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第三話 綾音の家庭教師

「今度は、僕が家庭教師をやるんですか?」

 屋上で習慣となった朝の一服時に、所長は突然こんなことを言い出した。

「いやぁ~、すまないとは思ってるのよ。雑務はあることはあるんだが娘が勉強するの嫌がってねぇ。」

 ・・・・・はぁっ。

 なんかこの親子に俺、振り回されているような気がする。

 塾とかに行けば・・・って、子供の中に大人が混じっているのを想像する。

 なんかいたたまれない気持ちになるな。

 まぁ、本人も嫌がるだろうが。

「それも業務の内に入るんですか?」

「んっ、ああやってくれるならもちろん」

「解りました。どこまで教えられるか解りませんが」

「本当かい。いやぁ~、助かるなぁ。ホ・ン・ト」

 不敵な笑みを浮かべながら肩をポンポンと叩かれた。

 朝から少し不快な気持ちになるのを煙草で誤魔化し、落ち着かせる。

 こうして、今度は綾音の家庭教師をすることになった。




 綾音の部屋の前に立ち、ノックをする。

「どうぞ~」

 声がかかり、中に入った。部屋は俺が過ごしている部屋と同じように質素だった。簡易ベッドに四角い机が一つ。ぬいぐるみなどファンシーな小物などは何一つなかった。

「ここ座って~」

 と、綾音が座布団を用意して、そこに座るよう促した。

 俺は座って訊いた。

「俺はどうしたらいいんだ?」

「あのね、側に居てくれるだけでいいの」

 たったそれだけか?

「俺もやる事があるんだが」

 やる事がないなら、別に側に居なくても問題ないだろ。

 立ち上がろうとすると、袖を掴まれた。

「一人は嫌なの。一人は淋しいの」

 上目遣いで双眸(そうぼう)を潤ませて言う。

 ・・・・・・。

 所長にやると言った以上、やるしかないか。

 俺は改めて座りなおし、綾音に声をかけた。

「わかったよ。とりあえず、見ててやるからやってみ」

 綾音は漢字ドリルを取り出す。これなら特に解らない所はないだろう。

「大体、勉強って一人でするもんだろう。なんで俺なんだ」

「い~ちゃんが暇そうだから」

 俺は黙って立ち上がって去ろうとした。今度は足を掴まれた。

「はふん!嘘!今の嘘だから、行かないで。ホントに一人は嫌なの!」

 声を荒らげて逃すまいとする綾音。

 振り返り正直に言うよう諭す。

「・・・一人になるとね、どうしても事故の事を思い出しちゃうの」

 ポツリと呟いて答えてくれた。

「じゃあ、あまりからかわないでくれ」

 それだけ言うと俺は再び座る。さっきから一向に勉強が出来ていなかった。

「とりあえず、側に居てやるからさっさと勉強始める」

 勉強するように促す。

 事故の事を思い出すって・・・メンタルクリニックに連れて行った方がいいんじゃないだろうか。

 その事を一応所長に報告するか。

 俺はやる事がなく、しばらく勉強する綾音を眺めていた。

「あのね、ここ解んないだけど」

「んぁ?」

 少しボーッとしていて反応が遅れた。綾音がシャーペンで示した問題を見てみる。

 『棒線の人の気持ちを答えなさい』

 定番の問題だった。

「こんなの棒線の人しか解んないじゃない」

 それもありがちな答えだ。

「なんでこんな問題があるか解るか?自分が誰かの事を思う。その誰かの事を考える為にあるんだ」

 答えを教えるのは簡単だろう。文章の前後に答えがあることもあるが自分で考える事が大事なのだ。

「誰かの事を考える・・・」

 う~ん、う~んと唸りながらもしっかりと考えていた。

 その後も答えは教えずヒントを出しながら勉強は進んでいった。

 しかし、俺にも無理難題がやってきた。英語だった。

「え?小学校でも英語やってんの!?」

 俺の時は中学生からだったのに、時代は流れるのは早いものだ。

 などと感傷に耽っている場合ではなかった。俺は英語が苦手だった。いつも赤点ギリギリで学年が上がるごとに赤点の割合が増えたのだった。

「すまん、英語は教えられん」

 俺は正直に答えた。

「はふん。英語苦手なの?」

 ニヤリとする綾音。

「今日は英語以外の勉強をやろう。それ以外なら大丈夫だから」

「じゃあ、英語はどうするの?」

「代わりにできる人に頼むからそれで勘弁してください」

 いやいやだったが頭を下げる。綾音はふふんと鼻を鳴らし

「わかった。その代わり何か頂戴。それで今日は英語以外するから」

「代わりの物ったって。何もないぞ」

「はふん、じゃあ今度お友達と飲み会行った時、お土産頂戴。それならいいでしょ」

 渋々(しぶしぶ)了承(りょうしょう)した。

 とりあえず、英語できる人を捜さないとな。ラインでやっくん、なーさんに英語できるか訊いてみた。

 やっくんは、俺と同じくダメでなーさんは日常会話位なら大丈夫よ~。と返信が来た。

 早速休みの日を訊いて綾音の英語の勉強を見て欲しい事を伝えた。

 オッケー☆⌒d(´∀`)ノと返信が来た。

 小さくガッツポーズをした。女神がいてくれた。

 その後は算数・理科・社会と勉強を見ていった。




 その日の夜、いつものように煙草を吸いながら所長を待っていた。

 しばらくして案の定、やってきた。

「今日は遅かったですね」

「おぉう、まさかい~ちゃんから声をかけてくれるとはっ!!どうしたのかねぇ、英語が解らない事で困っているのかい」

 思いきり咽せた。綾音のやつ、もう所長に話したのかよ。

 涙目になりながら所長に伝える。

「あの子、一人になると事故の事を思い出すって言ってましたよ。メンタルクリニックに連れて行った方がいいんじゃないですか?下手したらPTSDですよ」

 所長は豪快に笑っていた。

「そんな事かい。だからい~ちゃんがいるんじゃないか」

「なんでそこで僕なんですか」

「なんでって・・・、娘がいつもい~ちゃんの話をするからだよ。それも楽しそうに笑ってさ。まぁ、同じ夢を共有している仲でもある訳だし。多分、心の清涼剤になっているんだろう。嬉しそうに夢の内容や今日の事だって話してくれたんだから」

「病院には連れて行かないと?」

「前に言ったでしょ~。私達には、君が必要だって。アレの意味解ってなかったのね。このニブチン!」

 なんで怒られなきゃならんのだ。こっちだって少しは心配したんだ。怒ることはないだろう。

 とにかく、伝えることは伝えたし、煙草をもみ消し先に屋上を後にした。




「じゃじゃ~ん。綾音ちゃんにお土産~」

 なーさんが休みの日、綾音の部屋で英語の勉強をする前になーさんが何やら袋を綾音に渡した。

「はふ~ん。何かな?何かなぁ?」

 目を輝かせて袋の中身を見てラッピングされた箱を取り出した。

「開けてもいい?」

「もちろん、いいよ~」

 確認を取ってからラッピングを綺麗に剥がし、箱の中を覗き込む。

 中には三日月に寝そべる猫のぬいぐるみだった。

「わぁ~。可愛い。ありがとう、な~さん♪」

 とても喜んでいるようだ。なーさんもその姿にホッと胸をなでおろしていた。

「じゃあ、早速始めましょうか」

「んじゃ、俺は仕事に戻るよ」

 一人じゃないし、特に問題ないだろうと部屋を出ようとした時、なーさんに腕を掴まれた。

「何言ってんのよ~。い~ちゃんも一緒に勉強するのよ~。」

 綾音に聞かれないよう小声で言ってきた。

「なんでそうなる。俺はもう高校も卒業したし、勉強する必要はないだろう」

「だって~、可愛い綾音ちゃんと二人きりなんて我慢できないも~ん」

 何が我慢できないというのだろうか。というか鼻息が荒くなっている気がするが。

「俺、英語苦手だって言っただろう。」

「あら~、じゃあこのまま二人きりにして綾音ちゃんを毒牙にかけてもいいのかしら~?」

 何て事を言うんだ、なーさんは。新たな一面を見た気がする。

「・・・はぁっ、しょうがないな」

 半ば諦め気味に答え、俺も勉強する事となった。



 数時間後、俺は真っ白に燃え尽きていた。口からはエクトプラズムが出ている気がする。

 英語なんてほとんど覚えていなかったのもあるが何を言っているのかサッパリ解らなかったからだ。

 一方で綾音の方は機嫌良く勉強が捗っているようだった。なーさんも親切丁寧に教えていた。

 時折、暴走して綾音に抱きついたりしてキャッキャうふふ展開を繰り広げていたがやりすぎないよう何度か止めた。

 こうして何とか今日の英語の勉強は終わった。



 俺と綾音は玄関ロビーまでなーさんをお見送りした。

「今日はありがとうな。もし良かったら、また英語を教えに来て欲しい」

「ラジャ~」

 ビシッと敬礼してプッと吹き出した。俺もそれに釣られて笑う。

「今日はありがとうございました。とても解りやくて助かりました」

 綾音もしっかりとお礼を伝える。

「なぁに、綾音ちゃんが困ったらお姉さんを頼りなさいね」

 とポーズを決めた。

 こうしてなーさんと別れ、俺は一服をしに屋上へと向かった。




 夕方でもう陽が傾いていた。夕焼けに染まる空を見ながら煙草に火を点け、一服した。

 綾音も付いて来て隣に立って柵にもたれていた。

「今日はな~さんが来てくれて楽しかった」

「・・・ふ~っ。何故か俺まで勉強させられたけど、良かったな」

「い~ちゃん、ありがとうね」

「別にお礼を言われるほどのもんじゃない。家庭教師をやれって言ったの所長だし」

「ううん、そうじゃないの。三日月猫のぬいぐるみのこと」

「アレはな~さんがお前にって、言ってたろ」

「い~ちゃんが惚けている間にこっそりな~さんが教えてくれたの。綾音のために何か可愛い物を買ってきてくれって頼まれたの~。って」

 余計な事を言ってくれたな、なーさんめ。飯でも奢ってやろうと思ったがやめようかな。

「だから、ありがとう」

 真っ直ぐ俺の目を見て言った。

 夕陽に照らされた彼女は、とても神秘的で綺麗だった。

「そうか」

 と少し見蕩れていたので視線を逸らし、そう返すことしかできなかった。

「そろそろ中に入ろうか」

 と綾音を促し、屋上を後にした。

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