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邪気眼ダンス  作者: OnJ
7/14

【ヴント】


 深い緑の屋根と真っ赤でレンガ造りの建物はその表面が埃などの汚れや擦れた跡で少し白っぽく見え、建てられた後の時間の経過が感じられた。派手さは無いが、素朴な落ち着きがある。

 入口の上に取り付けられた弓なりの形をした看板には、メルベ鉄道、と列車の名前が刻まれている。

 交易に使われていた古道に沿うよう線路が張られたメルベ鉄道は車と飛行機が発達仕切るまでは東西の国際運輸を担う主要な交通機関であったらしい。

 正面の大きな入口の時計を見上げて時間を確認する。まだ追手に足取りは掴まれていないだろう。

 階段を上っていると、やけに背筋の伸びた忙しげな背広の男や小奇麗に正装した子供達などが走ってこちらを抜かしていく。もはや最も効率のいい移動手段ではない列車だが仕事や旅行などで利用する客は今でも多いのだ。

 古めかしい建物とは裏腹に中にある券売機や改札など駅としての設備は綺麗な液晶画面が取り付けられていて真新しい。

 ガラスで仕切られた喫茶店には老人や裕福そうな人々が集まり、その向かいのカウンターのある外食店では高い椅子の上で体を揺らしながら昼間から酒を煽る男達が見えた

 吹き抜けで繋がった二階には食料品店から雑貨屋に土産屋に洋服屋まで並ぶ。


「服が汚れ過ぎて目立つ。着替えたい」


 ガラスを突き破ったり、森の木の枝の中を押し進んだりしたせいで、服の袖がいたるところ破れ、ズボンの裾には泥が付いている。 

 白い石の階段を上り二階の通路を角まで進むと、色彩豊かに飾り文字が躍る洋服屋が集まっている場所が見えた。

 立ち止まって二人を引っ張り、一階を見下ろすようにして手すりの前に三人で並んだ。


「旭だったな。頼む。俺達三人分の服を買ってきてくれ。なるだけ目立ちたくないし、痕跡を残したくない。俺とシモンの服装で店に入れば、店員に怪しまれるし、追手が店員に聞いて回った時にすぐにばれる事になる」


 旭の服も多少汚れてはいたが、元々土にまみれていたシモンや長い間同じ服しか着ていない俺よりましだろう。

 何より元がいい服だ。そのまま入っても、何か面倒事で服を駄目にした旅行者ぐらいにしか思われない。

 旭は一瞬鋭い眼光をこちらとシモンに向けて走らせると、少し黙ってから大きくうなずいた。

 自信ありげに目を細めたまま笑う様子に不安を感じる。


「くれぐれも目立たない格好がいい。頼むぞ」

 

 袋から出した紙幣をゆっくりと相手の方に差し出す。

 旭はそれを潰すように握り、素早く奪い取ると一番手前の店へ入って行った。


「あれ、大丈夫なのか!」


 シモンにそう責められて、大丈夫だ、と手放しには肯定できない。余計な事に使わないようにだけ見張っておこう。

 手すりに肘を置いて、追手が来ないか入口を見張る。追手はこちらの目的を知らず、それ故当然目的地を知らない。それがこちらの強みだ

 まして観光客と貧困にあえぐ労働者が仕事を求めて移動する為にしか使わないこの鉄道を利用しているとは思わないだろう。。

 しばらくして白い幅のある袋を持った旭が店から出てくる。

 そのままこちらへ来ると思いきや、こちらを見ずにすぐ隣の黒っぽい装飾の紳士服店に入っていった。

 数分後に出てきた旭の手には三つの袋がぶら下がっている。

 旭が寄って来て、両手で二つの袋をこちらとシモンの胸に押し付けて来た。


「トイレで着替えよう」


 素早く着替えて、個室を出ると鏡の前でシモンが立っていた。

 落ち着かなそうに服の肩のあたりを掴んだり、首の後ろのフードを触ったりしている。

 旭が選んだ店の嗜好によるもなのだろうか。シモンの服装は上着は植物のような緑色だったり、ズボンが暗い黄土色だったり、軍隊を思わせるような色遣いだ。 

 鏡で自分の服装を眺める。

 薄茶色の上着にデニムのズボン。目立たないという目的を考えるなら、まず及第点だろう。

 トイレを出て、辺りを見渡すが、旭は見当たらない。やはり女性の方がこういう事に時間がかかるのかもしれない。

 そのまま二人で旭を待つがそれでも出てくる様子はない。

 シモンは肘を手すりに預けながら、我慢ならない様子で手すりの柱を小刻みに蹴飛ばし始めた。

 さらに時間が経って、ようやく出てきたかと思うと、旭は自分の足元をずっと確認している。


「ねえ! ズボンの裾まくったほうが可愛いかな?」


 シモンは黙って旭の後頭部を殴った。

 電光掲示板で時間を確認する。着替える為だけにここまで待たされた結果、運がいいのか悪いのか、一日に十本も走らない列車が数分後に発車する事になっている。

 早足で券売機へ向かい、三人分の乗車券を買い、改札を通った。

 駅の中を正面にまっすぐ進んで、さらに掘り下げられた場所に階段で降りていくとホームがある。

 四つある線路の右から二つには列車が止まっていた。青い車体に金色の線が入っている。

 やたら高い天井には天使や聖人の絵が描かれ、梁には彫刻が見えた。

 建物内の灯りが少なく感じる。

 線路の上には屋根が無く、そこからの自然光が当たる乗り場だけは明るくなっている。しかし、それを以って、なお全体的に薄暗い。

 照明を多く入っられないのはおそらく歴史ある建物の雰囲気を守るためなのだろう。

 自分達が乗るべき一番右の線路まで歩く。

 先頭車両のカーテンの隙間から、大きなベッドと広い部屋が見えた。

 迷わず乗り込もうとする旭の肩を掴んで止める。


「俺達はこっちだ」


 金属製の点字ブロックに沿って、三両程歩いた所でドアを開けて中に入った。

 通路は狭く、煙草や珈琲のにおいが混じった独特のにおいがする。

 旭が小さく呻いて、苦々しい顔をした。


「ああ、萎える」


 車内は先ほどの車両と打って変わって、網棚のようにようやく人一人が横になれる空間で縦に三段ずつ仕切られ、そこに敷物があるという構造になっている。移動中はここで寝泊まりする事になるのだ。

 自分達の指定された場所を確認し、カーテンを開ける。

 大きな窓から反対側の乗り場が見えた。走り出せば景色なども見えるだろうが、今はただ人通りが多く居心地が悪い。

 端には小さく折り畳まれたタオルケットと寝巻が置かれている。


「酷い差だ」


 流石のシモンも先程の綺麗な部屋を見た後では、落胆を隠せないようだ。

 先頭から三両は金持ちの旅行客などが利用する部屋が入った車両だ。今いる小部屋と比べると値段が十倍以上違う。

 シモンが一段上の段に荷物を放り込んだのを見守ってから、一番下の段に体を滑り込ませる。

 旭は向かいのベッドに入っていった。

 足元のスピーカーは大音量でメルベ鉄道の案内や歴史を語っている。


「このように現在では動力には蒸気機関は利用されておりません。ですが、昔を懐かしむ面影として、また安全確認のため、現在でもメルベ鉄道は白い煙の出る汽笛を採用しているのです」


 目の前の丸いつまみをひねり、音量を下げた。

 寝る環境としてはこれ以上無い程悪いが、それを気にする程繊細ではない。久しぶりに落ち着ける場所についた事で少し気が抜けて、眠くなった。

 窓に対して背中を預けてしゃがみ込む。


「ちっくしょ! 俺んちが壊されなきゃよ!」


 シモンがぼやいた。

 何も言い返せず、横になりただ低い天井の木目を見つめる。

 文字通り木っ端みじんになったシモンの木の小屋の事を思い出す。


「すまなかった……」


 シモンが寝転がっている上の段が軋んだ。寝返りを打っているのかもしれない。

 大きな音が上から二回したかと思うと、少し静かになる。

 

「なんだ? 気持ち悪い。ソプラノの説教がそんなに効いたか」


「どんなに安い作りでも、どんなに汚れていても、金で測れないお前の愛着というものがある。それは解っていた。

しかし、先を急ぐばかりで金以外の形で返す方法を考えようともしなかった。それがお前の気分を害したんだろう。……この旅が終わった時には取り戻す方法を必ず考える」


 ソプラノに言われてから、その内言おうと心の中で決めていた事だが、改めて言うとなると気恥ずかしく、自然と早口になった。

 もう一度上の段から大きな音がする。

 返答がなく、それ以上何かを言う事も出来ず会話が終わった。

 しばらくして、上の段のベッドを確認するとシモンは肘を立てて頭を支えた体勢で通路に背を向け、寝転がっていた。

 しかし、振り向くと旭の方がベッドにいない。

 

「おい シモン」


 シモンは首だけで振り向いた。相変わらず機嫌は悪いようで、人間が自分の前髪を整えるように自分の角をいじりながら片手間にこちらの様子を見ている。

 カーテンを少し開き、旭のベッドを覗き込むが、やはりいない。

 あの性格だ。飽きて、逃げ出したという事も考えられるが、荷物はある。


「旭がいない。どこかへ行くのを見たか? 追手の裏をかいて観光客と一部の労働者しか乗らないメルベ鉄道に乗っているんだ。あまり動き回りすぎるのはまずい」


「見てねえよ」


 自動ドアを通って、出口の方を確認する。一つ前の車両は喫茶店になっているらしい。

 シモンが梯子から降りて、様子を見に来た。


「おい! あいつ!」


 シモンが前の車両の自動ドアについた窓を指さしている。

 首を傾けて覗き込むと、椅子に座ってコップを傾けている旭が見えた。

 突然、汽笛が鳴って車両が動き出す。どうやら旭を置いていくという事態は避けられたようだ。

 シモンが旭を連れ出そうとするが、旭は案の定動く様子が無い。仕方なく自分も店内に入る。

 こちらに気づいた旭が肩をすくめる。

 

「皆でお茶するぐらい良いじゃない!」

 

 旭が机の周りに固定された自分の左右の椅子を叩いて、座るように促してくる。

 仕方なく座ると、シモンもうんざりした様子で椅子に腰を落とした。

 こちらが騒いでいたせいで注意を引いたのか、ハンチングを深く被った青年と目が合う。

 旭に顔を近づけ、耳打ちする。

 

「あまり無断で単独行動するな。食料は売店で買って個室で食べる方が安全だ」


 ふと店内の大きな窓から周りに植えられた背の高い草に覆われた土地が見えた。少し傾き始めた日がそれを赤く染める。

 それが途切れたかと思うと今度は少し離れた場所に大きな水田が広がる。

 静かにしている事が少ない二人が一瞬静かに座ったまま、景色に見入っているのを横目に見た。

 奇妙な沈黙の後、旭がコップを両手で抱え、珈琲を音を立てて啜った。


「ああ、落ち着く」


 旭は目を閉じて、微笑んだ。

 我に返ったシモンが旭服の襟や袖を掴み、ベッドの車両まで引きずっていく。


「てめぇはじじぃか!」 


 それから数日、狭い個室の中での生活が続いた。

 列車が走っている間は起きていても列車内の放送を聞く事とシャワーを浴びる事ぐらいしかやる事がない。朝起きて目を開ければ低い天井とにらめっこし、仕方なくまた眠りに落ちる、という繰り返しで、うんざりさせられる。

 旭は勝手に抜けだして売店で雑誌を買ったり、車内を散歩したりしているらしかった。毎日三回は自分かシモンが旭を探して連れ戻す。

 列車は一日に何個かの駅にゆっくりと停車しているが、夕方頃になると少し大きめの駅に停まってそこでは朝まで休憩時間になる。そこでようやく少し自由に行動出来た。

 駅に降りては日用品を少し買い込み、人の居ない場所で刀を振り、錆びついた体を動かすのが習慣になっている。

 相変わらず湿気は強いものの平らだった地形が山がちになって起伏が大きくなっている事から、既にかなりの距離を移動しているのが解った。

 列車は今、少し人のまばらな田舎町に停泊している。

 買い物や用事を済ましてしまおうとドアの前に並ぶ。

 ずっと仰向けで列車に揺られていたせいで、背中が疲れて張った感じがする。片方の手で反対側の肩をほぐしながら、小さく腕を回す。

 辺りには他に大きな移動手段もないらしく列車に乗り降りする人の波は大きかったが、一度そこを外れてしまうと、木々に囲まれ建物も人も見当たらない。

 食料を買い込んだ後、いつもの素振りをしばらくこなしていると、あっという間に辺りは暗くなり、見上げれば弱々しく星の光が見えた。

 獣に襲われてもつまらない。そう思って、走って列車に戻ると、不意に無数の視線がこちらに向けられているのを感じる。

 個室から顔を小さく突き出している乗客もあれば、仕切りのカーテンから目だけを覗かしている者も居る。

 素性がばれたかと思い警戒するが、その割には目があっても何か行動を起こす気配がない。試しに半歩横にずれてみると、その視線が自分ではなくさらに奥の何かに注がれているのに気付いた。

 様子を伺いながら自分の個室の前まで来ると、向こうからあちこちに体をぶつけながらふらついたシモンが歩いて来る。


「こいつ、なんか変だ」


 そう言うシモンの顔は赤く腫れ、首や肩には引っ掻き傷のようなものが見えた。後ろには目が赤く、額にかすり傷のある旭が立っている。

 旭の髪は湿っていて、石鹸臭い。先程までシャワーを浴びていたようだ。

 いつも通りシモンがシャワーを浴びた後に暇を潰している旭を連れ戻そうとして喧嘩になったのだろう。

 しかし、どういう事だ。シモンの方が怪我が酷い。


「騒ぎは起こすなと言ったはずだ。何が起きた?」


 旭は自分の個室に飛び込むと静かに鼻をすすり始めた。機嫌悪そうに壁を蹴る音まで聞こえる。

 シモンは興奮して肩を上下させながらも、呆然としている様子で中々話し始めない。


「こいつを……無理やり連れ戻そうとしたら……急にこいつが遠くに行ったり、近くに来たりした……」


 要領を得ない説明に眉をひそめる。

 旭の様子を伺いながらちらりとシモンの顔を覗き込むが、目が合わない。

 

「どういう事だ?」


 シモンは疲れきった様子で旭の個室を見た。聞こえるように大きく舌打ちすると。爬虫類のように梯子にへばりついて登り、自分の個室に戻って行く。

 そうしてベッドにたどり着くと枕に頭から突っ込んで、そのまま動かなくなった。

 状況から判断するに、何か魔眼の能力が関わった異常のせいで怪我をしたという事らしい。


「瞬間移動のような能力の魔眼を旭が持っていたという事か?」  


 驚いて、シモンに尋ねる。思わず声が大きくなった。

 シモンの怪我が酷いのは旭に怪我させぬように本気を出していなかったからだろうか。 

 質問の答えがは帰って来る事は無く、しばらくすると左右から寝息が聞こえ始める。

 翌日の昼前ぐらいに起きると、既に列車は走り始めていた。

 案の定、個室に旭はおらず、またどこかをうろついるらしかった。

 個室を出て上の個室を見ると、シモンが狭い個室の中で最大限四肢を伸ばし、口を開けて寝ているのが見えた。

 眠気をこらえながら一つ前の食堂が有る車両まで行くが、姿は見えない。

 後ろの売店の車両に行ったのかもしれないとは思いつつ、念の為に端の通路を歩いてもう一つ先の車両へ向かうと、突然男の低い悲鳴と誰かの揉める声が聞こえて来る。


「ちょっと止めなさいよ!」


 旭らしき声を聞いて急いで車両に入る。

 中では、ハンチング帽を被った青年が床に尻餅をついて、それに覆いかぶさるように背中の丸い小さな老人が拳を振り上げていた。

 旭は必死にその間に分け入って、老人を止めようとしている。 

 顔を白い髭に包まれているその老人も青年も工具を腰に付けており、機械工であることが解った。仲間内でのトラブルだろうか。


「いきなり暴力なんて良くないわよ!」


 両手を大きく広げて旭がまくし立てると、老人は黙って立ち止まる。

 そのままじっと旭の顔を見ると、急に体を反転させ、体重を左右に大きく振る奇妙な走り方で去って行った。

 緊張が解けたのか、青年は力が抜けたように床に倒れ、額の汗を服の袖で拭った。大きく深呼吸をして、後ろの壁に取り付けられている手すりを掴むとゆっくりと立ち上がろうとする。

 歩み寄って手を貸そうとするが、青年はこちらの手は取らずに恥ずかしそうに笑った。


「いやぁお恥ずかしい所を」


 旭が駆け寄って、青年に怪我がないか体のあちこちを眺めながら確かめた。

 青年は気まずそうに硬直してされるがままに、目だけで旭を追っている。 

 

「なんだってあんなに怒られてんの?」  


 旭は青年に向き直り、じっと相手の目を見ながら眉間にしわを寄せる。

 青年が帽子をとって頭を掻くと、帽子の下から茶色みががった巻き毛が現れた。

 ズボンの埃を払い、深々と帽子をかぶり直すと、大きくため息を付く。


「いつ怒り出すかわからない人だから……でも、今回はおやっさんのペンダントを勝手にいじっちゃったからだと思う。ったくじじいの癖にあの馬鹿力、参っちゃうよ」

 

 そう言って、青年は頬を引き攣らせ、苦笑いした。 

 機械工らしからぬ健康的に焼けた肌と血色の良い頬が野性味のある力強さを感じさせる。

 老人の駆けていった方からは心配そうに他の機械工仲間が見ている。

 青年が手を振って無事を伝えると、機械工達はぞろぞろと部屋に戻っていった。部屋の中で何か話している声が聞こえ始める。

   

「踏み入った話をするが、あの老人……抜け殻病か?」


 目を丸くした青年がこちらを向く。

 こちらを見て固まったかと思うと、素早く二回うなずいた。


「解るもんですか?」  


 記憶の中のまぶたを開けたまま寝ているような奇妙な目が映像になって浮かぶ。

 その男の顔と老人の旭を見る表情が被った。

 嫌な威圧感を思い出し、思わずうつむく。

  

「以前、同じ病気にかかっていると言う者に会った事がある。症状が随分軽いらしく普通に生活をしているようだったが、独特の行動の間が有る」


 旭が腕を組んで、横から青年に見下したような視線をぶつけている。

 そのまま苛々した様子で片足に体を預けた姿勢で顎を小さく上げた。


「なんだか知らないけど、男のくせに病気の老人やられたい放題なの? やり返したら?」


 青年は黙ったまま、また苦笑いをして首を横に振った。

 それを見てバカにされていると思ったのか旭がさらに肩をいからせて、少年の方へ向かっていく。

 勢いづいて少年に掴みかからんばかりに息巻いている旭を止める為、仕方なく声をかける。

 

「それは止めた方が良いな」


 そう言った途端、旭は首だけをこちらに向けた。

 つま先で素早く体を返したかと思うと、勢いそのままに今度はこちらに噛み付いてくる。あまりに距離が近くて暑苦しい。

 前に出てくる旭を片手で押し返し、一歩下がって間合いを取った。


「なんでよ!」


 不機嫌そうに旭が口を尖らせる。


「抜け殻病の患者は異常に強い……事がある。あの老人もおそらくそうなんだろう」


「強い? なにそれ……喧嘩が強いとかの強い?」


「そういう意味だ。抜け殻病、笑顔病とも言われている。

様々な先天性障害の知識がない時代の呼び名だったとも考えられているし、今でもその意味でつかわれる事がある。しかし、最近の調査でそれらとは別の障害が極少ない数存在しているのが明らかになった。

実際見るまで信じられなかったが、何故か異常な格闘能力を持つ者が多いらしい」


 旭が納得したのかしていないのか判らないが、とりあえずその場が収まったのを見て、旭の背中を押して個室へ戻る。

 頬ってもおとなしくはならないように思えたので、飲み物と食料を渡して、旭が個室に戻るのを見送った。

 シモンの部屋ではようやく目を覚ましたらしいシモンが半分体を起こして、まずそうに顔をしかめながらクラッカーをかじってるのが見えた。

 想像に難くない事だが、ベッドの周りは酷い荒れようで、食べ物の塵が散乱し、端にはちり紙の山が出来上がっている。

 気づけば目的の駅まではそう遠くない所まで来ている。列車の生活から開放されると思うと、気が楽なような、寂しいような、複雑な気持ちになる。

 翌日の朝、決まり事のように旭がどこに居るか探しに行くが、周りには見当たらない。

 もしやと思い、機械工達の部屋に行くと、機械工達と円になって歓談している旭が居た。皆足の低い木の椅子を並べて何か写真を見ている。


「これがママ。美人でしょ? おっぱいが大きいのがお姉ちゃんね」


 旭が自慢気に見せる写真を機械工達が回しながら見ている。

 声を上げる気にもならず、無感情なまま静かに目を閉じる。

 部屋の端の机には一心不乱に紙に何かを書きつけている老人が居た。机には小さな箱が紙を止める重しのように置いてあった。

 あの箱のなかに昨日言っていた宝物が入っているらしい。


「ああ、あんたがヴントか! 旭ちゃんのボディガードなんだって?」


 機械工の一人の円の中に引き入れられるが、椅子がないのでその場で立ち尽くすような状態になった。

 ふと機械工達の持っている写真に目がいく。旭と旭によく似た二人の女性が上品に腰掛けている。

 中心の落ち着いた様子でこちらを見ているのが母親で、もう一人の旭に頬を寄せて微笑んでいるのが姉だろう。

 

「兄ちゃんなにか面白いことやって!」


 写真を見ていると、突然訳のわからないことを言われた。

 面倒なので、黙って旭を連れて行こうとするが白けた様子の男達に止められる。

 口々に文句を言う男達を前にますます居づらさを感じる。面倒に思いながら顔を反らすと、今度は老人が何かを描いている紙に目が行く。

 一体何を描いているのだろうか。


「そこの老人は何をしているんだ」


 わざとぶっきらぼうに言ってやると、昨日の青年が前へ出てくる。


「ああ、多分飛空艇の設計図だよ。数年前テレビで飛空艇完成を発表されてからずっとこの調子なんだ。多分おやっさんの完成にビビッと来るものがあったんじゃないかな。

もう何機分も設計図を描いてるよ」


老人が一心不乱に向き合っている紙には、色んな角度から見た飛空艇が描かれ、その傍には見ても意味の分からない記号や数値がほとんど隙間もなく書き込まれていた。

こうして見ている今も、老人は忙しく定規や分度器を持ち替えては置いて、絶えず鉛筆を動かしている。

飛空艇も大分普及したとはいえ最新の技術だ。一般人に扱えるとは思えない。


「そんなものが機械工に描けるのか?」


「何、その言い方! 機械工馬鹿にしてる? まぁ……実際普通機械工はそこまで出来ないけどね。

おやっさんは普段はボーッとしてるだけだけど、機械工として仕事が正確で特別優秀だし、化学やら航空工学の知識もあるみたいだ」


 痩せている機械工が椅子から降りて床に座ったかと思うと、代わりに椅子に座らされ結局宴会に参加させられる。

 しかし、どんだけ騒がしくなっても老人だけは気がそれるということもなく設計図を書き続けている。

 旭の気の済むまでは動けそうにない。

 仕方なく機械工達の質問に答えたり、お菓子をつまんだりして時間を過ごす。

 業務用のような大量に詰められたクッキーやマシュマロやポテトチップスが並んでいたが、如何せん味は当たり外れがある。

 特にクッキーは砂糖をそのまま食べさせられているようで、食感も粗く、一つ食べれば十分に思えた。

 比較的気に入ったマシュマロにもう一度手を出そうとした時だった。

 一瞬何かがきしむような音がしたかと思うと、急に辺りが明るくなった。

 光に照らされて部屋の中も人の顔も真っ白に見える。

 薄目を開けて見上げると、そこには青い空と真上の太陽があった。自分たちが居る車両の半分は壁から天井にかけて大きくえぐり取られ、野晒しになっているのだ。

 目の前には巨大な茶色く光沢を放つ金属の塊が現れる。


「人型兵器だ! 伏せろ!」


 そう叫ぶより一瞬早く、部屋の旭や青年のいる辺りに向けて銃弾が放たれた。

 時間が止まったかのような衝撃と緊張感の中、青年の悲鳴が響く。俺は身を縮めながら銃口の向いてない方に飛び込んだ。

 轟音の後をゆっくりと目を開けると、旭がうつ伏せになり、頭を手で隠しているのが見えた。

 銃弾は部屋から外れたようだ。

 列車が動いていたおかげで狙いが反れたらしい。対兵器用の銃弾だ。当たっていれば即死だっただろう。

 周囲の物の破壊に巻き込まれたらしく、青年は肩や脇から大量に血を流している。

 旭が倒れた姿勢のまま、首をあげ周りを見た。青年の怪我に気づくと、痙攣でも起こしているかのように静かに震え出す。

 旭の口から静かに声が漏れているのが聞こえた。それが段々と大きくなっていき、悲鳴になる。


「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 途端、旭を中心に周囲の景色が歪む。

 旭を助け起こそうと伸ばした手がそれに合わせて折れ曲がっている。俺は慌ててを手を引っ込めて、息を呑んだ。

 写真を引っ張ったり潰したりしたように、空間が歪んでいるのだ。

 機械工達も逃げるようにして、空間の歪みから遠ざかった。

 こちらの足元の景色を引き伸ばされ、列車の外には引き伸ばされた分の景色が寄せられて、様々な色が集積した塊が見えた。

 

「旭! 何が起きてる!」


 歪んだ空間が元に戻ると同時に旭は弾かれるようにして列車の外へ飛んでいった。

 机の上においてあった老人の木箱も巻き込まれ吹き飛んでいく。老人が慌ててそれに追い縋ったが、間に合わない。

 旭が飛んでいった先には大量の兵器で陣を敷いた軍隊が見える。

 この地域の軍隊なのだろう。緑に塗装された四肢も胴も太い重量感のある機体が端から端まで並んでいる。

 茶色い機体は指揮官らしく、人の中央の少し後ろに戻っていった。どの機体も頭の左右に曲がった角が付いている。

 シモンが突進するように廊下を駆けて来て、こちらを見つけると両足で勢いを殺し、立ち止まった。


「おおい! あいつは!?」


 旭が飛んでいった方を指差す。


「だから言っただろ。何か近くなったり遠くなったりするって!」


 旭の魔眼は空間ごと歪めて瞬間移動する能力を持っていたという事か。

 列車は急停車し、警備兵たちが応戦を始める。

 しかし敵の数が異様に多い。ブラマンへの行く途中で出会った数の比ではない。

 やはり列車の中で何回か起こした騒ぎのせいで軍隊に俺の居場所が感づかれた。


「ワイズマン!」


 ワイズマンを呼び出して乗り込み、出来る限りの分身を出す。

 シモンが列車の通路を右往左往し始めた。

 車掌を捕まえたかと思うと襟元を掴んでたぐり寄せる。


「こっちもあの機械みたいの出せねーのかよ!」


 分身達を横並びになって飛行させ、敵の陣形とぶつかる直前で展開する。こちらの動きが予測されていたかのようにあっという間にミサイルや銃弾の膜が張られた。

 機体を左右に大きく振り、空中で身をよじりながら敵の攻撃を躱し、隙を見てこちらからも機関銃を放つ。銃弾が金属に跳ね返されるけたたましい音が聞こえた。

 装甲に気をつければようやく分かる程度の痕が残るだけでるだけで、横に太った敵の機体が傷つく様子はない。見た目に違わず丈夫らしい。


「分身が出来るからといって機体自体が特別ではないらしいな。その素体では重量型の装甲を破壊できる程でかい武器は運べまい!」


 敵機に内蔵されている拡声器から男の挑発するような声が響いた。

 四方を高速で周回し、弾幕の合間を縫って陣の中へ入り込む。素早く機体を這わせるようにして、周囲に旭が居ないか探すが、あっという間に他の敵に距離を詰められて銃を向けられた。

 苦し紛れに何とか一機の敵の首元に刀を突き刺し、慌てて空中へ逃げると、今度はまた弾幕に襲われる。

 他の分身達の戦果も同じようなものだった。あろうことか分身の内の一機は敵に取り押さえられ、破壊されている。

 このままではこちらが消耗する方が早い。

 突然、一機の人型兵器が背後からこちらを追い越していった。列車の方からは誰かがその機体に向けて、大声で叫んでいる。


「ちょっと! その機体は装甲部分の制御系の接続が終わってない! 早くおりて!」


 機体は青色だが、角を生やしており、型は敵の機体と同じものであるように見える。

 真っ赤な炎を背後に吐き出しながら機体はどんどん敵に近づいていく。

 装甲部分が使えない機体では背中の推進エンジンすら使えないはずだ。どうやって飛行しているのだろうか。


「それ以上突っ込むと危険だ! 下がれ!」


「うるせぇ!」


 この声はシモンか。

 考えられない。確かに人型兵器の操縦は経験がなくとも、ある程度感覚的にわかりやすいようなものになっている。動かすだけなら出来るかもしれない。

 しかし、いきなり戦うとなると話は別だ。


「シモン! 戻れ! そいつは武器も持っていなければ、装甲部分に取り付けられた装備も使えない!」


 そういった瞬間、シモンの機体の肩に取り付けられていたミサイルが敵に向けて放たれる。

 不意を突かれた敵は頭部を吹き飛ばされ、そのまま倒れ、周囲の兵器ごと爆発を起こした。

 敵の陣形が崩れ始め、分身達が入り込んでいく。


「どういう事だ……」


 武装が使えないはずのシモンの機体は普通の機体より余程強い火力で武器を使っている。

 今度はシモンは敵が集中している場所に向けてミサイルを一気に放つ。

 やはり本来考えられないような規模の爆発が起こり、敵が倒れていく。


「まさか……魔法か? 機体の操作が出来ない部分を炎で無理やり動かしているのか!」


 弾幕が止み、敵の陣形に隙間が見え始める。

 再び敵の中へ入り込み、周囲にいた敵を三機斬りつける。爆発に気を取られていたのか、敵機は抵抗する間もなく、その場に倒れた。

 身を屈めて、また旭を探す。緑の敵機に緑の草原という視界の中、よくよく見ればわかりやすいピンク色の服を着た旭が逃げ惑っている。

 覆いかぶさるようにして旭を守りながら、手を差し出す。


「手の上に乗って小さくなっていろ!」


 旭がワイズマンの指をよじ登り手のひらで丸くなった。

 両手で包み込んで、列車の方へ飛ぶ。数体の敵が追ってくるのを滑り込むようにして飛び込んで来た分身が押し留めている。

 何を言うという暇も無く、列車の傍に旭を降ろし、すぐに敵のところへ戻った。

 分身が敵を抑えこみ、その間に装甲のない首や腕の関節部分の僅かな隙間に刃を差し込む。何かに刀が引っかかる手応えがした後、配線や管の断面が顕になる。

 対応しきれない他の敵に対する隙は大きいが、これしか敵を減らす術がない。

 この効率の悪い戦法がうまくいくはずもなく、ようやく二機斬り伏せたと思った所であっという間に敵に囲まれる。

 すると、今度はシモンが銃で敵を抑える。気づけば茶色い機体がシモンの目の前に居た。


「それが指揮官だ!」


 シモンはそれを聞いてか、相手に向かって両手を突き出して構えた。相手もそれに気づいてシモンに銃口を向けようとする。

 銃口がシモンに向けられる寸前にシモンの機体が急発進して、組み付く。

 身をよじって離れようとする相手の片手を引きながら、シモンが敵の腹部に手をかざした。

 シモンの機体は手を中心にみるみるうち赤くなり、眩いほどに光りだす。機体の装甲が一瞬波打ったかのように蠢き、その後液体になって垂れ落ち始めた。

 熱で溶け出しているらしい。

 敵の機体の腹部も同じような様子に見える。突然、コクピットが開いたかと思うと、中から操縦していた男が転げ落ちた。

 シモンが熱されていない腕で男を捉える。


「今すぐ全員撤退させやがれ!」


 男はしばらく振り返りシモンが暴れた跡を見ると、肩を落とした。男が何かを無線で伝えると、敵の軍隊が退いていく。

 後には動けなくなった敵の機体と分身の残骸が残る。

 列車に戻ると、乗客たちは奇異の目でこちらを見た。逃げ場も無いので、仕方なく機械工達と同じ部屋に小さく押し込められて過ごす。


「当面運行中止」


 ドアの上の電光掲示板にそう文字が流れる。咄嗟に鞄から地図を取り出して、周辺の部分を眺めた。

 顔にかかる髪を掻き上げて、手で抑える。

 目的地と現在地の間をなぞり、その間にある近くの村を探す。すぐに移動を始めても一日異常かかりそうだ。

 機械工達のリーダーらしき男がこちらを見た。


「兄ちゃんたち急ぐのか?」


 相槌だけ打って、荷物をまとめ始める。


「……ドリダ、この兄ちゃんお前の田舎に向かうそうだ。休みやるからトラック出して一緒に行って来い」

   

 リーダーが青年の方を見て、そう言った。

 青年は目を輝かせて頷くと、足を踏み鳴らすと顔の前で拳を握った。自分も荷物を鞄に詰め込みはじめる。

 ふと見ると、老人は焼け野原になった草原を前に立ち尽くしている。

 老人は時々手を大きく振りながら激しく左右に移動している。何やら慌てた様子だ。

 気づけば旭も居ない。


「旭はどうした?」


 シモンが指で列車の外の一点を指す。その先に草原の真ん中で屈んでは立つを繰り返し、何かしている旭が見えた。

 二人で傍まで行くと、頭を掻きながら草をかき分ける旭に話しかける。


「何をしている?」


「私が飛んでいった時に、あのおじいちゃんの宝物が一緒に飛んでっちゃったんだって……」


 旭の瞬間移動に巻き込まれて飛んでいった木の箱のことを思い出す。この面積の中であんな小さな物を探すのか。


「旭、みつけようがない……時間もない。いくぞ」


 旭はそれを聞いて、一瞬動きを止めると、地面を見つめたまま口をへの字に固めて悲しそうな表情を浮かべた。

 しかし、すぐにこちらを押し飛ばして、また探し始める。


「……出発するまで探す」


 しょうがないので機械工やその場に居た車掌、数人の乗客まで巻き込んでいつの間にか宝物の捜索が始まる。

 あっという間に草原の片方が暗くなり始める。橙色に染まり、輝く草が炎のように揺れた。

 それでも数時間探し続けた頃、突然シモンが立ち上がり雄叫びを上げた。


「ぬああああああああああ! 見つかるわけねええええだろ!!!!」


 夕日を背にシモンの黒い影が体を後ろに逸らしながら吠える。皆が同じことを思っていたが、うつむいて何も言わない。

 呆然としてシモンを見つめていると、ふとシモンの角を中心に光を反射して揺れる何かが見えた。


「ん?」


 旭も気づいたらしく、駆け寄ってシモンの角に掴みかかる。


「いやぁああああああああああああ! あったあああ!!!!!!!!!!!」


 皆が旭のもとに駆け寄った。

 何人もが円になって覗きこみ旭の周りに影を作る。

 旭の手には奇妙な形のペンダントが載っていた。螺子を留める為の六角形のナットにそのまま細い鎖を通してある。

 これが老人の宝物だろうか。高価なものには思えない。

 旭が列車に戻り老人にそれを静かにそっと差し出した。老人がまた暴れださないか怯えているらしく、獰猛な獣に餌を上げるように手を精一杯突き出して、ペンダントを渡そうとしている。

 老人は警戒した様子で不機嫌そうに眉を寄せたままそれを受け取った。

 次の瞬間老人が手を旭の方へ出した時、皆が思わず身構えた。旭は肩をすくめて衝撃に備える姿勢をとる。

 次の瞬間、老人はその伸ばしたてを旭の頭に載せると、首がぐらつくほどの勢いで撫で回した。

 飛び出し損ねた機械工達が溜息をついて、胸をなでおろしたのだった。



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