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邪気眼ダンス  作者: OnJ
8/14

アデル

【誓】


 くすぐるような風が吹いて誓の鼻が小さく動いた。誓は犬や猫がするように手で顔を何度も拭いながら薄目を開ける。

 誓は自分が木で出来た小屋の中にいる事に気づく。

 ぼんやりとした意識の中で自分が巨大樹の森の上の方から落ちて来た事を思い出した。


「何でもいい。出来る限り、枝をつかめ!」


 機眼にそう指示されて、体のあちこちを枝にぶつけながら必死に腕を伸ばしていた所で誓の記憶は飛んでいる。

 自分は死んでいしまったのだろうか。周囲の景色は特別華やかでも神秘的でもないが、存外、死後の世界とはこういう場所やもしれぬ。

 誓は頭でそんな事を呑気に思いながらも、少し慌てた様子で半腰になり、周りの様子を伺った。

 窓の外から幹の太い木が果てしなく立ち並んでいるのを見て、とりあえずここが死後の世界ではないことが解る。

 靴の下のやわらかい感触に気づいて、下を見れば、巨大な山猫の毛皮をそのまま広げた絨毯がある。

 部屋の中を見渡すと、隅の机で何やら毛の塊がもぞもぞと動いている。

 どうして今まで気付かんなかったのか。誓は警戒し、いつでも逃げ出せる体制のままその物体を見守った。

 近いが息を飲んでいると、突然、毛の塊が盛り上がった。誓の方に目や鼻らしきものを向けている。

 誓は飛び上がって駆け出そうかとするが、その瞬間その大きな毛玉が喋り出す。


「ああ、気が付いたのか」


 声の調子から敵意が無いように感じて、誓は恐る恐る振り返る。

 誓はその毛の塊が犬の顔をした人間に近い生き物である事が解った。茶色い巻き毛の中から黒目が覗いている。


「あ、ああ……あの、あれ、俺は……どうなったんだ?」


 犬の顔が笑うと、それに合わせて口の周りの毛が柔らかく浮き上がる。

 その奇妙な生き物は足を伸ばして、立ち上がった。ちょうど誓ぐらいの背の高さがある。


「君は巨大樹の上の方から落ちて来たんだ。それで俺達先住民の村がある階層に引っかかった。俺が助けなかったら大変だったんだぞ。

獣に食べられたかもしれないし、凶暴な他の部族に襲われたかもしれない。俺の部族の他の奴に見つかったんだとして、殺されないにしても、もう少し面倒な目にあってた、と思うねぇ」


 犬人間はそう言いながらも一歩一歩とこちらに近づいており、誓は戸惑った。濡れた黒い鼻がもう目の前にあり、時折誓の鼻に触れる。普通の人間が会話をする距離感ではない。

 肌寒さで自分が服を着ていないことに気付く。胴や腕、足の至る所に包帯が巻かれている。

 そう気付いた瞬間、思い出したかのように体が痛み始めて、誓はよろめいた。


「おいおい! 大丈夫か?」


 犬人間が駆け寄ってきて左から右からと駆けまわって誓を支えようとする。

 誓に肩を貸しながら犬人間はソファまで歩いた。 


「すまん。もう少し休ませてくれ」


「良いよ。そんなこと。君この辺に迷い込んでくるって事はエマ社の基地から来たんだよね? 名前は?」


「誓だ」


 誓は自分が先程まで寝転がっていたソファに再び腰掛ける。

 改めて見渡してみれば部屋の中はポスターや本、雑誌など暗黒大陸のものではないものに溢れ、先住民族の住処とは思えない。

 誓は壁のそれを眺めながら、横になる。

 犬人間はソファの前に机代わりの台を寄せるとそこに深い器に入った汁っぽい料理を出した。


「人間達の場所にはその気になれば一日で帰れるよ。ただし、周りの目に見つからないようにしたり、野蛮なのに襲われないように準備がいるね」


 誓はゆっくりと起き上がり、器の中を覗き込んだ。中では白濁した液体の中に浮かぶ植物の根や動物の肉のようなものが見える。 

 犬人間が誓に手で押し出すと、誓は両手で器を掴んで、それに口を付ける。


「これ、シチューか」


 誓は安心して、一瞬のうちにそれを平らげた。

 チーズのコクを感じる絶品だ、と誓は思う。植物の根のようなものは、芋やにんじんの仲間だったらしい。

 犬人間は食事の準備が終わると、机に戻り肘をついて雑誌を読み始めた。雑誌は湿気で紙が黄ばみ、色が薄れている。

 誓はする事がなくなり途端に不安になる。険しい顔で空になったシチューの器を睨みつける。

 静かになる遠くの甲高い獣の声や虫の羽音が小屋の中にも聞こえてくる。


「準備ってどれくらいかかるんだ?」


「君の体が完治するのに数日、その間に要領よく協力者が集められて、日程が合ったとして一週間弱って所だね」


 誓はため息をついてソファに寝転がった。

 目をつぶっても眠る事ができず、時々目を開け、周囲の景色を見ながら数時間過ごした。

 夜になると、小屋の中は薄暗くなったが、外から光が入ってくる。

 誓は起き上がって、ドアの外に首を出す。眠らずとも少し横になっていたのが良かったのか、体は先程よりは自由に動く。

 小屋の前からは大樹の枝が橋のように下にむけて伸びていた。その先に沢山の枝や葉がからみ合って皿のような形になった広場のようなものがある。

 そして、その広場からまた四方八方、上下の不規則な方向へ枝の橋が架かっていて、他の家につながっているのだ。

 広場を囲むようにして街灯のようなものがあるのが誓を見た。どうやら光はそこから来ているらしい。

 

「外、出てみるかい? ええと名前なんていったっけ?」


 誓は驚いて、犬人間の方を見た。


「いいのか? 俺が居るってばれちゃまずいんじゃないのか?」 


「別の部族の旅行者に変装するんだよ」


 犬人間は隣の部屋へ行くと、黒い獣の毛皮を持って帰ってきた。 


「これ……なんだ?」


「でかい黒豹の皮で出来たコート」


「これで変装になるのか?」


 誓は毛皮を羽織ると、首の後に頭巾が付いてるのが解った。被ると丁度顔の上半分が隠れ、獣の目にあたる部分の穴から周りが覗けるようになっている。

 犬人間が誓の後ろに回って服の裾を直してくれる。  


「魔族は見た目が千差万別だからね。ちょっと人間よりの魔族ぐらいには見えるよ」

 

 小さな鞄を肩にかけると犬人間は広場の方へ降りていった。

 誓はゆっくりとその後を付いて行く。

 向かっている広場だけではなく、上や下からも光が照らしている事に誓は気付いた。

 下を覗き込めば、真下から少しずれた位置に同じような広場とそれに繋がった家々が見える。広場は一つではなく、何層か重なっているらしい。

 平行に重なった層は美しい光の螺旋を作り、それが延々と上下に伸びている。村というよりは街と言えるぐらいの規模がある。

 誓は見とれながら手すりを伝って歩き、広場へ降りた。犬人間の仲間と思われる犬や猫の魔族達が物珍しげにこちらを見ている。

 魔族達が質素な茶色っぽい服を着ていて、袖口や肩などに目立つ色の装飾があった。

 敵意こそ向けないが、不安げな顔で一定の距離を保ちながら誓の様子を覗いている。

 誓は視界の端に肩を寄せあって、何かを話しているのを見た。誓が気になって振り向くと、全員慌てて顔をそらし、歩き出す。


「いやいや、これ大丈夫なんですかね? これ本当に大丈夫なんですよね?」


 誓は小走りで犬人間に寄っていき、耳元で尋ねる。  

 犬人間が答える前に見物人の群れの中から背の高い犬の魔族が歩いてくるのが見えた。誓は犬人間の影にそっと隠れた。

 誓は肩の輪郭から長い足を美しく交差させて歩いてくるその魔族が女性であると察する。


「あら、知り合い?」


 犬人間は相手の質問に対して、頷いた。

 女性の魔族は明らかに誓を警戒し視線を残しながらも、体は犬人間の方を向けた。

 やはり、二人が話す距離は近く、接吻するかのようにお互いの鼻に触れ合いながら会話をしている。

 そういう風習なのだろう。誓はようやく理解する。


「そうだよ。南の方の集落から来たんだって」


 誓は毛皮の下で女性の魔族を観察していた。

 人間に近い性差があるらしく、腰から胸の曲線がある。胸のあたりは盛り上がり、それを柔らかそうな毛が密集して覆っている。

 誓にはその美しさにしばらく見とれていた。

 その視線に気づいた女性の魔族がわずかに屈みこんで誓の視線を追い、それが自分の胸にあることに気づく。そして、その瞬間、誓を睨みつけた。

 敵を見る目で誓を見ながら足音高くにじり寄ってくる。

   

「あなた……どこ見てるの?」


 誓がふと気付くと、眉を寄せて、顔を覗き込む女性の魔族と目が合った。慌てて視線を下に降ろす。

 女性の魔族は向き直ると、少し怒った様子で遠ざけるように誓の肩の辺りを軽く押した。


「ごめん。彼そんなつもりはないんだ! 多分初めて見る別の種族が珍しかったんだ!」


 犬人間が誓の首根っこを捕まえて、慌てて引きずって行く。


「まったく! 意外と見境無いんだから! もう少しでばれるとこだったよ!」


 呆れた表情を向けられて、誓は顔を赤くした。

 誓も自分の力で走り出す。

 犬人間は誓の方をみながら声を出さずに笑っている。


「そ、そんなんじゃねえ! 偶然目がそっちにいってただけだ」


 そのまま二人は広場の一角にあった建物の両開きのドアを跳ね上げて中に飛び込んだ。

 カウンターがある事からここが酒場であることが分かる。店内はある程度広さがあるのに対して、客はまばらで指で数えられるほどしか居ない。

 犬人間はなおも止まらずに奥の小さな部屋に入っていった。

 控え室のような場所なので誓は戸惑ったが、そこに立ち止まるわけにも行かず、結局中に入った。

 薄暗い部屋の隅に丸い足の高い机があり、そこに二つ人影が見える。

 一人は犬人間より真っ直ぐな毛に覆われた狼のような魔族で、美しい青い目をしている。

 隣の席に座っている魔族は衣服を腰巻きと首にぶら下げた装飾品以外意味につけておらず、虎そのものが二足歩行になったような姿をしている。

 物音を聞いた狼の魔族が座っていた丸椅子を回転させて、フェイの方へ振り向いた。


「おう」


 狼の魔族はそう言って、犬人間の隣にいる誓に気付いた瞬間、戸惑った様子で誓を足から頭まで素早く観察した。


「誰だ?」


 狼の魔族は呆然として呟いた。狼の魔族の肩越しに虎の魔族が背筋を伸ばして見つめている。

 犬人間が姿勢正しくもったいぶった歩き方で誓の背後に回った。 


「じゃじゃあん!」


 犬人間は自分の口で効果をつけながら、突然、誓の纏っていた毛皮が後ろに向けて引っ張った。

 焦った誓は毛皮を手で引っ張り返そうとするが、間に合わない。なすすべなく、誓はその姿を部屋に居た魔族達に晒した。

 犬人間の方を振り返り、詰め寄る。


「おい! どういうつもりだよ!」


「こいつらには見られても大丈夫!」

 

 犬人間は楽しげに誓を押し出すと、魔族達が囲んでいる机の周りに座らせた。

 魔族達は目を見開いたまま誓を見つめるだけで何も言わない。誓は居心地悪く肩を縮こませる。


「つ、ついにさらって来たのか……」


 狼の魔族は小さな声でそう言うと、震えながら椅子からずり落ちていった。なだめるように両手を前に出しながら、犬人間の方に近づいていく。

 無言で犬人間が狼の魔族の長い鼻を殴った。

 狼の魔族が手で殴られたところを抑えながら、子犬のようなか細い悲鳴をあげる。

 犬人間も誓の隣に座り、机の上で手を組んだ。 


「上から落ちてきたところを保護したんだよ」


 肉球は流石にないんだな。誓は犬人間の手を見て妙な事に注意が行く。

 狼の魔族は犬人間の言葉を聞いて、安心した様子で深く息を吐いた。


「そうなの……いや、お前がいつも人間や人間の持ち物に興味津々だからね……」


 虎の魔族は状況を理解したらしく、暗く厳しい表情になった。

 虎の魔族は少し目を伏せたまま、上を鋭く睨むと、低くしわがれた唸り声のような声で話し始める。


「また勝手な事を! お前が先走った事をすれば、それは私達ジェヴォダン解放戦線の危険に繋がるんだぞ!

今からでも良い! こいつを村長の所へ持って行こう!」


 勢いの付いた虎の魔族は椅子から腰を浮かせ、机に体を載せながら怒鳴った。興奮すると、それに合わせて頬の筋肉が釣り上がり、大きな牙が現れる。

 口からは飛沫が舞い、狼の魔族が体を寄せてそれを避けた。 


「何がなんだって?」


 聞き慣れない言葉を耳にした誓は犬人間に顔を寄せて小声で尋ねる。

 

「僕らは人間の文化を取り入れて、村を発展させる事を目標とした団体なんだ。今回、君を人間の場所まで送り届けるのもみんなの力を借りようと思ってさ」


 誓はそう言われて、狼の魔族が黒い革の上着にベルトを締めたズボンなど、村の他の魔族と違い、都会で人間がするような服装をしている事に気付く。


「目標は単なる発展ではない! 人間の機械文明や文化が流入してくるにあたり、部族の伝統を守って暮らしていきたい人々の生活環境を確保し、

逆に外の世界の学びに興味がある若者にはその為の門戸を開くのが目的だ!」


 虎の魔族が苛立った様子で目を血走らせながらも、決まり文句のように誇らしげに語り、胸を張る。

 犬人間は納得行かない様子で首を傾げた。


「そういえば団体の名前なんだけどさ、占領させれてるわけでなし、僕はジェヴォダン学生会の方が良いと思うんだけどね。

僕達のことを目の敵にする人達もいるけど、村の皆も大方肯定的だし、戦ってるって感じはしないなぁ」


 咬み合わない会話に絶望した虎の魔族は力が抜けた表情で犬人間を睨んだ。

 気を取り直すようにため息をつくと、今度は誓を指差してくる。緊張していた誓も腹が立ってきて、不貞腐れた顔で虎の魔族を見た。


「ともかくだ! そんな我々が人間を黙って匿ったとなれば、ジェヴォダンの住民が我々に不信感を持つ事に繋がる。

そんな事になれば地道な活動が水の泡だ。多少面倒でも村長に話を通すべきだ!」  


 虎の魔族が誓の座っている席の方へ肩をいからせながら歩いて来た。筋肉が浮き上がり、元々大きな体躯が一段と大きく見えた。

 戦闘を覚悟した誓は机に向いたまま静かに集中し、空の一点を見つめる。

 相手の手が誓の方に伸びる瞬間、誓は相手の懐に入り込むように体当りをした。

 内側から自分の肘を相手の肘に押し付ける事で誓を掴もうとする腕を抑えると、拳の裏で弾くようにして相手の顎を撃ちぬく。


「うんぐ」


 不意を突かれた虎の魔族はよろめいて壁に向かって倒れた。驚いた顔で目を見開いて誓を見る。

 慌てて誓に向かって両手で防御の姿勢を取ろうとするが、足に力が入らないらしく、そのまますぐに膝から崩れた。

 

「おお、すげ」


 狼の魔族が他人事のように感嘆した。

 虎の魔族は呼吸も荒いまま困惑の表情でその場に居た仲間や誓の顔を見る。 

 やがて相手の強さを見て覚悟を決めたのか、虎の魔族からやがて突然人間らしい表情が消えた。

 目の中で瞳孔が細くなり、黄色い虹彩が大きくなる。背中を丸め、低く構える。その姿は殆ど四足の獣と変わらない。 

 誓もそれに対して右の拳を体の中心に置いて、相手の攻撃に備えた。


「ヴァルアアアア」


 人の言葉で話していた時とはまた違う肺全体を震わすような太い声で虎の魔族が吠えた。

 突然誓の目から警告音が鳴る。機眼が起動し、話しかけてくる。


「警告する。誓、この位置関係で戦うのは危険だ。何かもので身を守れ!」


 誓は機眼である方の目を閉じた。


「そういうのは野暮だろ」 


 相対する両者を前に犬人間と狼の魔族は椅子から立ち上がり、二人から離れた。 

 緊張が高まり、我慢比べのような時間が静かに過ぎていく。

 睨み合う二人の呼吸が徐々に揃い始め、完全に合う寸前、突然誓が前に飛び出した。それに応えて虎の魔族も爪を振り上げて飛び掛かる。

 誓が拳をまっすぐ打ち込み、前に出ようとする虎の魔族の爪を抑えたかに見えたが、虎の魔族は怯むことなく足で誓の胴に横薙ぎの蹴りを入れる。

 その瞬間が過ぎれば、虎の魔族は呻きながら顔を抑えて再び膝をついていた。

 押し飛ばされた誓は何とか足で踏ん張るが、呼吸は苦しそうで空気が気管を通る度に痛々しく音を立てている。

 誓は何とか先に体勢を取り戻した。目を見開いて自らの頭を壁に打ち付けると、また虎の魔族の方へ突進を始める。戦意が高まり、その顔には虎の魔族と同じように表情がない。

 虎の魔族は尻餅をついた姿勢のまま苦し紛れに手を前に突き出し、構えを取る。

 その時、奥の部屋から大きな人影が現れて、まさにぶつかり合おうという二人の間に入り込んだ。

 それは大きく頭を振り上げながら雷のような唸り声をあげて、突っ込んでくると、二人をその肩で突き飛ばす。


「うんらああああああ! 貴様ら客に迷惑かけんな! ぶちころかすぞ! ボケ、おおおおおん?」


 誓の目の前に鮮烈な赤い粘膜とずらりと並んだ白い牙が現れる。大きく開かられた口の生々しい威圧感に恐怖を覚え、誓はつばを飲み込んだ。

 誓の相手をしていた虎の魔族とは別にもう一回り大きなその虎の魔族が二人の首元を掴んでいる。こちらは大きさがあっていないはちきれそうな白い襟付きを着ていて、ズボンもやはり小さめの黒いものを履いている。


「ち、違うんだ。兄さ、お姉ちゃん」


 大きい虎の魔族はゆっくりと自分の顔と小さい虎の魔族の顔を近づけて眺めた。黒く湿った鼻先を相手のあごに押し当てている。


「何が違うんじゃ。いうてみろやガキこら!」


 血走った目をした大きな虎の魔族の生暖かい鼻息が誓の前髪を吹き上げる。

 ふと大きな虎の魔族は犬人間に気付き、慌ててそちらを向いた。

 両手に掴んだ誓と弟を布切れのように無造作に放り投げると、途端に目を細めて大きく裂けた口をさらに広げて笑う。


「あら! フェイ! 今日も来てたのね!」


 脇を閉め、顔の前で小さく手を振っている。

 犬人間の方も手のひらを相手に向けて、挨拶した。

  

「おはよう。ミルキ姉さん」


 狼の魔族は場が収まったのを確認すると、机の周りに落ちた食べ物などをせっせと片付け始める。

 ミルキは険しい表情に戻って、鼻でため息をついた。椅子を足で引き寄せ、そこに座る。

 そうして椅子の背に肘を載せると、床に転がっている誓を見下ろす。


「で? なんでここに人間がいるんだ?」


「そうか、ミルキ姉さんは人間見慣れてるんだね。森の外で暮らしてたから」 


 フェイに言われてミルキは険しい表情のまま、視線を誓の下へ外した。

 一瞬、遠くを見ているようにミルキの眼の焦点が緩む。ミルキが瞼を落としたわずかな間、口元で笑ったように誓には見えた。

 フェイが椅子の位置を変え、誓とミルキの間を向いて座る。


「誓は森の外れにある基地で働いていたエマ社の工作員で、昨日上の層から落ちてきたんだよ。今後の活動の為に彼が基地に帰るのを助けておくのもいいと思うんだ」


 誓は紹介されている間に立ち上がり、無言でミルキに向かい合っていた。

 その後しばらく、魔族達は脇に誓をおいたまま、何かを話し合っていた。何か決まったのか、その日は誓は村長とやらの所には突き出されず、再びフェイの家に帰る事になった。

 翌日、誓はソファを枕代わりに硬い床で目を覚ました。

 誓が背中が痒いと感じ、服を捲し上げると、腰のあたりが少し赤くなっているのが見えた。肌のずっと床についていた部分にかじかんだかのような痺れを感じる。

 部屋には鼻の奥に溜るような塩気の有る匂いが立ち込めている。

 誓の正面では、既に起きていたフェイが座卓を挟んだ向かい側で食べ物を口に運んでいた。干し肉か燻製のようなものらしい。


「食べる?」


 大きく浅い更に山盛りにつまれたそれをフェイは勧めてくる。

 誓は気だるそうに座卓に突っ伏す。皿の端から一本肉を引っ張りだし、奥歯で噛みちぎる。

 予想通り味はしょっぱい。

 誓は目をきつく閉じながら、しばらくそれを噛み続けた。


「自分で作ったのか?」


 フェイは頷きながら、口の中に留めていた食べ物を飲み込んだ。喉の筋肉が上下する。

 誓は手に残った肉を口に詰め込んだ。左右の頬で柔らかかくなるまで再び噛み続ける。

 そうして、やっとのことで飲み込むと、口を開いた。 


「材料は? 全部この森で買えるのか?」


「肉は農場で買えるし、塩と胡椒は店が輸入してるんだよ」


 食事を終えたフェイは本物の犬のように地面に腹を付け、くつろいだ。

 誓が顔を突き出す。


「輸入? 人間と付き合いは無いんじゃないのか?」


「人間じゃなくて他の部族が持ってくるんだよ。大樹の森は大陸の南半分をほぼ覆い尽くしてる。海沿いの地域もあれば、胡椒が育つ気候もある。

俺達と違って人と交流が有る部族も多いしね」


 誓はひじをついて、何か考え始めた。森への興味が湧いてきたのだ。この木の上の世界に農場もあれば、街もある。それを想像すると、誓は楽しい気分になる。

 誓は少し身を乗り出して、座卓の向こうの眠そうなフェイに話しかける。


「なぁ、ちょっと一緒に街を回ってくんないか!」


 フェイはじっと誓の顔を見た後、顔を逸らした。


「駄目。誓はまた何か問題を起こす気がする」


 一本調子で気のない返答をフェイはし続けた。

 それを聞いた誓は口を一の字にして、つまらなそうな顔で座卓の上に載せた肘を膝に下ろす。

 フェイが新たな肉を手にとって、その端を齧りながら、誓の方を見る。誓は目を開けたまま力なく天井を見上げている。


「今日も用事があるからその時、町の外だったら少し回ってもいいけど」


 誓が押し殺した笑顔で首だけ起こした。フェイは苦い笑いを返す。

 そうして外が少し暗くなた頃、誓達は街とは反対側である裏口からフェイの家を出た。

 安定した板の上に有る街とは違い、街の外では高く広い大樹の森の間を細い枝の道がまばらに通っているだけだ。

 見下ろせばめまいがするほど遠くに地面が見える。枝の道には手すりや木材による補強の後が見えたが、それでも誓は胃が締め上げられ、股の間が冷たくなるような恐怖を感じる。

 辺りでは遠くからも近くからも虫の静かに震えるような鳴き声が聞こえていた。時々、拍子を取ったようにたまに動物の悲鳴のような大きな鳴き声が間に入る。

 そうして、一瞬鳴き声が途絶えたかと思うと、木々の間を強い風が吹き抜けて、わずかではあるがゆっくりと大樹の枝を揺らす。

 誓は思わず手すりを掴む手に力を込めた。

 そんな誓をおいてフェイは軽い足取りで進んでいく。

 長い枝を渡りきって、その先に継ぎ足された橋を渡って行くと太い幹にたどり着いた。取り付けられた階段で幹を登っていく。

 誓達は誓が初めてこの森に来た時のようにいくつか絵と葉の層を越えていった。

 かなり高くまで来て、誓は久しぶりに枝の隙間から大きく青い空を見た。細い道の先にはフェイの家よりも小さい小さな小屋が見える。

 フェイに続いて、誓はその中へ入っていく。開け放たれた扉から光と埃が部屋に舞い込んだ。

 誓は薄暗い部屋の中を覗き込み入り口で立ち止まってしまう


「なんだここ?」


 機械が積まれた足の長い机が一つあるだけで、人が暮らしている気配はない。


「俺の別荘」


 フェイはしゃがみこんで机に目線を合わせ、机の上の機械のつまみを回した。遠くで水でも流れているような雑音が響き始める。そうして、雑音に耳を傾けながら、もう一つの機械のスイッチをひねると、くぐもった音太い柔らかい男の声が流れだした。

 誓は首を傾げる。こんな森の中で電源をどこからひいて来ているのだろうか。

 機械から伸びた線を追って、誓は窓から顔を突き出した。家の外にも伸びた線はそのまま大樹の幹に埋め込まれるように続いていた。幹には他にも何かの計測器や小さな機械が取り付けられている。


「大樹の中を水が流れてるんだ、血管みたいに。それで発電してる」


 フェイが誓の横に並び、窓枠にひじを載せた。


「この部屋、音楽を聞くために作ったのか。すごいな」


 二人は胡座をかいて窓側の壁にもたれかかった。

 フェイは目を閉じて、流れてくる曲を鼻歌で奏でる。

 大げさに抑揚を付け、楽しそうに歌うフェイを見て、今度は誓が苦笑いをした。


「そろそろ行こう」


 フェイが部屋を出て行く。

 誓は立ち上がり、電源がついたままの機械の方を振り返った。


「つけっぱなしでいいのか?」


 フェイは振り返らずに階段を降りて行く。


「後で消しに来るー」


 二人は軽い足取りで大樹を下り、今度は別の枝の道を渡った。そうして、大樹に取り付けられたやや大きい家屋にたどり着く。

 フェイが階段に足をかけた瞬間だった。

 腹の底を叩くような振動が建物を揺らし大樹にまで響き渡る。

 フェイが扉を開けると、隙間から息が苦しくなるほどの湿気と熱気が噴き出した。中では数人の赤い服を着た魔族が赤い服を一方を向いて、拳を構えている。

 獣人達の正面ではミルキが立っており、大声で気合を発しながら突きを放っている。魔族達もそれに合わせて拳を突き出す。

 そうして二人はしばらく獣人達の稽古を見守った。

 型の練習が終わり、魔族達は部屋の中心に案山子のようなものを置いて、脇に避けた。

 ミルキとラテオが案山子を挟むようにして立つ。

 二人が構えたまま呼吸を整えると、案山子に向かって左右対称の動きで拳を放った。そのまま流れで鏡のように同じ動きで蹴りから肘を叩き込んでいく。

 誓が見学している魔族達の後ろでフェイに耳打ちする。

 

「なにあれ」


「ここの流派の必殺技なんだってさ」


「二人で一人に攻撃する流派なのか?」


「もとは狩りで大型の動物を狩るための技術だったから複数人でやる技があるとかなんとか……」


 稽古が終わると、ミルキがフェイの元へ寄ってくる。


「フェイ、どうしたの?」


 ミルキは分厚い布で体中の毛を撫で付けるようにして拭きながら、フェイに話しかけた。

 乾いていたタオルが汗を吸って、あっという間に小さくなっていく。


「無線放送のテストをしたくてさ。奥に入っても良い?」


 ミルキは大きな口を大きく開いて、思い出した、という顔で頷いた。

 手で道場の奥の部屋へ行くように促しながら、ミルキはちらりと誓の方を見た。


「もうウェイズも来てるわよ。そっちの坊主も寄ってくんでしょ」


 子供扱いされた誓は唇を平たく突き出して、意地悪そうな顔で睨めつけながら、ミルキの脇を通り過ぎた。

 部屋には昨日の狼の魔族と虎の魔族が座っている。フェイに気付いた狼の魔族が声をかけようとして顔を上げた。

 しかし、勢い良く部屋に飛び込んで来たフェイは狼の魔族が声をかける前に机の上に置いてある機械のスイッチを入れる。

 部屋に先程フェイの別荘で流れていたものと同じ曲が流れ始めた。


「おお、音、大分マシになったんじゃないの?」


 狼の魔族が机でひじを立てて、機械の音に耳を傾ける。

 虎の魔族が驚いて立ち上がった。


「ついに完成したのか!」


 フェイは深く息を吸い込んだ。満足気な笑みをこぼしながら、椅子に腰かけると、今度は安堵した様子で溜息を漏らす。

 誓は目を見開いて、フェイの顔を見た。そして、また機械に視点を戻す。


「すごいじゃねえか! これラジオだろ?」


 興奮してフェイの肩を何度も叩きながら誓が言った。 

 フェイは気の抜けた顔をして、見つめ返した。


「誓は街で暮らしてるんだからラジオなんか珍しく無いだろ?」


「自分で作って、自分で放送できるやつなんかいないって」


 ラジオの音に気付いてミルキが部屋に入ってくる。静かにフェイの後ろに回ると、腕を組んで立ったまま様子を見守り始めた。

 誓は気になって、ちらりとミルキの方を向く。後ろの壁に立てかけられた武術の訓練に使われているらしい槍や棒が目に入った。

 曲が盛り上がり、機械の音を出している部分が大きく振動する。

 突然、虎の魔族が何かに思い至ったように再び立ち上がり、机に手のひらを叩きつけた。


「これを使ってジェヴォダン解放戦線の広報活動が出来るわけだな! フェイ!」


 大声に苛立った様子で狼の魔族とミルキが虎の魔族の肩を抑えて、椅子に押し付けた。

 フェイは虎の魔族に手のひらを向けて制しながら、ラジオの音量を上げる。


「静かにしてよ、ラテオ。聞こえない」


 どうやら二人いる虎の魔族は兄弟で、弟はラテオというらしい。

 曲が切り替わり、今度は女性の粘りのある歌い声が流れ始める。

 しばらく音楽を聞いていると、ふとミルキが奥に入っていき、皿に乗った料理を持ってきた。


「おお、ありがとう、ミルキ姉さん! 気が利くじゃん!」

 

 狼の魔族が口を開けた。舌の先が跳ねている。

 フェイは皿を誓の方に押し出して、食べるよう促した。

 何かをすりつぶして薄く揚げたその料理は誓の知っている所で言うなら、ポテトチップスに近い味だ。皿の脇には甘辛いタレが載っており、魔族達はそれをつけて食べている。 


「そういえば、誓はまだ皆の名前知らないよね」


 誓端の方からこっそりと料理に手を伸ばしながら、頷いた。


「この狼はウェズ。虎の魔族のお姉さんはミルキ、弟はラテオっていうんだ」


 おどけた表情で誓の方を向いているウェズの横で、ラテオは鋭い目つきのまま机の上から視線を外さない。

 誓は名前と顔を一致させるように一人一人の顔を見た。

 机の端に両手をつくと、ウェズやラテオの方を向いて頭を下げた。


「しばらく世話になる。よろしく」


 ミルキが誓の後ろに回る。フェイと誓の間に割って入り、両側の二人と肘がぶつかる距離で腰掛けた。

 椅子から落とされそうになった誓は腰で移動して、ミルキから離れた。

 ミルキは脇目に誓をみながら、話し始める。


「うちの弟とまともに喧嘩が出来るんだ。腕は立つらしいな」


 ラテオは下を向いて、つまらなそうな顔をした。

 ウェイズが口を大きく開いて、笑う。


「いやぁ、ありゃほっときゃラテオがやられてたよ」


 隣りに座っていたラテオは腕をゆっくりと動かして、ウェズを椅子ごと後ろに押し倒した。

 背中から床に落ちたウェズは渋い顔でラテオを見ながら椅子に座り直す。

 ミルキが改まって誓の方を向いた。


「あんた。今度うちの稽古に出てみない?」


 誓はそうして妙な約束をさせられて、フェイとその場を後にした。フェイと共に先程の別荘へ戻っていく。

 あたりが暗くなると、日光の代わりにまた街灯があたりを照らしだした。

 街灯の先に付いている曇った半透明な部分の中で光が跳びはねたのに誓は気付いた。


「なぁ、あの街灯って何で光ってるんだ? あれも電気か?」


「違うよ。火蛍っていう大きくて光の強い蛍が入ってる。街灯の中に火蛍が好きな蜜を入れておくと、夜にはそこで休んでいくんだ」


 そう言いながらフェイが手で示した大きさは両手で包み込めない程あり、誓はそれを見て背筋が寒くなった。

 先程の樹まで再び戻った時、誓は先程の小屋に機械の電源を切りに行くのかと思ったが、フェイは逆に樹を下に降りていく。


「え、どこいくんだ?」


 迷いなく進んでいるフェイの姿がみるみる小さくなっていった。誓は慌てて追いかける。

 誓から姿が見えない位置から声が飛んで来る。


「もう一軒回る所があった」

 

 誓は出来るだけ早く降りようとする中で一瞬足元の更に下に広がる暗闇を意識した。ぼやけて地面との距離が把握しにくいせいで余計に高さを感じる。

 誓の足や下腹部の筋肉が締め上げられ、引き付けられる。

 力んで固まった足を竹馬でも操るように不安定に動かして、誓はなんとかフェイに追いついた。

 目的地らしき大きな足場が見えた時、誓は一日歩き通したかのような疲れを感じた。

 足場は木の中に作られた空間につながっている。大樹の洞をそのまま利用して作られているらしい。

 犬の夜目が効くのか、誓には真っ暗に見える部屋の中にフェイは躊躇なく入っていってしまう。

 残された誓は入り口に足をかける事すらせずに、その場に立ち尽くした。どうせまた何か機械が置いてあるのだろう、そう推測が付いていた。

 そうして外から中を覗いてる内に誓はふと巨大な物体の輪郭に気付く。全体像を見ようとして、背中を丸めて首を部屋の中に入れた。

 大きく太い図形から長い何かが二本、誓の方へ向けて伸びている。

 誓は数秒目を凝らしてそれを見つめて、いきなり跳びはねるように背筋を伸ばした。

 体温が一気に下る感覚があった。


「こりゃ、人型兵器か!」


 窓のように開いた小さな別の穴から外の光が入り込んで、人型兵器の肩から顔のあたりを照らす。

 胴体からすると大きめの顔が見えた。巨大な丸い目といい、おもちゃのような見た目だが、間違いない。人型兵器だ。

 人型兵器の脇のあたりの闇からフェイが抜けだしてくる。


「これもお前が作ったのか?」


 誓は視線をゆっくりと人型兵器の顔からフェイに落とした。

 フェイは長い鼻を掻いている。


「……まぁね」


 照れているのか、フェイは誓から視線を外し、部屋の方を見遣りながら答えた。


「すげえ。俺の知り合いにも一人で人型兵器もどきを作ってる奴がいたんだ。エニスっていうガキなんだけど……なんでこんな場所でこんなものが作れるんだよ」

 

 部屋は壁一面に機械が設置されていた。機体を固定する時に使うと思われる禍々しい巨大なアームが誓を見下ろしている。

 誓が無造作に近づき、手を伸ばして、機体の足に触れようとする。

 エニスは大慌てで機体と誓の間に走りこんで来た。両手で誓を押し戻そうとする。 

 

「駄目だ。見せるだけ。下手に触って壊したらどうすんの」


 立ち止まって不思議そうな顔をしている誓にフェイが言った。

 誓はフェイの脇をすり抜けて、更に奥に進んだ。


「これに乗って戦うんだろ? そんな繊細でどうすんだよ」


 そう言われたフェイは一瞬息を呑んで固まったが、またすぐに誓の前に飛び出した。

 誓は薄笑いを浮かべて立ち止まった。

 フェイは両手で突っ張って誓を止めようとしている。


「とにかく駄目だ! これは実験と鑑賞用なの!」


「ケチ」


 名残惜しそうに見つめる誓をフェイは半回転させた。誓は体の力を抜いて、フェイに押し出されるまま外へ出る。

 フェイの必至な様子を見ていると、エニスの事を思い出して、微笑ましい気分だった。

 階段に腰掛けて、フェイが巨大な扉を閉めるのを大人しく見守る。夜が更けて、風が冷たくなっているのを感じた。

 膝を抱えて小さく体を丸めながら、空を見つめる。ずっとその姿勢でいると、大樹の枝の間から見える夜空にぽつりぽつりと星が滲むように現れる。

 

「行くよ」


「おう」


 フェイが誓に声をかけると、またあっという間に上に昇って行ってしまう。誓は四つん這いに近い低い姿勢で後に続いた。


「さっきの人型兵器、どこでも見た事ないけど、どういう型なんだ?」


「まだ数が少ないアーマータイプだからね」


「なんだそれ?」


「搭乗者が自分の体の動きを反映させて動かすタイプ」


 誓の知っている訓練所で乗ったり、テレビで見る事が出来る人型兵器は四肢も胴体ももっと太く節目のない形をしている。

 フェイが作ったというあの機体には、細長い腕や足を持ち、ともするとちょっと耐久性が心配な印象を覚えさせられた。


「どこで作り方習ったんだ? 大体、部品はどうした?」


 誓が追い縋って質問するが、フェイは黙って階段を昇っていく。

 妙だと思った誓はもう一度声を掛けようとすると、フェイが一瞬だけ振り返った。

 振り返った事すら気づかれまいとするような短い時間だったが、その表情があまりに強張っていたので誓は口をつぐんだ。

 怒った訳ではないものの、自分で見せといて変な奴だ、と思った。

 フェイは顎を上げて、歩調を速めた。そして、何か思いついた様子で口を開く。


「そうだ。明日、お社見に行かない?」


 突然、フェイの声の調子が明るくなった。話題を反らそうとしているのは明らかだ。

 誓は片方の眉を上げ、不審そうな顔をした。

 背中からフェイの表情を読み取ろうとするが、フェイの頭から跳ねた毛が風になびいているのを見て、思わず笑ってしまう。 


「なんだそれ。神社?」


 フェイは歩きながら首を振った。


「違うよ。遺跡みたいなもんかな。お社ってついてるけど、呼び名だけだね」


 次の日、誓は既にドアの外に立っているフェイに声を掛けられて、目が覚めた。

 朝もやの中をフェイの尻尾を追いかける。

 誓が大きな欠伸をしながら、目の前を跳ねている尻尾に何となく手を伸ばす。感触が気になって仕方なかった。

 手に取ってみると、滑るようなしなやかさで石鹸のような匂いがする。

 フェイがおびえた顔で振り向いたので、誓は笑いをこらえながら離した。

 道順も覚えぬまま進んでいくと、空中にかかった長く横幅もある階段が現れる。


「ここがお社」


 遠くからは解らなった全体像が見えてくる。周りの大樹の何倍も幹の太い木がそびえ立ち、正面に入口らしい小さな穴が開いていた。

 入口の前は運動場のような大きさの石畳の広場になっている。

 異様な光景を前に誓の眠気は吹き飛んだ。大樹の森の村では、丸太を組んだものの上に木の板を載せ、その上に建物が建っていた。ここの階段や床は丸太の上にこそあるが、切りそろえられた石材で出来ている。

 床にしかれた正方形の石材は所々欠けていて、かなり古いものである事が解る。

 誓は急に空気が冷たく重くなったように感じた。

 それは決して幽霊や神などの得体のしれないものへの恐怖が理由ではなく、もっと確かで形のある感覚だったが、かといってそれを表現する言葉は誓の中にない。

 あえて言うならば、永く強く残る多くの人の意志に対する畏敬とでも言えるものなのだろうが、誓自身はそう認識せず、ただ何か荷物を背負わされたような感覚として受け取っていた。

 奥の方にいた背中の黒い猿達は誓達が近づいたのに気付くと、短く甲高い悲鳴をあげて、木の上の方へ逃げて行く。

 木の幹の中へ進むと、滑らかな石肌の壁の通路が続いていた。直線に平面。大樹の森の村の他では見られなかった精緻さで作られている。

 遺跡と聞いて、洞窟壁画や簡易な祭壇のようなものを思い描いていた誓はますます違和感を感じた。

 味気なく装飾もない遺跡というより牢獄や廃屋を思わせる光景が続く。

 しばらくすると、今度は台座が並ぶ少し大きな部屋に出る。台座と言ってもやはり上に何かの像が載っている訳でもなく、文字が刻まれている訳でもない。


「皆ここを肝試しに使ったりしてるんだよ」


 外からの光が入らなくなる。フェイは大きな手持ちのライトを取り出すと、少し駆け足になって奥に続いている階段を上った。

 階段の上にはまた狭い通路が続き、その先は行き止まりになっていた。

 そこに広場にあったものより一回り小さな台座が置いてある。


「この文字を見て来るまでが肝試し」


 フェイが石で出来た台座の上についた平らな板状の部分を指差した。そして、中心に小さく彫られている波打つような模様をなぞる。

 石碑の他の部分はん、何も書かれておらず、大きな余白となっている。

 誓はフェイの後ろから回り込んで中腰で台座に顔を近づける。

 模様には何となく規則性があるようにも思えたが、何が書いてあるかわかる部分はない。

 誓の知っている言葉ではないようだ。

 

「なんて書いてある?」


「さあ」


 フェイは笑いながら首を傾げた。


「わかんないのかよ……」


 誓はてっきり先住民族にしか読めない古代語かと思った。

 突然、誓の機眼からまた何かが素早く回転するような音がし始める。音はうるさいくらいに大きくなっていったかと思うと、急に止まった。

 聞きなれない音に驚いたフェイは辺りを見回した。


「ジェヴォヤジゥロア」


 機眼が奇妙な呪文を唱え始める。

 声が誓から出ていると気付いたフェイは息を呑んで、誓を見ている。

 誓の方はと言えば、もうこの機眼が喋っている時の他人の視線になれてしまった。ちらりと目をフェイと合わせると、自分の目に意識を集中する。


「あ? どうした?」


「私は遠くから旅をしてきた。ここは私が知らない場所だ」


 機眼はこの場にいる誰に対してという事もなく、朗読するように話し出した。

 誓は立ち上がって、自分のこめかみを抑えた。大樹から落ちた時に故障でもしたのだろうか。


「何言ってる?」


「ここにそう書いてある」


 誓はもう一度石碑を見たが、あの奇妙な文字以外には何も書かれていない。

 

「これが読めるのか?」


「ああ」


「どうやってだよ」


「わからない。私の中のプログラムがその文章をそう読むという結果を突然提示してきた。プロセスについては、会話の主体である私の意識には開示されていない」


「翻訳できるのに何で読めるのかも読み方もわからないのか?」

 

 フェイが口のあたりの毛を振るわせながら誓にゆっくりと近付いてくる。

 人間でいえば唇を震わせて、興奮しているような状態かもしれない。機眼以外のものが目に入っていないようだ。

 

「すごい。誓は機眼だったんだね」


 誓は、頭の半分で自分の混乱を処理しながら、もう半分で、人に目をじっくり眺められるというのも中々ない経験だな、と呑気な感想を抱いた。

 フェイは潤った目で誓をじっと見て、今度は困惑のうすら笑いを浮かべながら静かに後ろに下がった。 


「しかも、喋るし、古代語の翻訳が出来るなんて……」


「そんな機能があるなんで俺も知らなった。一応結構高い奴らしいんだけど、最先端の技術なのか?」


 フェイが目を機眼ではなく、誓の視線に合わせる。混乱しているのか、怒ったように顔をしかめた。


「何言ってんだよ……人類共通語と英語の翻訳は最近じゃ簡単だろうけど、古代語はそもそも解読すら出来てないはずだろ」

 

 誓は苦笑いしながら頭を掻いた。そんなような話を学校の授業で聞いたような聞いていないような気がする。

 何か気味の悪い事に巻き込まれているように感じて、誓はその場に立ち尽くしていた。

 不意に何かを強く弾くような音が幾重にも反響して聞こえて来る。

 フェイと誓は来た道を黙って見つめた。


「外に誰か来てる」


 フェイが落ち着きなく早足で歩きだした。

 誓はもう一度だけその石碑を振り向く。自分の機眼が機眼が焦点を合わせる音が聞こえた。

 急いでフェイに追いつくと、フェイはいつになく焦った顔をしていた。顔の毛に隠れた目が大きく見開かれている。

 

「ヤバイヤバイ」


 小さな声でうわごとのように呟いている様子を見ていると、誓も不安な気持ちになる。

 大慌てで二人が入口にまでたどり着くと、目の前に人影が現れた。


「本当に人間をかくまっていたのか!」


 黒い猫の顔をした男が声を漏らした。ラテオより少し小さいぐらいの体格をしている。

 後ろに他にも猫の獣人を連れているのが見えた。

 男は驚いて、口を開けたまま誓の方を見たかと思うと、フェイを睨み付ける。緑色の虹彩が小さく締まる。

 フェイは相手の顔ぶれを見て、げんなりした顔で舌を垂らした。

 猫の獣人が自分を大きく見せるように少し胸を張って、フェイに詰め寄る。胸倉を掴み、軽く持ち上げる。


「どういう事だ。人間を捕まえたら、迎えが来るまでは牢に入れておくきまりのはずだが」


「どうせ基地に帰してやるなら歓迎してやればいいじゃないか!」


「学習しない奴!」


 猫の獣人は乱暴にフェイを掴んだまま押し飛ばした。フェイは遺跡の中の方へ飛んでいく。


「おい!」


 男の動きに咄嗟に反応した誓が下敷きになるようにして、フェイを受け止めた。

 誓はすぐさま立ち上がり、相手を睨み付ける。

 男は少し息を荒くして、誓をにらみ返した。


「何だ、その目は!」


 突然、小さく飛び上がった男が遺跡の壁を蹴って、回転しながら誓を蹴り飛ばした。

 骨の当たる鈍い音と皮膚や肉が弾けるような音が響く。

 男は目の前の地面を蹴って、軽やかな動きで間合いを取った。

 誓の口の端から、小さく血が垂れた。血走った目で、相手をにらみ続けている。

 フェイが小声で話しかけてくる。

 勝ち誇ったように猫の獣人が笑って、片手を上げると、周りの獣人達が誓ににじり寄る。

 ニヤついた獣人の一人が誓の胸倉に手を掛けた瞬間だった。誓がその手を掴んで、相手を傍にいた別の獣人に向けて、叩きつける。続けざまに肘で隣にいた敵の頭を壁にひじで叩きつけた。

 他の獣人達は地面を蹴って誓の視界の外へ回り込む。誓の後ろにつくとその背中を蹴り飛ばした。


「っがあ!」


 誓は痛みに顔をゆがめながら、やみくもに腕を振り回し相手を掴もうとする。

 獣人は体をくの字に曲げて、その手を躱すと拳の突きを返す。

 遺跡の入り口を塞ぐように立っている黒い獣人がその様子を鼻で笑った。

 怒涛の攻撃に誓はたまらず頭を抱えて、端の方で丸くなる。しかし、かと思うと、突然既に伸びている獣人の方へ走りだし、その体を持ち上げた。


「む」


 誓に追撃を加えようとした獣人の一人が立ち止まる。

 誓は既に伸びている敵の一人を盾の代わりに突き出して、背中を壁に預けている。

 一瞬戸惑った敵の方へそのまま突進し、突き飛ばす。倒れた相手の上に馬乗りになって殴りかかる。


「卑劣な……」


 連れてきた仲間のほとんどを倒された黒い獣人が軽蔑するように目を細めた。


「一人をこんだけの人数で囲んでいう事か!」


 誓と黒い獣人がお互いの真正面へ走り出す。二人の間合いが狭まり、黒い獣人の方が小さく咆哮を時だった。

 小さく脇に飛んだ誓が壁を蹴って回転しながら、相手のたまに足を叩きつけた。

 ふらついた敵が目を剥いて誓の顔面を振りぬく。

 足を引いて踏みとどまった誓が相手を殴り返すと、相手もその場で耐え抜く。

 両者はにらみ合い、お互い踏ん張りの効かなくなった足で相手に近付いた。そして突然、猫の獣人の方が受け身も取らずに後ろに倒れた。

離れてみていたフェイが猫の獣人の傍まで寄って来て、気絶した相手の顔をまじまじと見る。


「すごいな……これ、森の三傑の一人のダンだよ。倒しちゃったのか」


 誓はゆっくりと地面に腰を降ろすと、足を伸ばし、両手を後ろについた。息は切れ、筋肉は震えている。

 向こうから二つ並んだ縞模様が近づいてくる。

 ミルキは倒れているフェイと誓を見て、何か一瞬言おうとして口をつぐんだ。そして、もう一度ゆっくり口を開いた。


「若い連中が徒党組んで歩き回ってるっていうんで来てみれば」


 後からウェズがのんびりとした歩調で歩いてくる。

 ミルキが顎で指示すると、口を開きっぱなしのラテオがダンを肩に担いだ。


「こうなった以上、村長の所にいくしかないね」


 ミルキがフェイの方を見ると、フェイは誓の方を見る。ミルキとフェイの顔を見て、誓は何となく状況を理解した。

 立ち上がり、大人しくミルキやフェイの後について歩き出す。

 いざとなれば力づくで逃げるなりするかもしれないが、あまり良い予感はしない。


「俺の事を村に黙ってたんだろ。お前らは大丈夫なのか」

 

 ラテオがため息をついて、フェイを睨み付ける。

 フェイは気まずそうにうなだれた。自分の足元だけを見て歩いている。

 ウェズはその様子を見て、苦笑いする。


「フェイが人間や人間の道具絡みで何か起こすのはしょっちゅうだからな。今更だ。自分の心配した方が良いぜ」

 

 ミルキが真っ直ぐ前を向いたまま口を開いた。  

 

「さすがに人間そのものを匿ったのなんか初めてだけどね。まあ基地と敵対するのはうちの村にとっても危険なはずだ。殺して返すって事はないだろうけどね」


 しばらくすると遺跡に負けない大きさの巨木がまた見えてくる。石造りの建造物などは周囲にない。

 入口には呪文やしるしのような装飾がある。

 巨木の中に進むと広い円の空間の中心に、座布団のようなものがしいてあり、その上に小さな緑色の老人が座っている。

 つぶったままの大きく飛び出した目。滑らかな肌。口の下は白い。体を包んで余りある大きさの深緑の布を巻きつけるようにして着ている。

 誓は首をかしげた。これはカエルの魔族という事でいいのか。

 銅像のようにカエルの魔族は動かなかったが、誓達が全員巨木の中に入ると、まぶたがつぶったまま小さく動いた。

 突然、片目だけ目を開けて、橙色の虹彩が見開いた。一同を見渡すと、布きれの中から細い腕を出して、指を下に動かした。

 座れという事らしいと察し、全員がカエルの魔族の周りに座る。

 カエルの魔族は全員が座ると、誓を見つめた。

 誓には横長の瞳孔が不気味で恐ろしく、鳥肌が立った。


「フェイ……」


「はい!」


「説明しなさい」


 小さな体からは想像できない低い声でカエルが喋りだした。フェイは緊張した面持ちで、受け答えしている。

 誓がちらりと横を見るとウェズが避けた口をさらにひきつらせて、おびえているのが見えた。誓に実感はないが、まずい状況らしい。

 

「村長の所へすぐ報告するつもりだったのですが、誓は怪我を負っていたので、その治療が済んでからでも良いかと思ったのです。

万が一にも死体となって発見される事があれば、基地とのいさかいに発展しかねません」


 フェイはいつになく固い口調で言った。

 村長と呼ばれているカエルは再び片目を閉じる。


「ふむ。では、もうその者の怪我も大分良いようだ。なぜ怪我が治った後もここに向かわなんだ?」


「それは、誓に僕の作ったものを見て貰いたくなってしまったのです」


 フェイが言った事に対して何か反応を見せるでもなく、村長は目を閉じて黙っている。

 丸い背中が呼吸に合わせて、ほんのわずかに上下している。

 突然、村長が両目を開き、誓を見た。誓を含め、部屋にいる全員が時間が止まったように動かなくなった。

 村長と目が合った誓は張り詰めた無音に空間が包まれていくように感じた。沈黙が果てしなく長い。

 やがて、虫や鳥の鳴き声が染み出すように感覚の中へ入ってくる。


「内に修羅がおる」


 誓は何を言われたのか聞こえず、瞬きをした。

 突然、周囲の景色が波打ったかと思うと、巨木の部屋の表面から透明な膜のようなものが現れる。

 誓が混乱しながら立ち上がり、構える。


「水?」


 村長がまた布の中から小さな手を上げた。

 周囲の水の膜が急激に狭まり、誓を包み込む。

 息が出来なくなった誓は焦ってもがきだす。泳ぐように手でもがくが、水の膜から飛び出した手は宙を切る。


「おあああおおおおおお!!!!」


「村長、殺してしまう気ですか!」


 ミルキが両手を前について、声を上げる。

 水の膜がはじけて誓が解放された。あたりに飛び散った水は部屋の壁や床に吸い込まれていく。


「基地の者に見つかる前に殺してしまうのも手じゃ。しかし……ひとまずは牢へ入れておこう」


 誓は事態を楽観視していた事を後悔し始めていた。

 牢やというのは大樹の枝の先につるされた鳥籠のようなものだった。

 誓の表情が固まった。

 

「ここで一晩か?」


 頭に草食動物の角を生やした看守らしき魔族が黙ってうなずいた。


「この牢屋もながらく使われてなかったのに……その内村の人間が基地の迎えの人間を呼んでくれるだろ。大人しくしときな」


 魔族は木の幹に取り付けられた足場に椅子をおいて、腰掛けた。

 誓は夜の間落ち着かず延々と牢屋を吊っている留め具の部分を見守っていた。

 かなり丈夫に作られているようだし、滅多な事では落ちそうにない。

 誓が、大丈夫である、と自分自身を無理矢理納得させるさせるまでにかなり時間を要した。

 それでも、慣れとは恐ろしいもので、誓はいつしか檻の壁にもたれ掛かり、たまに眠りに落ちるようになっていた。

 短い睡眠を繰り返した何度目かの時、誓は自分の入っている牢の揺れで目が覚めた。

 枝に吊るされた牢が幹の方へ縄のようなもので数人がかりで引っ張られていく。

 木の幹の足場の上で、昨日会った村長と牢屋番が何やら話している。


「どこの馬鹿です。あの馬鹿に人間がいる事を知らせたのは」 


 牢屋番をしていた角の魔族が興奮気味に村長に怒鳴った。

 村長は目をつぶったまま黙っていたが、誓が入った牢が近付いてくると口を開いた。


「可哀想だが、死を覚悟してもらう事になった」


「ああ?」


 厄介事を避けようと大人しくしていた誓も思わず口調が荒くなる。

 村長が視線を送ると、考える間もなく、看守の一人が誓に手枷をはめた。


「大樹の森で有名なならず者がおってな。そいつがお前を差し出せと言ってきた」


 誓もさすがにまずい事になったと思い、顔色を悪くする。

 誓を挟んで前には看守、後ろには村長が並んで、木の幹を下っていく。

 表情の読めない村長とは逆に、看守の方ははりつめた面持ちで幹の下の方を見つめている。


「なあ、そのならず者を俺がぶっ飛ばしたんじゃ駄目なのかよ。厄介者なんだろ? 大体この村の村長だって馬鹿みたいに強いじゃねえか。なんでとっちめないんだ?」


 看守は驚いたように誓の方を振り返ったが、その顔を見ると、諦めたような表情で笑った。そうして、何も言わずに先を行く。

 やがて地面が近付いてくる。

 周りに大樹の生えていない少し広い場所が見えて来た。

 看守が急に誓の後ろに付いたかと思うと、手枷を外す。

 誓が驚いて後ろを見るが、すぐに乱暴に背中を押され、広間に押し出されてしまった。

 野原の反対側の端に女性の魔族達が飛び跳ねているのが見えた。遠くにいた誓には、その規則的な動きが一瞬何か解らなかったが、どうやら踊りであるらしい。

 色鮮やかな衣装を身にまとった踊り子達が天を仰ぐように腕を振り上げては、飛び跳ねて、身をよじっては、回る。

 そして、さらにその向こうに胡坐をかいて座っている人影が見えた。

 黒いマントを羽織って、黒い髪をしている。肌にはおよそ血の気というものが見られず、白い。仮面を付けているかのように表情は固い。

 村の者達がならず者と呼んでいた男だ。

 誓はゆっくりと野原の中心に向けて歩き出す。

 近付くと、踊り子達の表情が見えてくる。

 踊り子達は無表情であったり、時折痛むように顔を歪めていたりした。

 ならず者は踊り子一人一人の顔をじっくりと観察しながら、乾いた高い声で笑う。踊りではなく、相手が嫌がる様子を楽しんでいるようだった。

 誓がふと奇妙な気配を感じて上を見る。大樹の幹に取り付けられた足場から沢山の魔族がこちらを見下ろしている。

 誓は不気味に思った。大樹の村にこれだけの魔族がいたのか、そう誓が驚く程の人数がこの場にいるのに、辺りは妙に静まり返っている。

 足場は野原を取り囲む大樹にスポーツの観覧席のように取り付けられている。

 手すりにもたれかかり、身を乗り出すものもいて、誓はいよいよ見世物にされているような気分になる。

 しかし、魔族達は娯楽を見る時の表情というには苦々しい。

 この静けさも熱狂を前にした予兆とは違うように誓は感じた。


「よそ見してていいのか?」


 不意に耳元で声がして、誓は飛びのいた。血の流れが止まったかのような寒気が全身に走る。

 細く甲高い子供の声のようでもあり、しわがれている老人のようでもある声だ。

 いつの間にか真横にならず者が立っている。誓とならず者の間にはかなり距離があったはずだ。

 戸惑っている一瞬の内に、相手の拳が誓の眼前に迫っていた。恐ろしい程の重みとえぐるような鋭さで誓は木の幹まで殴り飛ばされる。

 小さな押し殺したような悲鳴や子供の泣き声が木の幹の方から聞こえて来た。

 ならず者が少し早足で誓の方へ近付いて来る。

 鼻と口に溜まった血で上手く呼吸が出来ず、誓は喘いだ。

 ならず者は誓の足の間に足を置いて立つと、屈みこむ。


「っらあ!!!!!!」


 次の瞬間、誓は背中の筋力で跳ね起きて、相手に殴りかかった。

 しかし、ならず者は体を大きく反らして、それを躱す。すぐさま足を誓の鳩尾に叩きつけて、木の幹へ押し返す。

 誓は押さえつけられて、苦しみ悶える事すら出来ない。相手の足を掴んでいるが、ならず者の足はまるでそう作られた銅像であるかのように硬く、動く気配がない。

 誓の腕の筋肉だけが痙攣して震えている。


「おい。あぶねえだろうが……てめぇ名前は?」


 誓は答えようにも答えられない状態だった。


「俺はよ、アデルって言うんだ。お前、EMMA社の基地から来たんだってな」


 話しながら興が乗ったようにアデルは誓を潰している足に力を籠める。

 誓の口が大きく開かれ、息が漏れた。痛みに反応して目が見開かれ、足が跳ねあがる。

 アデルは前のめりになって自らの足に掛ける体重を増しながら、誓の方へ顔を近付けた。


「ジャングから聞いてねえか、俺の事。あー、いや……ひょっとしたら狂骨って名前の方で聞いてるかもしれねーな」


 アデルは突然足の力を弱め、誓の首根っこを掴み持ち上げた。木の幹に誓を押し付けながら、人形でも扱うように左右に揺らす。

 解放された誓は肺に空気を取り込もうと必死で呼吸をした。

 手足を力無く下に垂らしている誓にアデルはさらに詰め寄る。


「なあ?」


「……知らねえ」


 誓が息も絶え絶えに小さな声で答えた。

 アデルが苛立たし気に口の端を歪めて、舌打ちした。次の瞬間、誓を別の木の幹の方へ放り投げる。


「誓!」


 大樹の幹の上からフェイの声がした。

 不意に狂骨の後ろで鮮烈な縞模様が素早く動く。猫のような身軽さで木の幹を垂直に降りて来る。

 のんびりとした様子でアデルが振り返ると、ミルキがその場に立っていた。

 木の幹の足場には、フェイやラテオやウェズも見える。

 野原にいるミルキを見て、ラテオは一瞬嫌そうに眼を細める。しかし、結局、意を決した様子でミルキの後ろに降り立った。


「おーおー、ミルキ姉さんじゃないの!」


 アデルは手を大げさに広げて、相手を歓迎した。

 ミルキは静かな息遣いで直立して、その場から動かずにアデルの方を見ている。

 背筋を伸ばしているからか、誓にはその姿が普段より一回り大きく見えた。


「やめて。あんたに姉さんと呼ばれたくはない」


 アデルは悲しそうな顔で肩をすくめて、誓の方を見遣った。

 そうして、アデルが再び振り返ろうとした瞬間、後頭部に目がげてミルキが足を突き上げる。


「うおっと」


 アデルは両手で防ぐが、蹴りの重さで姿勢が揺らいだ。


「ここでミルキ姉さんが出てくると思わなかった。やる気なのか」


 ミルキは答える代わりに、アデルの腕の上から押し沈めるように拳を叩きつける。

 地面を揺らすような衝撃が走り、アデルがわずかに顔を引きつらせた。咄嗟に胴への蹴りで反撃しようとするが、それをミルキが手のひらで防ぐ。

 アデルは焦る様子もなく、押し返された足の向きを返して、今度は頭部を狙う。それをミルキが防いで、拳を返す。

 誓は何とか立ち上がり、木に背中を預けながら立ち上がり、ミルキとアデルを見た。

 そうして打撃の打撃の応酬が続く内にミルキの膂力に少しずつ押され始めたアデルは急に宙に飛び上がった。空でも飛ぶように軽やかな動きでミルキと距離を取る。


「あああ、もううっとうしい!」


 アデルが力を貯める様に腕を後ろに引いて構えた。

 ミルキが何か察知したように小さく舌打ちしたかと思うと、全速力でアデルに詰め寄る。

 不意に大樹の影からラテオが現れて、アデルを羽交い絞めにする。


「うお、なんだよ! クソガキ!」


 わめくアデルの顔にミルキが拳を叩き込む。

 アデルの目が虚ろになって焦点が合わなくなった。そのまま膝を地面について、突っ伏す。


「あいつを連れて行け」


 ミルキがアデルを見下ろしながら、言った。ラテオは黙って誓の方へ走り出す。

 ミルキはアデルのそばで屈みこんだ時、遠目での誓にはアデルが手をミルキの鳩尾に伸ばしたように見えた。

 声もなくミルキが倒れる。

 何が起こったのか理解できないまま沈黙が流れ、しばらく遅れて木の上から獣人達の悲鳴が響いた。


「兄貴!」


 ラテオは兄の方を振り返り、叫んだ。

 アデルが立ち上がり、先程のように腕を引いて構える。

 その一瞬、何か白いものが誓の目の前を通り過ぎて行った。

 気付くと、ラテオが腹部を抑えて、うずくまっていた。抑えた手の下から血が染み出している。巨大な刃物で切り付けたような傷が見える。


「誓、逃げろ!」


 フェイの声がした。

 誓が前でアデルが再び腕を構えている。誓は咄嗟に伏せると、その上をまた灰色のような白色のようなものが素早く通り過ぎていく。

 誓は立ち上がって、青ざめた。傍にあった大樹の幹が大きくえぐれている。

 木の上に集まっていた魔族達が慌てて、木の橋を渡って逃げ出した。


「あーくっそ、おい、てめぇ逃げてねえでこっちに来いよ!」


 アデルが苛立たし気に怒鳴った。神経質そうな握り拳を乱暴に振る。


「あいつ何をやってるんだ」


 アデルはじっと誓を見続けている。

 誓は生理的な恐怖と嫌悪感を感じた。街の不良のような荒々しくもあるが、情緒の安定しない子供のようでもある。

 もう隠れる事も出来ない。木の後ろに隠れても、その幹ごと叩き切られるだろう。

 誓が思わず出した声に機眼が反応する。


「おそらくだが魔法の類だ。体の一部を刃物のようにして、振り回しているのが見えた」


「倒す方法教えろよ!」


「無理だ。奴の動きを私が認識出来ても、体を動かすのは誓だ。避けて、逃げ切る事すら難しい」


 誓は倒れているミルキとラテオを見た。遠くのミルキは倒れたまま動いていないように見える。

 ラテオも動く様子がないが、小さく肩が上下し、時折苦しそうに口で多く息をしている。


「上等だよ」

 

 誓が機眼でない方の眼を見開いて、速い歩調で誓がアデルの方へ歩き始める。

 アデルが唸り声を上げながら、腕を振りかざす。

 風を切る刃を誓は突然地面に伏せて避けた。そのまま低し姿勢で相手に突っ込んでいく。相手の動きをよく見て躱しているというより、闇雲に素早く動く事に全力を注いでいる。

 ぎりぎりの間合いで前に飛び出すと、拳をアデルの頭へ突き出す。アデルがそれを片腕でいなした。

 アデルが当身を返してくるのを躱しきれず、誓は腕でなんとか防いだが、そのまま飛ばされる。

 誓は腕の骨がきしみ、急に軽くなったように感じた。気付くと、思うように力が入らない。

 一呼吸置いた途端、急激に痛みが襲ってきて、誓は地面に突っ伏した。


「うああ!」


 余裕を取り戻したアデルが雄たけびをあげながら立ち上がる誓を見て、笑った。

 

「やめろ……」


 不意にアデルのものでも誓のものでもない声がした。

 地面に倒れているミルキに視線が集まる。

 ミルキが酷く冷めた様子で、誓を見ている。


「やめろ」


「このままじゃあのキチガイに殺されるんだぞ、やめろも糞もあるか!」


「やめちまえってんだよ」


 ミルキは気力の籠らない目で虚空を見ながら、うわごとのように言った。


「は?」


「お前もう勝つ気がないだろ?」


「何が言いてえんだ。どうしろっつうんだ!」


「一瞬前まで歯が立たなかった相手に奇策でも何でも、次の一瞬に一本を取る工夫をする。その瞬間の積み重ねを努力って言うんだ。

適当に繰り返してれば、その内偶然や経験で勝てるようになるわけじゃない。

やるだけやったという既成事実を作るために戦ってるだけなら、うまく逃げる方法を探した方がましだ」


 誓は俯いた。

 ミルキが首を上げ、誓の方を見た。

 誓も顔を上げた。

 ミルキはラテオが倒れていた方向に視線を移す。ラテオはふらふらとした足取りで立ち上がり、木の幹にもたれ掛かっている。


「あいつの鎌みたいな攻撃、見えるんだよな」


「ああ」


 誓はもう一度アデルの方向へ走りだした。

 アデルが腕を振りかざそうとする動きを見て、近くの木の幹の裏に隠れるように方向転換する。

 アデルは木の幹ごと誓を切り倒そうとするが、一瞬抵抗がかかり、鎌の刃が止まった。

 一瞬だが、石灰色の巨大なメスのような刃物を見えた。

 誓はアデルの腕の刃のない部分にしがみつくと、鎌が引き戻されるのに合わせて、アデルの近くに移動する。

 そうして、次の瞬間、誓はアデルの胴と腕の間に抱きかかえられるように入り込んだ。

 誓が頭突きをし、さらにそこから相手の頭を抱え込みながら膝を鳩尾に叩き込む。

 アデルの鼻から小さく血の滴が落ちる。


「てめえ……」


 アデルが誓を振りほどいて、拳を叩き込もうとする。

 すると、次の瞬間、背後からラテオがアデルに殴りかかる。体ごと引きずりまわすような大振りの横なぎで、アデルの体勢が崩れた。

 反射的にアデルがラテオの方を振り返った瞬間、誓がアデルを後ろから羽交い絞めにする。

 

「っひ!」

 

 アデルが青ざめた。

 ラテオは振り切った体の反動をそのままにアデルの頭をもう一度拳で貫いた。

 アデルごと誓がなぎ倒される。頭が大きく振られて、鼻の奥を突くように急激に血が上って来る感覚。

 静かな沈黙の後、誓はきつく閉じていた目をゆっくりと開いた。

 アデルの声もラテオの声も聞こえない。

 誰かが誓の腕を乱暴に掴むと、ぬいぐるみでも扱うように軽々と持ち上げた。

 ミルキはラテオと誓に肩を貸しながら、木の幹を昇っていく。上からフェイとウェイズが下りてくる。

 フェイは誓の顔を見て、安堵に目を細めたが、すぐに頬を強張らせた。


「アデルは? 殺しちゃった?」


「いや、しばらく立ち上がれないだろうが、息はしていた」


 ミルキは淡々とした様子で言った。咄嗟に答えたからか、いつもとは違う体の底から響くような低い声だ。

 ウェイズは混乱しきった様子で、ラテオやフェイに詰め寄った。

 

「あんなぼこぼこにしちまってどうすんだよ。あれでも王族だぞ。ばれたら、問題になるぞ。いっそ……殺すか」


 ウェイズが言葉を詰まらせ、意を伺うようにミルキの顔を見ると、後ろめたい事のように小さな声で続けた。

 ミルキは大樹を昇り続けていたが、時間差を置くと、一瞬ウェイズを見た。

 ウェイズは思いつめた様に俯く。


「それ抜きにしたって、ほっといたら腹いせに村を襲うかも……」


 不意にどこからともなく湧いたかのように村長が現れる。

 皆憔悴しきった様子で声こそ挙げなかったが、驚いて誓とラテオとウェイズは小さく飛び上がった。


「なんという事を」


 村長はそういいながら、音も立てずに静かに足を上げ、下ろし、ゆっくりと誓達の方へ近付いてきた。

 誓やミルキの顔をのんびりと一定の速度で見回すと、急に飽きた様に振り返って、大樹の上の方へ戻って行ってしまう。


「あのならず者の処理には王族も困っていたはずじゃ。形だけでも謝罪すれば、後は交渉次第といった所かの」


 誓は前日の出来事を思い出して、身を強張らせた。ここは幅の狭い階段だ。魔法で襲われたら、身動きが取れない。

 村長はまた誓の方をじっと見ている。


「うぬああああああああああああああああああああああああああ!」


 突然、この場にいる誰のものでもない咆哮が響いた。

 声は拡声器でも使っているような大きさで下の方から聞こえてくる。人間とも獣とも違う割れた声だ。

 誓は慎重に階段から顔を突き出して、下を覗く。

 誓には白い巨大なそれが一瞬何なのか解らなかった。

 背骨のような筋がうねったかと思うと、二つの眼が誓達の方へ向いた。

 大きな黒い瞳孔と見つめ合う内に誓は何となく相手の姿を把握したが、それでもそれが何か解らない。


「竜?」


 誓が知識の中であてはまるものをあげるならば、それは竜によく似ていた。背中には羽らしきものも見える。

 誓がそう言うか言わないかの時点で、その竜は身をよじりながら空中に飛び上がった。羽ばたくと、羽根の下に鈍く光る粉のようなものが舞い上がっている。


「なんだ?」


「アデルはどうした?」


 ウェイズとミルキが立て続けに声を上げた。

 竜は大樹の枝にぶつかるのも構わずに直線で誓の方向へ向かってくる。

 落ち着いた様子で村長が階段の外側に歩み寄った。

 

「仕留めそこなったな。まああの程度で懲りる奴ならばわしがとっくに倒しておったわ」


 遠く小さかった白い竜の影が見る見る内に巨大になっていく。

 無数に並んだ人の頭ほどある牙が誓の前で開かれた時、村長が杖をかざした。水の塊が竜の体を包むようにして現れ、捕えた。

 水の球体の中で竜がのたうち回る。そうして、諦めた様に一瞬動きを止めると、誓の方をじっと睨んだ。


「これはアデルなんですか?」


 ラテオが上ずった声で言った。


「体の形を自由に変える魔法を最大限の力で使うと、このような化け物になる。わしも数える程しか見た事が無いがな。

お前達が倒したのは戯れている時のアデルに過ぎないという事じゃな」


「どうするんです!」


 ミルキが村長に怒鳴った。


「しばらく抑えておくのが精いっぱいじゃ。人間達が大陸に来たばかりの頃、一度基地の人間が人型兵器を使って倒していたな」 


 誓がフェイの顔を見る。

 フェイが青ざめた顔で誓を見た。アデルに対する恐怖とは別の不安がフェイの顔に浮かぶ。

 フェイが何かをごまかすように薄ら笑いを浮かべる。


「いや……無理だよ」

 

 誓はフェイの眼を真っ直ぐ見ると、黙って木の階段を早足で昇り始めた。

 フェイが声だけで必死で追い縋る。


「駄目だって。絶対駄目だ!」


 誓は平坦な足場に着くと、一気にある方向へ走り出した。

 あっという間に誓はフェイの倉庫の前に来ていた。巨大な扉の隙間から、そのビー玉ようなロボットの瞳が誓達の方を見ている。

 誓はロボットの脇に回ると、コックピットを開け、乗り込んだ。


「あっれ、訓練所の奴と違うな!」


 コクピット内に周囲の景色が映し出される。

 訓練所の機体と違い、操縦桿が見当たらないが、代わりに腕や足を差し込む場所がある。

 誓がそこに手足を差し込んで、腕を上下させる。すると、機体の手足が誓の手足に合わせて動き出す。

 つま先立ちするように足を伸ばすと、機体の推進器が火を噴いた。すごい勢いで機体が倉庫の外に放り出される。

 ようやく追いついたフェイは、倉庫に着いた途端、目の前を機体が落下していくのを見て、悲鳴を上げた。


「うわああ!」


「うおお!」


 きりもみしながら落下している機体は今度は急に上昇しはじめる。

 枝を突き破り、左右に触れながら大樹の森の上に飛び出る。そうして、ようやく機体はそこに止まった。


「何とかなるか!」


 誓は肩で息をしながら、森を見渡し、アデルがいる場所を探して、飛んでいく。

 はるか下のアデルに向かって、誓は急降下を始める。

 ウェイズとミルキ、ラテオは目を丸くして、口をあけっぱなしにして、機体が飛んでくる方を見つめている。


「ええ……」


 ウェイズは驚きのあまり大きな声が出ず、ぼやくようにうろたえた。

 機体がアデルに突っ込んで、つま先を突き刺すように蹴りを放った。

 アデルを包んでいた水が飛び散る。

 もみくちゃになって一人と一機は木の下へ落ちていく。アデルが大きな翼で羽ばたいて、何とか空中で体勢を立て直すが、のしかかるようにして誓の乗る機体がまとわりつき、拳を叩きつけている。

 結局二人は、そのまま地面に墜落して倒れた。

 アデルの方がすぐ飛び起きる。

 誓も機体を起こす。


「うぬあぐああああ!!!!」


 言葉にならない怒声をアデルが発し、誓の方へ突進してくる。

 誓も立ち向かおうと、機体を操作する。


「あれ!」


 機体が動かない。


「まじかよ……」


 その時だった。ふと頭上から降る何かが、アデルの体を貫いた。

 細かく小さな風切り音がいつまでも続き、アデルが悶える。

 空から無数の人型兵器が円の陣形を組んで、アデルに銃撃を放っている。

 大樹の木陰に隠れたアデルが身をよじって回転すると、その尻尾が斧のような形になり、人型兵器の部隊へ伸びた。数機が一瞬の内に破壊されて、地面に落ちていく。 



「アニキいいいいいいいいいいい!!!!!」


 人型兵器の内一機が誓の方へ近付いてくる。

 アデル方を向き、銃撃を続けながら、地面に降り立ち、誓の方へ後退してくる。


「エニスか?」


「アニキ! 良かった! アニキ、生きてた!」


「おっしゃ! 撃て撃て撃て!」


 別の機体からエリックの声も聞こえる。

 追い詰められたアデルが低く身を起こすと、牙を剥きだしにしてエニスの方を向いた。

 牙を剥きだしにして、弾丸のような速度でエニスの機体に突進してくる。


「あぶねえ!」


 誓が言うより早く、エニスの機体にアデルが突っ込む。

 推進器で飛んで逃げようとするエニスの機体を歯で食いちぎっている。


「や、やべ! くそ! うわああああ! ちっくしょおお!」


 エニスの機体がアデルの頭を締め付けて、何とか牙から逃れようとする。

 次の瞬間、エニスの機体からまばゆい光が発せられて、周囲が爆風に飲み込まれる。

 振動と共に誓の機体が吹き飛ばされる。

 煙で視界を奪われて、周囲の機体は動きを止めた。

 突然の事に誓も言葉を失う。


「あ……おい!」


 誓が慌てて機体を降りて、爆風の中心へ向かう。

 エリックも機体を降りて、後に続く。


「うっそだろって!」


 爆散した機体の破片を見て、エリックは口と目を目いっぱい開いたまま固まった。

 誓は無表情のまま時間が止まったようにその場に立ち止まった。口を一文字に閉じ、エニスの機体の方を虚ろな目で見つめている。 


「嘘だろお?」


 エリックが情けない声を出した時だった。

 不意に何か巨大な布のようなものが誓達の背後に落ちる柔らかい音がした。

 赤い布をかき分けて、下からエニスが出てくる。


「へへ、どうでい! 新型パワフルエニスの自爆機能!」


 エリックは猛ダッシュで走っていくと、無言でエニスを殴った。

 ぐったりしているアデルの周りにまるで虫のように人型兵器がまとわりついて、取り押さえる。

 竜の体がみるみるうちに縮んでいき、元のアデルの姿になった。


「ああああ! くっそがあああああ!」


 体が小さくして、人型兵器の拘束を抜けたアデルが誓の方へ向かってくる。


「いや、流石にしつこいっつの……」


 誓は落ち着いた口ぶりながらも、体は半腰で完全に逃げる姿勢になっている。これ以上、戦える気がしない。

 突然、大樹の陰から現れた白衣の人影がのんびりとした歩調でアデルの後ろに回り、頭を蹴り飛ばす。

 地面に倒れたアデルは振り返って、相手の顔を認識すると、息を呑んだ。

 背後に立たれた事ではなく、そこにその相手が居る事に対して驚いている。

 

「てめえ!」


 アデルが我に返ったように手を鎌にして男に向けて振り回すが、男は遊びのようにしゃがんだり跳ねたりして躱してしまう。

 目を血走らせたアデルがさらに速度を上げて、鎌を振り回す。

 男は舞でも踊るように飛んだり回ったりと、さらに人間離れした動きで、それを躱していく。

 アデルが疲労し、一瞬呼吸を置いた瞬間、男はその首元に手刀を落とした。


「相変わらず丈夫な奴」


 感情のない声でそう言うと、ジャングはポケットに両手を入れた。片側の眉をつまらなそうにわずかにしかめている。

 エリックをはじめとした社員がざわついた。


「社長!」


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