第三回
栗毛のショートの女性が歩いてくる。顔は俯き加減のため髪で隠れてはっきりとはしない。
車2台がぎりぎりすれ違えるかという道幅。左手に河、右手は小さな商店と民家が混在する道を、ただ真っすぐとこちらへ向かってくる。
グレーのスーツと左手のアタッシェケース、時間帯から考えれば営業帰りの社会人にしかみえない。
ただ状況が尋常ではない。この視界に収まるだけの尋常ではない状況でぽっかりと浮き出たように動く存在だ。彼女が尋常なわけがない。
逃げた方がいい。頭ではわかっている。ただ体が動かない。
女性は3、4m手前で立ち止まり顔を上げた。猫目で気が強そうだがきれいなひとだった。
それからアタッシェケースを地面に置いて開き、スーツの上着を脱いで両手で持ち一度はたいた後、勢いよく羽織り直したかに見えたが、次の瞬間には天女の羽衣とも甲冑ともとれない服装に変わっていた。
そしてアタッシェケースに手を差し入れ、明らかにケースには収まらない不自然なくらいの大刀を引き抜いた。
そしてにっこりと微笑むと、
「はじめまして。」
穏やかな声で語り掛けたあと、やや悲しげな顔になり、
「私たちのために死んでください。」
手にした大刀を振りかざしてきた。
望はその時になってふらつく様に数歩下がり、足がもつれてさらに後ろへと転ぶように尻餅をついた。尻餅をつくと同時に足元にガンッという鈍い金属音が響いた。
「さすがに運がいい。器が変わってもそこは変わらないか。」
刀が地に着いた瞬間、感情が溢れたように独り言のように女性が語った。
刀を振り下ろした状態で、特に仕留められなかったことに対する悔恨もないように「ただ、レプリカとはいえこの誅仙陣の中、時間の問題ね。」とさらに小さく呟き、再び刀を振り上げた。
全てが理解できない。逃げなければいけない。でも理解できないことが一斉に起こるとこんなにも体が動かないとは。望はまるで心と体が別々のもののようだった。
心は逃げることに、逃げるための事態の把握をすることを叫んでいるのに、頭は、「あぁ刀って地面にぶつけるとあんな音がするんだなぁ」などのんきなことを考えていた。
次に女性が振りかぶり、望が千切れ千切れの心と頭で精いっぱいの回避行動に移ろうとしたとき隣から声がした。
「せめて抗うなり逃げるなりしなさいよ。」
となりに中学生くらいの女の子が立っていた。
女性の刀は空中の何かに遮られるように止まっている。女性は目を見開いたまま固まっていた。
黒髪のおかっぱ頭、白地に襟やスカートが青いセーラー服の女の子は、刀を持った女性を真っすぐと見据えた状態でポケットから一枚の紙を取り出した。
四つ折りにしていた紙を広げ右手に持ち、刀を持つ女性の方へ突き出した。
「疾ッ!」という短い声とともに突然左手で紙を叩き付けると、両手を紙から離した。その紙はまるでガラスの壁に張り付いたように空中に浮かんだ。
その後少女は空中の紙をゆっくりと剥ぎ取った。
紙の図形や文字が転写されるように空中へと留まる。不思議な光景だ。
少女はゆっくりと目をつぶり、
「太極図・・・展開。」
と呟くと、やがて流れるように地面へと落ちていった。
直後、望と少女を囲むように立方体に亀裂が走った。何に亀裂が走ったのか分からない、あえて言うと空間だろうか、こんな光景を見たこともないのでわからない。ただ自分の周りが四角く分断されたのは分かった。次に少女が刀を持つ女性へ向かい「貴女の陣は破壊させてもらうわ。ごめんなさいね。」と言い、立方体の亀裂は大小いくつもいくつも周囲に発生した。
刀を持った女性は自身の前の断裂を刀で払おうとするが、少女に「貴女の繍鸞刀、特別な力があるわけではないんでしょう?やめた方がいいわ。怪我ではすまない。」と言われ、悔しそうに刀をおさめた。
大小様々な立方体が幾重にも幾重にも重なり、周囲がまるで曇りガラスのようになった次の瞬間、望の耳に町の喧騒が戻っていた。
隣には少女がまだ立っており、望の方へ顔を向けた。
「はじめまして岩上望くん。私は牛島蒼生。そして太上老君の・・・といってもわかんないよねぇ、あはは。」
と言って尻餅をついたままの望に手を差し出した。
「貴方に起きていること説明するから付いてきて。」