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同調2

 ・・・・・・・・・・・・・・・。

 何もない、真っ白な空間だった。俺は胡座(あぐら)をかいて座っている。特に何か起こるわけでもなく、()()()()()()()()()()()()

 すると前から見覚えのある猫がひょこひょこ歩いてきた。昔、飼っていた猫だった。

「ジュン!」

 呼びかけるが鳴く事もせず、ただこちらに寄って胡座の上に乗り、丸まった。

「お前、そういえばそこが好きだったっけ」

 懐かしさが胸にこみ上げてきて、思い出が走馬灯のように流れた。

 俺はできる限り、優しく、ゆっくりと撫でた。顎の下を撫でるとゴロゴロと喉を鳴らした。

 最後まで一緒にいることは出来なかったが夢に現れてくれて嬉しかった。

「お兄ちゃん。何してるの?」

 ふと後ろから声をかけられた。

「猫を撫でてるんだよ」

「はふん、猫ちゃん!?私も触りたい。いいでしょ」

 声の主は麦わら帽子を被った黒髪ロングヘアーに白いワンピース姿の少女だった。小学高学年くらいだろうか。

「あぁ、構わないけど。優しく触ってあげて」

 特に気にすることはなかったので触り方を教えることにした。

「ジュンは顎の下を優しく撫でられるのが好きなんだよ」

 手本を見せ、少女にもやってみるように促した。

「ジュンちゃん。よしよ~し」

 少女は嬉しそうに見よう見まねでジュンを撫でていた。ジュンも満更でもないようで喉を鳴らしている。

「喉ゴロゴロなってるけど、どういうこと?」

「真似るのが上手で気持ちよくて嬉しんだよ。・・・ありがとうな。優しくしてくれて」

 少女に感謝を伝えた。俺自身も嬉しかったからだ。

「そういえば、名前訊いてなかったな」

 俺は自分の名前を告げると少女は

「私は、綾音(あやね)っていうの。よろしくね。でも、もう行かなきゃ・・・」

 そういうと少女は、立ち上がりどこかへと走り去っていってしまった。

 ジュンも満足したのか起き上がり、ゆっくりとどこかへと歩いて行った。

 俺一人がただ白い空間に取り残されたのだった。




 目が覚めると見覚えのある天井が出迎えた。ヘルメットを外し、部屋の外に出て飯塚さんに夢の内容を伝えた。

「その女の子は綾音ってそう言ったの?」

 少し驚いた様子で訊いてきた。

 そういう風に言われると自信はなくなってくるが確かにそう言っていた気がする。

「解りました。とにかく報告ありがとうございます」

 俺は一瞥して屋上へと向かった。

 天気は微妙な曇空だったが雨が降る気配はなかった。

 煙草を嗜んでいると急に携帯が鳴りだした。ディスプレイには安田(やすだ) 友弥(ともや)と表示されていた。

「はいはい」

「よ~、い~ちゃん元気してる?」

「まぁまぁかな?それでどしたん?」

「今日、時間あるなら久しぶりに飲みに行かないかな~って思ってさ。な~さんと一緒に行こうぜ」

「あ~、飲めるかどうかわからんけど了解。時間と場所はラインで教えて。口頭で言われても多分忘れるから」

「飲めるかわからないってお酒強いじゃん。とりあえず参加ってことでラインに送っとくわ」

「ラジャー。じゃあな、やっくん」

 通話を切る。

 やっくんとは前の職場で同期だった。年齢も俺より少し年下だったが気が合ってよくつるんでいた。その中でなーさん、仲村(なかむら) 美桜(みお)とも一緒に遊ぶようになった。

 俺は煙草を吸殻入れに捨て、飯塚さんに許可をもらいに向かった。

「ん~。・・・お酒の許可は出来ませんがそういうことでしたら0時までに戻ってきてもらえれば問題ないですよ」

 少し悩んでいたようだが何とか許可は出してもらえた。

 ラインでお酒ダメだけど行くわヽ(・∀・)ノと打って返信した。




夜、待ち合わせ場所の居酒屋の近くの駐輪場にバイクを停めて居酒屋へと向かった。

「ごめん、待った?」

 なーさんが声をかけてきた。サイドテールがゆらゆらと揺れていた。やっくんも一緒だった。

「とりあえず入って何か頼もうぜ」

 やっくんが仕切り店内へと入っていった。各々ドリンクの注文を頼み、乾杯を祝した。

「やっくん達は相変わらずなん?」

「大変も大変。この間なんか半身不随(ふずい)のおじいちゃんがさ、朝起きたら一人で着替えられないのに上半身裸で車椅子乗ってんのよ」

 身振り手振りで説明しながらやっくんが近況を報告してくれた。

「そうそう、それで何やってんの~!笑い堪えながらも着替え介助してね~」

 なーさんが相槌を打って話を盛り上げる。二人共同じ老健で働いている。俺も同じく働いていたが(うつ)で体を壊し、退職したがこうして時折、前と変わらず集まって飲み会を開いては色んな話で盛り上がっていた。

「そういうい~ちゃんは何か新しい仕事始めたん?お酒ダメって言ってたけど」

 やっくんがさりげなく訊いてきた。俺は詳しくは守秘義務があるので言えなかったが簡単に説明した。

「なんか楽そうな仕事ねぇ。いいなぁ~」

 なーさんが恨めしそうにこっちを見てきた。

「そうは言うけど、起きている間が結構暇なんだよ。大体何してもいいらしいけど。逆に時間潰すのが大変だし、所長がどこか掴めない人でさ。慣れないというか気が置けないっていうか」

 軽く愚痴をこぼす。二人は特に詳しく訊くわけでもなく心地よい距離感で接してくれているのがありがたかった。

「お酒呑めないのは辛いな~」

「とはいっても期間限定だからね。その間我慢すればいいし、もしかしたら昼間だったらオッケーかもしれないし」

「それなら今度休み合わせて昼間っから呑みに行く~?」

「いいね!乗った!」

 二人は意気投合していた。

「たまにはそんな贅沢な過ごし方もいいかも」

 なんて言って俺も乗ることにした。

 その後も職場の話やテレビ番組の話など色々話して時間は過ぎていった。

 楽しい時間はあっという間だった。

 二人と別れ、バイクで研究所へと戻った。




「お帰りなさい」

 入口で飯塚さんに声をかけられた。

「あっ、ただいまです」

 ただいまが正しいのかどうかは解らなかったがそう応えた。

 二人して部屋へと向う。

「ふと、思ったんですけど。飯塚さんっていつ休んでるんですか?」

「基本的には昼前から夕方ですね。夜は被験者の観測。朝に夢の分析を行うので」

「昼夜逆転の生活ですね。なんか大変そうですね」

「そう?慣れれば問題ありませんよ」

 そんな他愛のない話をしていた。

「あっ、すみません。部屋に戻る前に一服してきてもいいですか?」

「構いませんよ」

「ありがとうございます」

 お礼を述べて自販機でミルクティーを買って屋上へと向かった。

 朝と変わらず曇天だったが遠くに見える街の灯りは綺麗だった。そんな風景を見ながら煙草を嗜む。

 風が頬を撫でるのが少しくすぐったく感じたが気持ちの良い夜だった。

ギィィィッと後ろで扉が開く音がした。振り向くとやはり品行寺だった。

「最近よく会うねぇ~」

「煙草吸ってるからそりゃそうでしょう」

 素っ気なく応える。

「なんかつれないなぁ。ま、いいや。横、失礼するよ」

 そう言って横にきて煙草に火を点けた。軽く吸って息を吐き出し、煙をくゆらせた。

「そういえば、明晰夢(めいせきむ)って知ってるかい?」

 唐突に訊いてきた。

「夢を夢と自覚して見ることですね」

「そう。い~ちゃんが今日報告してくれた中に変な夢だと思ったと聞いてね。もしかしたら自覚してるんじゃないかなぁ、なんてね♪」

 おどけた感じで話してきたが全く可愛くもなかった。

「自覚あるかは正直微妙ですよ。夢現(ゆめうつつ)みたいな感じでしたし」

「そりゃ夢なんだからそうだろうよ」

 品行寺は軽く笑いながら言った。確かに当たり前だな、と自分でもそう思った。

「それはともかくだ。い~ちゃんが夢を夢と自覚してくれればそれでいい。明晰夢としての分析も出来るからな。だが、本題はそこじゃない」

 どういうことだろうか。

「君は夢の中で少女に()い、その少女は綾音と言ったそうだね」

 急に真剣に訊いてきた。だからなんだというのだろうか。

「この前、写真を見せただろう。あの少女だったか?」

 グイグイとこっちに寄ってきた。ちょっと怖い。

「・・・う~ん、似てると言えば似てるかもしれませんし、違うと言えば違うかもしれないです。夢なんでそこまではっきりとは覚えてないです」

「それもそうだな。・・・ふーっ、少し焦っているのかもしれんなぁ」

 写真の少女に何か関係があるのだろうか。

「・・・少し、私の昔話に付き合ってはくれないかね?」

「はぁ、いいですけど」

 俺は吸い終わった煙草を吸殻入れに捨て、新しく煙草に火を点けた。

「昔、家族揃って旅行に出かけた。山道を車で走っていたんだ。和気藹々(わきあいあい)といった感じで話をしながらね。しばらく走っていてカーブに差し掛かった時にセンターラインを割ったバイクに()い、慌ててブレーキを踏んでハンドルを切った。バイクは何とか避けたが車はガードレールを突き抜け崖へと真っ逆さま。すぐ下が道路だったが私は意識を失い、気づいたら病院だった。後で聞かされた話では妻は即死。娘は・・・綾音は再会を果たしたが二度と目覚めぬ状態だった」

 同じライダーとしては胸が痛い話だった。俺は飛ばすことも無茶な運転はしないようセーブしているつもりだが。

「それから、今まで何度も会いに行っては話はするが綾音から反応が返ってくることはなかった。

・・・私は悔しかった」

 手すりを乱暴に叩く。

「そしてせめて娘が何を考えているかどんな夢を見ているのか知りたいと思い、この道を歩いたのは」

 俺は黙って聞くことしかできなかった。

 そこになんて声をかけるべきか言葉を持っていなかった。

「何人もの被験者を(つの)り、夢の分析と称して彼女の脳波を送る実験を行ってきた」

 俺もその中の一人ということだろうか。

「今のところは完全に彼女の夢を見られるのはいないのが残念だがね。だが、いつか必ず・・・」

 品行寺からの歯痒(はがゆ)い感じが伝わる。やりきれない思いも他人に任せるしかないことも。

「つまらない話をしてすまないねぇ」

 おどけた感じで誤魔化そうとしているが感傷に浸されていてそれどころではなかった。

「お詫びと言ってはなんだが、い~ちゃんが吸ってる煙草をやるよ。ほれっ」

 品行寺は煙草の箱を軽く放った。受け取り、見ると確かにいつも吸っている煙草だった。

「せめて今日は良い夢を見れるといいねぇ」

「・・・それは品行寺さんも、でしょ」

「そうだな」

 品行寺は煙草を吸殻入れに捨てると背を向け軽く手を振って去った。

 俺は新しく煙草に火を点け、品行寺の言っていた話を反芻(はんすう)していた。ミルクティーは温くなっていた。




「被験者レム睡眠に入りました」

「・・・種は()いた。後は芽が出ることを願うのみ。彼女の脳波を被験者に頼む」

 飯塚がテキパキとPCを操作していく。

 私はようやく今の地位を手にし、何とか夢の解析・脳波を送受信できる装置も完成した。後は適合者だけだった。

 彼が適合しているかは微妙だが今の所、彼に賭けるしかなかった。

 せめて娘が幸せな夢を見ていることを願う。




 ・・・ふと目覚める。いつの間にか寝てたようだ。夢の中で眠ってたというのはどこかおかしな話だが。

 車内で揺られていた。どこかに向かっているらしい。

 運転手は助手席の女性と話をしていた。

「どうかしたの?」

 不意に横から声をかけられた。見ると前に見た少女のようだった。白のワンピースがとても似合っていた。

「何でもないよ。綾音。それよりこれからどこに行くんだ?」

「とっても素敵な所らしいけどお母さんもお父さんも教えてくれないの」

 綾音は不服そうに呟く。今、俺、綾音って言ったか??

 少し引っかかったが綾音と呼ばれた少女は特に気にしている様子はなかった。

 俺は二人に行き先を訊いたが答えてはくれなかった。

 しかし、この運転手はどことなく品行寺に似ているような気がした。

 ふと、品行寺の言葉が脳裏によぎる。何度も反芻していたから夢でもはっきりと思い出せる。

(家族で旅行中、山道を運転していてセンターラインを割ったライダーと遭遇して、それから・・・)

 嫌な予感がした。もし、これが例の事だとしたらこの後、事故に遭い、大変なことになる。

 イレギュラーとして何故か俺がいるがどっちにしろ、恐らく事故は防げないだろう。

 選択肢として何がある?

 1、走行中に無理やり何か伝えて車を止める。

 だがこれも見通しの悪い山道じゃ、追突事故になる可能性もある。他に何かないか。

 2、無理をしているライダーがいるから注意するよう伝える。

 伝えたところで談笑している中の運転じゃ注意を促しても無駄だった。

 横を見ると綾音は徐々に生気が失われつつあった。タイムリミットが刻々と近づいているというこだろう。

 ふと目の前が真っ白になった。多分バイクのライトだろう。この状況で俺ができることは・・・。


 咄嗟(とっさ)にシートベルトを外し、綾音に(おお)いかぶさった。

 品行寺が慌ててハンドルを切る。

 俺の体が浮きそうになるのを足を助手席の下に入れて吹き飛ばれそうになるのを防いだ。車が宙に舞ったのか。

 衝撃に備えて綾音の頭を胸で抱きしめた。

 上下左右に体を持っていかれそうになるのを必死に堪える。

「ぐうぅぅっ!」

 まだ止まる気配はなかった。後、どれくらいだ。早く止まってくれ!

 必死に綾音を守りたい、助けたいと思い、力強く抱きしめていた。

 ・・・・・・・・・。

 何回転したのか解らないが衝撃がおさまった。

 夢なのに何故か満身創痍に襲われた俺は恐る恐る綾音を見る。

 目を閉じたまま、ピクリとも動かなかった。

 運転席・助手席ともにエアバッグは作動していたが助手席側は窓が割れ、木の枝が刺さっていた。

 これが事故の結末なのか?それともこれは誰かが見ている夢?

 もう訳が解らなくなったがただ一つ言えるのは、これは夢だということだけ。

 夢なら早く覚めて欲しい。ただそう願い、綾音に声をかけた。

「これは夢なんだ。・・・もうこんな夢は沢山だよ。目覚めよう。一緒に」

 そう綾音に呟いて、目が覚めるのを待った・・・。




 ハッと目を覚まし飛び起きた。いつもの質素な部屋だった。寝汗が酷かった。

 グッタリとした感じが全身を重くさせていた。ヘルメットを外し、部屋を出る。

 飯塚さんが少し心配そうにこちらを見ていた。

「だいぶうなされていたようだけど大丈夫かしら?」

「えぇ、なんとかまぁ。夢心地は最悪でしたけど」

 ひと息ついてから夢の内容と昨日の品行寺の話を飯塚さんに説明した。

「そう、よほど印象に残ったのね。夢は現実で起こった事の情報の整理を行っている事も研究の一つでわかっていることなの。今回のは、多分その情報の整理の為に見た夢なのかもしれないわね」

情報の整理か。確かにかなり気にはなったけど、まさか夢に見るまでとは。

「とりあえず、お風呂に入ってサッパリしてきたらどうかしら?」

 飯塚さんがさりげなく気分転換するよう伝えた。

「そうですね。ちょっと行ってきます」

 着替えを準備して浴場へと向かうことにした。

「さて、これからどうなるかしら、ね」

 飯塚は虚空に向かって独り呟いた。




 少し時間は(さかのぼ)る。

 飯塚はモニターをチェックしながら被験者の様子を見ていた。

「所長。徐々にではありますが二人の脳波がシンクロしてます」

「ついに芽生えたか。この時がきたのか。夢のシンクロニシティーが」

「ですが、被験者は少しうなされているような様子ですが」

「大丈夫だ。夢で死ぬことはない。仮に死んだとしても夢だ。夢解きでは死は生まれ変わる事を意味する。新しい自分ということだ」

「では、このまま様子を見ます」

「頼む。私は少し席を外すよ」

 私はそう告げるとモニター室を後にした。

 向かう先は勿論、娘の部屋だ。

 部屋に入り、顔を見る。相変わらず可愛い眠り姫だった。言葉をかけるが反応はなかった。

 ただ手を握って目覚めるのを祈る事が日々の日課となっていた。

 携帯が突然鳴りだした。飯塚からだった。少し、通話ボタンを押すのに躊躇(ちゅうちょ)したが押して応える。

「被験者と彼女の脳波が完全にシンクロしました。おそらく同じ夢を見ているものと思われます。そのまま様子を見ます」

 そう告げられると通話を切られた。携帯の画面から娘に視線をやる。

 娘に顔をやる。ピクリと眉が動いた。

 私は、再び娘の手を取り、声をかけた。

「綾音!お父さんだ!綾音!」

 そして、体を揺さぶった。しかし、反応は返ってこない。

 私はなんて無力な人間だろうか。

 願わくば、娘を助けてくれ。

 まだ眠っているであろう彼に心からの頼みだった。

 再び、飯塚君から電話があった。

「所長、彼が目覚めましたので様子を見に行ってきます」

 その報告を受け、娘の顔をよく見た。

 表情が柔らいでいるように見える。 

 そして、娘はうっすらと目を開けていく娘の姿があった。

 完全に脳波をシンクロした事により、眠りから覚めるという事を真似たのだろうか。

 今はそれよりも娘が目覚めた事が何より喜ばしかった。

 私は涙が零れるのを堪えて、手を握り、娘の名前を呼んだ。

「お・と・う・さ・ん・・・。」

 私の姿を見て。なんとか声を出して私を呼んでいる。

「私はここだ。ここにいるよ。おはよう」

 娘の手を握っている力が強くなる。

「い・た・い・よ・・・」

「す、すまん。綾音が起きてくれた事が嬉しくてな」

 慌てて手を離した。ヘルメットも外す。

 喉が渇いているであろう、吸い口を用意してゆっくりと水を飲ませる。

 うまく飲み込めず、少し咽る事もあったが喉を潤していた。

 水分補給も終わり、ひと息ついてから娘は

「お・と・う・さ・ん。わ・た・し・ね・・・」

 私は娘の言葉を一言一句逃さぬよう耳を()ませて聞いた。




「はぁ~、サッパリした」

 ひとっ風呂浴びて嫌な汗も流し、湯船にゆったり浸かってまったりと過ごした。

 そうして風呂から出て、一服しようと屋上に行くと、品行寺と車椅子に乗った女性がいた。

 品行寺がこちらに気づくとゆっくりと車椅子を押して近づいてきた。

「今朝、娘が目覚めたんだよ。そしてどうしてもと言って、ね」

 視線を彼女の方にやる。

「ちょっ!写真と全然違うじゃないですか!」

 驚きのあまり素っ頓狂な声が出た。

 そこにいる女性は成人していてもおかしくはない雰囲気で大人びた女性だった。

「写真は子どもの時のしかなかったんでな」

 女性・・・綾音は必死に立ち上がろうとしていた。生まれた子鹿のように足をプルプルさせていた。

 倒れそうになり、慌てて支える。

 綾音はゆっくりと俺の手を握り、

「あ・り・が・と・う」

 と一言、伝えたのだった。

 手の温もりが、感謝の言葉がゆっくりではあるが、だが確実に胸の奥底へと()み入ってきた。

「・・・良かったな」

 とただ、一言だけしか言えなかった。他に何も思いつかない。握られていない片手で頭を優しく撫でた。

「・・・泣・い・て・る・の?」

 と、消え入りそうな声に言われ、頬に手をやった。水滴が指に付いた。

 自分でもなんで泣いているのか不思議だった。涙を止めるのに時間は少しかかった。

 ただ、この子を本当に救えたんだという想いが溢れていた。

 品行寺は吸殻入れの近くにいて、煙草を吸っていた。

「これでよかったんだよな。・・・なぁ、母さん」

 品行寺の言葉は誰に聞かれるでもなく、風に(さら)われていった。

 ただ、空に浮かぶ太陽が暖かく、三人の様子を見守っていた。

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