第二十話 綾音の想い 俺の想い
いよいよ、夏が本格的に始まろうとしていた。屋上で煙草を吸うのにも汗をかいて日差しがジワジワと体力を奪っていく。
俺は途中で煙草を吸うのを止めて室内へ戻った。
今日も綾音の勉強を見る。
ただ、それだけのはずだった。
「い~ちゃんって、恋した事あるの?」
突然訊かれた。
「・・・あるよ。大分前だけどな」
「はふん、じゃあ付き合った事もあるの?」
「あぁ、別れたけど」
「なんで?」
純真な瞳で俺を見ながら言った。そんな目で俺を見るんじゃない。
だが、別に隠す必要はなかったので正直に答えた。
「お互い不器用で、未熟で、相手にないものねだりしてたからな」
好きになって若さ故のノリと勢いで付き合って。喧嘩しては溝が深まるばかりで疲れて別れることになった。それ以降、誰かを好きになることはなかった。
「お互いに抱えたモノを背負っていくことは出来なかった。ただ、それだけだ」
「私はそんなの関係ない。ちゃんと受け止めるよ」
手を握ってくる。無意識なんだろうけど踏み込んでほしくないところをこいつは時折、こうしてズカズカと俺の中に入ってこようとしてくる。
俺の中の何かが崩れそうで怖かった。これ以上あれやこれやと詮索されるのは嫌だった。話題を終わらせよう。
「この話はそれまでだ。人には踏み込まれたくない領域ってのがあるんだ。そこをわきまえろ。ほれ、ちゃっちゃと勉強の続きをする」
握ってきた手を払い、勉強を促した。
その後は、特に話すこともなく勉強に取り組んでいた。
そして、夢の時間。いつもと違っていた。目の前にもう一人の俺がいる。
「綾音の気持ち、解ってるんだろ。なんで応えてやらない?また別れるかも知れないからか。それとも、踏み込まれたくない領域に踏み込んでくるからか」
もう一人の俺が俺を責めていた。止めろ!聞きたくない。気にしないようにしていたのに。
「それとも、誰かに求める事が怖いのか」
その一言が決定打だった。俺の背後から暗い闇が広がって俺を包んでいく。
アア、ソウダ。オレハモトメチャイケナインダ・・・。
もう何も失いたくない、失うのが怖い。別れが怖い。だったら求めなきゃいい。
そう生きてきた。なのに、あいつは、綾音は・・・。
モウ、カカワリタクナイ・・・。
俺は暗い闇の底へと沈んでいった。
「何が起こっている?」
品行寺が飯塚に問いかける。
「綾音ちゃんとシンクロしません。脳波も乱れています」
「これじゃまるで拒否しているみたいじゃないか」
シンクロの失敗。それが引き金となった。
翌朝、室内が慌ただしくなった。
「彼の様子はどうだい?」
「体に異常はないのですが脳波が乱れたまま、目覚めません」
「堀江君、マシントラブルの可能性は?」
「昨日の時点では、異常はありませんでした。もう一度再チェックします」
PCを触り、順番にチェックをしていく。
「綾音ちゃんが彼の部屋に来ました」
「私が行こう」
品行寺はモニター室を後にした。
「はふ~ん、い~ちゃん。朝だよ。起きてよ~」
彼の体を揺すって起こそうとしたが全く反応はなかった。
そこへ品行寺が入ってきた。
「あっ、お父さん、い~ちゃんが全然起きないの」
「解っている。彼は今、起きられない状態なんだ」
「はふん、どういうこと?」
「簡単に言えば、夢の世界に囚われている。まるで眠ったままだった綾音みたいに、な」
「はふん!?なんで!?」
「それは私にも解らん。ただ、もしかしたらこれは彼が望んだことなのかもしれない」
(もしかして、私が何かい~ちゃんの踏み込んではいけないところに踏み込んじゃったからなの?・・・)
「お父さん、私に睡眠導入剤を頂戴!」
「どうする気だ?同じ夢は見られなかったんだろう」
「それでも、い~ちゃんを起こしに行きたい!私はい~ちゃんに救われたの。だから、今度は私の番なの!」
品行寺は少し考え、
「解った。用意してやる。一緒に来なさい」
そう言って綾音を連れて行った。
「かずひ…所長、どうされますか?」
「堀江君、システムに異常は?」
「昨日と同じく、正常に動いています。特に問題のある箇所はありませんでした」
「彼の鬱が再発した可能性もある。精神安定剤を投与し、綾音に眠ってもらい再びシンクロを試す」
品行寺は綾音に睡眠導入剤を渡した。そしてその足で彼の元へ行き、精神安定剤を飲ませる。かなり強引なやりかただった。
モニター室へ戻り指示を出す。
「綾音がレム睡眠に入ったら彼の脳波に綾音の脳波の電気信号を送る。通常より電気信号の強さを徐々に上げていき、シンクロしたらその強さでストップし、後は様子を見よう。強さの調整は私も手伝う」
三人でPCとモニターをチェックしながら作業をしていった。
「綾音ちゃん、レム睡眠に入りました」
「よし、堀江君、ゆっくり電気信号の強さを上げていってくれ。上がり過ぎないよう私がセーブする」
飯塚はモニターをチェックしていた。
「所長、徐々にですが彼と綾音ちゃんの脳波がシンクロし始めました」
「よし、堀江君、ここからは更にゆっくり電気信号を上げるぞ」
「はい。・・・い~ちゃん、綾音ちゃん。どうか無事に戻ってきて」
「ここがい~ちゃんの夢の世界」
あたり一面荒れ果てた大地が広がっていた。名前を叫んでも、捜してみても見つかりませんでした。
「もっと別の、ううん、深いところなのかな。だとしたら、本当に踏み込んで欲しくないところなのかも」
私はなーさんの言っていたアドバイスを思い出して生唾を飲み、覚悟を決めて意識を集中した。
場面が切り替わり、そこは深い闇が広がっていた。
「ここにい~ちゃんがいるのかな?」
名前を呼ぶ。奥から誰かが来る気配がした。
彼だった。
「い~ちゃん!もうお昼だよ。起きようよ」
「起きる?何バカな事を言ってんだ。俺はもう、お前と関わるのは嫌なんだよ!」
「・・・人には踏み込んではならない領域があると言ったよな。それをお前は躊躇なく踏み込んでくる。それが厄介なんだよ。今、この時もだ!」
いつもの彼とは違っていた。かなり攻撃的だった。
「言っても解らない奴にはそれ相応の罰を与えてやる!」
突如、どこからかともなく獣が現れ、私の四肢に噛みつく。
「はふん!・・・こんなの、全然。痛く、ない」
痛みを我慢して獣を引きずったまま前に進む。彼は少したじろぎ、後ずさりした。
「なんでお前はここまできて、更に入り込もうとするんだよ!帰れよ!お前には新しい家族がいるじゃねえか!」
「嫌だっ!い~ちゃんを起こすって決めたんだもん。諦めたくないもん!」
更に一歩、また一歩と前に進んだ。もう彼に後はなかった。彼は怯えていた。
「なんでそこまで出来る!?なんでそこまで必死になれる!?」
「そんなの決まってるじゃない!前に夢でも現実でも私、い~ちゃんが好きだって、言ったんだよ。あれは嘘なんかじゃない。本気なんだもん!」
私は彼の目の前まで歩いた。
「本気で好きじゃなかったら傷ついてまで、ううん、この場所まで来られなかった」
私は、そっと彼の手を握る。獣はいつの間にか消えていた。
「私、ちゃんと言ったでしょ。受け止めるって」
ゆっくりと彼の顔を自分の胸で抱いた。
「なんで、お前……」
「本気で好きになったら自分が傷ついても、踏み込まれたくない領域でも、知りたくなるもんなんだよ。私の鼓動、聞こえるでしょ。ものすごくドキドキしてる」
「あ、やね・・・」
「ホントは、淋しくて、淋しくて、誰かに愛されたいと想ってたんでしょ。誰かに甘えたかったんでしょ。・・・大丈夫だよ。私が全部受け入れてあげるから。私にとってい~ちゃんは特別な人なんだから」
諭すように声をかけて優しく頭を撫でてギュッと抱きしめた。
「……ぅう・・・うううあああぁぁっ!」
彼の抑えていた感情が堰を切ったように溢れ出し、思い切り号泣したのだった。
「好きなだけ泣いていいよ。夢だもん。い~ちゃんは大丈夫だって私が自信を持って言えるから」
暗い闇の中で彼が泣き止むまでずっと抱きしめて頭を撫で続けた。
彼は泣きつかれたようで涙も出なくなっていた。
「はふん、みんな心配してい~ちゃんを待ってるよ」
私は彼の腕を引っ張って行った。行き先はもちろん、ヒカリの差す方だった。
俺は目を覚ました。周りには見知った顔が揃っていた。
「お、おはよう」
俺には何が起こっていたのかさっぱり解らなかった。
説明を聞くと、どうやら俺は眠ったまま起きなかったらしい。それで綾音が夢の中に入って起こしに行った、との事だった。
夢の内容はよく覚えていない。ただ、覚えているのは誰かが腕を引っ張ってヒカリへと連れて行ってくれた事だけだった。その誰かの顔はヒカリで見えなかったが誰かは解っていた。
屋上で煙草を吸った。陽が沈もうとしていた。綾音が隣にいるが今は嫌な気はしなかった。
胸のつかえや蟠ったモノが取れた気がしたからだ。
きっとまた、こいつが無茶な事をしたんだろう。
俺もなんか本当の意味で前に進んでいける気がした。
「なんか、迷惑かけたみたいで、悪かったな。・・・それと、ありがとうな」
俺は綾音の目を見て言った。
「はふん!い~よ。でも、これからは私を頼ってよね。絶対に離したりなんかしないから」
胸を張って、夕陽にも負けないくらいの眩しい笑顔で言ったのだった。




