帰宅
言葉すらろくに交わせない相手と家族になるという感覚が、当時の自分には理解できなかったのだと思う。
荒々しい気性を隠そうともせずに振り撒いていたその男性が、日を追うごとに困惑しているような表情を見せるようになっているように思えたことが転機になったのだろう。
顔を見るたびに泣きそうにしている自分の様子に、悪いことをしているような気分になって気落ちしていたのだと聞かされたのは、出会ってからそれなりに過ぎた頃合いである。
言葉を覚え、文字を覚え、会話を覚え、少しずつ打ち解けていった経緯があったからこそその男性、火鳥タカヤは自分の兄となり、自分は彼の妹になれた。
もっともその当時は、彼に戦いに赴く宿命があることなどまるで知らなかったが。
「どうか、兄さんが無事に帰ってきますように」
戦う力を持たず、戦いの詳細も聞かされない立場にいる自分に出来ることは、タカヤが戦場から帰ってくることを願って祈ることくらいしか無かった。
だからこそ、部屋にも戻らず一人リビングで座りながら俯いていたのだ。
「今帰ったんだが、そんなに心配させてしまっただろうか?」
「ふぇっ?」
時間を忘れ、周囲の気配も感じられない程に考えに没頭していたらしく、背後に誰かがいることにも気付かず、掛けられた言葉に驚いて気の抜けた声を溢しながら振り返る。
そこにはつい今しがたまで身を案じていた兄のタカヤが、何故か自分以上に心配した様子でこちらを見ながら立っていた。
「驚かせたようだな。真剣な表情だったから声を掛け辛かっただけなんだが」
家へ入ってくる時にも応答がなく、リビングに顔を出したところで深刻な雰囲気のまま俯いていた自分を発見して声を掛けた、ということのようだ。
つまりは、心配していた本人に心配していた現場をバッチリと見られたというのが現状だということである。
「今のわたし、み、見られてたんですか?」
「心配してくれていたのだろう。申し訳ない反面嬉しくもある、不思議な気持ちだ」
裏表の無い正直な気持ちをぶつけられて、顔が沸騰したかのように真っ赤に染まったことを自覚した。
素直な気持ちを恥じることなく口に出来るところはタカヤの良いところだとは思うが、それが正面から自分に向けられることに耐えられるかどうかは別の問題である。
「いいい、妹が恥ずかしがっている所は、見なかったことにするのが優しさなんですよ!」
「そうなのか。すまない、次から気を付けよう」
慌てて応対したため、ついタカヤを責めるような口調になってしまったようだ。
素直な気持ちには素直な気持ちで返すべきだという結論に至り、心を落ち着けながら謝罪の言葉を口にする。
「……ごめんなさい、恥ずかしさを誤魔化すためにちょっと嘘を吐きました」
「むぅ。言葉を交わすのは難しいものだな」
言葉を覚えるところから始まったタカヤは元より、自分も会話が得意な人間という訳ではない。
こうした難しさを認識しながら、少しずつ良くなるよう努力を重ねていくことが必要なのだろうと、そう思えた。
「それで、帰ってきたってことはもう戦いは終わったんですよね」
「あぁ。約束もした、ちゃんと無事だ」
戦いに赴く前に交わした約束をしっかりと覚えているところは、いつものタカヤらしさが出ていると感じられる部分である。
だからこの人の言葉には正直な気持ちを返すべきだと思うし、実際にそう行動してきたのだ。
「信じてましたよ。兄さんは約束を守る人ですから」
「約束を破って悲しい顔をされるのは、嫌だからな」
タカヤが感情に囚われやすい事情があることは知っている。
その上で、相手を理解しようと他人以上に意識していることも。
互いを知り、言葉を交わしてより深く相手を理解しながら受け入れ合ってきたからこそ、自分達は家族になれた。
だからこそ、タカヤに伝えるべき言葉がある。
「それじゃ改めて……お帰りなさい、兄さん。お疲れさまでした」
「ただいま、マイ」
返ってきたのは、屈託の無い兄の笑顔だった。