05 最後の戦いへ (1)
目の前に差し出された、小さな手。
震える手を伸ばし、その小さな手を取ると、何か温かいものが流れ込んできました。
「あ……」
思い出しました、目の前にいる女の子のことを。
パティシエ・カナリア。
大きくなったらケーキ屋になりたい、そんな夢をつめこんだお話、「小さな村の小さなパティシエ」の主人公です。
「カナ……リア……私……」
「思い出してくれた?」
カナリアの雰囲気が変わりました。
大人びた笑顔が、十歳の子供らしい元気な笑顔になります。そう、カナリアはいつも元気いっぱいで、働き者の女の子なのです。
「うん、思い出した……思い出したよ、カナリア」
にっこりと、嬉しそうに笑って。
カナリアは、光となってシオリを包み込みました。
暖かな、黄色い光でした。
その光に包まれて、シオリは忘れていた大切なことを思い出します。
あの夜、あの美しい星空を見て、勇気がわいたことを。
「星渡る船」に乗って、宮殿を飛び出し、広い世界へ行きたいと願ったことを。
「マレ……みんな……」
その時、一緒に行ってほしいと願った大切な仲間を、シオリは傷つけてしまいました。
「ごめん……ごめんね、ひどい目に合わせて、ごめんね……」
シオリはベッドを降り、みんなのところへ行きました。
倒れているマレの側に座り、そっと抱きかかえます。少し痛そうな顔をしたマレですが、シオリと目が合うと優しく微笑んでくれました。
「マレ、ごめんね。本当にごめんね。痛かったよね、苦しかったよね」
「ほんと、だよ……許さないんだから、ね」
マレの手が、シオリのほっぺをつねりました。
ぎゅっと、精一杯握ったはずなのに、まるで痛くありません。ほっぺをつねるマレの手を取り、シオリはぽろぽろと涙をこぼしました。
「私にも、一発殴らせな」
副団長のリンドウがやって来て、ポカリ、とシオリにゲンコツを食らわせました。
「俺もだ」
「私も」
「私も、です」
「じゃー僕も」
「うむ、私もだ」
コハクが続き、アカネ、ルリ、ヒスイ、そしてハクトと順番に、シオリにゲンコツを食らわせて行きました。
そして、その後で。
みんなが泣きながら、シオリを抱きしめ、「おかえり」と言いました。
「ただいま……ただいま、みんなぁ……」
みんなの優しいゲンコツと、温かな抱擁に。
シオリは声をあげて、わんわんと泣きました。
◇ ◇ ◇
パンケーキの焼ける、香ばしい匂いが流れてきました。
「ピイッ!」
黄色いツナギ姿の妖精が振り向き、「焼けたよ!」と親指を立てます。
それは、カナリアだったもの。
シオリの体の宿り木となり、勇者と魔女と星渡る船をここまで導いてきたカナリア。シオリが記憶を取り戻すと、妖精の姿になってしまいました。
みんなで輪となり、カナリアが焼いてくれたパンケーキを食べました。
「おいしいね」
「うん」
泣き腫らした目で笑うシオリと、笑顔を返すマレ。そんな二人を見守る仲間たち。
「ピィッ!」
そんな光景を見て、元カナリアの妖精は「最高だね!」と親指を立てました。
「なあ、妖精って、結局何なんだ?」
コハクの問いに、シオリは笑顔で答えます。
「忘れていたお話の、登場人物だよ」
記憶は消えません。
思い出せなくなるだけです。
シオリが生み出したたくさんのお話は、記憶の奥底に眠り続けていました。シオリの体は、それを呼び覚まし、勇者を助けるために妖精として送り出したのです。
「でも、元の姿じゃないから、力は制限されていたの」
「そういうことかよ」
「じゃあ」
「ええ、それなら」
「アンジェくんやシルフィくん、それにナギサくんも、消えていないんだね」
「うん。だから、また会えるよ」
また会おう。
妖精たちはそう言って消えました。きっとみんなは信じていたのです。勇者と魔女が、シオリを助け出すことを。シオリがいつかまた、新しい物語を書いてくれることを。
「おいシオリ、ひとついいか」
「なに、スピン」
「どうしてこいつらが、最後の勇者なんだ?」
スピンは、アカネ、ルリ、ヒスイ、ハクトの四人を指差しました。
「リンドウとコハクはわかる。もともとお話の主人公だし、お前が『世界の書』の切れ端を渡して守り、そのまま勇者になった。だろう?」
「そうだね」
「星渡る船」を思いつき、未来へと想いをはせたとき。
なぜか、猛烈な不安を感じました。
ひょっとしたら、自分はここにいられなくなるかもしれない。
そう感じて、海賊団と「星渡る船」の夢を守るため、コハクとリンドウに「世界の書」を切れ端を渡し、二人が消えないようにと願ったのです。
「だけど、この四人はどうしてなんだ?」
「うーん……マレと二人で考えたお話の登場人物、だからかな?」
『竜騎士アンジェの大冒険』
『風の女の子・大泥棒シルフィ』
『天才エンジニアの設計図』
『薬師ナギサのお薬手帳』
『海賊コハクの航海日誌』
最後の勇者となったみんなが登場するお話は、シオリとマレがアイデアを出し合って作ったお話でした。
「私が忘れたから、主人公は消えちゃった。けど、マレが覚えていたから、サブキャラクターは残った。たぶん、そうだと思う」
「たぶん?」
「だって、何が起こっているのか、私にもわからないもの」
ここは、シオリの夢の世界です。
すべてはシオリの想像の範囲内のはず。ですが、物語はシオリの想像を超えて広がっているのです。シオリはこの世界の創造主ですが、そのシオリにもわからない何かが起こっているのです。
そして、シオリの想像を超えた何かの力が働いて。
あの人を──艦長を、この世界に呼んでくれたのです。
「そうか」
シオリの答えに、スピンは肩をすくめ、笑顔を浮かべました。
「つまり、奇跡が起こった、てことだな」
◇ ◇ ◇
降り続けていた「世界のかけら」は、いつのまにか止んでいました。
見上げると、何もなかった空に星が輝いています。星の宮殿の空を飾るのにふさわしい、満天の星でした。
「世界の崩壊が、止まったのかね?」
「ええ、そのようです」
ハクトのつぶやきに、こよりがうなずきました。
「記憶の消失が止まったのでしょう。ですが、これは一時的なものと思われます」
こよりの言葉に、勇者たちはうなずき合いました。
シオリの体はもう限界。
もってあと五、六時間。
カナリアの姿を借りて、シオリの体がそう言っていました。
そう、戦いはまだ終わっていません。
最後の戦い、それも、シオリが一人で挑まねばならない戦いが残っているのです。
一人、また一人と勇者たちが立ち上がりました。
こよりとスピンが続き、最後にマレが立ち上がりました。
「シオリ」
マレが差し出した手を握り、シオリもまた立ち上がりました。
「もう、起きる時間だよ」
「……うん」
マレの言葉に、シオリは小さくうなずきました。




