01 天使の軍団
勇者と魔女が沈んだ海の上に、金色の光が現れました。
天使です。
ばさり、と大きな翼を広げて空高く舞い上がり、静かな目で周囲を見下ろします。
「終わりましたか」
見渡す限り誰もいません。たくさんの勇者も、勇者が乗った船も、何もかもが海に飲み込まれ消えてしまいました。
そして、世界を滅ぼそうとした魔女もまた、海に沈んでしまいました。
「どれ」
天使は静かに手をかざしました。
するとそこに、本が現れました。図鑑のように大きくて、分厚い本です。表紙には「世界の書(補)」という題名が書かれていました。
「ん?」
本の最後のページを開き、天使は眉をひそめました。予想と違い、白紙だったのです。
「……終わって、いない?」
どういうことだと首をかしげ、天使は最初のページから本をめくりました。
本は、左側のページには文字がたくさん書かれていますが、右側のページにはあまり書かれていません。よく見ると、左側のページと右側のページで、筆跡が違います。
天使は本のページをめくり続け、真ん中よりも少し進んだあたりで手を止めました。そこから先は、右も左も真っ白で、何も書かれていません。
そして、最後に文字が書かれているページには、こんなお話が書かれていました。
※ ※ ※
魔女は、嵐とともにやってきました。
魔女が生み出した嵐に飲み込まれ、勇者の船団は次々と海に沈められました。海賊船デュランダルは嵐をかいくぐり、どうにか沈まずにいましたが、それに気づいた魔女がデュランダルに襲いかかりました。
「私の仲間になればいいのよ」
魔女の誘惑を、勇者たちは断ります。
魔女との戦いが始まりました。勇者たちは勇敢に戦いましたが、魔女の圧倒的な力になすすべがありません。
飛行士がアゾット号で魔女に挑みましたが、魔女の水柱に撃墜されました。
デュランダルもまた、魔女が作り出した渦に翻弄されて、まともに戦うこともできません。
「さあ……行くぞ!」
それでも勇者たちはあきらめませんでした。渦に飲み込まれる直前に、一か八かで魔女に最後の攻撃をしました。
デュランダルの大砲が火を吹きました。
巫女が風を生み、その風に乗って剣士が魔女に飛びかかります。
「捕らえたぞ、魔女!」
「えっ!?」
魔女は、勇者たちとともに海へ落ちていきました。
仲間を助けようと海賊はデュランダルを操りましたが、デュランダルもまた巨大な渦に飲み込まれてしまいます。
「うわーっ!」
飲み込まれた時の衝撃で、他の勇者たちも海へ投げ出されてしまいました。
※ ※ ※
それは、たった今繰り広げられていた、勇者と魔女の戦いの様子でした。
天使は首をひねりました。
何か違うような気がします。
剣士が魔女を捕らえたように書かれているのですが、そうだったでしょうか。それに、海の底から天へ向かって放たれた、あの白い光のことが書かれていません。
「ふむ……」
天使はペンを取り、右側の何も書かれていないページに、こんな文字を書き込みました。
『海に落ちた魔女は、勇者とともに、そのまま海の底へ沈んでしまいました』
書いたインクがかすかに光り、本にしみ込みました。それを見て、天使はさらに書き込みます。
『こうして魔女は滅び、世界に平和が戻りました』
またインクが光りました。
ですが今度は、インクがぷくりと浮かび上がり、本から流れ落ちてしまいました。
「……なるほど」
流れ落ちたインクを見て、天使は小さくうなずきました。
「世界の書」
それは、神様がこの世界の全てを書き記した本の題名です。いわば世界そのものです。その本は神様が持っていて、天使であっても触ることすらできません。
天使が持つ「世界の書(補)」は、その複製です。
左側のページに神様が書いたことが浮かび上がり、右側のページには天使がメモを書くことができます。
神様が書いたことを書き換えることはできませんが、天使が「補足や説明があった方がよい」と思ったら、メモとして書けるようになっています。
しかし、メモとして書いたことが神様が決めたことと違う時は、インクは流れ落ちてしまうのです。
「消えていませんか、魔女。しぶといものです」
天使は空を見上げると、くっくっくっ、と笑いました。
「そうでしたね、神様。魔女を捕らえよとのご命令でしたね」
世界が滅びるのを防ぐため、魔女を滅ぼしてしまおうと天使は考えました。
ですがそれは、神様の命令に背くことでした。神様はそれを見逃さず、天使の企みを邪魔したようです。あの白い光は、神様から天使への警告だったのかもしれません。
「まったく。本当に、しぶといものです」
天使は右手を掲げ、ゆっくりと横に動かしました。
天使の手の動きに合わせて、海が消えていきます。海が消えた後には、夜より深い闇が広がっていました。
その闇の中に、無数の金色の光が見えました。
「集まりなさい」
天使が声をかけると、すべての光が飛んで集まりました。
それは、デュランダルにも乗っていた、金色のアンドロイドでした。空を埋めつくしてしまうほどの数がいて、天使の周りに集まってくると、何も言わぬまま整列して膝をつきます。
「命令です。魔女を探し、見つけ次第、私に知らせなさい。神様のところへ連れて行きます」
「オオセ、ノ、ママニ」
アンドロイドが同時に答え、同時に頭を下げ、同時に立ち上がりました。一ミリの狂いもない、完璧に同じ動きでした。
「ああ、それと」
飛び立とうとするアンドロイドに、天使はもうひとつ命令しました。
「もしもまだ勇者が残っていたら……邪魔ですから、消してしまいなさい」
「ギョイ」
◇ ◇ ◇
流星のように飛び散っていくアンドロイドたち。
その様子を、双眼鏡でのぞいている者がいました。
『戻るぞ!』
偵察に来ていた、三人の妖精でした。天使の命令を受けたアンドロイドが飛び散ったのを見ると、うなずきあい、大急ぎで仲間の元へ戻りました。
『報告ーっ!』
森の奥の少し開けたところへ来ると、偵察の妖精が叫びました。
その声を聞いて、色とりどりのツナギ姿の妖精がたくさん集まってきます。そして一人だけ黒い軍服を着た妖精、司令官が現れると、偵察の三人は司令官に向かって敬礼しました。
『天使がアンドロイドを招集、一斉に散りました!』
『目的はわかるか?』
『魔女の捜索、および勇者の抹殺と思われます!』
その報告に、妖精たちがざわめきました。
『やはり……ここでケリをつける気か』
司令官が厳しい顔になりました。もう一刻の猶予もありません。グズグズしていては、すべてが終わってしまうでしょう。
『諸君!』
呼びかけに応え、妖精が一斉に司令官を見上げました。
『聞いての通りだ、もはや一刻の猶予もない!』
『承知』
『負けるわけにはいかぬ』
『司令官どの、指示を!』
『うむ』
司令官がうなずき、妖精たちに向かって声を張り上げました。
『魔女を探せ! 勇者を助けよ! 天使の軍団に遅れを取るな!』
『おおーっ!』
ピィーッと、妖精たちの力強い声が森に響きました。
『希望を守れ!』
『勇気を導け!』
『星渡る船が羽ばたく、その時まで!』
『我らが覚悟を示せ!』
『者ども、散れーっ!』
『おおーっ!』
勇ましい声とともに、妖精たちが四方八方へと散りました。
仲間の妖精を見送った司令官は、背後に控えていた偵察の三名を振り返りました。
『我らは、艦長に報告へ行こう』
『了解!』