあ行こうか、世界の謎を解く冒険に。
ハクトは、ぱん、と両手でほおを叩いて気合を入れると、鼻歌まじりに歩き始めました。