第八話 ナイトメア
「よぉ、久しぶりだなぁ」
金髪に染めた男が俺の前に立っていた。俺は、その男に見覚えがあった。忘れることなど出来なかった。
「・・・なんで、お前がいるんだよ」
その男を見た瞬間に恐怖が体を支配し、体が強張り、必死にその恐怖を押さえ込もうと自分を思い切り抱きしめる。
「お前とまた遊びたくてなぁ。どうだぁ?」
「お、俺はお前なんかとは縁を切ったつもりだ」
「お前は最高の玩具だったんだぁ。俺の心を満たしてくれたのはお前だけだったんだぜぇ」
「・・・ふざけんなよ。俺が、俺がどんな思いで過ごしてきたか知らないくせに!」
徐々に怒りが湧いてきた。いっそ殺してしまいたいという衝動に駆られ、両手で男の首を絞める。
「おいおい、随分と生易しい挨拶じゃないか。腑抜けすぎじゃねえのかぁ」
男は片手で俺の両手を払った。恐怖であまり力が入らなかったのだろう。
俺はその場に崩れ落ちる。その男との関わった記憶が蘇る。忘れもしない、中学生の頃だ。
ある時は、その男は突然陣地を決めて石の投げ合いを提案し、防衛陣地を作る前に石を投げつけ、怪我を負ったり、またある時は、エアガンで俺を的にして撃って、俺は瞼に直撃し、痣になったりもした。
その他にも喧嘩の相手になってくれと無理やりボコボコにされ、とありとあらゆる暴力や理不尽というものを味わってきた。
高校はあの男とは別の所に行き、疎遠になり、会う事もなくなっていったし、暴力もなくなったが携帯で呼び出しを受ける度に体が恐怖を覚えていて震えていた。
ある時、男は謝罪してきたが許すことはできず、もう二度と顔を見せないでくれと、声を震わせながらも言うことができ、それ以降会うことはなかった。
「また一緒に楽しもうぜぇ。今日は挨拶だけだ」
と、一言残し、男は去っていった。
お前が原因で俺は前の職場で利用者が突然暴れだし、他害…腕を噛まれたり、引っ掻かれたりした時にその時の事が思い出されて、鬱になり働くことができなくなった。
「・・・なんで今更現れるんだよ」
俺は絶望に打ちひしがれてその場で泣き崩れた。
そこで夢は終わった。
「・・・なんて夢だよ・・・」
そう思い、体を起こそうと思ったが、体が全く反応しなかった。
この感覚は覚えがあった。俺が初めて鬱になった時の感覚と同じだった。
あの時も全く動けず、動く気力もなかなか起きず、それでも何とか動けるようになっても体全体に重しを付けられたように動作はゆっくりで、トイレに行くのにも時間がかかった。
今、それと同じ状態になっている?治ったと思ったのに。
俺は何とか気力を振り絞り、通院していたメンタルクリニックに電話をかけた。
言葉を発するのもかなり苦しかったが予約を取ることが出来た。
しかし、体が強張り、起き上がるのすら時間がかかった。
よろめきながらもゆっくりと部屋を出た。
流石にここからメンタルクリニックにまで行く気力はない。
携帯でタクシー会社を調べ、何とかタクシーを呼び、玄関ロビーにて座り込んで、タクシーが来るのを待った。
到着まで、呼吸を整えて落ち着かせる。
俺は大丈夫、と繰り返し心の中で唱えていた。
タクシーが到着すると再び気力を振り絞り、立ち上がり、強張る体を抑えてタクシーに乗り込んだ。
メンタルクリニックの最寄駅を伝え、そこのロータリーで降ろしてもらうようゆっくりではあるが伝えることが出来た。
タクシーの運転手は俺の様子がおかしいと思ったのか喋りかけてくる事はなかった。
ロータリーに到着し、お金を払って降りる。
メンタルクリニックに入り、受付で保険証と診察券と念の為に持っていた自立支援医療(精神)自己負担上限管理票を渡した。自分の番号を渡され、呼ばれるまで体の強張りが少しでも治まるよう自分自身を必死に抱きしめ、順番が来るのを待った。
番号を呼ばれ、主治医に現状を報告する。思考がまとまらなくなってきた事、酷い夢を見て、過去の トラウマがフラッシュバックした事。体が強張り震え、動くのが辛い事など。
診断結果は、やはり自律神経失調症…鬱と診断された。
以前服薬していたレクサプロを再び服薬するよう勧められ、従う。
診断が終わった後、支払いを済ませて近くの薬局にて薬を受け取った。
帰りもロータリーからタクシーに乗り、研究所へと戻ったが、クリニックでの待ち時間が長く、もう夜になってしまった。
何とか屋上に行き、立つ気力も限界を迎え、座り込んで煙草に火を点ける。このままではまた職を辞めなければならないと考えてしまった。
その時、扉が開き、所長が現れた。
「よう。どうした。座り込んで」
「・・・再び、鬱に、なり、ました」
俺は言葉にするのも苦痛を伴ったが、夢の内容と、今の体の状態をポツリ、ポツリと所長に伝えた。
「そうか。君の脳波を見させてもらったが異常な乱れがあったのはそのせいか」
「・・・やっぱり、こう、なったら、 僕は、いらない、です、よね」
俺は不安を抱えて所長に訊いた。いらないと言わればもうおしまいだ。
「そんな事はないさ。君の状態の脳波測定は今後、鬱患者の状態の把握にも利用できるようになれば、夢を通して治療を行う事ができるかもしれん」
「・・・この、状態でも、実験、ですか?」
満足に喋られない。気力も湧かない。動くことすらキツイのに。それでも必要としてくれているのか。
「もちろん、夢のデータを送ることはしない。薬を服用することで脳波の様子を記録するだけだ。君は治療に専念するといい。・・・無理をさせていたようですまなかったな」
「いえ、自分に、しか、でき、ないと、少し、思えて、自分、で、無理を、した、だけです、から」
いらない子…使えない奴と思われたくなかった一心で無理をどこかでしていたのだろう。
「脳波測定して安定してきたら君が望む夢を見せてあげよう。と言っても舞台を整えるくらいしかできないが」
「あり、がとう、ござい、ます」
かろうじて感謝を伝え、煙草を吸殻入れに捨て、柵を利用して立ち上がり、ゆっくり部屋へと向かった。
処方された薬と睡眠導入剤を飲んで早めに寝ることにした。
今はとりあえず快復に専念する事を意識して眠りについた。
翌朝、目覚める。夢は見なかったがそのまま二度寝した。
今度はあの男も現れる事もなかったが朧気でどんな夢を見たのか覚えてもおらず、脳が覚醒していないのか微睡みの中にいた。
体や気力は昨日の状態は少しマシになっていた。
徐々に意識がハッキリして起き上がる。そのまま、モニター室に向かい、夢の報告と自分の脳波の状態がどうだったか訊いた。
「昨日よりは安定してきていますね。まぁ、しばらくは仕事を休んで療養に専念した方がいいと思いますが」
「解りました。どうもすみませんでした」
自分の役立たずさに気が滅入りそうになりながらも屋上へ向かう。
吸殻入れの近くに行き座り柵にもたれる。
煙草を取り出し、火を点けて吸いながら、目を瞑り日光浴をした。
穏やかな日差しが体を浄化していくようだった。
思えば、前もこうやって日光浴をしたり、バイクでぶらりと出かけて色んな風景を見に行ったりしてたっけ。
感傷に浸っていると所長が顔を出した。
「よぉ、具合はどうかね?」
「昨日よりは少しマシになりました。まだ、動くのは少しキツイですが」
「そうか。仕事の方は君のおかげで大分書類整理もできてきたし、ゆっくり休んでくれ。娘の勉強を見るのもキツいようなら私から言っておくが」
「いえ、それくらいならなんとかできると思います」
「そうか。だがあまり無理はするなよ。君はどこか危うい。目を離したらフッとどこかへ消えてしまうんじゃないかと思ってしまう」
「・・・幽霊じゃないんだから」
消えてしまうならそれも構わないかな。と少し思うところもあった。
「それと・・・お前に手紙だ」
一通の便箋を俺に渡す。裏を見ると泊 遥香と書かれていた。
風を切って中の紙を取り出して目を通した。
『もり いさおさまへ
じがきたなくてよめなかったらもうしわけありません。
あのあと、かぞくとはなしをしてわたしはじんこうしかくのひけんばいとをうけることにしました。
しばらくは、えいぞうのあるゆめがつづき、くるしかったこともありましたが
じんこうしかくのひけんばいとのおかげで、げんじつでもしかくをえることができ、ほんとうのいみでせかいがひろがりました。
これも、もりさんがひとえにわたしのためにじんりょくしてくれたことにかんしゃしています。
ほんとうにありがとうございました。
ついしん このてがみはじんこうしかくのひけんばいとでめがみえるじょうたいで、もじをおそわりながらじぶんのてでじっさいにかきました。』
お礼の手紙だった。少し心が救われた気がした。
「よく頑張ってやりきったな」
と、所長は俺の頭を優しく撫でた、
親以外に褒められて頭を撫でられたのはいつ以来だろうか。もしかしたら初めてかもしれない。
親ですら、中学を入ってからあまり褒めることもなかった。
いつもなら手を払っていただろう。
しかし、今は所長の厚意に甘えたい気分だった。
「君は前に何もなくて自信がないって言っていたね。『自信』とは他人に与えられるものではない。君の力で、人に何かを与えた時に、得られるものなんだ。『自分の強みを活かし、人の役に立った、だから自分はこの世界に必要とされているのだ』という確固たる感情こそが、自信である。もし自信が欲しいのなら、人に与え続けることだ。まぁ、これはとある成功者が言っていた言葉、だがね。・・・い~ちゃん、今ならその意味が解るだろう?」
俺は俯いて少しだけ、溢れる涙が止められずに泣いたのだった。




