01 デュランダル、発進
人類を滅亡から救うため。
その船は、たった一隻で遠い星を目指していた。
「十六万八千光年って、どれぐらい遠いの?」
私の問いに、おじいちゃんは光の速さを教えてくれた。
秒速三十万キロ。
一秒で、地球を七回り半。
そんな光でも、着くまでに十六万八千年もかかる遠い場所。私たち人類、ホモ・サピエンスが地球上に誕生したころに出発して、ようやくたどり着ける遠い場所。
よくわからなかったけど、とにかくすごく遠い、ということだけはわかった。
そんな遠い未知の場所へ、邪魔する敵をやっつけながら、その船はたった一隻で宇宙を飛んで行く。
それは、まだ小さかった私には、ちょっと難しいお話だった。
でもその船が、そして船に乗る人たちが、とても強いということはわかった。
──それを思い出したのは、「星渡る船」はどんな船だろう、と考えていた時。
空を超えて。
月を超えて。
十六万八千光年よりも遠くまで。
どんな困難も乗り越えて。
どんな邪魔者にも負けずに。
星の海をどこまでも飛んで行く。
「星渡る船」は、そんな強い船。
だとしたら、「星渡る船」は……戦う、船だ。
※ ※ ※
部屋の隅に捨て置かれていた、ボロボロのノート。
その最後のページには、そんなことが書かれていました。その次のページは破り取られていました。ひょっとしたら、何か続きがあったのかもしれません。
「……」
コハクは、無言のままノートを閉じました。
ついに見つけることができなかった、「星渡る船」。
それは、シオリが──神様が、どんな船かを決めていなかったからでしょうか。
「わけ……わかんねぇよ、シオリ」
机の上にノートを置くと、コハクはベッドに近づきました。
ベッドの上で、シオリが体を丸めて眠っていました。
包帯を取り替え、新しいパジャマに着替えたとはいえ、痛々しい姿に変わりはありません。
「ちょっと、行ってくるな」
頭をそっとなでてやると、苦しそうだったシオリの寝顔が、少しやわらぎました。
コハクはほほえむと、シオリに着せられたひらひらのドレスを脱いで、海賊の服に着替えました。
マントを羽織り、三角帽子を頭に乗せると、険しい顔になって部屋の出口に向かいます。
「ゆっくり寝てろよ」
部屋を出る直前、コハクはベッドを振り返りました。
「俺が、全部終わらせてくるからな」
◇ ◇ ◇
「星の宮殿」の正門前。
出発準備を終えたデュランダルが、船長であるコハクを待っていました。
デュラダルへ乗り込むためのタラップの前には、天使の姿も見えました。
「よう。お前、どこに行ってたんだ?」
シオリの部屋の前で別れて以来、天使は姿を見せませんでした。いったいどこにいたのでしょうか。
「……天使?」
コハクが声をかけても、天使は返事をしませんでした。
なんだかぼんやりとしています。コハクの声が聞こえていないようです。どうしたのでしょうか。
「おい……おい天使! そこどいてくれ、乗れねえよ!」
コハクが大きな声を出すと、天使はゆっくりと顔を上げました。
光のない目に、コハクはギョッとします。なんなんだ、と身構えた時、天使の目に光が戻り、驚いた顔になりました。
「コハク……いつ、こちらへ?」
「さっきだよ。何度も声かけたぞ?」
コハクはため息をつきました。
「なんだよ、お前、立ったまま寝てたのか?」
「そんなことは……いえ、すいません、そうかもしれません」
天使は小さく頭を振ると、コハクに道を開けました。
「失礼しました、勇者・コハク。どうぞ」
コハクはうなずき、デュランダルを見上げました。
「改修、終わったのかよ?」
「はい。これでデュランダルは、宇宙を自由に飛べますよ」
「……あんまり変わってねえな」
大海原を行くために作られたデュランダルを、宇宙を飛べるように改造する。
天使にそう言われて、また大きく形が変わるのかと思っていたのですが、あまり見た目は変わっていませんでした。
「神様に力をお借りしましたので。人間の常識で考えても無駄ですよ」
「そうかよ」
「操縦方法はあまり変わらないようにしています。アンドロイド二百体が乗組員として同乗しますので、自由にお使いください」
「ふん。俺の監視役、てことか」
「意地悪なことを言わないでいただきたい。あなたは神様がお認めになった、勇者ですよ」
「そうかよ」
コハクは不機嫌そうに答えると、天使の前を通り過ぎました。
「私が行っても、よいのですよ?」
コハクがタラップに足をかけたところで、天使が声をかけてきました。
「あの魔女を、敵と割り切れてはいないのでしょう?」
「……なめんじゃねえよ」
コハクは振り向きもせず答え、タラップを登り始めました。
「俺は海賊だ。仲間を裏切るようなやつは、たとえそれが親兄弟でも、船長の俺が始末をつける!」
「失礼しました」
「とっとと決着つけて来る。シオリ、起こすんじゃねえぞ」
「ええ、わかっております。ご武運を、勇者・コハク」
天使はコハクの背中に向かって、静かに一礼しました。
コハクはそのままタラップを登って甲板に上がり、艦橋へと向かいます。
──コハクの世界も……消えちゃったね。
ここへ来た翌日、シオリはそう言いました。
海賊船デュランダルで大海原を冒険した、あの世界が消えてしまったと。もう二度と、冒険の続きはできなくなったのだと。
──世界はね、一度消えてしまったら、もう戻せないの。
──消えた世界をもう一度書いても、それは別の世界なの。
──登場人物も、同じだよ。
悪魔の力を借りて、「月の扉」をくぐったマレと。
天使に守られて、「星の宮殿」へ来たコハク。
二人以外の、「勇者の船団」に参加した勇者たちは脱出することができず、コハクの世界と一緒に消えてしまっただろう──シオリはそう言って、ひざに顔をうずめました。
(許さねぇぞ、マレ)
マレは悪魔を解き放ち、復讐のために世界を滅ぼそうとしている、天使はそう言っていました。
だとしたら、コハクの世界を滅ぼしたのは、きっとマレです。
シオリが作り出し、大切にしていた世界。
それを滅ぼしたマレを、コハクは許せませんでした。
(あいつは、絶対ここへ来る。シオリを傷つけるっていうのなら、返り討ちにしてやる!)
これ以上、シオリは傷つけさせない。
シオリは俺が絶対に守る、その約束を果たすため、コハクはマレと戦うことを決意しました。
「抜錨」
低く、うなるような声でコハクが指示すると、アンドロイドが無言で動き、デュランダルの錨が巻き上げられました。
「デュランダル、発進」
フォォォォーン、とエンジンが動き出し、デュランダルがふわりと浮きました。
「待っていろよ……マレ!」
コハクは空の彼方に浮かぶ、虹色に光る星をにらみつけると、全速力で飛び立って行きました。
◇ ◇ ◇
デュランダルが飛び立ち、しばらくすると。
ピシリ、ピシリ、と、「星の宮殿」が音を立て始めました。
──行って。
天使の頭の中に、声が響きます。その声に、天使は震える声で反論しようとします。
「です……が、私は、神様を……守……」
──行って。
静かで、しかし断固とした声が、天使の反論をさえぎりました。声に込められた強い力に、天使は言葉を続けることができません。
バキリと、何かが割れる大きな音がしました。
宮殿の中央、シオリがいる部屋のあたりから、壁を突き破っていばらが伸び始めています。
ザァァァッ、と音を立て、いばらが宮殿をおおっていきます。宮殿をおおい尽くしてなお、いばらは伸び続け、星そのものをおおっていきます。
「いけ……ません……それ、は……」
──行って。
三度目の命令に、天使はとうとう逆らうことができなくなりました。
──すべてを、終わらせて。
──私は、もう眠りたいの。
天使の目から、一度光が消え、別の光が宿りました。それは、「世界を滅ぼす魔女」を追い詰め、「勇者の船団」を壊滅させたときと、同じ光でした。
「かしこまりました……神様」
答える天使の声は、もう震えていませんでした。
「御心のままに、世界に終わりを」
天使は姿勢を正し、宮殿に向かって深く一礼しました。天使に合わせ、控えていたアンドロイドも一斉に頭を下げました。
「心安らかな眠りが、永久に続くことを、お祈りいたします」
天使はそう告げると。
翼を羽ばたかせ、アンドロイドとともに、デュランダルを追って飛び立ちました。