03 憎しみ (1)
深い闇の底で眠っていたマレが、うっすらと目を覚ましました。
「シ……オリ……」
声が、聞こえたような気がしました。
大切な友達の声。だけど、聞きなれた朗らかな声ではなく、乾ききった冷たい声。
シオリのそんな声を聞いたのは、初めてでした。
とてもまずいことが起こっていると、直感でわかりました。
(行か……なきゃ……)
だけど体が思うように動きません。
息が苦しくて。
足が痛くて。
のどがカラカラで。
体が熱くて。
もう指一本だって動かせないぐらい、疲れています。
温かくもなく、寒くもなく、何も聞こえず、何も見えず。
起きているのかどうかも、よくわかりません。
(みんな……)
海賊団の仲間たち。
勇者となって、助けに来てくれた仲間たち。
起きて一緒に戦わないと。
苦戦しているのなら、私が戦わないと。
マレはそう思い、なんとか起き上がろうとします。
だけど、体に力が入りません。
「誓いの書」で強くなったはず。
ハクトが作ってくれた医療用のカプセルで、もう十分に休んだはず。
それなのに、どうしても体に力が入らないのです。
──ムチャ、シチャ、ダメダヨ。
声が聞こえました。
今度は、はっきりと聞こえました。
たどたどしい声。だけど、聞き間違えるはずがありません。
「シ……オリ……?」
マレは、もう一度起き上がろうとしました。
でも、やっぱり体に力が入りません。
行かなきゃと、焦る気持ちばかりで、どうしても体が動きません。
──イマハ、アナタガ、カラダヲ、ツカッテイル。
シオリの声が、たどたどしく告げます。
──ダカラ、ウゴケナイ。
体。
シオリという女の子の、現実の体。
すべての心がそこから離れたら、いざという時、体を守ることができない。だから、今はマレが体とつながっている。
シオリの声は、そう教えてくれました。
──アトスコシ、ネムッテイテ。
でも、と言い返そうとしたマレに、シオリの声が告げます。
──モウジキ、ヨブカラ。
魔法の言葉を、必ず言うから。
そうしたら、マレは目を覚ますから。
そして。
それが、決戦開始の合図だよ。
──タヨリニ、シテル、カラネ。
(……うん)
シオリの言葉に、マレは微笑みました。
まかせて。
私は、もう泣き虫でヘタレな魔女じゃない。
あらゆる魔法を使いこなす天才、世界最強の魔女。
それが私、魔女マレなんだから。
◇ ◇ ◇
「ねえ、あなたたち。何しに来たの?」
その声が響くと、艦橋の正面パネルの画像が乱れ、一人の女の子を映し出しました。
シオリ。
海賊団の団長。
いままさに助けに行こうとしている、その女の子でした。
ようやくの再会です。
でも、勇者のみんなは、シオリの姿に衝撃を受け、言葉を失いました。
つややかに輝いていた長い髪は、ボサボサで。
頭にはリボンではなく、包帯を巻き。
右目には眼帯をし、身につけているのはパジャマ。
いつも朗らかで元気に笑っていたシオリが、ひざを抱えて座った姿勢で、にらみつけるように勇者たちを見ているのです。
「シオリ……くん……」
ようやく声を絞り出したハクトを、シオリがじろりとにらみました。
「教えて。あなたたち、何しに来たの?」
氷のように冷たい声でした。
怖いもの知らずのハクトですら、たじろいでしまうほどです。
「君を……助けに来たんだ」
ハクトに代わって、アカネが答えました。
「師匠に……アンジェに頼まれたんだ。君を助けに行ってくれ、て」
シオリが無言のままアカネを見つめます。
氷のように、冷たい目で。
「私もです」
アカネに続いて、ルリが声をあげました。
「私は誓いました。あなたを、そして仲間を守ると。あなたがくれたこのペンダントに!」
ルリが掲げたペンダントを、シオリは、興味のなさそうな目で見ました。
「僕は、マレに頼まれちゃったからねー。君のところへ連れて行って、てねー」
ヒスイの答えに、シオリが小さく体を震わせました。声は聞こえませんが、シオリの口がわずかに動いています。どうやら──マレ、とつぶやいたようです。
「あんたがいなくなったら、みんなで探しに行く。そう言ったろ?」
ヒスイに続いて、リンドウが答えます。リンドウは機関室にいるので、声だけが聞こえたのでしょう、シオリは軽く首を傾げています。
「つまり我々は、マレくんと一緒に、君を助けに来たのだよ」
「……ふうん」
そっけない声で答えたシオリが、すうっ、と目を細めました。
その目がわずかに動き──艦橋の一番奥に座る、艦長へと向けられます。
「あなたは?」
無言のまま座っている艦長に、シオリが問いかけます。
一段と冷たい、ぞくりと震えるような声でした。なんの感情も見えない、うつろな目が、ひたりと艦長を見据えます。
「あなたも、私を助けに来たの?」
「ええ、そうです」
シオリをまっすぐに見返し、艦長はきっぱりと答えました。