第九話 救世主は綾音!?
綾音の部屋で勉強を見ていた。綾音も俺に気遣ってか真剣に取り組んであまり話しかけることはなかった。
少しは自重というものを覚えたらしい。俺もゆっくり過ごすことが出来た。
しばらくして、綾音は文字を書くのをやめ、訊いてきた。
「ねえ、私の事、どう思ってる?」
「急にどうした?まぁ、傍から見たら可愛い方じゃないの」
「そういう事を聞きたいんじゃないの。私のこと、好き?」
「それは・・・。俺は仕事で頼まれてお前と付き合っただけでお前のことはなんと……」
「それ以上言わないで!」
綾音は声を荒らげる。
「解ってるの。そんなこと。私のわがままだって」
俺は、なんだよと思いつつも黙って続きを聞いた。
「私ね。目覚める前は真っ暗闇の中にいて、声はするけど反応できなくて体も動かなくて声もでなくてなんにも出来なかったの」
「でも、ある時、一度だけ違うことが起きたの。それがなんだったのか今じゃ覚えてないけど。体が動いて声も出せて自由になれた気がした。でも、その後は再び真っ暗闇の中だった」
ひょっとしてあの時の夢か?本当に綾音自身だったのだろうか。
「たまに事故に遭う前のことを何度も繰り返し見る事もあったの」
俺は息を飲んだ。
「最後に見たのもそれだった。そして真っ暗闇の世界に戻った時にいつもと様子が違ったの。誰かの鼓動が聞こえて、全身が温もりに包まれて誰かの声が聞こえてその声がする方向に意識を持っていったら光が突然現れてまるであの声に導かれたみたいで。それで目が覚めたの」
まるで俺が最初に見た夢みたいだな。俺の場合は誰かに手を引かれて光に向かっていったが。
「お母さんの事を聞いた時はショックだった。私の知らないうちに過去の人になっちゃんだ、って」
「それでもい~ちゃんが毎日励まして褒めてくれて、生きようって思えるようになったの。この人になら頼れるかもって思ったの」
「俺はそんな人間じゃ・・・」
言いかけたところで綾音は首を振って答えた。
「私が詩のメモ帳を拾ったのを覚えてる?」
「あぁ、後からくっそ恥ずかしくなったけどな」
「星空、あの詩を読んだ時に私にとってい~ちゃんがヒカリなんだってことに気づいて、それからお父さんのお仕事でい~ちゃんが関わってるってことを知って、手伝う事にしたの」
・・・それからだよな。こいつに振り回され始めたのは。
「最初は少しでも恩返しをしようとするつもりだった。でも、い~ちゃんと見た夢はどれも楽しくて。充実してたの。そして、気づいたの」
じょじょに涙声になってきて、双眸から雫が落ち始めた。
「私は、い~ちゃんが好きになった。この気持ちが止められないの」
とうとう本格的に泣き出した。俺は頭を軽く掻き、どうしたものか少し悩んだが綾音の頭を優しく撫でた。
「・・・気持ちは解った。こんな俺でも好きになってくれてすごく嬉しい」
綾音が顔を上げる。まだ瞳は潤んだままだった。俺は目を見て話した。
「けどな、俺にはまだ自分に自信がないんだよ。もう若くないしな。その点、お前はまだ若い。これからいくらでも出逢いがあるだろうし、俺なんかよりもっと素敵で頼れる人が現れるかもしれない」
「そんなの判んないじゃない!先の見えない未来より、失ってしまった過去より、私にとっては今、この瞬間が大事なの!自分が変われるのは今この時なの!そして私は・・・」
間髪入れずに綾音は反論した。
「そうか。けど俺なんかと付き合ったって碌なことにならんよ。つまらん人間だって思う。俺自身が何もないからな」
「じゃあ、料理できるのは何でもないことなの?」
「そんなの誰だって出来るようになる。俺は一人暮らしするのに便利だと思って、バイトをしながら料理を覚えただけだし」
「それに俺は、誰かと付き合う資格なんてないよ」
そう、俺は誰とも付き合わない。過去の経験で学んだんだ。
「資格って何よ!相手のことが気になったらそれでいいんじゃないの!?」
綾音が怒って反論した。
「だから、お前にとって俺は相応しくない人間だってことだ」
「なら、相応しい人になってよ」
綾音が懇願するように言ってきた。
「無茶言うなよ。今だって鬱になってそれどころじゃないのに」
「い~ちゃんの意気地なし。ばか!出て行って~!」
俺は部屋から追い出された。
「はぁ~、なんなんだよ、全く・・・」
俺はため息をつきながら屋上へ行き、煙草を吸った。
「自分が変われるのは今この時、か。・・・何やってんだろうな、俺は」
そう呟いてただ、景色を眺めていた。こんなはずじゃなかったのに。
夜、処方された薬と睡眠導入剤を飲んでさっさと寝ることにした。特に何かをやるという気力が湧かなかったからだ。少しでも早く良くなるように、ただそう思って早めに寝ることにした。
再び、あの男が現れた。
恐怖で体が震える。
「い~ちゃあん、あそぼ~ぜぇ」
そう言って近づいてくる。俺は腰を抜かしてその場にへたり込んでしまった。
「誰があんたなんかと遊ぶもんか~!」
突然横から綾音が飛び蹴りを男の顔面にかました。
男は吹っ飛びそうになるのをこらえ、態勢を整えた。
「こりゃ~、全くもって元気な嬢ちゃんじゃねえの。たっぷり躾ってもんを教えてやる」
「逃げろ、綾音。そいつはホントにヤバイ奴なんだよ」
声までも震えていた。
綾音は首を振って拒否した。
「これは夢だもん。だから平気。私が絶対に勝つから」
勝利宣言をしていた。しかし、その男の恐怖は底が知れないんだぞ。
「い~ちゃんの恐怖なんて私の想いの強さで吹き飛ばしてあげる」
綾音は間髪入れずに飛びかかる。しかし、男は地面を蹴って土砂を綾音にかけ、そのまま腹部に拳を繰り出した。
そのまま連続で殴って回し蹴りをかまし、綾音を吹っ飛ばした。
男は綾音の髪の毛を掴み、
「まだお寝んねには早い時間だぜぇ」
以前、俺がされていたように綾音をサンドバッグ代わりに殴り続けた。
「・・・私は、負けない」
ポツリと何かを言ったが既に満身創痍だった。結果は火を見るより明らかだった。
それでも目は死んでいなかった。
男が再び殴りかかろうとした時に、綺麗にカウンターを入れた。
今度は男が地面に膝をつく。
「・・・言ったでしょ、私の想いの方が強いって」
しかし、綾音もその場に倒れ込んだ。
「なかなか歯ごたえのある玩具じゃねぇの。あっはっは、楽しいねぇ。どうするよ、い~ちゃあん。お前が何もしないってんなら。俺の好きにさせてもらうぜぇ」
その後、もはや私刑だった。男は狂気そのもののように思えた。
「・・・い~ちゃん、変われるのは今、この時・・・なんだよ・・・」
そう俺に向かって伝え、意識が失ったのか動かなくなった。
「もう終わりかぁ~、最初の勢いはどうした?もっともっと俺を楽しませろよぉ」
男は綾音を俺の方へと放り投げた。震える手で綾音を揺する。反応はなかった。
「綾音、お前なんでそんな無茶な事を」
綾音の無残な姿を見て、胸の奥底に男に対して憎悪が芽生える。
ただ、殺してやりたい。殺したい。と。
俺の中の何かが弾けた。
足が震えてなかなか上手く立ち上がれない。立ち上がっても体は強張り、足も震えたままだった。
「さぁ、パ~ティ~を始めようじゃねえの。なぁ、い~ちゃんよぉ」
男がこっちに近づいてくる。
綾音の方を見た。ボロボロだった。無関係な人間をここまで酷くやるか。
憎悪が火を点けた。
「ぜってぇ、殺してやる」
強張り震える体に鞭を打ち、男に立ち向かった。
「お前のせいで、俺は、俺はっ!」
男が俺の腹部に拳を突きつける。お返しに俺は男の顔面を殴った。
「やるじゃねえの。そう来なくっちゃ~、面白くねえよなぁ!」
今度は左頬をぶん殴られた。俺も負けじと男を蹴り上げた。
「まったくもって楽しいねぇ、ほんとお前は最高の玩具だ、い~ちゃんよぉ」
その後も何度も殴られては殴り返した。
『自分を変えるのは今、この時・・・』
今まで恐怖だったモノが恨み辛みへと代わり、じょじょに男に打ち勝ち殴り続けた。
男をぶっ飛ばす。俺も満身創痍になり、肩で息をしていた。
急に背中に衝撃が走った。誰かに後ろから抱きしめられた。
「い~ちゃん、やったじゃん」
抱きしめた相手は綾音だった。
男の方を見るとボロボロになっていた。
「・・・ははっ、勝ったんだ。俺」
もう無我夢中で何がなんだか解らなかったが恐怖に勝てたという満足感が心を満たしていく。
「はふん、良かったね。い~ちゃん」
頬に温かいモノが触れた。綾音の唇だった。
「はふん、今度からは私を最初から守ってよね。私の騎士様」
そう言って力いっぱい抱きしめるのであった。
こうして夢は終りを告げたのだった。
「はふん!い~ちゃんが自信なくて相応しくないって言うなら、私が変えてみせるんだから!」
私は自分の部屋でぬいぐるみを抱いて決意をしました。
お父さんに頼んであの夢を再び見せて私も体験すると伝えました。
お父さんは少し考え込んでから、ひょっとしたら治療に向けて何か役にたつかもしれないということで実行されることになりました。
後から所長に屋上で煙草を吸っている時に訊いた。
綾音がどうしてもと頼み込んできてもしかしたら何かあるのかと思い、実行したのだという。
全く、結果オーライだったかもしれないけど、よくもまぁ、無茶するもんだ。
これが若さってやつなのか。
・・・俺もかつて持っていたものなんだろうか。
恐怖に打ち勝ったおかげかは解らないがその後、夢にあの男が出てきても恐怖も何も感じる事はなかった。




