06 救助 (2)
「栞ちゃん!?」
階段を転げ落ち、痛みにうずくまっている私を見て。
真っ先に駆け寄ってくれたのは、父親でも母親でもなかった。
赤の他人の、女の人だった。
「大丈夫!?」
冷ややかな目で眺めているだけの両親。女の人は、両親を押しのけて駆け寄って来ると、私の体を見てハッとした顔になった。
「栞ちゃん……このケガは……」
服が血で汚れるのもかまわず、抱きかかえてくれた。
ハンカチを取り出して、汚れた顔をふいてくれた。
「何やってるんだ、このバカ娘は」
父親の、いらいらとした声が聞こえた。
その声に、体が震える。
怖い。
口答えしたら、怒鳴られる。
逆らったら、殴られる。
いい子でいないとだめだ。
言われたことだけをやる、お人形のような子でないと、また怒られる。
「栞ちゃん?」
怖い、怖い、怖い。
もしもまた見捨てられたら、もう終わりだ。
そう思うと、怖くてたまらない。
「いつまでも寝てるんじゃねえ」
ため息をついて、父親が近づいてくる。
怖い、怖い。
怖くて怖くて、たまらない。
──私ハ、私ノ意志デ戦ッタ。
その言葉が、私の中に響く。
──絶対に、負けるんじゃねえぞ!
力強い声が、私を後押ししてくれる。
そうだ、もう一度だけ。
最後にもう一度だけ、ありったけの勇気を振り絞るんだ。
「ミ……ユキ……さん……」
私は女の人の──ミユキさんの袖をつかんだ。
いったい、どうなるかわからない。
だけど、これが最後。
ここで勇気を振り絞らなければ、私は死んでしまう。
「どうしたの、栞ちゃん」
声が出ない。たった一言なのに、怖くて声を出せない。
父親がすぐそこまできている。
早く、早く。
声を出せ。死に物狂いで、勇気を振り絞れ。
わたしは、わたしを助けるんだ!
「たす、けて」
やっとのことで、声が出た。
私の中の勇気をすべて使って、私は最後の希望にすがりついた。
「たす、けて……死にたくない……私、死にたくない……たす、けて」
「な、何を言ってるんだ、このバカ娘が!」
父親が、怒鳴った。
その怒鳴り声に、私の体はすくんでしまう。もう、私は声を出せない。
「こっちへ来い!」
慌ててやってきた父親が、私を連れ戻そうと手を伸ばした。
だけど、その手を。
「触らないでください!」
ミユキさんが、鋭い動きではねのけた。
「どういうことですか? 栞ちゃんの、このケガはなんですか?」
「あー……ちょっと、転んだだけだ」
「ちょっと転んだだけで、こんなケガはしません」
静かな口調だった。
でもそれがかえって、ミユキさんの怒りを表していた。
「バカ娘の悪ふざけを、真に受けてるんじゃないよ」
母親のふてくされた声が聞こえてきた。
そんな母親を、ミユキさんは鋭くにらみつけた。
「あなたには、悪ふざけと、死に物狂いで発した言葉の、区別もつかないのですか!」
一喝されて、母親がたじろぎ、父親も一歩後ずさった。
ミユキさんが立ち上がる。さらに一歩後ずさった父親に、ミユキさんが告げる。
「栞ちゃんは、我々が保護します! 課長、救急と警察に連絡を!」
「わ、わかった」
「てめぇっ!」
警察と言われて、ひるんでいた父親の顔が怒りに歪んだ。
でも、ミユキさんは動じない。
素早く私を背中にかばうと、父親の前に立ちはだかった。
「てめえ、叩き出すぞ!」
「やれるものなら、やってみなさい。これでも、海上自衛官として八年勤めていた身です」
「あ?」
驚く父親の前で、ミユキさんが身構えた。
「護身術ではなく、戦闘術を叩き込まれています! 手を出すと言うのなら、反撃します!」
きっぱりと言い切ったミユキさんの、頼もしい背中は。
勇者を率い宇宙戦艦クサナギを指揮した、あの「艦長」そのものだった。
◇ ◇ ◇
救急車とパトカーが同時にやって来て、私の家は大騒ぎになった。
「これは──」
私を見て、救急隊の人が声を失う。すぐに担架に乗せられて、救急車へと運ばれた。
「ミ……ユキさん……ミユ……キ……さん……」
「ここよ、ここにいるよ、栞ちゃん」
声を振り絞って呼ぶ私の手を、ミユキさんがしっかりと握ってくれた。
痛みが走る。だけど今は我慢する。
私には、どうしても言っておかなきゃいけないことがある。
今言っておかないと、二度と、言えないかもしれないから。
「あり、がとう……」
助けに来てくれて。
私の声に、応えてくれて。
ミユキさんのおかげで。
わたしは、わたしを助けることが、できた。
「お礼を言うのは……私よ」
ミユキさんは首を振って、私の手をそっとなでてくれた。
「ありがとう、がんばってくれて。助かろうと、手を伸ばしてくれて」
ミユキさんが笑顔を浮かべ、そして、ぽろぽろと涙をこぼした。
「ごめんね、本当にごめんね。がんばらせちゃって、ごめんね」
救急車が動き出した。
サイレンが鳴り響き、私はついに地獄から脱出した。
「私たちが……大人ががんばらなかったから……子供のあなたにがんばらせちゃったよね。本当にごめんね」
ぽたり、ぽたりと、手のひらに落ちてくるミユキさんの涙。
その温かさに、もう大丈夫だと安心して。
私は目を閉じ──ながいながい眠りについた。