エルメス 海岸近くの村(ソーラ)
「よおっし、みんな!」
広場の真ん中で赤い鼻をした男が手を挙げた。
「一人に一人だ。子供を選んで家に連れて帰れ」
みながばらばらにされる……そう思った瞬間、他の子供らはさっと青くなった。
一人になるのが怖いのだろう。
皆、身を寄せ合うようにかたまった。
(……あ)
そうして子供らは、止める間もなくポケットから、あの黒い瓶を出して一気に飲む。
仕方なしに自分も同じようにそれを飲んだ。
不安はあったが、自分だけ飲まないわけにもいかない。
良いとも悪いとも言えない、独特の香りが辺りを包む。
「……どっ、どうする」
男達の声が妙にうわずったのを聞き、ソーラはわずかに震える。
「三人余るぞ?」
どことなく、さっきまでの彼らの穏和な声とは違う。
「一番小さい方から三人までは、配当二人だ!」
そう言った男の目は、真っ赤に充血していた。
「なんだか、身体が熱いと思わないか?」
(……これは)
お下げ髪の男がいやらしい目でこちらを眺め、舌なめずりをしたのを見て、ソーラは町での会話を思い出す。
吸血鬼が近寄らなくなるというのは真っ赤な嘘なのではないか?
(むしろ、吸血鬼に本能を思い出させるような香りでは……)
背筋に寒気が走る。
「そういえば、男よりも女、年寄りよりもとにかく子供がうまいってじいさんが言ってたよ」
町の男達は、あの光る石を伝ってここに来るつもりだ。
だが、そのためだけに子供らをここにやったのなら、こんな薬で食人鬼達を興奮させる必要もない。
ということは……
(この薬は食人鬼には毒)
子供らを食わせたあと毒で殺し、そして屍の数を数えるためだけに、光る石を追って彼らはここに来るつもりなのだ……
吐き気で胸が苦しい。だが、
「そんな話はやめろ」
顔を上げると、あの美しい青年が不愉快そうな顔で周りを見ている。
「いや、でもな、今晩、誘惑に勝てるかどうか、俺、自信がなくなってきた」
「だからやめろと言っている」
だが、そう言う黒髪の男の握られた拳に余分な力が入っているのが、ここからでも見て取れる。
足が震えた。
あの、高潔な男をすら、自分たちは薬によってけだものに変えようとしているのか?
「いいか、俺たちはまだホンモノの味を知らない。いつも塩味をつけた鉄さびジュースで細々暮らしている。だけど、一度でいいから血を飲んでみたいって思いながら生きてきた。お前だってそうだろ?」
間違いなく、吸血鬼だと告白するような言葉も今は遠い。
人が牛を食うように人を食う彼らと、同胞を犠牲にしてまで、こんな手段で殺そうとする人間。
一体どちらが正常なのか……
気が付けば、みな我先にと子供を選ぶために走っていた。
あちこちで悲鳴が沸き起こる。
子どもの泣き声と鬼の歓声。
「ずっと、真面目に静かに暮らしていた俺たちに天がご褒美をくださったんだ」
「天からの贈り物だ!」
それはどうだろうと皮肉に思う。
明日には多分、ご褒美ともどもこの世から消えてなくなるだろうに……
「!」
呆然とそれらの風景を見ていたソーラの前に、ふっと陰が立った。
「俺の家に、来い」
黒い髪が、夕風にわずかに揺れる。
喧噪の中、冷静であろうと必死で口を噛んでいるのがわずかな光に映る。
(ああ、やっぱり)
哀しみのあまり声が出ない。
一目見た時からわかっていた。
自分がこの男に殺されるだろう事を。
そして、自分がこの男を殺すだろう事を…………
「…………ソラっ!」
揺り起こされて目が覚めると、窓から朝日が差し込んでいた。
「あ、ありがとう」
汗びっしょりの額を手で拭くと、ナイトは何も言わずにすっとその場を離れる。
ソーラの胸はずきりと痛んだ。
吸血鬼の村で告白してから、ずっと彼はこんな調子だ。
逆にエルデは快活にリュックを持ち上げる。
「この宿屋は素泊まりだから、顔を洗ったら出発するぞ」
「うん」
本当にエルデがいてくれて良かったと思う。
彼が気を遣ってくれなければ、やたらギスギスしたパーティになっていることだろう。
(ふう……)
用意を済ませ、階下に降りると宿屋の主人がナイトを手招きをした。
「さきほどから、他所の国の人がずっと直立不動でお待ちなんです。営業の邪魔なんで、早く追い返してもらえませんかね?」
首をかしげながら三人が玄関に行くと、マーズ軍の制服を着た兵士が確かに立っていた。
男はナイトたちを見た途端、ぴしっとマーズ風の敬礼をする。
「お待ちしておりました。自分はリヒター枢機卿の使いの者です」
そうして恭しく親書をエルデに差し出し、受取サインをエルデからもらうと同時に宿屋から出て行った。
エルデはざっと手紙に目を通た。
「ユスティーツからの手紙だ」
「それは聞いた」
「空の城、一の姫君の居場所の見当がついたらしい」
「ええっ!」
ソーラは手紙をひったくりたい衝動を抑えてエルデを見る。
「エルメス大陸からまっすぐ南東に向かった大洋の孤島に立つ塔?」
「リヒターが言うには、その島はかつては良い漁場だったが、十五年前に突然魔物が沸くように現れ、周辺に誰も近づけなくなったという。それがちょうど、一の姫がさらわれた日と合致する」
「だが、それだけでは一の姫がいるという証拠にはならんだろう?」
エルデは頷く。
「日付の符号に気づいたユスティーツが、かつてマーズ最大の巫女と呼ばれた皇后陛下にお伺いを立てたらしい」
マーズ皇国は過去からの経緯もあり、皇帝よりもむしろ神事を司る教会の方が権威も力も強い。
リヒターの従姉妹にあたる皇后は美しい予言の巫女として知られ、現皇帝にどうしてもと再三プロポーズをされて仕方なく皇族になったが今もその魔力は高く、国民の尊敬を集めているとエルデは言う。
「最近は病気がちで、体調を心配した皇帝が潔斎などをさせなかったことから彼女のお告げは昨今聞かれなくなっていたが……」
「結論だけ言え。それが出来ないのなら、黙って手紙を貸せ」
「……その塔には聖なる光が隠されていると神託が出たそうだ。その聖なる光を開放して初めて、魔物と対等に戦う力が与えられると」
エルデは力強く頷く。
「預言の書の通りだ。彼女なしには魔王に勝てない」
だからそこに姉がいる、と結論するには早計な気もするし、間違いだったときにがっかりするのはもっと嫌だ。
だが、どうせ次の一手がわからないのなら、話に乗ってみるべきだとは思う。
ナイトもそう思ったのだろう。エルデに軽く頷いた。
「で、その南東の島にはどうやって行ったらいいんだ?」
「……確かに」
そんな孤島に定期船が出ているとは思えない。
「それでしたらお客さん」
と、三人の話を聞くともなしに聞いていたらしい宿屋の主人がこちらを向いた。
「ここから南西に歩いた海岸に港があります。そこで船を借りることができますよ」
エルデが嬉しそうに外に出た。
「こういう風にそこに向かうしかないような設定になっているときは、それが正しい道なんだ」
三人はそのまま港に行き、そして一艘だけあった船を借りる。
十万Gとふっかけられたがエルデが値切り、結局三千Gで一年間自由に使う権利を得た。
「定期船と一年間の船のレンタル費用が一緒だというのが俺にはどうも解せない」
「この世界はそういうものだ。定期船も値切れば五百Gぐらいになったかもしれんぞ?」
「真面目に生きる者が馬鹿を見るような世界などクソ食らえだ」
礼儀正しいナイトが珍しく汚い言葉を吐いたのを、ソーラは何となく面白く思う。
彼もこの旅で少しは庶民的になったのかもしれない。
「例えば?」
「他人の家に黙って入り、勝手にタンスを開けて衣服を盗むぐらいなら、清貧に甘んじた生活を送った方がいい」
「……お前とパーティを組んだ時点で、メダル王の城に行くことは諦めている」
エルデは意味のわからない言葉を呟き、そして小さく肩をすくめた。
次は最後の章となります。そして伝説へ、にお進みください。