国境の教会(ナイト)
エルメスの首都からさらに南にずっと下がったところに、その教会はあった。
ここまで来ると雪などはどこにもなく、冬だというのにむしろ暖かい。
帝都にあったような針葉樹は姿を消し、常緑の丸い葉を持つ木々が目についた。
「済みません、現在改装工事中で、教会の展示室にはお入りいただくことはできないんですが……」
実直そうな顔をした僧侶が頭を下げる。彼の胸には見習いと書かれた名札がついていた。
「別に、展示室に入るつもりはないから……」
ナイトが言いかけると、僧侶は首を振った。
「いえ、ここまでわざわざ来て頂いたということは、我が教会秘蔵の宝石の数々を見たいと思ってのことでしょう?」
「宝石?」
ソーラが不思議そうに言った。
「ここは吸血鬼退治で散った人々の弔いのために作られた教会だと伺ったんですが」
「かつてはそうでしたが、それだけで人を集めることはできないからと、最近は色々工夫していて」
「あの、僕達は、ここの歴史を教えて頂くためにやってきたんです」
「え!」
見習い僧侶は心底驚いたような顔をした。
「昨今には珍しい方々だ。神父さまもさぞかしお喜びになることだろう」
言いつつ彼は頷いた。
「それでは私がご説明しましょう」
「ありがとう」
ソーラが言うと、見習い僧侶は顔をやや紅潮させながら歩き出した。
ナイト達も後からついていく。
「いつのことかは今となっては定かではありませんが、大昔から、この町の隣山には吸血鬼、あるいは凶悪な食人鬼と呼ばれる化け物が住んでいました。奴らは彼らの住処から降りてきてはいたいけな子供を襲い、食い殺す非道な化け物です」
見習い僧侶の指した先には、「等身大」と書かれた二メートルほどの青く醜い鬼の像がある。
ナイトは何となく眉をひそめた。
「彼らの住処は霧の奥深く向こうであり、人は誰もそこに行きつくことができません。そしてまた、狡猾な奴らは子供だけを襲い、大人が来ると身を潜めます。だから、戦うこともできません。しかし、そんなある日、勇敢な子供が言いました。自分が囮になるから、大人達はその後をついてきて、と」
見習い僧侶は感慨深げに目を細めて、次のコーナーに向かった。
「大人達は止めましたが、その子は行くと言い張ります。また、その子に感化されてか、他の子供達も自主的に義勇軍を結成し、そうして山に登ることにしました。慌てて後を追った大人達は、霧の中に光る石を見つけます。それは賢い少年が、大人達が来れるようにと一つずつ、撒いて行ったものでした」
ソーラがなぜだか小さく身震いした。
不思議に思ったナイトはソーラの頭の上から、展示物をのぞき込む。
そこには、ほの暗いガラスケースの中、淡い緑に光る石がある。
「自分で光ってる?」
「ええ。それは暗闇で自ら光る石で、この辺りの特産品です。大人達はその光る石の後をたどって子供達を追跡しました。が」
見習い僧侶の表情は曇る。
「行った時には時すでに遅く、子供達は吸血鬼の歯牙にかかった後でした」
彼の目から涙が一粒こぼれ落ちた。
「大人達は激高しました。しかし、子供達の尊い犠牲によって、食人鬼の巣の位置がわかった機会を逃すことも出来ません。装備も不十分なまま、恐ろしい食人鬼と村人達は戦い、そして、そのときに山に行った者達は一人も帰ることはありませんでした。ですが、化け物どももまた、最後の一匹まで退治できたことにより、それ以降、霧は晴れ、山は人間のものとなったと言います」
感極まったのか、自分の話で見習い僧侶は嗚咽し始めた。
「この教会は、自ら進んで犠牲となった子供達、それから吸血鬼と戦って生命を落とした大人たちの鎮魂のために建てられました」
立ち止まった見習い僧侶の前には、祈りの言葉の彫られた鎮魂の鐘がある。
「毎日十二時には、彼らの魂が安らかであるようにと、この鐘を鳴らします」
メモを取っていたエルデが鼻をすする。
「いい話を、ありがとう」
「いいえ、こちらこそ、こんな話をちゃんと聴いてくださる旅の方は久しぶりです」
見習い僧侶がさらに何か感極まった気持ちを告げそうなのを見て、ナイトは手を一度振った。
「それはそうと」
ナイトはそのまま見習い僧侶を見下ろす。
「我々はその吸血鬼の村に行ってみたいのだが、どうやっていけばいいだろう?」
話を聞いたときから、胸が騒いだ。
そこに行かねばらならない理由は特にない。
そして、できることなら行きたくない。だが……
「それでしたら、ここに地図があります」
見習い僧侶は壁に掛けられた地図を指した。
「教会を出ると、町があり、そこのメインストリートを真っ直ぐ南に突っ切って、そのまま行くと、東側に険しい山が見えてきます。その山に入り、案内の矢印通りに歩いて行くと、吸血鬼の村に着きます」
「ありがとう」
礼を言い、三人は教会を出る。
(吸血鬼の、村か)
自分を律しようと試みるが、なぜか強い抵抗が足を重くさせる。
怯えるほどのものはない。
ただ、激しい哀しみが今もなお、そこに漂っているような気がして……
と、エルデが町に入る直前で、ぴたっと足を止めた。
心を読まれたかと思ってびくりとしたが、エルデは反対側に視線をやる。
「ソーラ、どうした?」
「え?」
「気分でも悪いのか?」
見ると、確かに顔が青い。
「全然何ともないよ」
虚勢を張っているが、確かにおかしい。
「町で少し休むか?」
ナイトが言うと、ソーラはさらに顔を青ざめさせた。
「できれば、さっと通り抜けたいんだけど」
エルデがわずかに首をひねった。
「行くのが嫌なのか?」
「……ちょっと、ね」
ナイトはソーラの肩に手を置く。
「大丈夫だ」
「え?」
「あれから千年以上も経っている。大丈夫だ」
ソーラは目を見開く。
「ナイト、どうして?」
どうして、と聞かれ、ソーラのことでなく自分について話していたと気がつく。
「済まん、大昔の吸血鬼の村へ行くことが頭にあって、特に意味もなく言ってしまった」
ソーラは驚いた顔のまま、それでも小さく頷いた。
「僕は、むしろこの町が嫌なんだ」
エルデが再度首をひねる。
「なぜ?」
「……多分、夢でいつも見るのはここなんだろうってわかったから」
絶句した二人の前で、ソーラは心底嫌そうな顔で、町の門を見つめた。