吸血鬼の村2(ナイト)
時は遡り……
教会を出て三人で吸血鬼の村に向かう道々で、ナイトはいつになく動揺した。
森がうっそうと茂り、太陽がどこにあるかわからなくなった頃から、何とも言えない動悸が彼を悩ます。
そして、岩だらけのごつごつした場所に来た途端、ナイトは既視感に目眩を感じた。
(……間違いない、ここはあの男の故郷への道だ)
一見、何の変哲もない場所だが、左奥の大岩の影に隠れていると、侵入者は丸見えだが相手からは見つからない。
だからそこを見張り場と呼んでいた。
(背の高い発明家と別れの杯を交わしたのもそこだ)
年月が経っているので、若干岩の形や数に違いがあるような気はするが、大きな配置は今も変わっていない。ただ、
「おかしい」
ナイトは独りごちた。
「この辺りから霧が出るはずなんだが」
あれはいい目隠しだった。
(村への道をわからなくするには)
そのまま進むと光る石が落ちていたので、ここは大昔には霧に覆われていたのだとやはり納得する。
ナイトは目を閉じた。
そしてそれでも道の傾斜や風の通り具合で迷わず歩き続けて行くことができる。
(……俺の身体が道を覚えているから)
霧の中、迷わず行き来していたあの男の記憶か。
鼓動がますます激しくなる。
そう、この角を曲がれば、そこにはあの牧歌的で静かな村が……
「あっ!」
だが、彼の目に映ったのは、期待した風景とは真逆の世界だった。
「ようこそ、吸血鬼の村へv」と書かれたアーチ型の門は、赤を基調にした派手な造りだ。
エルデが肩をすくめる。
「なんだか興ざめだな」
ナイトは黙って門をくぐり、入場料を払う。
(……だが、間違いない)
今の現在位置を、くっきりと心に浮かぶ風景の中に当てはめる。
そうしてゆっくりと遊園地の中をナイトは歩いた。
赤鼻の家のあった辺りは、花壇になっていた。
お下げの住んでいた家は、滑り台の下ぐらいか。
(全部、焼けたからな……)
元の原型を留めていないことはわかっていた。
だが、吸血鬼の村と言って金を取るなら、もう少し写実性があってもよさそうなものではないか。
わずかな期待をこめて、ナイトは村の中心部に向かう。
皆で集会を開いたりする小さな広場なら、まだ残っているかもしれないと思ってのことだ。
しかし、やはり昔の面影はなく、そこには宿屋が建っていた。
ナイトは思わず溜息をつく。
「どうしたの?」
ソーラが怪訝な顔でこちらを見る。
「いや……」
どう言っていいものかわからないような話なので、ナイトは黙って空を見上げた。
(少なくとも、夕焼けだけは昔のままだ)
茜色の太陽を飾るように、薄い橙と桃色の雲が寄り添っている。
その雲の淵は金色に輝き、空のうす青との境を際だたせていた。
「今から戻ると、森の中で野宿になる。今日はここで泊まろう」
ひどく残念な気持ちのまま、ナイトは宿を取った。
風呂に入り、くつろいでから夕食を取る。
宿の料理はそこそこの素材を使っていて、なかなか美味かった。
(……まあいい)
黒い石の夢に出たものが、今も尚あったとして、それが何だというのだ?
それを一緒に語り合う人間がいるわけでもなく、ただ、自分を納得させるだけのことだ。
「何だか疲れちゃったな」
ソーラがベッドの端に腰をかけると、エルデも大きく頷いた。
「俺もだ」
エルデがベッドに倒れ込む。
「飯がうまくて食いすぎたというのもあるが……」
言ったしりから寝息が聞こえた。山登りがきつかったのだろう。
それを見てナイトはカーテンを閉める。
「俺達も寝るか」
「うん」
灯りを消して、布団に入り込む。
ソーラも相当疲れていたようで、すぐに小さな寝息が聞こえた。
だが、ナイトは特に眠いわけではない。
数回寝返りを打ったあと、そっと起き出してベランダに出た。
(……星座はどうだ?)
空を見上げる。
いい天気だったので、満天の星だ。
(……アース王国の空と思っていたほどは違わない。)
エルメスの首都が北に位置するので、常春のアース王国と多少は違うかと思ったが、考えてみればここは相当南に下がった地域だ。
気温は夜になると相当下がり、放射冷却で多分明日の朝は氷点下になるだろうと思うが、それでも首都のように雪が降り積もったりはしない。
(風もない)
遊園地の中の街灯が淡く光る。
(……?)
ふと下を見ると、その淡い光に何かがきらりと輝いた。
まるで、ナイトに居場所を教えるように。
横を見ると非常梯子があったので、それを伝って下に降りる。
宿屋から坂を少し下りた木々の間。
どうしてかナイトを待っているような光を感じ、地面を手で掘ってみる。
(……やはりそうか)
そこにあったのはあの黒い石。そして……
「……外、静かになったね」
ナイトはそちらに近づき、そして剣を振り上げる。
「みんな殺しちゃったんだ」
その言葉のどこにも、それを悼む気持ちは見られない。
少年が町で受けてきたはずの仕打ちを思うと、それもいたしかないことなのだろう。
だが、そう考えてから怪訝に思い、ナイトは今一度確認をする。
「何故、こんなことをした?」
少年は真っ直ぐにナイトを見る。
「お前の知ったことじゃない」
その冷たい言葉を聞き、ナイトは黙って剣を振り下ろした……
が、
それは宙で止まる。
少年の髪が一筋飛んだ。
「知ったことではないだとっ!」
ナイトは叫ぶ。
「いたいけな子供を餌にして自分たちの不安を解消する、それがお前達の正義なのか?」
「こっちにも事情があるんだよ」
ナイトは少年の目と目の間に剣をつきたてる。
「事情だと?」
もちろん、彼が被害者だということはわかっていた。
だが、奴らと同じ人間の血が流れているのだ。
それだけで御しがたい怒りが襲う。
「言ってみろ」
少年は肩をすくめた。
「言ったってしょうがない」
そしてナイトを再び見据える。
「早く殺せば? どうせお前はもう独りぼっちだ。吸血鬼は滅びたんだよ」
殺気がほとばしる。
「滅ぼされなければならないことなど何一つなかった」
「存在してるだけで許されないんじゃないの」
ナイトは少年を睨み付けた。
「本気で言ってるのか?」
返ってきたのは、憎悪のこもった強い瞳。
だが、その哀しい色を見た途端、どうしてか不意に切ない気持ちが沸き起こる。
(……存在するだけで、許されない?)
それは初めて聞く言葉ではなかった。
少年が林檎を食べながら自嘲的に呟いた言葉が甦る。
「本気でお前は、自分が存在を許されない人間だと思っているのか?」
少年は唾を吐く。
「早く殺せよっ!」
しばらくナイトは少年を眺め、そうしてゆっくりと剣を振り上げた。
この数日、なぶり続けたその身体。
琥珀の瞳、雪の肌。
身体のどの部分も全部知っていて、そして自分を惹きつけてやまない……
「っ!!」
血糊がついていたにもかかわらず、振り下ろした剣は少年とベッドを繋いでいた鎖をすぱりと切った。
「行くがいい、どこへでも」
目を見開いた顔には驚きだけでなく、苦痛がある。
「なぜ、殺さない?」
剣を鞘に収める。
「なぜ?!」
殺せるものなら、もっと早くに殺していただろう。
「殺せって言ってるだろ!」
ナイトは少年に背を向けた。
「断る」
「それなら僕がお前を殺す。死ぬまで追い続けるから!」
歩き始めたナイトの腰に、細い腕が巻き付く。
「……っ!」
そのみぞおちを剣の柄で叩き、ナイトは少年を置き捨てて累々たる屍の村を後にした……
……と?
ふと気がつくと、そこは夜の遊園地。
振り向くと、ソーラが倒れ臥している。
「姫っ!」
愕然として、ナイトはソーラを揺り動かした。
どうやら自分はソーラのみぞおちに剣の柄を当てたらしい。
(……息はあるか?)
口元に手を当てたがよくわからないので、耳を顔に寄せる。
だが、あわてふためいているためか、やっぱりよくわからない。
(いっそ、人工呼吸を……)
思って顔の角度を変えた途端、ソーラがばっちりと目を開けた。
その距離、ほぼ三センチ……
「っ!!」
驚いて顔を逸らすと、勢い余ってソーラの頭を地面に打ち付けてしまう。
「あいたっ!」
「姫っ!」
慌ててもう一度抱き起こすと、淡い光の下でソーラがこちらを思いきり睨んだ。
「ひどいじゃないか!」
「も、申し訳ございません!」
頭の後ろを右手で押さえながら、ソーラはそのまま起きあがった。
「みぞおちに一発当てたのは覚えてる?」
ナイトは曖昧に頷く。
「姫とは思わずに……」
「別の人を気絶させようとした?」
「え?」
「トリップしてたみたいだから」
ナイトは素直に頷く。
「おっしゃる通りです」
「だから敬語はやめてってば」
ソーラは膨れた。
「で、こっち側に戻ってきて初めて、僕を気絶させたとわかったわけだ。それで驚いて助け起こそうとしたくせに、僕が目をあけた途端、化け物を見たような顔で放り投げて……」
「そんなことはありません。本当に驚いただけです」
「何に?」
至近距離で目があったことに決まっている。
だが、そんなことはさすがに言えない。
「……まあ、いいや」
ソーラはその場で膝を抱えて座り込んだ。
「別に大したことじゃないし」
ナイトは立ったまま、上からソーラに声をかけた。
「宿に戻りましょう」
「だから敬語」
「……宿に戻ろう。風邪をひいてしまう」
「僕はしばらくここにいる」
ソーラは、こっちを恨めしそうな顔で見上げた。
「そもそも寝られなくて、黙って外に出たのは君の方なんだよ?」
確かにそうだったので、ナイトは仕方なしにソーラの横に座る。
宿屋の表の灯りが、木と木の間からうっすらと小さく漏れて揺れているのが見えた。
「よく、俺がここだとわかったな」
「ベランダからだと、よく見えたんだよ。玄関からだと死角だけどね」
小柄な肩がぶるっと震えた。
「ほら、言わないことではない。寒いのなら部屋に戻るぞ」
しかしソーラは首を振った。
「寒いんじゃない。さっきちょっと夢を見て、それで眠るのが怖いんだ」
「例の夢?」
「うん」
ソーラはわずかにくすりと笑う。
「でもね、夢をみて思ったよ。ここが遊園地でよかった。吸血鬼の巣でなくて、本当によかったって」
ナイトは肩をすくめる。
「巣という表現に引っかかりはあるが、確かにここは昔、吸血鬼達の村だった」
「え?」
「昔の面影はないが」
ナイトは正面を指さす。
「この辺りは村の中心で、昔は大きな樫の木が立っていた」
「へえ、そうなんだ」
ソーラは顔をしかめた。
「奇遇だね。僕の夢の中に出てくる吸血鬼の巣の中心にも樫の木があったよ。ちょうど、さっき通った町にあった古い樫の木みたいに立派な枝ぶりの。だけど、町の人に焼かれて灰になっちゃったけどね」
だが、そう言った途端、いきなりナイトがソーラの左腕を強く掴む。