03 憎しみ (4)
『カナリアくん、カナリアくん……無事かね?』
通信機から聞こえてきた、ハクトの弱々しい声で、カナリアは意識を取り戻しました。
いばらに弾き飛ばされ、医療用カプセルに叩きつけられた衝撃で、気を失っていたようです。
「ハクト……」
ズキン、と背中が痛みました。だけど、我慢できないほどではありません。
大きく深呼吸をしたら、少し痛みが引きました。
「なんとか、大丈夫だよ」
『それは、よかった』
「ハクトは大丈夫なの?」
ハクトの声は途切れ途切れです。カナリアの呼びかけにもすぐには返事がありませんでした。
「ハクト? 大丈夫なの?」
『端的に言って……大ピンチだね』
艦橋はいばらに埋め尽くされ、勇者は全員いばらに捕らえられた。
シオリの声が頭の中に響いたかと思うと、体中の力を吸い取られ、動けなくなった。
ハクトの説明に、カナリアは息を呑みました。クサナギを動かす勇者たちが全員動けない、まさに大ピンチです。
『どうにか無事なのは……艦長だけ、だね』
もっとも、艦長もいばらに巻きつかれていて、身動きできないといいます。
『今、動けるのは……君だけだよ、カナリアくん』
「え? 私だけ?」
『モニター越しに、君が、光に守られているのが見えるのでね』
ハクトの言葉に驚いて、カナリアは顔を上げました。
医務室を埋め尽くす、いばら。白いツナギ姿の妖精がからめ取られ、身動きできなくなっています。
だけどカナリアは平気でした。
光の壁が、カナリアと、マレが眠る医療用カプセルを守っているのです。ルリが祈りを捧げて作り出す守りの壁に似ていますが、色は青ではなく、黄色です。
「これ……」
カナリアは、痛みをこらえて立ち上がりました。
「なんなの?」
『さて、わからない。光が生まれたところは、見ていなかったのでね』
いばらは、黄色の光を突き抜けられないようです。うぞうぞと、光の周りを動き回るだけです。
『カナリアくん、お願いがある』
「なに?」
『機関室へ行って、リンドウくんを助けてほしい』
機関室もいばらに埋め尽くされ、リンドウが捕らえられてしまいました。そのせいでエンジンの修理が終わっておらず、クサナギはこのままでは止まってしまうといいます。
「クサナギが?」
『いばらに巻きつかれたままクサナギが止まれば……もう、打つ手はない。頼む、艦長が踏ん張ってくれている間に、リンドウくんを助けてくれたまえ』
クサナギが止まらない限り。
艦長が、きっとなんとかしてくれるから。
「艦長……」
ハクトの言葉を聞いて。
ふぅっ、と──カナリアの意識が薄れました。
カナリアの奥にいた『誰か』が、カナリアの意識を押しのけて出てきたのです。
その『誰か』が、カナリアの口を借りてハクトに問いかけました。
「……どうして、そう思うの?」
『カナリアくん?』
ハクトが不思議そうな声を返しました。カナリアが、急に落ち着いた声になったので驚いたのです。
「艦長は……名前も知らない人だよ? 『世界の書』のどこにも書かれていない人だよ?」
『……』
『誰か』の問いに、ハクトは無言でした。
『誰か』の言う通りです、艦長は「世界の書」のどこにも──主役でも脇役でも、どちらであっても──書かれていない人なのです。
「ねえ、ハクト。どうしてハクトは、艦長を……あの大人を信じるの?」
カナリアを包む黄色の光が揺れました。
医療用カプセルの中で、マレがピクリと動いたような気がします。
『ふふ……そうだね……うむ、そうだった』
無言だったハクトが、小さく笑いました。
『シオリくんが作った世界に、大人はいないんだったね』
「……」
『誰か』は何も言いませんでした。
数秒の沈黙。
そして、ハクトが答えます。
『だからこそ、だよ』
「え?」
『大人がいないはずの世界に、たった一人だけ現れた大人。さて、艦長は何者か。その答えは、とても簡単だ』
ハクトは一度言葉を切り、自信を持った声で言いました。
『シオリくんはもう、助けてくれる人に出会っている。艦長はきっと、その人だ』
※ ※ ※
長い黒髪の、スーツ姿の女性が脳裏に浮かびました。
助けて、と手を伸ばせば、きっと手を取ってくれる。
この人なら、きっと手を離さないでいてくれる。
そう思わせてくれる人でした。
そうです、この人です。
『わたし』は──この人のところへ行こうとしていたのです。
※ ※ ※
『ぐわっ!』
通信機の向こうで、ハクトが苦しそうな声を上げました。
その声に、『誰か』が引っ込み、カナリアの意識が戻ります。
「ハクトッ!? 大丈夫、ハクト!」
『頼む……機関室へ……リンドウくんを……この船を、守ってくれたまえ……』
ハクトの声が途切れました。カナリアが呼びかけても、もう返事がありません。
「ど、どうしよう」
カナリアよりもずっと強い勇者たちですら圧倒される、いばら。そのいばらを相手に一人で戦うなんて、カナリアにできるのでしょうか。
しかも、これまで助けてくれた妖精たちも、いばらに捕らわれているのです。
戦い方を知らない、パティシエのカナリアが、一人で戦って勝てる相手なのでしょうか。
『ピーッ!』
声が聞こえました。
妖精の声です。ですが、いばらに捕らわれている妖精ではありません。その声は、なんとカナリアの内側から聞こえてくるのです。
「みん……な?」
その声に問いかけたとき──カナリアの脳裏に、思い浮かぶ光景がありました。
※ ※ ※
光も音もない、静かで真っ暗な世界。
その世界の奥底で、カナリアは白い粉となって積もっていました。
──カナリア。
そんなカナリアに、『誰か』が声をかけてきたのです。
──チカラ、ヲ、カシテ。
たどたどしい声で、呼びかけてきた『誰か』。そんな『誰か』に、カナリアはこう答えた気がします。
無理だよ。
私は、もう、退場しちゃったから。
だけど、『誰か』はあきらめませんでした。
──オネ、ガイ。
──アナタジャ、ナイト、ダメ、ナノ。
どこからか差してきた光が、カナリアを──カナリアだった白い粉を照らしました。
光に照らされたカナリアは、闇の底からゆっくりと浮かび上がります。
──オネ、ガイ。
──ワタシ、ヲ、タスケテ。
その言葉に、カナリアはハッとなりました。
「あなた、もしかして……」
──アナタノ、ココロヲ、カシテ。
──モウ、コレシカ、ホウホウガ、ナイノ。
「うん、いいよ」
光に包まれて、白い粉が一つになっていきます。
お団子頭にエプロン姿の、十歳の女の子。
背中の黄色いリュックには、フライパンを始めとする調理器具。
パティシエ、カナリアの新たな誕生です。
「ピーッ!」
姿を取り戻したカナリアのところへ、黄色いツナギ姿の妖精たちが集まってきました。
そして、次々とカナリアの中に飛び込んでいきました。
消えてしまったカナリアのお話を、新たに始めるために。
黄色いツナギ姿の妖精たちは、すべての力をカナリアに与えたのです。
行け。
君が、ジョーカーだ。
勇者と魔女がピンチの時。
君がみんなを──物語を守るんだ。
「うん」
みんなの言葉にうなずいて、カナリアは目を開きます。
「お待たせ。さあ、一緒に行こう!」
──アリ、ガトウ。
目の前に漂う、透明な光の玉。
その光の玉を手に取ると、カナリアはそっと胸に抱きしめました。
※ ※ ※
『今こそ、その時だ!』
カナリアの中にいる妖精たちが、力強い声をあげています。その声に、カナリアの不安が吹き飛びました。
「うん、そうだね」
カナリアは胸に手を当てて、中にいる妖精たちと──『誰か』に語りかけます。
「私、力を貸す、て約束したんだもんね。行かなくちゃ!」
宇宙戦艦クサナギ。
『勇者と魔女と星渡る船』という物語。
ここで船を沈めるわけにはいきません。
ここで物語を終わらせるわけにはいきません。
カナリアは、そのためにここにいるのです。
「よぉし!」
カナリアは威勢のよい声を上げ、リュックを背負って立ち上がりました。
目の前には、いばらの壁。
絶対に行かせまいと、カナリアの前に立ちはだかっています。
「負けないからねっ!」
カナリアはフライパンを手に取りました。
そして、医療用カプセルの中で眠るマレを振り返り、笑います。
「私が、みんなを助ける。だから、そのあとはお願いね!」
まかせて。
マレの、そんな声が聞こえたような気がして、カナリアは奮い立ちます。
「勇者・カナリア、行くぞー!」