空と海の向こう側 (2) 【完】
さぁっ、と。
朝日が私を照らすのを感じた。
音が消え、時間が止まった。
ふわりと体が浮いて、温かいものに包まれる感じがした。
「シオリ」
誰かが、私の名を呼んだ。
優しくて温かい、女の子の声。その声に、ドキン、と胸が高鳴る。私の中の、空っぽなところがざわめき出す。
私は、ドキドキしながら目を開けた。
目の前に、女の子が立っていた。
とんがり帽子に黒いワンピース、長い黒髪に少したれ目の、かわいらしい女の子。その手には、身の丈ほどのほうき。
誰もが魔女と呼ぶであろう女の子が、私を優しい目で見つめていた。
誰だろう、と思った時。
パキン、と私の中で何かが割れた。
空っぽだと思っていたところから、キラキラとしたものがあふれ出て、私の中を満たしていった。
忘れていた大切なことが、次々とよみがえっていった。
行方不明だった「私」が、ようやく帰ってくる。
そして、思い出す。
目の前にいる、七年前の私にそっくりな女の子が、誰なのかを。
「あ……ああ……」
たくさんの想いが一度に言葉になろうとして、のどのところでつっかえた。言葉より先に涙がこぼれて、なかなか声が出なかった。
「マレ……マレ、だぁ……」
やっとのことで、声を絞り出した。
私が初めて書いたお話の主人公。「希望」の名を持つ、世界一の魔女。
そして。
この七年間、空っぽの私を励まし続けてくれた、もう一人の「私」。
「やっと……やっと、思い出せたぁ」
ボロボロと泣き出した私を、マレが優しく抱きしめてくれた。よくがんばったね、と優しく頭をなでてくれた。
「うん、がんばったよ。がんばれ、て応援してくれたから、がんばれたよ」
ざわめきが聞こえた。
泣きじゃくりながら顔を上げると、たくさんの子が私を囲んでいた。
それは、私が書いたお話の登場人物たち。
夢の世界に閉じこもった私を助けに来てくれた、大切な仲間たち。
「みんな……」
忘れていなかった。
消えていなかった。
誰一人欠けることなく、私の中にちゃんと残っていた。
「ごめんね……忘れちゃってて、ごめんね……」
いいってことよと、親指を立てて笑ってくれた。
もう大丈夫ねと、ホッとした顔を見せてくれた。
「みんな……ありがとう。ずっと励ましてくれて、ありがとう」
私の言葉に、みんながうなずいてくれた。
そう、マレだけじゃない。みんなが私を励ましてくれていた。だから私は、ここまでがんばれた。
霧笛の音が響いた。
びっくりして振り向くと、公園の先の海に、真っ黒で大きな船が浮かんでいた。
海賊船デュランダル。
私が率いた海賊団の船。一番年下だけど、一番勇敢な女の子が操る船。その船が、梯子を下ろし、みんなが乗るのを待っていた。
みんながうなずき合い、私を見つめる。
私はみんなに、泣き笑いでうなずき返す。
「新しい冒険に、出発するんだね」
少しだけ寂しく思う。私はもう、みんなと一緒に夢の世界を冒険できない。
だけど、それでいい。
「今度は、私が応援する番だね」
私の言葉に、みんなが笑顔になった。
よし、行こう。
副団長の合図で、みんなが歩き出す。
一人一人が私に別れを告げ、新しく始まる冒険にワクワクした顔で、デュランダルに乗り込んでいく。
「あ……」
その中に、マレによく似た女の子が二人いた。
スピンとこより。
マレと同じ、もう一人の「私」たち。
悪魔と天使の姿ではなく、お姫様のような、黒と白のゴスロリ系のドレスをまとっていた。「似合うかしら?」なんて目をして、優雅な一礼をしてくれる。
「うん、似合ってるよ。そういえば、お姫様が主人公のお話は書いていなかったね」
全員がデュランダルに乗り込むと、マレの腕が静かにほどけた。
ほうきを手に持ち、私をまっすぐに見つめるマレ。「じゃあ、行くね」とほほえんで、とん、と地面を蹴って舞い上がった。
「マレ! 海賊団の団長は、今からあなたよ!」
私が叫ぶと、マレがびっくりした顔をする。
そんなに驚かなくてもいいのにと、笑いがこぼれてしまう。
「あなたは私の分身だもの。みんなをお願いね!」
もう、無茶ばかり言うんだから。
そんな感じの、ちょっとあきれた顔になったけど、私がもう一度「よろしくね!」と言うと、マレは笑顔を浮かべてうなずいた。
マレが乗り込むと、いかりが巻き上げられた。
出航の準備を終えたデュランダルが、別れを告げる霧笛を響かせた。
甲板の上から、みんなが私を見ていた。少しだけ心配そうな顔に、私は笑顔を浮かべて手を振った。
「大丈夫だよ!」
自分の名前を思い出したから。
みんなのことを思い出したから。
「私はここにいるから! みんなを応援してるね!」
みんなが笑顔で、手を振り返してくれた。
波を立てて、デュランダルが動き出す。旅立つ仲間たちに、わたしは声を張り上げて声援を送った。
「行ってらっしゃい! がんばってね!」
◇ ◇ ◇
──静かな波の音と、鳥の声が聞こえた。
ゆっくりと目を開くと、夜はすっかり明けていた。
夢を見ていたのだろうか。
それとも、幻を。
周りを見ても誰もいない。
マレも、海賊団のみんなも、デュランダルも、もう見えない。
だけど、消えてしまったわけじゃない。
胸に手を当てて目を閉じれば、みんなの姿が思い浮かぶ。
ここにいる。
私の中に、みんなはちゃんといる。
「もう、忘れないよ」
私は涙をぬぐうと、杖を手に立ち上がった。
「さあ、どんな冒険にしようかな」
どこまでも広がる海と空を、力強く進んで行く、海賊船デュランダル。
「希望」の名を持つ、世界一の魔女に率いられた海賊団が目指すのは、世界の果て、空と海の向こう側。
そこには、どんな夢と冒険が待っているのだろう。
それを思うと、ドキドキ、ワクワクして、笑みがこぼれた。
「待っててね。すてきな物語にしてみせるから」
私の言葉に応えるように、優しい風が吹き。
「待ってるよ」という、みんなの声を運んでくれたような、そんな気がした。