暗い爪
【ヴント】
「列車を降りる」
車両に戻って来たばかりの旭は、それを聞いて、力の抜けたため息をつくと、唇を突き出した。
シモンはちらりとこちらの顔を見て、自分の荷物をまとめに行く。不満はあるのだろうがが、言っても仕方がない現状は理解しているのだろう。
風穴が開いた車両の通路を車掌が時折忙しそうに往復している。
機械工達は、改めて呆然とした様子で破壊の跡を眺めている。
脇に座っていた機械工の一人が思い出したように顔を上げる。
「ドリダ、お前んち近いんじゃないのか」
気を抜いていたドリダは驚いた様子で顔を上げた。声を掛けた機械工の方を見ると、黙って頷く。
「里帰りついでに目的地まで送ってやったらどうだ?」
ドリダは納得が言った顔で頷いた。故郷に帰れるのが嬉しいらしく、顔をほころばせている。
荷物をまとめた旭とシモンが後ろで話のなりゆきを見守っている。
「俺についてくると、危険かもしれないぞ」
「危ない事があるようだったら、君達と別れて故郷まで行くよ」
そうして、ドリダが荷物をまとめるのを待って、共に運航停止した列車を後にして歩き始めた。
すると、背後からもう一つせわしない足音が聞こえる。
振り返ってみれば、老人が荷物も持たずに自分の真後ろに立っていた。
「……どうしたんだ」
老人は何も答えずにこちらの胸元辺りをじっと見つめている。
何の用があるのか解らず困っていると、先頭を少し離れて歩いているドリダが振り返って、叫んだ。
「じいさんも来るかい?」
結局老人を後ろに連れたまま道を行く事になる。
しばらく線路に沿って草原を進んで行くと、脇に砂利道が合流する。
その砂利道をしばらく歩いていると、駅が見えてくる。発着の為のコンクリートの歩廊に小さな赤い屋根の小屋が付いているだけで、簡易なものだ。
その向こうには店や住宅が並ぶ小さな町がある。
ドリダは警備の見当たらない駅の柵を乗り越え、駅舎に勝手を知った様子で入って行った。誰かに電話を掛けている。
レンガ造りの一室が休憩室になっている。旭とシモンはそちらに入って、椅子に腰掛けた。
老人はこちらを見ないようにしながらも、一定の距離を保って付いてきている。
しばらくすると、ドリダも部屋に入ってきて、旭の横に腰掛けた。
「今迎えが来るから」
「どれぐらいで来る」
食い気味で聞き返すしたからか、ドリダは少し驚いた顔をした。片目を半分閉じながら、思い出そうとしている。
「そうだな……20分ぐらい」
シモンは両手を左右に広げて伸びをすると、眠そうに頭を前へ傾けた。
穏やかな風が駅舎に吹き込む。
旭は目を細めて、風を受けた。長旅で疲れているらしく、珍しく黙り込んでいる。
二人とも小さな子供がするように口を閉じたまま、ゆっくりと何かを噛むような動きをしている。
どうやら三人には、事態の大変さが解っていないらしい。
「また急ぐの?」
旭はのんびりとした口調で言い切ってから、こちらを見た。
「ジンコウエイセイ……良く解らないが、ともかくヴォイニッチ家にはこちらの場所を調べる特殊な手段があるらしい。
追手の動きをみていると、その情報を大勢と共有している訳ではないかもしれないが」
壁際の椅子に座って待っていると、壁の外にエンジン音が近付いてきて、駅舎の前で止まった。
ドリダが立ち上がり、ドアの外へ出ていく。
荷台の付いた大きな車からドリダに目元がよく似た小太りな女性が降りてくる。
女性は小走りで駅舎の入り口までくると、ドリダの肩を抱いた。
「おかえり、ドリダ」
「ただいま、アキおばさん」
女性は後ろにいるこちらやシモン達には笑顔を向けただけで、何も言わない。
慣れた様子で、車の荷台に乗るように急かして来る。
「あら、お久しぶりね、おじいさん」
ドリダが里帰りに老人を連れて来るのも、友人を連れて来るのも珍しくないらしい。
駅舎のある街の外には草原が広がっていた。
枯れたような黄緑の平面に、時折背の高い草や木が生えていて、まばらに砂っぽい地面が見えている。
二人は車に乗ってしばらくすると、目を閉じて眠ってしまった。
車は舗装された道を進んでいたが、時折体を跳ね上げるように揺れた。それでも二人が起きる様子は無い。
結局、半日ぐらいかかってようやくドリダの故郷にたどり着いた。
来る途中の道の外が見渡す限りの草原だったので、さぞ深い田舎だろうと思っていたが、着いてみれば、舗装された道もあれば建物も多い小さな町だった。
背の高い建物は無いが、二階から三階程度でコンクリート壁の建物が並んでいる。塗装の色は明るくでたらめで、所々砂で白っぽくなったり、剥げたりしている。
あたりが暗くなり始めると、明らかに数が足りていない外灯が間隔を置いて、道を照らす。
町の中心まで進んで、大きな交差点を曲がり、そこからまた草原に臨む町の外側まで進んで、車は止まった。
黄色い壁の平屋が建っている。中からは子供の叫ぶ声と走る音が聞こえて来る。
ドリダは車を降りると、機嫌の良さそうに小走りして、裏口のドアを開けた。
ドアの奥で台所に向かっている女性が見える。アキおばさんと同じ様に小太りで、目が少し大きいが、その形はやはりドリダに似ていた。
女性は振り向いてドリダの顔を見ると、小さく微笑んだ。まるで散歩から帰って来たぐらいの感慨しかないように見える。
「ドリダが帰ったよー」
女性が大きな声で叫ぶと、一緒に台所に立っていた二人の女性がドアの方を一瞬だけ覗きみる。
別の部屋から音がして、今度は数人のドリダと同じぐらいの歳の青年が顔をのぞかせた。ドリダの顔を見ると、それだけで満足したように手を振って部屋に戻っていく。
追いかけっこをしているらしい男の子が二人、ドリダにお構いなしな様子で歓声を上げながら、ドアの前を横切った。
老人が突然素早く動いて、建物の中に入る。
老人を見た子供達が駆け寄ってきて飛びつく。老人が力加減もせずにその頭を撫でまわすと、子供達はまた歓声を上げた。
「あー、おじいさーん」
女性が鍋から手を離さず、わき目に老人を見ながら嬉しそうな声を上げた。
シモンはちらりと部屋の中を覗いて、草原の方を向くと、欠伸をしながら、大きく伸びをした。
遠慮なしな様子で、旭が部屋に入って来る。
「おじいさんは良く来てるのね。あんな乱暴なおじいさん、子供は大丈夫なの?」
「大丈夫。大人の男しか殴らないから」
ドリダはそう言いながら、苦々しい顔をした
旭の後に続いて、部屋に入る。
ドリダが部屋のソファに座ったのを見て、シモンがその横に座った。手すりに体を預けて、また目を閉じる。
「あー気持ちいいぜ……」
「良い所だろー」
シモンとドリダは半分眠りながら喋っている。
老人が台所前の椅子に座った。
体が疲れていたので、周りの様子を気にしている余裕もなく、自分も椅子に腰を降ろす。
しばらくして、急に子供達が居間の小さな窓にしがみついて騒ぎ出す声で目が覚める。
「アーロンおにいいいいい!」
「アーロンおにいいい!」
近寄ってみると、窓の外に草原から何かが近付いて来るのが見えた。
大きな体躯の男が大きな馬に乗って、こちらに走って来る。
夕闇の中でも解るような鮮やかな赤い服を身にまとっていて、いかにも勇壮な遊牧民族といった様子だ。
近付いてくるにつれ、異様な風体をしているのが解る。
現代風の衣服の上に民族衣装を身にまとい、腰には様々な宝石や装飾具と共に携帯端末を吊り下げている。頭にはサングラスが見えた。
「おおう、帰った。帰ったぞ!」
町中に聞こえるような大きな良く響く声で叫んで、男が屈みながら部屋に入って来る。
体つきや髭の生えた顔からして二十代の後半か三十代に見えたが、頬は子供のように赤らんで艶がある。
表情すらも子供のようで若々しい。
男は大きく鋭い切れ目で部屋の中を見下ろした。
こちらや旭に気付くと、驚いた後、少し照れた様子で笑った。
「ありゃ、またドリダのお客か! ……じいさんも来てるんだな!」
気付くと、今の床に沢山の料理や酒が並んでいる。
男はこっそりとその皿に手を伸ばして、肉料理をつまんだ。
台所の女性達が怪しんで、ちらりと男の方を見るが、男は何食わぬ顔でその場に座った。
「ドリダの客にかわいい女の子がいるなんて珍しいな。いつもはじいさんと仕事仲間ばっかりじゃないか」
そう言って青年が旭の方を見る。
シモンが鼻で笑って、旭の方を見た。
「これがかわいいって……」
旭は言われて当然といった態度で照れるでもないが、気分がよさそうに微笑んでいる。
部屋に家族が少しずつ集まってきて、あっという間に十数人が料理を囲んだ。
旭とシモンが口を半開きにして、ドリダの隣に座ると、料理をしていた女性の一人が一番奥の上座に座るように促す。
後ろからドリダのおばさんに背中を押されたので、自分もシモンの隣に座った。
「君らじいさんの訓練を受けてるのか?」
青年がシモンとこちらを見ながら言った。
ドリダが割って入る。
「アーロン、皆は列車で偶然友達になったんだ。じいさんの弟子じゃないよ」
「へー」
「すごかったよ。列車が軍に襲われて、何とかこの二人が追い返したんだ。でも、列車は止まっちゃって、折角だから久しぶりに帰って来た」
「なんだそりゃ」
ドリダが楽し気に話す間、アーロンは相槌を打ちながら、様々な料理をつまむ。
シモンが男の真似をして料理をつまもうとするので、手で制する。
しばらくして、ドリダの母親らしい女性が席につくと、皆が料理に手を出し始める。
喉が渇いたので、手元に置かれたコップを手に取る。
黒に近い程濃い紫の液体が注がれている。
口にしてみると、見た目の通り恐ろしく甘い葡萄の味がした。
「どんどん飲め飲め。どんどん食え」
アーロンが隣に座っていた青年を押しのけて、隣に座ると、コップに飲み物を注いでくる。
旭がこちらを飛び越して、男の方を覗く。
「馬に乗ってどこに行ってたの?」
「俺達は遊牧民族だから。何はなくとも馬には乗るんだよ」
「他には馬なんか見なかったけど」
「町で暮らすようになってから乗る奴も少なくなってるからなー」
どうやらこの男は生活の必要に迫られてというより、ただの酔狂で馬に乗っているらしい。
旭は興味深そうにアーロンの話を聞いているので、席を変わってやる。
シモンも無愛想にしているが、時々二言三言青年達と言葉を交わしては、時々小さく笑っている。
自分はと言えば、時折男の質問に答えたり、ドリダの母親と話しながら、たまに料理に手を伸ばして過ごした。
ふと気付くと、体が熱く、視界がかすむ。
しまった。
小さく呟いて、コップの匂いを嗅ぐ。
甘い匂いにごまかされているが、かなり強い酒だ。
いつ敵が来るか解らないのに酒に口を付けている場合ではない。
既に自分がかなり酔っている自覚があった。
隣で楽し気にしているシモンと旭を見た。
真面目に物を考えるのが馬鹿らしくなり、急に力が抜けて、肩を落とした。
こっそり席を立つ。気を使われぬように出来るだけ平然とした態度をするよう気を付ける。
裏口から建物を出て、夜風に吹き付けられる。闇の中で風に揺れる草原がまるで海のように見えた。
「おい! 寂しそうに何をやっているんだい!」
急に肩に手を置かれる。振り向くと後ろにアーロンがいた。
「友達は二人とも楽し気なのに浮かない表情で……ひょっとしてやきもちを焼いているのか!」
巨体のアーロンがしなだれかかってきて、無理矢理押さえつけられるように地面に腰を降ろす。
一方的にしゃべり続けるアーロンの顔を見る元気もなく、黙っていると、アーロンが急に落ち着いた声を出した。
「あの二人が好きかい?」
少し頭の中で考える。
「ああ」
返事が滑らかに出た事に自分でも驚く。
少し間を置いて、アーロンは何も言わずにこちらの肩を叩いた。
相手の顔を見ると、にやついた顔でこちらを見ている。
そのままアーロンは楽し気な様子で部屋に戻って行った。
「うぉおい。何やってんだてめぇはぁ?」
入れ違いのように、いつもより声の大きなシモンが部屋から出てくる。
おぼつかない足取りで、大げさに手を振り回りしているのがまるで踊りのように見える。
シモンはそのまま転ぶように、隣に腰を降ろした。
「陰気くせえなぁおめえは! また一人で! こんな所で!」
地面に寝転がって、シモンは怒鳴っている。
広い静かな草原の中で一人で吠えるシモンが面白くて、何故か笑ってしまう。口の隙間から吐息が漏れる。
シモンはそれに気づいて、目を丸くした。
「お前、今笑ったか?」
黙っていると、シモンはじっとこちらを見続けている。
気まずいので、相手を褒めてみる。
「お前はすごい。魔法の力で無理矢理人型兵器を動かすなんて思いもよらなかった」
顔を正面から少しだけシモンの方へ傾けて、そう言うと、シモンはこの世のものではない何かを見るような顔をした。
人のいる気配がして振り向くと、恐ろしいものを見るような目で旭がこちらを見ている。
「すごい。ヴントが人をほめてる」
その後は、部屋に戻って、酒には口を付けない様にしながら食事をして、やり過ごした。
そうして数時間が経ち、いつの間にか眠ってしまう。
目を開けて、周囲を見れば、皆そのまま床に眠りこけている。明かりが消され、周囲は真っ暗だ。
まだ夜だと思って寝返りを打つと、窓から青白く淡い光が差し込んでいるのに気付く。
遠くから乾いた音が聞こえる。
幻の中にいるような気分のまま、ドアの外へ出ると、遠くで二つの影が組みあっていた。
近寄ってみると、それがアーロンと老人である事がわかる。
「おお、ヴントか! おはよう!」
アーロンは老人の蹴りを受けながら、朗らかに答えた。
アーロンの巨体から繰り出される拳を老人は平気な顔で受け長し、時折腕で防いでいる。服の袖から時折見える腕が恐ろしく太い。
「組み手か……」
「やってみるかい?」
アーロンに誘われて、歩み寄る。
一息ついたようで、老人は歩きながら建物の方へ戻っていく。
「よし行くぞ!」
アーロンは少し足を曲げ低く構え、加減無しに右手で突きを放って来た。
咄嗟にいなすが、すぐに左手の突き、右手の突きと続く。
肘を当てるようにして押し返し、アーロンが一瞬ひるんだ所で相手の腕を自分の逆側の手に抑え付けて、捻り落とす。
「おお」
アーロンが感嘆の声を漏らした。しかし、それでも落ち着いた様子でこちらの力に逆らわず、それに合わせて巨体を器用に回転させる。
そして、すかさず上段に蹴りを打ち込んで来る。
躱しきれない。そう覚悟して受け身の体制を取ろうとしたが、アーロンはそこで足を止めた。
「やるじゃないか。今のは柔道かなんかかい?」
どうやら俺は負けたらしい。
思い出したかのように、嫌な汗が頭の上や首からかいている。
「家で教えられた技だ……詳しくは俺も知らない」
「ふーん、じいさんに格闘の稽古つけてもらえよ! 強くなるぞ」
やり切ったという顔でアーロンも建物に戻っていく。
恐怖と好奇心が入り混じって、心臓の底を突いてくる。魔眼も機眼も使ってないとはいえ、格闘で追い込まれるのは初めてだ。
この旅が終われば、そういう事もいいかもしれない。
ひとまず今は、出るだけ早く移動する必要がある。
朝になって、旭とシモンを起こし、車に乗り込む。
ドリダが運転席に座ると、老人が荷台に上がってくる。小動物のような素早さでこちらの隣に収まり、背中を丸めて座った。
「おじいさん! ついていくんですか?」
ドリダの母親が叫ぶが、老人は荷台の上で座り込んで黙っている。
ドリダが首をひねって、振り返る。
「珍しいな。いつもは列車と家以外の場所には行きたがらないのに」
老人を乗せたまま車が走り出した。
しばらくして、小さくなった街を背後に見送る。
背中を倒し気味に座っていた旭が何か思い出したように体を起こした。荷台から運転席の壁を叩く。
「そういえば、アーロンは?」
「朝に馬で出かけたよ」
旭はふざけ半分な様子だったが、つまらなそうに唇を尖らせた。
かなりの長い時間走った頃、吹く風が少し涼しくなって来る。遠くに針葉樹の林が見え、そのさらに奥に山が現れていた。
事前に聞いてはいたが、時折車に給油したり、休憩を取りながら、移動には一日以上かかった。
再び日が昇り切った頃、ようやく目的地たる石造建築の群れが見えて来る。乾いた薄茶色の街並みの対照で、瑞々しい青空がやけに美しい。
町へ入っていく時、また家からの追手がいるのではないかと警戒したが、特に監視の目などは無いようだった。
町の中心にある巨大なドームの天井を持つ建物に向かって歩いていく。
「確かアーロンがじいさん初めて会ったのはここなんだよね」
ドリダが脇に並ぶ土産物屋を眺めながら言った。
横にいたシモンが少し後ろを歩いている老人を見る。
「あのじいさん、ここの出身なのか?」
「さあね。じいさんは何も言わないから。
アーロンが旅行中にこの街で暴漢に襲われた時助けてくれたんだって。行く宛も無いみたいだったから、アーロンがお礼に家に連れてきたんだよ。
それでアーロンはじいさんの強さをみこんで稽古をつけてもらうようになったんだ」
ドームまで続く大通りに出た。
相変わらずこちらを付け回す人影も無ければ、怪しい視線を感じる事も無い。
しばらくすると、目的の建物へ続く脇道との交差に差し掛かった。歩調を緩めて立ち止まる。
「連れてきてくれて、ありがとう。二人はしばらくこの辺で帰った方が良い。追手に俺達が二人と一緒にいる事を知られると面倒だ」
ドリダは老人の方をちらりと見てから、黙って頷いた。名残惜しそうにこちらを見ている。
旭が老人の手を両手で握って、別れの挨拶を告げた。老人は見向きもせず、道を行く通行人に気を取られている。
こちらが脇道を進み始めても、老人はその場に立ち止まり、その横でドリダはこちらを見送っていた。
道のすぐ先に大きな協会が見えて来る。
少し離れた歩道を通行人は普通に歩いている。目立つ建物だというのに周囲に誰かが近寄る様子も無い。
門をくぐって少しの所に立ち止まっていると、老婆が建物から出て来る。
「申し訳ありません。しかし、今日は開放日ではありません」
「EMMAの社長の知り合いです。既に連絡が入ってると思いますが」
老婆がこちらの顔を見てから、怪しむように後ろの二人を見た。
「承知しました。どうぞ」
建物の奥に通される。
広い通路と高い天井が目の前に広がる。左右に並ぶ柱の上には、こちらを見下ろせるような中二階の通路がある。
全体に装飾は少なく、派手さは無い。
当然ながら静かで、自然と口を開く気が無くなってしまう。
「ねえ、ここネイル教の教会でしょ? なんで私達だけ入れるの?」
旭が歩調を速めて、横に並んでくる。
老婆はこちらを気に掛ける様子もなく、奥へ進んでいってしまう。表情からすると、こちらの訪問を煩わしいと感じているのかもしれない。
「EMMA社の社長に言われて、ここに行くのが俺の目的だ」
「何の為に?」
「ここにあるはずのものを調べる。俺も何があるのかは良く解ってない」
老婆に合わせて、早足で歩きながら言う。
旭は納得したのかしてないのか、曖昧な相槌を打って黙った。
礼拝堂の奥の祭壇が近付く。
祭壇の壁に描かれた絵の前で旭とシモンが立ち止まる。
老婆は一瞬面倒そうな顔をしたが、ため息をつくと、無表情で二人を見守った。
平面的な構図の絵で真横に並んだ男と巨大な目が描かれていた。男の後ろには、両者を見守る群衆がいる。
男は手に先の鋭い釘のようなものを持ち、それを目に突き刺そうとしているようだ。
急かすような老婆の視線に促されて、祭壇の左手へ歩き出す。
老婆は脇の扉を開けて、奥へ進んだ。
途端に雰囲気が変わる。
壁も床も精密に切り分けられた表面の滑らかな石に囲まれている。建築様式が違うと言えばいいのだろうか。
質素や淡泊を通り越して、無機質さや機械的な作為を感じさせる。
暗い通路の角を曲がると、また通路が続いていて、その途中に部屋の入口が見える。
老婆はそこを素通りし行ったが、こちらが前を通る時になって、急に立ち止まった。
「この部屋が何かお分かりですか?」
先程までこちらに興味がない様子だったのに、老婆は口元に意地の悪い笑みを浮かべている。
暗い部屋だが、よく見ると、かなり奥行きがあり、正確な直方体の形をした石が無数に並んでいる。石は腰のあたりぐらいの高さだ。
今いる狭い通路は、この巨大な部屋を迂回するように作られているらしい。
「石棺……」
老婆はこちらの答えを聞くと、決して友好的でないものの、嬉しそうな笑みを浮かべた。
かすれた咳のような笑い声が通路に響く。
「いいえ。これは生きた人間の寝床でございます。これは抜け殻病の人々の住居です」
老婆は少し引き返して、部屋の奥へ入って行った。
どこに重要な情報があるか解らない。余計な寄り道とも思えないので、老婆の後に続く。
老婆が広い部屋の壁の前で立ち止まった。
部屋の壁に絵が彫られている。簡易な線で描かれた男が剣を持って向かい合っている。
礼拝堂に有った祭壇の絵のような、表現技法としての古い絵とはまた違う。
子供の悪戯のようなそれは周囲のそれとはちぐはぐで、建築した際に意図的に作られたものではないと解る。
「何これ……」
旭が不快な顔をして、シモンの後ろにさりげなく隠れた。
老婆は浸るような顔をして、目を潤ませた。ため息をつくと、再び口を開く。
「ここは古来より抜け殻病の人々の養護施設だった、というのが表向きの話でございます。実際は収容所に近いものでしたが」
「収容された人が描いたものですか? 何かの物語の一場面のようですが」
当時の人間と今の自分の感覚が同じではないだろう。
それでも、この陰鬱で冷たい空間で誰かがずっと生活していた、と想像するのは、あまりに気分が悪い。
「いいえ……これは彼らの内の一人が彼等自身を描いたものです」
老婆はあえて大仰な含みを持たせた言い方をしている。
こちらからは意図を汲みかねる。
旭やシモンは言ってる意味が解らない様子で、お互いの顔を見合わせ、こちらを見て来た。
老婆はまた一息をおいて、話し始める。
「ここは抜け殻病が生まれた場所です。抜け殻病の人々が収容されたのではなく、ここに収容された人々が抜け殻病にかかって行ったのです」
「……というと」
「釘の儀式、楔の儀式と呼ばれていた祭事がありました。
ヴォイニッチ家に伝わるネイル教からすると異端でしょうが、古来より私達のネイル教の一派は軍事的な目的のためか、強い兵士を作り出す事に執心してまいりました。
食べ物に困り、放り出された育ちの遅い子供や精神病の患者などを教会が預かって、厳しい訓練をさせていたのです。
普通の人間が死にかける鍛錬や到底詰め込めない量の知識を学習させていました」
隣でシモンは嫌悪感から来る興奮と恐怖を滲ませて、言葉にならない声を漏らしている。
老婆が何を言っているのか解らない。体が芯から冷えていくような感覚だけがあった。
こちらを向いていない老婆の顔から目が離せなくなる。
「過酷な生活ですから当然ほとんどのものが途中で死ぬか、廃人になってしまいます。
ごく稀に異常な力を持って訓練を生き残る者がありました。大抵は気が触れているか、ひどく無気力でしたがね」
「なぜそんな人々に訓練を? 危険なだけに思えますが」
「理由は解りません……私達はそうでなくてはいけない、と教わっていました」
ふと違和感に気付く。
老婆の語調を聞いていると、歴史の話というより、現在進行形で自分の事を語っているように聞こえる。
「それはいつ頃まで続いていたのですか」
うっとりとした顔でずっと壁の絵を見つめていた老婆の目が輝く。
「30年以上前です。ようやく一人の男が成功例としてこの施設から出ていきました。あなたも良く知っている男ですよ。……あれは私達の子供のようなものです」
老婆は恍惚とした表情で誇らしげに顔をあげると、こちらを見た。
老婆が話し終わる前にもう察しはついていた。
この教会にこれたのは、俺にここに来るよう指示したあの男が手を回したからだ。あの男がこの施設と関わりを持っていたからこそ出来た事なのだろう。
老婆の雰囲気と見たものに圧倒され、その場で立ちすくんでしまう。
「まあ本題はこちらではないでしょう。こちらへおいで下さい」
老婆はこちらを置き去りに部屋の外に出たので、こちらもそれに続く。
暗い通路の先でもう一度角を守ると、巨大な鉄の扉が現れる。老婆はそれを両手で押し開けた。
最初、それが何なのかすぐには頭が理解できず、大きな布きれのように見えた。
やがて異様なものが目の前に現れた事に気付く。
透明で巨大管の中に人間が浮かんでいる。袖や裾の広い服をたゆたわせて、目を閉じたまま水の中で眠っているようだ。
「きゃあ!」
部屋に入って来た旭は悲鳴を上げて部屋の外へ飛び退いた。壁にすがってこちらの様子をうかがっている。
あの島で見た巨大な目の事を思い出す。
管の中の女は大きく動きはしなかったが、わずかに腕や首が上下しているのが解る。生きているのだろうか。
そして、呆然と見つめる内にもう一つ別の事に気付いた。女の顔は、自分の母親の顔にそっくりだった。
不意に甲高く鋭い足音が後ろから近付いてくる。
いつの間にか老婆は部屋から出て行っている。
「あー、いたいた! 全くどこにいっていたんです、ヴント!」
生地の薄く線の細いコートを着た女が角を曲がって、部屋の入口に現れた。
抑揚のないわざとらしい歓声を上げながら、それは近付いて来る。
ガラス管の中に浮かぶ顔の面影が目の前に迫ってくる。
「……母様?」
母親は曇りない笑顔をこちらに向け、手をこちらの肩に伸ばす。
無意識に片足を引いて、その手を躱す。何の意図もなく、気付けば体がそう動いていた。
それを見ていたシモンと旭が驚いて、こちらを見ている。
母親はふざけ半分な様子で肩をすくめると、旭とシモンの方を見た。
「この子ったら旅に出るって言って、家をいきなり飛び出したのよ! もう言ったら聞かないんだからー」
こちらの反応などなかったかのように素早く表情を切り替えた母親は、その場で急に早口にまくし立てた。
シモンは流されるようにして頷いた。
「あ……はぁ」
母親はさりげなくシモンの腕に付いたゴミを指の先でつまんで、取り払う。
そして、今度は旭の正面に近付いた。
「あらー、こんな可愛い子と旅をしているの? あなた、どこから来たの?」
「日本です」
「あらー、私昔に日本に行った時に食べたラーメン大好きだったわー」
旭はこちらが戸惑っている様子を不審そうに見てから答えた。
母親が話しながら、旭に手を伸ばした瞬間、この不気味な空間に対して感じていた不快感とは別の恐怖が湧き上がってくる。
心臓を素手で掴まれて、ゆっくりと爪を立てられているような気分だ。
母親は旭の髪と肩に触れ、不意に真顔になってこちらを向いた。
「じゃあ私は、街のホテルにいるわ。後から来なさいねー」
母親は大きな声で念を押すと、満足した様子で部屋を出て行った。
母親の背中を見送る沈黙が過ぎると、シモンが近付いてくる。
「お前家出して来たのか?」
シモンが腕を組んで、からかうような口調で言った。
こちらが何も言えず黙っていると、面白がって笑う。それでも黙り続けていると、不審そうな表情で肩を叩いてくる。
旭もこちらに何か言おうと顔を覗きこんで来た。かと思うと、突然息を呑む。
「いやあああああ!!!!!!!!!!!」
広い空間に悲鳴が反響する。
ゆっくりと旭の見ている方向へ振り返ると、管の中の女が壁両手をガラスに押し付けて、こちらを覗きこんでいた。
正確には覗きこんでいると言っていいのか解らない。女の顔には眼球が無いのだ。
ただ二つの暗い穴とその奥のむき出しの粘膜がこちらに向いている。
どうして位置がわかるのだろうか。間違いなく、シモンや旭ではなく、こちらを向いている。
「なんだ! どうなってんだ! これ動くのか?」
シモンが後ずさった。
管の中で女が無邪気に歯を見せて笑い、はやしたてる子供のように壁を叩く。
老婆は部屋に入ってきて、動いている女を見ると、歓声をあげた。
「ああ! ソラト様! ソラト様!」
ガラス管の足元に膝をつき、一心不乱に祈っている老婆の横で、誰もその場を動けない。
間をおいて、ようやく頭が整理されてきた。
「なぜ、ここにあの人がいるんです」
老婆は地面を向いて、唾をまき散らしながら感嘆と祈りの言葉を唱えている。
十数秒経っただろうか。老婆はやがて落ち着いて、口元を拭くと、上半身をを床に引きずって腰を起こした。
そうして憎々し気にこちらを見て、指差す。
「あれは……あの男は私達の手を離れた! 始末しなければならない。お前に邪魔される訳にはいかない」
それまででは考えられないような低いしわがれた声で老婆はそう言った。
呆然としたまま老婆と数秒睨み合った。
状況に気付いて、すぐに出口に向かって歩き出す。
「急ぐぞ!」
シモンと旭は顔を見合わせて、後から付いてくる。
入口の礼拝堂が見えて来る。
「……すまない。建物がおそらくヴォイニッチの人間に囲まれている。逃げ場がない。
俺が先に建物を出る。少し遅れて出たら、能力を使って全力で逃げろ。
この街にもEMMAの支社があるはずだ。そこに着いたら、ここで起きた事を話すんだ。
それと、全部済んだら……」
「はあ? 突然どうすんだよ!」
シモンの声には答えず、全速力で出口から飛び出す。
突然爆発音がして、途端に周囲が黒い煙に包まれた。
真横から流れるように頭や足に打撃を受けて、地面に膝をつく。そうして、何が何か解らないまま、背後から目隠しをまかれた。
まだ礼拝堂にいるであろうシモン達の方を見る。
「俺を助けてくれ」
そう叫んだ瞬間、視界のない闇の中で体が地面に叩きつけられた。