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空と海の向こう側 (1)

 まだ空には星が輝いている──そんな時間に家を出た。


 昨日の夜から落ち着かず、なんだかソワソワしていた。何かが自分に起こる、そんな予感がして、あまり眠れなかった。


 暗い道を、杖をつきながらゆっくりと歩く。

 日課で歩き慣れている散歩コースだけど、夜明け前に歩くのは初めてだった。なんだか別の世界に来たようで、少しだけワクワクした。


 いったい、私に何が起こるのだろう。


   ◇   ◇   ◇


 七年前、私は地獄から助け出された。

 一命は取り留めたけれど、それから四年もの間、私は起きているのか寝ているのかわからない、そんな状態だった。


 ようやく意識がはっきりした時、私は空っぽだった。


 何も覚えていなかった。自分が誰で、どうしてそこにいるのか、本当にわからなかった。

 「鈴木(すずき) (しおり)」という自分の名前ですら思い出せず、教えてもらってもまるで実感がなかった。


 ただぼう然と過ごす毎日。

 時間が経てば思い出す、お医者さんはそう言っていたけれど、一ヶ月過ぎても、私の記憶はほとんど戻らなかった。


 不安で不安で仕方なくて、泣いてばかりいるようになった。私の中に、ぽっかりと空いた穴があって、そこにあった大切なものがなくなっている、そんな気がした。


 そんなときに、私を助けてくれた、児童相談所の森山(もりやま)美幸(みゆき)さんがお見舞いに来てくれた。


 「不思議な夢を見たのよ」


 美幸さんは、以前に見たという夢のことを教えてくれた。


 「勇者、て呼ばれている女の子と一緒に、宇宙戦艦に乗ってあなたを助けに行く夢なの。あの夢、なんだったのかな」


 勇者と呼ばれる女の子たちと、ものすごく強い魔女と、たくさんの妖精たちが、クサナギという名前の宇宙戦艦に乗って、私を助けるために戦った。美幸さんは、その宇宙戦艦の艦長だったという。


 その夢を見たのは、私の家に来た前の夜。

 あの日、私の家を訪問する予定はなかったらしい。だけど、胸騒ぎがして、予定を変更して訪問してくれたそうだ。


 「あなたからの、助けを求める声だったのかもしれないね」


 夢には私も出てきたらしい。「ひょっとしたら、同じ夢を見ていたんじゃない?」なんて言われたけれど、まるで覚えがなかった。




 二ヶ月が過ぎても、三ヶ月が過ぎても、私は何も思い出せなかった。

 地獄から助け出されたと言われたけれど、空っぽのまま生きて行く方が地獄だと思い、泣いてばかりいた。


 だけどある日、私の心にある空洞に、ひとつだけ残っているものがあることに気づいた。


 がんばれ、という、たった四文字の言葉だ。


 誰がいつ私に言ったのか、わからない。

 だけどその四文字が、空っぽの私を励ましていた。


 私は泣くのをやめた。その言葉をくれた誰か──ひょっとしたら、誰かたち(・・)──に、「うん、がんばるよ」と応えて、前に進むことに決めた。


 二年に及ぶリハビリは本当に辛かったけど、乗り越えられたのは、その言葉が支えてくれたから。無事退院し、社会復帰を目指している今も、その言葉が私を支えてくれる。


 だから、その言葉をくれた誰かに言いたい。

 ありがとう、と。


   ◇   ◇   ◇


 住宅街を抜け、海に出た。

 穏やかな波の音が聞こえ、潮の香りに包まれた。


 だんだんと空が明るくなって、星の光が消えていく。

 ゆっくりと、一歩ずつ、私はいつもの散歩道を進み、海沿いの公園に着いた。


 誰もいない、夜明け前の公園。

 私はベンチに腰を下ろし、ふう、と息をついた。


 「今日は、ちょっと痛いなあ……」


 痛む右足をさすりながら、リュックを開き、古いノートを取り出した。


 「世界の書 その1 見習い魔女の修行日記」


 表紙には、子供の字でそんなタイトル。ノートを開くと、表紙と同じ字で、びっしりとお話が書かれていた。


 それは、私が書いたお話だという。

 それもこの一冊だけじゃない。ノートは全部で百冊近くもあった。


 ただ、大半が汚れたり破れたりしていて、もう読めない状態だった。なんとか読める状態だったのは、十冊ほど。読んでみたけれど、自分が書いたという記憶はなく、「ふうん」としか思えなかった。


 でも、今朝は違う。


 ノートを読んでいると、なんだか心がざわざわした。私の中の、空っぽだと思っていたところに、なにかキラキラ光るものがあるような、そんな気がした。


 「あなたは……誰?」


 なぜか、そんな言葉が口をついた。

 お話の主人公、見習い魔女。名前は書かれていなかった。だけどこの魔女には名前があるような、そんな気がした。


 魔女には、魔女としての名前と本当の名前、二つの名前がある。

 本当の名前は命と直接つながって、悪い魔法使いに知られたら呪いに使われるから秘密。


 ノートの端には、そんなことが書かれていた。そういう設定なのだろう。


 「魔女名と、本名、か」


 私は目を閉じ、魔女の名前を考えた。

 師匠も驚く魔法の才能を持っているくせに、臆病で泣き虫な魔女。だけど、泣きべそをかきながらも、なんとかしようと奮闘する、がんばり屋の女の子。

 そんな子にふさわしい名前はなんだろうか。


 色々と考えていたら──なぜかパンドラの箱の伝説を思い出した。


 「……希望?」


 蓋を開けて、中にあったあらゆる厄災が飛び散った後、最後に残っていたもの。それが、この魔女にふさわしい名前のような気がする。


 「魔女名がパンドラで、本名はホープ……うーん、ちょっと違うかな……」


 少し考えて、「希望」の字を二つに分けることを思いついた。それぞれの文字を名前にしたら、ぴったりではないだろうか。


 「希」は、マレと読める。

 「望」は、そのままノゾミでいい。


 うん、いいと思う。

 マレという響きは不思議な感じがして、魔女名としてぴったりだ。ノゾミという名は、がんばり屋の女の子にはお似合いじゃないだろうか。


 魔女名=マレ、本名=ノゾミ。


 「希望」の名を持つ、世界一の魔女。

 臆病で泣き虫だけど、何があってもあきらめない、そんな魔女にふさわしい名前だ。


 「魔女さん。あなたの魔女名はマレ、本当の名前はノゾミ。どうかな?」


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― 新着の感想 ―
[一言] そ、そういう事だったのか(´;ω;`) 次回最終回……長かったねぇ(´;ω;`)
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