02 再会 (2)
マレは意を決し、シオリの側へ行くことにしました。
床には、崩れた天井の瓦礫や、使い古されたノートがたくさん転がっていました。それを慎重に避けながら、一歩、二歩と歩みを進めたとき。
「来ないで」
シオリが、つぶやくように言いました。
ゾクリと震えて、マレは足を止めました。思わず逃げたくなるような、冷たくて乾いた声でした。
シオリが、ゆっくりと顔をあげました。
何の感情も見えない、仮面のような顔でした。右目には眼帯をしていて、よく見たらパジャマには血がにじんでいます。
その痛々しい姿を見て、マレは、ぎゅっと杖を握りました。
「シオリ……私……」
マレが口を開きかけると、シオリの左目がすうっと細くなりました。
マレは言葉を飲み込みます。光のない、うつろな瞳に気圧されてしまったのです。
だけど、ここで回れ右をして帰るわけにはいきません。
マレはシオリの視線をまっすぐに受け止め、シオリの言葉を待ちました。
長い長い、沈黙の後。
「……ねえ」
シオリが、低く、うめくような声で、問いかけてきました。
「ここに来ていい、て……誰が許した?」
シオリの言葉が終わるや否や。
ものすごい力で、マレは吹っ飛ばされました。
壁に叩きつけられた衝撃で、意識が遠のきました。服に防御魔法をかけていなかったら、それで終わりだったでしょう。
「あ……ぐ……」
「ここは神殿よ。許しを得ていない者が、入っていい場所じゃないの」
ずるりと壁を滑り、床に崩れ落ちたマレ。
そんなマレを、シオリは乾いた目で見つめるだけです。
「帰って。私、もう眠るの」
「シ……オリ……だめ……」
マレは、歯を食いしばって痛みをこらえ、顔をあげました。
「お願い、起きて……このままじゃ、シオリは死んじゃう」
「そうね」
まるで他人事のように、そっけなく答え。
シオリはまた、抱えたひざに顔を埋めました。
「もう、いいじゃない。私、眠りたいの。邪魔しないで」
「だめ! お願い、起きて! 死なないで!」
マレが叫んだ瞬間。
また、ものすごい力が叩きつけられました。
今度は上からです。倒れていたマレを押しつぶさんばかりに、押さえつけてきます。
「くっ……」
マレは杖を握り、全力で魔法の壁を作り出しました。
押さえつけてくる力が和らぎました。ですが、あまりに強い力で、跳ね返すことができません。
「マレのせいだから」
「……え?」
「私が死ぬのは、マレのせいだから」
「ど、どうして?」
「私は、全部をこよりにあげるつもりだった」
こより。「天使」としてマレの前に立ちはだかった、三番目の人格。
「私は二度とここから出ない。この先シオリとして生きていくのは、こよりでいい。そう思ってた」
「ど、どうし……て」
「あの子が、一番うまくやれてたから。見たんでしょ、私の日記」
月の宮殿の大図書室。その床下にあったシオリの日記。
そこに書かれていた内容を思い出し、マレは震えます。
「私じゃだめ。スピンでもだめ。こよりが一番うまくやれてたの。素直で、聞き分けがよくて、言われたことを言われた通りにやれる、とても『いい子』だから」
だけど、マレが邪魔をした。
すべてをこよりにあげようとしたけれど、マレがしぶとく抵抗したおかげで、それができなかった。マレと戦うため、こよりが「天使」として夢の世界で過ごす時間が長くなり、眠り続けるか、シオリやスピンが出て行かざるを得なかった。
「でも、うまくできなくて、どうにもならなくなった。もう、こよりでも無理」
ふふ、と乾いた笑い声が、かすかに聞こえました。
「マレがさっさとあきらめて、ここへ来てくれればよかったのに。そうしたら、すべてがうまくいったのに」
すべてを、こよりにあげて。
シオリはマレと一緒にここで暮らす。あの南の街の宮殿で暮らしたように。
それで、すべてが解決したはずなのに、マレがしぶとく抵抗したおかげで、できなかった。
「だから、マレのせい」
マレを押さえつける力が、さらに強くなりました。
マレを守る魔法の壁に、ひびが入ります。必死で修復しますが、追いつきません。
「シオリ……シオリッ! お願い、あきらめないで!」
死んでほしくない、生きていてほしい。
そんな想いを込めて、マレはシオリに呼びかけます。
「私も力を貸すから! みんなが助けてくれるから! だから……」
「誰も、助けてくれないのよ!」
マレの言葉をさえぎって、シオリが叫びました。
「みんな、て誰よ! どこにいるのよ! いつ来るのよ!」
シオリが叫ぶたびに、力が強くなっていきます。
「海賊団のみんなは、夢の中の人よ! なんの力もないの! マレ、あなたもそう! 一度も外に出たことがないくせに、力を貸すなんて、偉そうに言うなっ!」
バリン、と魔法の壁が壊れました。
強大な力が、マレを押さえつけました。あまりの強さに、マレは押しつぶされてしまいそうです。
「苦しい、マレ?」
再び顔を上げたシオリが、あがいているマレを見ながら問いかけます。
「でもね、そんなものじゃないから。私や、スピンや、こよりが受けて来た仕打ちは、そんなものじゃないから」
「シ……オリ……」
冷たく乾いたシオリの目。
底のない闇が宿るその目に、マレは体がすくんでしまいます。
「教えてあげる。マレは、私の四番目の人格だもの。記憶の共有なんて簡単よ」
それを知ってなお。
助けに来たなんて、偉そうなことが言えるのか。
「試してあげるね、『世界を滅ぼす魔女』さん」
乾いた笑いを浮かべたシオリが、パン、と両手を叩くと。
どす黒い闇の塊が、マレの中に流れ込んで来ました。