国境の教会(ナイト)
翌朝、旅館の食堂で、むっつりと朝食を摂るソーラを見てエルデが不安そうな顔をした。
「さすが、吸血鬼の村だな、朝ご飯の飲み物がトマトジュースとは」
何とか気を引き立てようとしてか、彼はいつも以上にソーラに声をかけている。
(……エルデがいてくれてよかった)
ナイトはパンを割りながら心に思う。
「いや、なかなかに美味だ。トマトジュースにコラーゲンも入っているからたんぱく質も豊富で栄養バランスもいい」
エルデが声をかけてもソーラが頷くばかりで言葉を返そうとしないのを見て、ナイトは仕方なしに口を挟む。
「鉄分が足りない。吸血鬼らしくない」
「よくわかってるじゃないか。確かに俺もそう思った。俺が作るんなら、プルーンエキスを絞るだろうとな。ただし、体内での吸収が人間のようでなく、単純に鉄分の補給だけを問題にしているなら、鉄成分をそのまま添加するというのも手だ。たとえば砂鉄あるいはそれ以外の鉄化合物を用い……」
「……なるほど」
ナイトはわずかに苦笑する。
こういうタイプは人だとかあやかしだとかにかかわらず、発想が似るのかも知れない。
「ごちそうさま」
ソーラが立ち上がる。
「もういいのか?」
エルデが不安そうに聞くと、ソーラはにっこりと笑う。
「うん」
「今日はまた、教会まで逆戻りだ。しっかり食べておかないともたないぞ」
「大丈夫」
手を振って、ソーラは部屋への階段を上がっていった。
「何があったんだろう?」
エルデが首をかしげる。
「ソーラだけはよくわからない」
「怖い夢でも見たんじゃないのか?」
さりげなく言ったが、エルデは首を振る。
「翌日に持ち越さないのがソーラの特徴だ。むしろ……」
じろりとこちらを睨む。
「お前、何かしたんじゃないのか?」
「えっ!」
驚きのあまり、コップを落としそうになったがようやくのことで自制する。
「例えば、ソーラの大事な腐ったチーズを食ってしまったとか、あるいは食えないものと見なして勝手に捨てたとか」
「……そんなことはしない」
ナイトは立ち上がった。
「とりあえず、姫の用意が調ったら出発する。そう伝えてくれ」
エルデにそう言い残して外にでる。
(困ったことになった)
ソーラではない、自分のことである。
今までは、何とか誤魔化しながらうまくやってきた。
だが、気持ちを押しとどめられずに抱きしめてしまったとき、最早自分に嘘がつけなくなったのだ。
(……俺も、どうしようもないほど惚れている)
しかも、相手もナイトのことを好きだと言う。
(……困ったことになった)
よりによって、主君の跡継ぎ王子の婚約者であり、訳あって父王の意志に背き、男になろうとしている姫君である。
ソーラを手伝うにせよ見捨てるにせよ、何かを決める際にそれが私心でないと言い切る自信が今はない。
何を持って忠義であろうとするのか、それすらわからなくなっている。
「ナイト、お待たせ」
エルデがナイトに荷物を渡す。
軽い会釈で感謝を表し、ナイトは目の前の道を見つめる。
(とりあえずは、方針を変えずにまっすぐ進むしかない)
後ろにメンバーがいることを意識しながら、ナイトは歩き出した。
(……大義名分は用意されている)
もちろん、大魔王復活阻止だ。
自分が勇者だなどと思ったことは一度もないが、少なくともそのシナリオに沿って歩く限りは、恐らくひどく間違った方に行ってしまうこともないだろう。
それに姫君がどの程度の想いで自分に告白したのかは定かでない。
一時の気の迷い、あるいはままごとの延長かもしれない。
そもそも、男になるのだと言い続けてそれが揺らぐ気配もないところを見ると、その程度だと考えていいだろう。
(思いが勘違いだと姫自身が気づくまで、とりあえず俺の気持ちを封印するしかない)
道はやがて急なくだりにさしかかる。
登りの時よりも腰の筋肉に負担がかかると考え少しピッチを遅くしたが、エルデが転がるように下に進んでしまうので、ナイトはソーラと二人きりにならないように慌てて足を速めた。
「!」
途中、バッファローに襲われたり、数羽のロボット型ニワトリが自爆したりなどしたが、大した被害もなく歩き続けられるのは、それなりに全員レベルが上がったためか。
「お、町が見えてきたぞ、ソーラ」
エルデが嬉しそうに言った時刻は三時半。
昨日より一時間ほど早く到着した計算になる。
「あの樫の大木はいい目印になる」
三人横並びで崖の上から町を眺めながらエルデが言うと、ソーラは微かに頷いた。
「あれ、植えたの僕かもしれない」
「え?」
「……いや、何でもない」
そのまま彼らは町を通り過ぎて教会の門を再びくぐった。
と、
「あら、今日は素敵な金づる、いやもとい素敵なお方が三人もいらしたのね」
満面に笑みを浮かべたシスターが、突然つかつかとこちらに歩んできた。
「貴方達は運がいいわ」
シスターはつつっとエルデにすりよった。
「ちょうど先ほど改装工事が終わって、宝石展がオープンしたとこなの」
シスターはかぶっているベールを手で弄んだ。
「今日は記念特別キャンペーンとして、一人500Gのところ、三人パックで1000G」
あまりの値段にナイトが首を振ると、シスターは笑った。
「見ないと後悔するわよ」
と、エルデが頷く。
「ナイト、ここは入っておいた方がいい」
ソーラが首をかしげる。
「どうして?」
「ロールプレイングの常識だ」
言いながら、エルデは勝手にナイトの持っている袋から1000Gを取りだした。
「三人分だ」
シスターは微笑んでチケットを切った。
「好い判断したわよ、貴方」
仕方なしにナイトが宝石展と書かれた矢印に沿って歩き始めると、あろうことかシスターも一緒についてきた。
「こちらの宝石はクラクラ・スピネル、時を忘れるほど美しい尖晶石として有名です」
どうやら宝石のガイドらしい。
「このハート型の宝石は、下手に力を入れると二つに割れてしまうので扱いには注意が必要な……」
宝石に興味のなさそうなソーラは、何だかつまらなさそうに歩いている。
「不思議な色合い、そして雫のような形から、この宝石はビーナスの涙と呼ばれ……」
ふと、ソーラが立ち止まった。
そして、食い入るように宝石を眺めている。
不審に思ったナイトがソーラの頭の上からそれを見ると、
(!)
そこにあったのは黒い石。
「ほほ、お目が高い」
シスターがこちらの視線の先を見ながら頷く。
「それは呪いの石と呼ばれていて、近づくだけで呪われるため、特別に賢者に頼んで精製してもらった厚さ十センチの特殊メタクリル樹脂で囲っているんですわ」
「……呪いの石?」
「色んな逸話が残っています。この石を手にした善良な男が、突然周りの人間を切り裂いた話とか、前途有望だった青年が急に連続強姦事件を起こしたり、とか」
ナイトは眉間にしわを寄せた。
どうしてか酷く嫌な感じがする。
しかし、ソーラは頓着なかった。
「済みません、これ譲っていただくことってできます?」
「え?」
シスターは驚いた顔をしてソーラを見たが、すぐに意地悪そうな顔で笑った。
「無理に決まってるでしょう? こんないわく付きの宝石を人に譲るなんて」
「どうしても?」
「もちろん、どうしてもです」
と、エルデが一歩足を踏み出した。
「何かと交換という場合でも?」
するとシスターはますます意地悪そうな顔でエルデを見る。
「この宝石よりも優れたものがあるなら、考えないでもないですけどね」
エルデは口の端をかすかにあげた。
「ここにはビーナスの涙がある」
シスターの目が妖しく光る。
「なるほど、そういうことね」
「そういうことだ」
訳のわからぬ会話を二人は交わし合う。
「わかったわ。ビーナスの涙と対の宝石、スズメの涙。それならこの呪いの宝石と交換してあまりある。今は特に、スズメの涙が手に入らない状態にあるし……」
シスターはさらに笑みを深くする。
「ただし、それには条件があります」
「え?」
「スズメの涙を一週間以内に持ってくること。期間延長の場合にはスズメの涙に十万Gを揃えて出す」
エルデは青ざめた。
「それは……」
「駄目ならこの話はなかったことに」
足下を見るようなシスターの言葉に絶句したエルデだったが、替わりにソーラが大きく頷いた。
「わかった。スズメの涙だね」
「……うふふ、貴女みたいな子には無理だとおもうけど」
失笑したシスターを後ろに、三人は宝石展を後にした。
「どっちにしたって、時間があんまりないのは確かなんだし」
ソーラの強気の発言に、エルデが哀しそうな顔をした。
「さすがに一週間は無理だ」
「どうして?」
「スズメの涙は、天然記念物の紅孔雀というモンスターの巣で作られるが、その巣がどこにあるかは知られていない」
「え!」
「唯一、独立自治都市タイガーシティにある動物園に紅孔雀が飼われているから、そこを頼るしかないんだが」
ナイトがエルデを注視する。
「紅孔雀なのにどうして雀なんだ?」
エルデは上から目線でナイトを見る。
「スズメは古代の言葉で、紅孔雀を指す。正確な発音はシュジュメーが正しいんだが、今から278年前……」
ソーラがエルデの向こうずねを蹴る。
「……それで、どうして一週間が無理って?」
「……ここからタイガーシティまで歩いて六日かかる。そして、紅孔雀を狩る許可を動物園に頼んで、認めさせるまでに三日はかかる」
つまりは九日かかるということか。
「だけど、最悪十万G積めばいいんでしょ?」
ソーラは北東に向かって歩き出す。
「だったらとりあえずスズメの涙だけでもゲットしなきゃ」
もっともな話だったので、エルデとナイトはソーラに並んで歩き出した。