ガチャ依存症の夫と排出率100%のウサギちゃんᕱᕱ
「残念ですが……旦那さんは既に手の施しようが無いくらいに病状が進行しております…………」
既に脳の重要部分に致命的な損傷を受けている夫は、私の目の前で気が狂ったかのようにネットゲームのガチャを回しては、大手を挙げて喜んだり、暴れるように悲しんだりを繰り返していた。
「先生……私はこれからどうすれば…………」
まだ幼い娘が居るにもかかわらず、夫は定職にも就けずにガチャばかりを繰り返している。そして大金を失い借金取りが我が家へとやってくるのだ……。
「現在、ガチャ依存症の患者さんには、専用の特別施設を御案内するか、自宅での療養を勧めております」
主治医から手渡されたパンフレットには、隔離施設のような建物の中にガチャ回し放題のスマホが置かれており、心ゆくまでガチャを回せるようになっていると説明書きがされてあった。嬉しそうにガチャを回すお年寄りの笑顔が、私を複雑な気持ちにさせてくれた。
施設の値段はとてもではないが、私の刺身の上にタンポポを乗せる仕事では払えない金額であった。因みにアレはタンポポではない。食用菊だ。醤油皿に花弁を散らして醤油と一緒に食べるのである。お前ら食え。
「ガチャ……ガチャ……!」
カムバックキャンペーンの100連ガチャを終えた夫は、別なゲームを起動させてリセットマラソンを始めだした。
「SSR……SSR……!」
私はそんな夫を直視することが出来ず、グッと涙を堪えて診察室を後にした。夫は精密検査を終えたら自宅での療養が始まる。しかし、私にはどうすれば夫が昔みたいに真面目でギャンブル一つやらない人間に戻れるのかが、皆目見当が着かないのだ……!!
「先ずは奥さまにガチャがどういった物なのかを理解して貰う必要があります……」
待合室で渡されたパンフレット。そこにはガチャ依存症を知るための基礎知識と、国が定める安全安心なガチャが書かれていた。
「…………」
パンフレットに書かれたQRコードからゲームを開く。すると首相の顔をしたキャラクターが「税金を納めてガチャを回してよ!」と笑顔で語っていた。
「…………」
ボタンを押すと、ガチャが回り、ポンと煙が噴き出して画面が変わった。
画面に出て来たのは賞味期限の切れたプリン(☆1)だった。何だろうコレは……?
もう一度押してみると、首相顔のキャラクターがカメラマンから逃げ惑いながら画面を横切って消え、煙が噴き出して画面が変わった。
出て来たのはバレンタインにチョコが貰えなくて泣いているガリ勉くん(☆2)だった。……果たしてこんなのが面白いのだろうか?
二回試したガチャは私を退屈な気持ちにさせてくれた。何故こんな物に病的にハマってしまうのか……私には一生理解出来ないであろう。隣で子供用の雑誌の付録を組み立てる娘の顔を見て、私は深いため息をついてしまった……。
「お母さん大丈夫?」
私は娘を抱きしめた。顔を見られないように……そっと。ふすまの向こうでガチャを回し続ける夫の機嫌が悪くならないように祈りながら…………。
「ごめん、ご飯作るね」
顔を背けながら台所へと向かい、ご飯の支度を始める。にんじんを切る音のリズムが私を落ち着かせる安定剤としての機能を始め、冷静に今後について考えを巡らせた。
食事を作り終えテーブルに運ぶと、娘は絵を描いていた。
「何を描いてるの?」
「ウサギちゃん!」
娘が元気に答えた。
「出来た!」
娘が出来たばかりの絵を小さく丸め始めた。そして小さなカプセルの中へとしまってしまった。
「お父さんお父さん! ガチャ出来たよ!!」
「──!?」
娘の突然の発言に私は思わず身構えてしまった。開けてはならないふすまがスッと開き、中からガチャの魔力に取り憑かれた夫が、くたびれた身なりで歩いてくる。
「がちゃ……がちゃ……」
私は娘を抱き寄せようとしたが、娘は私の手からすり抜け、テーブルの下から小さなおもちゃを取り出した。
「あのね! お父さんの為にガチャ作ったの! やってみて!」
それは子供用の雑誌の付録だった。組み立て式の小さなガチャガチャ。それを可愛らしい兎のシールでデコレーションをしたらしい。
「がちゃぁぁぁぁ……」
まるで生きる屍のような夫が、娘から受け取ったプラスチックのコインをガチャガチャへと入れてハンドルを回した。
──コロン
小さな緑色のカプセルが転がった。夫はカプセルを摘まむと、不思議そうな顔で中を開けた。
「どう? 何がでたかな?」
中から丸められた紙が現れた。夫が広げはそれは、拙くても可愛らしい兎の絵であった。
「やったね! ウサギパパが出たよ。当たりだね♪」
「ウォォォォ!! ウォォォォ……!!」
当たりと言われ両手を挙げて喜ぶ夫。しかし私の心には未知なる恐怖心しか芽生えなかった。
「がちゃぁぁ……」
「また明日ね♪」
「ガッ……ガチャァ!?」
「ご飯食べよ?」
娘が夫の手を取り引くと、夫は大人しく席について食事を始めた。娘も続いて席について両手を合わせる。私も無言で席に着き、久方振りに三人揃っての食事となった。
「…………」
ふと夫の箸が止まった。注視した先に見えたのは生焼けの魚だった。
「あ、ごめんなさ──」
「当たりだね。お父さん♪」
咄嗟に席を立ち詫びようとした私に、娘は笑顔でこう言った。夫は怒るのかと思いきや、娘の当たりを聞いて「ウォォォォ!! ウォォォォ……!!」と両手を挙げて喜んだ。
「すぐ焼き直してくるから……」
「そしたら大当たりだね♪」
「ウォォォォ!!!!」
夫が叫びがリビングに響いた。食事を終えて絵を描いている娘に、私はそっと声をかけた。
「怖くないの……?」
「ん? 何が?」
「お父さん」
「んー? だってガチャで外れて悲しんでいるんだよね?」
「……」
私はその質問の意味が分からなかった。夫が何故ガチャを回し続けるのか……。その答えは夫にしか分からないと思っていたから……。
「だったら当たりしか出ないガチャを作れば良いんだよね?」
「……」
またしても娘の質問に答えられない私は、そもそも夫の病気のことをまるで理解してはいない事に改めて気が付いた。むしろ娘の方が理解しているのではないか。そうさえ思えてきてしまった。
寝ている夫の顔を見ることすら恐ろしくなってしまった私には、きっとそんな冷静な考えは出てこなかっただろう。病院から貰ったパンフレットは、まだ真面に目を通す気力すら無かった……。
翌日、夫が起きてくると、昨日娘が作ったガチャガチャの前へとやって来た。
「はい♪」
娘がプラスチックのコインを手渡した。
──コロン
夫が嬉しそうに中を開ける。出て来たのはまたしても娘の描いた絵だ。
「やったね! ウサギちゃんだよ? 当たり~♪」
「ウォォォォ!! ウォォォォ……!!」
夫が嬉しそうに叫んだ。そして次のガチャをねだった。
「んー? 朝ご飯食べたらね?」
夫は目の色を変えて、既に支度の終わっている朝ご飯を頬張り始めた。そして五分程度で食べ終わると、娘にガチャねだり始めた。
「お手々洗った?」
「がちゃぁ!?」
夫が悲しそうに手を洗いに行く。その背中のなんと情けないことか……。
「がちゃ!」
「はい♪」
手を洗い終えた夫に、娘がコインを手渡す。舌を出して子供染みた顔をしながら、夫はガチャガチャを回した。
──コロン
カプセルを開け、娘の「当たり」を聞いて喜ぶ夫。そのやりとりを見ていると私は不思議な気分になっていた。
「がちゃ」
しかし夫の催促は際限が無く、そんな夫を見て娘は、人差し指を顔の前へとやった。
「お仕事終わったらね?」
「し……ごと……」
フラフラと夫が身支度を始めたのを見て、私は慌てた。夫は既にガチャのし過ぎで廃人となり仕事をクビになってしまい、その記憶すらも無いと言う。
私は慌てて前の職場の社長さんに電話をかけた。
──ガチャ……!
「はい、ワ号製薬福島営業所の尾原です」
「あの──」
かつての職場の社長さんに事情を話し、一日だけ様子を見て貰うようにお願いする。
「良いですよ。私としてもあのまま終わりにするのは忍びないと思っていましたから……」
「ありがとうございますありがとうございます……!」
電話を終えると、私は祈りながら夫を見送った。そして娘を学校へと送り出し、ひたすらリビングで祈り続けた。
一時間が過ぎた。誰も居なくなった部屋に水槽の循環器の音だけが鳴っている。何かあれば電話を貰うようにしてあるので、それが終わりの合図だ。
二時間が過ぎた。電話が鳴ることは無く、そろそろお昼の支度を始めないとならない。
三時間が過ぎた。今頃夫はお昼を食べているはず……。
四時間……娘がそろそろ帰ってくる。
五時間……娘がいつも通りの笑顔で帰宅。嬉しそうに絵を描き始めた。
六時間……夕飯のメニューを考えないと……。
七時間……夕飯は夫の好きな青椒肉絲にすることにした。
八時間……そろそろ、仕事が終わる。
──プルルルル……
「!!」
電話が鳴った。私は震える手で電話を掴む。落ちないように力強く……。
「……はい」
「あ、奥さんですか? 旦那さん普通に仕事して帰りましたよー。明日も宜しくお願いしますねー」
「──え?」
私は…………言葉が出なかった。
「帰って娘さんのガチャをやるって張り切ってましたよ。あの様子なら大丈夫でしょう」
「あ、ありがとうございます! ありがとうございます!」
電話が切れると私はその場に崩れた。娘が慌てて駆け寄ってくるが、今の顔を見られるのは辛い──いや、これは喜びなのだから、胸を張るべきだ。
「お父さん……帰ってくるから、今日もご飯だべようね……」
「うん!」
娘が笑顔で頷くと、玄関の扉が開いた。
「がちゃぁ……♪」
笑顔の夫が両手を挙げている。
「お手々は?」
「がちゃ!」
娘と並んで手を洗う夫に、私は涙が止まらなかった…………。