国境の教会(ナイト)
「あらっ?」
宝石展の受付にいたシスターは、三人を認めて嫌な笑いを浮かべる。
「結局、諦めた訳?」
「何を?」
エルデがニヒルな笑いを浮かべ、ソーラから受け取った宝石箱を取り出す。
もちろん中にはスズメの涙が入っていた。
「まあっ!」
手を伸ばしかけたシスターは、しかしずるそうな視線でエルデを見る。
「たった七日でこれを手に入れられる訳がないわ。往復七日で行ける範囲にスズメの涙がないことは調査済みだもの」
「でもこれは本物だ」
「では、何か犯罪をおかして手に入れたのかしら?」
シスターはにやりと微笑む。
「だとしたら、大事件だわ。兵隊につかまったら大変よ」
「シスター……」
「仕方がないわ、これは預かってあげるからお逃げなさい。怪しさマックスな感じの三人だから、何かあるとは思ってたけれど……」
エルデは黙って、宝石と一緒に箱に入っていた羊皮紙を広げる。
それはナイト達が紅孔雀と戦っている間にサカイが作っておいたらしい鑑定書だった。
「ほら、宛名を見ろ。ちゃんとナイト・サリヴァン様となっているだろう?」
シスターは驚愕を顔に表したが、すぐに平静に戻った。
「ナイト・サリヴァンと言えば、三万Gの懸賞首……」
エルデは微笑む。
「密告するならすればいい。しかし、そうなったらこの百万Gの宝石は手に入らないぞ」
シスターは少し考え込んだ後、不承不承のように頷いた。。
「なるほど、わかったわ。約束だから呪いの宝石は好きにしていい」
手を出したシスターだったが、エルデはまだ箱を渡さない。
「それと一つ言っておくが、この宝石を受け取ってからでも密告したら、動物園にその旨を伝えて宝石を回収するように言ってある」
「そんなこと、私がするわけないでしょ?」
口調には若干悔しさが垣間見える。
「ただし、私たちは呪われたくないから閉館後にこっそり開けて取りだしてね。もちろん、それをケースから出したら速やかにここから出て行くのよ」
シスターはポケットから鍵を取り出すと、エルデに渡した。
そうして再び受付に座る。
三人は言われたとおりに閉館までケースの前に陣取り、閉館と同時に鍵を開けて黒い石を取りだした。
石はいつもと同じように、ナイトの手の中に吸い込まれるように消える……
「え?」
赤鼻が驚いた声を出した。
「お前、まだ食ってないのか?」
「ああ」
「まる一日も経つのに?」
お下げ髪が首を振る。
「我慢強い奴だと知ってはいるが、これほどとはな」
赤鼻が肩をすくめた。
「俺なんか、二回にわけて楽しもうと思ってたのに、やめられなくて一気にいっちゃったよ」
「俺も、小さいガキ二人にした方がよかったかな」
お下げ髪がサディスティックに笑った。
「一人目を食って、怯えるガキを次の日食うってのが最高だな」
言いながら、こちらを見ながらにたにたと笑う。
「何なら俺が食ってやろうか?」
ナイトは首を振る。
「せっかくだから、相手のことを少し知りたい。それだけだ」
「食い物の由来を聞いてからってか?」
「グルメだね」
皆は笑いながら、それでも少し羨ましげにジュースを飲んだ。
「まずっ」
赤鼻が顔をしかめる。
「本物飲んだら、これ、やっぱダメだな」
「……みんなして、下の町、襲いに行こうか?」
ナイトがじっと睨むと、赤鼻はぶるぶると首を振った。
「冗談だよ。ちょっと気が大きくなってるだけさ」
そうしてにやりと笑う。
「お前もすぐにわかる。……食えば、な」
ナイトはジュースを飲み干すと、立ち上がった。
「じゃあな」
「付き合い、悪~っ」
ナイトは再び赤鼻を睨む。
「今日の見張り番は牛飼いだ。俺が代わりに牛の世話をせねばならん」
すると、あばたが思い出したように戸棚をさぐる。
「こないだの雌牛のお産で足かせが壊れたんで直しておいたよ。これ、元の場所に置いといてくれないか?」
「ああ」
無造作にポケットに突っ込んで戸口に立つと、後ろから陽気な声がかかる。
「早く味見しろよ!」
後ろ手にドアを閉める。
言われなくても、そろそろ誘惑は限界に達していた。
だからわざと少年を一人にして、外出しているのだ。
(逃げるなら早く逃げろ)
逃げた子どもを捕まえたなら、そのときは逃げた方が悪いと殺すことができる。
あるいは、逃げられたならしょうがないと諦めることもできる。
子どもが逃げたとわかったら、臆病な村人たちはここを捨ててどこか他の場所に移ると言い出すかもしれない。
(そうなればいい)
悪い悪魔が取りついたようなこの村の気分が、今はたまらなく不安だった。
昔の善良な皆に戻って欲しいと切に願った。
(いや)
むしろ、自分の中に制御できない神経の高ぶりがあるのが嫌でたまらないのか……
(……!)
だが部屋に入ると、いつもと変わりない鋭い眼差しがこちらを見る。
(……なぜ、まだここにいる?)
泣き叫ぶ子どもの声や悲鳴が昨日からずっと聞こえていた。
それが今、全くなくなったことの意味を、この聡明な少年ならわかるはずだろうに。
「腹は減ってないか?」
少年が残した果物を横目で見ながらナイトは尋ねる。
「太らせて、それから食う気か?」
ナイトは琥珀色の瞳を思わず凝視した。
「気づいていたなら何故逃げない?」
応えぬ唇を睨む。
「それとも……」
ふと感じた小さな疑問。
「最初の日、お前は俺に何もしないのか、と聞いたな? それは、そういう意味だったのか?」
沈黙に更に問う。
「ここが人間の村ではないと知っていて、そして自分たちがどうなるかを知っていたのか?」
長いまつげ、白い肌。
「なら、どうしてついてきた?」
背筋に走る奇妙な不安がふくれあがる。
「死ぬと、殺されるとわかっていて、どうして赤鼻についてきたのだ?」
相手に動揺は見られない。
「ここについてから、初めてお前達が吸血鬼だとわかった」
台本を読むような落ち着いた声に首を振る。そんな言葉は嘘だ。
他の子供らはともかく、初めて見たときからこの少年には、どこか覚悟のようなものが見え隠れしていた。
「……なるほど」
ナイトはぐいっと相手のあごを指で持ち上げる。
白い喉笛。
ここに歯を突き立てて血をすすると、さぞ快感だろう……
感情が理性を越えようとしているのに気が付き、慌てて手を離す。
そうして、自分を御してから少年を睨む。
気品のある瞳。
「お前なら、痛い目に遭わすと脅しても、決して口を割ることはないだろうな」
誇り高いその表情。
たとえ生命を落としても、決して何も言わないだろう。
「だが、俺は聞くと決めたら絶対に聞く」
村を守るのが自分の仕事だ。
だが、少年に触れれば殺してしまうことは目に見えている。
その誘惑はどうしようもなく……
(……くっ)
喉首を食い破りたい衝動が絶えず襲ってきた。
今までずっと精神の鍛錬をなまらなかったのに、何故、今こんなに自分が抑えられない?
気づけば、目の前の少年が目を見開いてこちらを見ていた。
無意識に相手の衣服を破り取っていたようだ。
「っ!」
襲い来る衝動をかわすために、彼は必死で己に向かって約束を立てた。
「全て話せば、必ず途中でやめてやる」
そのままベッドに押し倒し、何度も身体をなでまわしてみる。
「い、いやっ」
痛めつけるよりも、案外こちらの方が口を割らせるにはいいかもしれない。
暴れて蹴ってくるので、ポケットから足かせを取りだして足首につけ、ベッドの端に鎖をつなぐ。
「さっきの質問に答えろ」
「……あっ」
血を吸えないもどかしさに、その皮膚を舌でなめる。
わずかな塩分が少年の血の味を想像させた。
「やめてっ!」
相手が顔色を変えて羞恥に顔を背けたのを見ると突然たぎった。
熱に浮かされたような気分が身を焦がす。
(やはり、俺もみなと同じようにおかしい……)
抵抗する身体を力で押さえ込む。
そうして頭の片隅で、少年がこのまま口を割らなければいいと微かに思った……
「ナイトっ!」
蜂蜜色の目が、恐怖よりも驚愕をもってナイトを見据えている。
「……ソラ?」
その顔を見つめてから、自分の両手が相手の肩を強くつかんでいることに気づき、慌ててナイトは手を離した。
「ああ、よかった。君に戻ってくれて」
「……まったくだ」
声に振り返ると、随分後ろにエルデがしりもちをついていた。
「どうした、エルデ?」
エルデは痛そうな顔で尻を押さえて立ち上がった。
「どうしたもこうしたも、お前が突き飛ばしたんだ。言っておくが三回も」
ナイトはぎくりとしてソーラを見た。
「……俺は姫に何か手荒なことをしませんでしたか?」
ソーラは意地悪そうな目つきでナイトを見上げる。
「……言わない」
「え?」
「君が誰に何をしようとしたのか言わないなら、僕も言わない」
「ええっ!」
脇がびしょびしょになるほど冷や汗が出た。
「い、いや、俺は……」
ぽんと肩にエルデの手が置かれる。
「ま、とりあえずは宿にでも行こう。もう夜更けだ」
(……お、おい)
罪人のような気持ちでナイトは教会を後にした。