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邪気眼ダンス  作者: OnJ
2/14

EMMA社

【誓】


 誓が気づくと、日が昇っていた。明け方の紫色になった日光がうっすらと張った雲の膜を照らし出している。

 目があるっていいな、と他愛のない事を誓は思った。

 誓は何故かエニスと同じ布団に入れられた。横ではエニスが体半分を布団からはみ出して、大口を開け眠っている。

 携帯の着信音が鳴り響いている。誓は何件も家族からの着信を受け取っていることに気付いた。


「んー」


 昼近くになってからエニスはようやく布団から抜け出して来る。

 隣の女店主が適当な残り物を全て鍋に突っ込んで煮込んだ謎の料理を持って来た。誓からしても存外おいしく、あっという間に二人で平らげてしまう。

 女店主は二人が食事をしている様子を見て、やさしく笑った。


「あんたのおかげで街もエニスも無事だった」


 しばらくして誓が家に連絡すると母親にこっぴどく怒られたが、しばらく旅行に行くと言う事で家に帰らない事を了承してもらった。

 学校が休みの期間だったのが幸いだった。


「アニキーもう少しここに泊まってけよ」


「このきたねえ家にかよ。貧乏人」


 奇妙な形の冷蔵庫の中からこの世のものとは思えない緑色のジュースを二本取り出した。

 誓は目を疑った。どこのメーカーでも見た事が無い冷蔵庫だ。見た目は木製の箪笥なのに、開けると確かに白い冷気が漏れてくる。

 エニスは大きなペットボトルを両手で抱えて、ジュースを誓に勧めてくる。


「そんなつれない事言ったって俺は知ってるんだぜ。アニキが本当はこの町が気に入ってるって。昨日もあの後酒によって夜遅くまで街の連中に絡んでたしな」


 ぼろい小屋が崩れそうな音を立て始める。誓が驚いていると、セントが巨体を廊下から覗かせた。手には沢山の魚介類が入った籠を持っている。黙ってそれを突き出された誓は対応に困る。誓がそのまま黙っていると、セントは床に籠を置いて、帰っていった。


「セント兄ちゃんも感謝してるんだよ」


 エニスが刃が欠けた包丁でめちゃめちゃに具材を切り取っている。切り口は崩れているが刺身のつもりらしい。

 切れ味が悪いので手で思い切り掴んでちぎるように調理しているので、まな板も包丁も誓には無意味に思える。

 紙皿に刺身を目指した何かが並べられた。

 エニスはなんだかんだみんなに好かれて世話を焼かれているようだ。


「お前おふくろは?」


「わかんねえ。最初から一人だった」


 誓は納得した。特に哀れも感じなかった。そうさせない力強さがエニスにはある。 

 口にご飯と刺身を詰め込んだままエニスが部屋を出ていこうとする。


「行儀悪いぞ。なんでそんな急いでんだ」


 縫ったりして補修の痕跡がみられる靴をつっかけるとエニスが口の中のものをまき散らしながら誓の方を向いた。


「俺はこう見えて忙しいんだ」


 昨日の機械の事を思い出して、誓は不安になる。懲りていないのかこいつは。

 誓はエニスの首根っこを掴み靴を脱がせて、もう一度ちゃぶ台の横に座らせた。

 エニスはふてくされて机に突っ伏した突っ伏した。

 小さな手をつかんで誓がエニスに無理矢理に箸を握らせる。


「タバコ屋のババァみてぇな事するんだな兄ちゃんは」


 何尾かえびの殻をむいてエニスの皿に入れてやった。そのあと自分の皿に入れて、しょうゆをつけて食べてみる。


「誰もが言うからって正しいとは限らねえが、正しい事は誰もが言うんだよ」


 食事の後、誓は念のためにエニスの言う仕事場まで付き添って行った。廃材が積み上げられ、コンピュータがある。

 エニスは昨日のロボットに何かをつなぐとパソコンに向き合った。真剣な顔で何かを打ち込んでいる。プログラミングという奴なのか。

 しばらく見ていると今度は立ち上がってヘルメットをかぶると重い廃材をよろよろと背負った。誓は倒れないように片側をつかんでやる。

 エニスは重さで左右に振られながらロボットまでもっていくと、ねじか何かを使って廃材を取り付ける。そして溶接用の道具を取り出して何かを始める。

 そんなこんなを黙々と繰り返して、ついにロボットが完成した。


「できたぜ!」


 誓も現代人として生きていける程度にはパソコンの事は知っているつもりだが、特別機械に詳しい訳ではない。

 何がどうして完成したのかわからず、しかめっ面のまま固まっている。

 エニスがロボットの上でレバーをこねくり回すと、それに合わせてロボットの腕も動く。


「すごいなどういう仕組みで動いてるんだ?」


「電気モーターと俺の魔眼だよ!」


 エニスが自慢げに左目を指さした。良く見ると目の中に魔法陣のようなものが見える。

 誓は驚いた。


「お前そんな便利なものもってるなら何で使わないんだ?」


 エニスは肩をすくめて、笑った。残念そうに机のわきの鏡を見つめている。


「俺の魔眼は特定の物質に弱い運動エネルギーをかけるだけの超しょっぱい上に使いにくい能力なのさ。でもね。これを活かす方法を俺は見つけたんだ!」


 ふんぞり返ってロボットの周りを一周した。エニスが愛おしそうにロボットをなでる。

 誓の目の前で、驚いた事に誰も捜査していないロボットが首を傾けてエニスに寄り添った。

 エニスは頭をつかんでロボットの上によじ登る。


「こいつの体にはいたるところに俺が扱える物質、つまり銀が詰めてあるのだ! それを俺が操る事で電気の消費を抑えつつ高機動のロボットを動かせる!」


 エニスは手を大きく振って、機体の性能を興奮気味に説明している。

 突然、仕事場のドアが開け放たれた。セントに負けないくらい体格のいい中年の男がポケットに手を突っ込んで立っている。

 横柄そうな態度だが、それにそぐわない研究者のような白衣を身にまとっている。


「よう」

 

 男が言った。誓とエニスは固まっている。

 誓は思った。ここで起きる事はいつでも突然だ頭の中を色々な可能性がよぎった。エニスの父親、昨日のチンピラの仲間、この街の住人、犯罪者。


「だ、だれだ。あんた!」

 

 エニスが叫んだ。この街の住人という線が消える。

 男は近づいてきてエニスの片手でつかんで鞄のように脇に挟んだ。


「なんのつもりだ! おっさん!」


 誓は怒鳴りつける。

 男は無表情のまま誓を見下ろしている。日に焼けた腕を伸ばすと、誓を突き飛ばした。

 誓は瞬時に起き上がって低い姿勢から男の足に向かって蹴りを放つが、男は片足を上げてそれを躱した。

 誓が当たるはずの攻撃をすかされて姿勢を崩した所に、男は躱した足でそのまま蹴りを入れてくる

 鳩尾にもらった誓は倒れる。


「機械の目使わねえのか?」


 男は何故か機械の目の事を知っているようだった。

 余裕綽々といったようで、机に座りながら髭をなで始める。


「誓。エニスを守る為だ。起動するぞ」


 あの時と同じだ。勝手に機眼が起動し、しゃべっている。

 誓の視界に誘導の線が現れる。


「線に従って最速で移動し、攻撃を加えるんだ」

 

 誓は機眼を信じて、その指示通り男の背後に回るように地を蹴った。

 しかし、もう少しで攻撃する地点にたどり着くという所で男が急に振り向いて、昨日誓がガンテツにしたように拳をハンマーのようにして振り下ろして来る。

 誓はものすごい勢いで地面に叩きつけられた。体を動かそうとするが力が入らない。頭を揺らされたらしい。


「まぁ俺にそれは効かないんだけどな……」


 男は眉ひとつ動かさず、瞬きする事もなく一連の動きをして、今も誓を見下ろしている。 


「基本性能はこんなものか。中々良い動きだったぞ」


 気持ちよく意識が遠のいていく。エニスの事を思い出し、必死で歯を食いしばる。

 男はおびえて震えているエニスを掴んで、空中で放した。エニスが誓の上に落ちてくる。


「ぶへえ!」


 男は白衣の裾を正すと、ポケットに手を突っ込んだまま立ち去って行った。

 しばらくして遠くから聞こえてくる子供の遊ぶ声で、誓は目を覚ました。椅子に座っているエニスが視界の端に見えた。起き上がると、エニスの手にあるカードのようなものに気付く。

 名刺である。男は丁寧に自分の身分を明かしていったのだ。


「EMMA代表取締役ジャング・アークス」

 

 男の顔を思い出すと、煙のようなものが頭の中に取りつくのを誓は感じる。

 どこか遠くを見ているような誓の顔を見て、エニスがいつものように口角を無理やりあげて笑う。不安なときのくせらしい。

 開け放たれたドアの向こうには夕闇が迫っている。錆と淡い血の匂いが二人を包んでいた。

 二人は外に出て、同じような高さの建物が並ぶ中、一つだけ突き出た高い建物を見た。あそこにジャングという男はいるのだろう。

 おびえていたエニスが誓と顔を見合わせてた後しっかりとした口調で言った。眼に光が宿っている。


「アニキ! いこうよ! あいつはわざわざ名刺を置いていった。きっと俺達に用があるんだ! 戦いに使うなんて初めてだが、こっちにはパワフルエニスもある!」

 

 エニスが手に持った工具でEMMAの塔を指し示す。

 誓はゆっくりとエニスの方を向いて、それからまたゆっくりと自分の正面を見つめた。そして、小さく二度頷く。

 部屋の中に戻ると、細かい部品が入った箱をやかましく鳴らしながら走り回り、エニスがパワフルエニスの調整をした。


「行くぜえ! パワフクエニス1号!」


「あんまり期待してないけど頼むぜ! パワフルエニス!」


 コンクリート塀に腕をかすり、外に並べられている店の商品を引き倒しながら、パワフルエニスが走り出す。

 意外と速く、思ったより揺れる。誓はさっき食べた魚の味が胃から沸き上がり、口に戻ってこようとするのを感じた。

横断歩道の前で立ち止まると周囲の人が距離を開ける。信号が青になると同時に向かいのビルに向かってパワフルエニスは突っ込んでいった。

 エントランスの自動ドアが開き切る前に叩き割って、パワフルエニスはなお突き進む。

 これは器物損壊かもしれない、と誓は思ったが、もう止まる事が出来ない。そもそもよく考えたら徒歩でも良かったのだ。景気づけによくわからないものに乗ってしまった。

 スーツ姿の社員が多い中で、誓はふと真横に派手なピンクのドレスを着ている少女がいるのが見た。 

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 エニスは気付く様子がない。目が血走らせて情熱に身を任せている。


「いやあああああああああああああああああああああああああああああああ」


 轢かれそうになった少女が悲鳴を上げた。社員達も大騒ぎで逃げ惑っている。

 その隙にエニスはどんどん階段を上っていく。

 突然パワフルエニスの動きが少しずつ遅くなり始めた。エニスが身を乗り出して、パワフルエニスの足を見る。

 いつの間にか、周囲の地面が凍っている。壁から天井まできらきらと光を反射する氷が張り巡らされている。


「アタシを無視してんじゃねえええええ! こんの! ごくつぶしどもがああああああ!」


 先程入口に立っていた少女が階段の下に立っていた。上品な顔で唾をまき散らしながら恐ろしい怒声が放っている。

 誓は気付いた。この女は年齢不詳な格好をしているが、少女と呼べるような年齢ではない。

 エニスは混乱している。ここまでものすごい勢いで来たパワフルエニスを入口から自分の足で追って来たなら、この女は恐ろしい速度で移動しているはずだ。

 女は息を切らし、階下からこれでもかと言うほど黒目を寄せて誓達を睨んでいる。その顔は酸素不足で赤紫になっていた。

 しばらくして呼吸が落ち着くと、女は乱れた衣服を直して、しっかりと背筋を伸ばし立ち上がる。


「あたくしはEMMA社契約警備会社イドの役員メルヴィナ・メーヴィスと申します」


メルヴィナが頭を下げると長い髪が床につきそうになる。

 誓は覚悟を決めた。警備会社という事は自分達のような侵入者に対処する為に配置されていたのだろう。

 突然パワフルエニスの鋼鉄の腕が誓の進路をさえぎった。


「アニキ、先に社長室。行ってくれ」


 エニスの顔はほんのり赤みを帯びて、自信にあふれた表情をしている。

 メルヴィナが顔をあげてわざとらしい所作で髪をかき上げた。

 窓の夕闇が二人の形をかたどって影を落とす。

 

「後から来いよ!」


 誓はエニスを信じようと考え、好きなようにやらせてみるべきだと思った。

 走り出した誓をメルヴィナの視線が追う。    


「逃がすと思って?」


 その瞬間、パワフルエニスが飛び出して、メルヴィナの視界から誓を隠した。機械の腕に輝く氷がまとわりつく。

 そして、誓は止まることなく上の階へ移動していった。

 にらみ合う二人を後に遠くなっていく足音だけが残される。

 メルヴィナが口元をふるわせて、足を一歩突き出した。


「おっらあああああああ! どきくされえええええしょんべん小僧がああああ!」


 エニスは不敵な笑みで相手を見下ろすと、パワフルエニスをわざと直線的で大げさな動きで躍らせた。

 そして、相手の目の前にその手のひらを突き出す。


「あ、ちょい、あ、ちょい! あ! ちょいとまったあああああああああああああああああああ! 下町の鋼鉄男エニス様の目の黒い内はぁまな板おっぱいのクソババアには! 

アニキに指一本触れさせねえときたもんだ! てやんでい!」


 鼻息を荒くしたメルヴィナが足で何度も床を踏み鳴らすと目の前で手を広げた。そこの空気が固まって巨大な氷になる。

 そして、大きくのけぞった反動でエニスに向かってそれを投げ飛ばす。


「くらいなさい!」


 エニスがパワフルエニスの片手で自分を守るともう片方の手を相手に向けた。

 機械の手のひらから銀色の液体が射出される。氷とぶつかるとそれを粉々に砕き、あたりに細かい結晶が飛び散った。

 残った塊がエニスに飛んでいくが、それも鋼鉄の腕に当たって床に転がり落ちた。


「あら! ガンテツなんかにやられたって聞くから下町に大した奴はいないのかと思ったら、なかなかやるじゃない!」


 エニスが操縦席の影からゆっくりと顔を出す。メルヴィナの位置を確認すると、そこに向かってパワフルエニスの腕を叩きつけた。

 風を切って鋼鉄の塊がメルヴィナに迫って行く。 


「とおおりゃああああああ!」


 メルヴィナが飛んで躱すと、パワフルエニスの腕は床を下の階の天井もろとも破壊し、そこに巨大な穴を作った。冷静さを取り戻したメルヴィナは瞬時に階段を離れ、廊下の陰に隠れる。


「素人ね。大きなものを振り回したって当たらなきゃ意味ないのよ!」 

  

 メルヴィナの四肢の先から白い煙が吹き出してくる。

 その時メルヴィナを見ている者があれば、その瞬間に彼女が姿を消したように見えたであろう。

 気付くとエニスの背後からメルヴィナのかかとが振り下ろされた。


「うっぶべえええええええええええええええええええ!」


 焦ったエニスがしっちゃかめっちゃかにパワフルエニスの腕を振り回すが、その全てをメルヴィナは人とは思えない程柔軟な動きで、体の角度を変えながら躱した。

 パワフルエニスを動かすために目の力と集中力を使い切ったエニスの傍に優雅にメルヴィナが座る。

 エニスはぞっとした。戦闘のプロとはこういうものか。こいつは目の力を抜きにした格闘戦だけでも、おそらく誓よりも強い。

 

「能力に頼るだけじゃあ、伸びしろがないわよ、ぼうや。優れた技と組み合わせて昇華することでシンプルな能力でも魔眼や機眼は恐ろしい戦力になるの」


 相手の振り向きざまのパンチがエニスの顔に入る。一撃放つと、メルヴィナはすぐに飛び上がって、その場を離れた。

 目の近くに打撃が当たったからか、恐怖からか、エニスの目が潤む。

 せめて逃げ出そうとパワフルエニスを残った力で操作するが、なぜか機械の動きが鈍い。

 メルヴィナがその様子をみながら小さく笑いを漏らしている。


「これが私の能力フリーズの真の力よ! 私の氷と冷気の技が何度も放たれたことで、この辺りの空気はキンッキンに冷えてるわ。

戦闘が同じ場所で長引けばやがては相手の動きを凍らせて止める事すらできる! あんたみたいな鈍重なタイプには最適ね」


 残酷な笑みを浮かべたメルヴィナがゆっくりと近づいてくる。

 エニスは恐怖に震えながら、下町の人達の事を思った。彼らならいつものように多少のいたずらは一発殴っただけで許してくれる。

 そして、ふと誓の事を思った。誓も今頃あのとても敵いそうにない強さを持つ男と闘っているのだろうか。

 今度は恐怖や痛みからではない熱い震えが込み上げてきた。 


「……勝てると解ってるから来たわけじゃねえ……」


 エニスの言葉を聞いたメルヴィナが怪訝そうな顔で寄ってくる。勝利を確信し、もう警戒はしていないようだ。    

 エニスの中で何かがはじけた。眼の力をパワフルエニスに集中する。

 

「男見せたらああああああああああああああああああ!」


 追いつめられてエニスの気が触れた、と思ったメルヴィナは高笑いを始めた。そして、とどめを刺すためにとびかかってくる。

 エニスはまっすぐ相手を見据えた。メルヴィナの蹴りに対して手を前に突き出して咄嗟に顔を守ったものの、凄まじい蹴りの威力を前にパワフルエニスごと倒される。


「下町のがゴミがどうあがこうとものの範疇じゃないわ! ……ん?」


 パワフルエニスを踏み台にして飛ぼうとするメルヴィナの足にエニスの手が絡みついた。エニスはもう片方の手を伸ばしてパワフルエニスのボタンを押す。

 パワフルエニスの中で何か液体がこぼれるような音がする。

  

「悪あがきが醜いわ!」


 エニスは寒さに震えながら踏ん張った。上から何度もメルヴィナの拳が振り下ろされる。

 突然パワフルエニスの関節部分から煙が漏れ出した。冷気によるものではない。湯気だ。

 メルヴィナは知り様も無い事だが、パワフルエニスの中ではエニスの魔眼で銀の粒子を激しく振動させ、熱を生み出していた。

 メルヴィナが咄嗟に振り向いた。

 

「悪あがきかどうか見晒せええええええええええええええええええ!」


 エニスが叫ぶと、足を掴まれて動けないメルヴィナをパワフルエニスが殴り飛ばす。あちこちの骨が砕けるような衝撃がメルヴィナを襲う。

 パワフルエニスの拳はメルヴィナを押さえつけたまま壁を突き破り、メルヴィナは隣の部屋で集積している精密機器の上に落ちた。仕事をしていた社員が駆け寄る。

 エニスは小さく縮こまり体の表面積を減らしながらその場を去った。その後には血が丸い染みを床に残していく。


「湯を体中の管に流し込む寒冷地用の仕掛けがあったのね……考えるじゃない」

  

 メルヴィナは満足げに笑うと首を垂れて気を失った。

同じ頃、誓は同じ構造の部屋が立ち並ぶ廊下で歩き回っていた。小難しい役職の名前などわからない。

 案内を見たから男がいる会であることは間違いない。代表取締役だから社長で一番偉いのだ。それはわかっている。

 しかし、このビル社長室が社長室らしい所にない。


「人事部……じゃない、代表……これか?」


 男の名前が書かれた板が壁に貼ってある。

 部屋の明かりがついている。話し声はしない。

 誓は唸りながら思い切りドアを開け放った。 

 社長椅子が回転している上でコーヒーをすすっている男がいる。奴だ。

 その隣には角の生えた感じの悪そうな金髪の青年がかしづいている。しかし、秘書や使用人にしては身なりがだらしない。

 良いスーツを着ているのだろうがネクタイやらシャツやら所々着崩している。

 何より人を蔑むような涼しい細目が誓に警戒心を抱かせる。誰かの下で働くような種類の人間ではない。


「あー、来たか。案内を任せておいたメルヴィナはどうした?」

 

 ジャングは足を机に引っ掛けて、椅子を止めるとこっちを見て笑った。コーヒーの香りが広がる。

 誓には黒く光る男の革靴も口元のしわも全てが厭味ったらしくこちらを馬鹿にしているように感じた。


「エニスが今頃ぼっこぼこにしてんじゃねえのか?」


 誓が言うと、男はほんの少し首を傾げた。そして、脇にいた青年に意見を求めて、机の端を叩いた。

 青年は目を細め、首を傾けながら答える。


「考えにくいですな。エニスとかいうガキにメルヴィナを倒すだけの力があるとは思えません」


 ジャングはもう一度今度は逆の方向に首を傾げた。そして勢いよく机に飛び乗り、立ち上がった。

相手が自分を観察している。誓にはそれが解った。ジャングが誓を見下ろしながら口を開く。


「まぁいい、お前を呼んだのは用があるからだ」


「俺はお前に用なんかねえ!」


 話の向きが解らなくなって誓はイラつき始めていた。せわしなく足踏みをしている。

 全身の筋肉を一つのばねのようにして相手に突っ込んでいく。  

 ジャングは指一本で合図する。

 次の瞬間、金髪の青年が足から進路に飛び込んできた。誓が踏みとどまって、攻撃を躱す。


「エリック、まかせる」


 エリックはジャングに対して、うなずく事もなく、誓に向けて手招きをした。子供っぽい挑発に乗った誓が眼を見開いて拳を突き出す。

 エリックは最低限の距離だけ下がってそれをかわすと、足を真上に放り上げた。

 ジャングとの戦いの記憶がよみがえり、誓の勘が危険信号を出している。今までのやり方ではこいつに勝てない。

 誓もその場で踏ん張って、無理な体勢で顎を引き、エリックの蹴りをかわす。目の前を涼しい風が通り過ぎていく。当たれば一瞬で勝負が付く切れ味だ。

 声をあげて気合を入れるいつもの誓と違い、視野が広い集中力で今の誓を動かしている。

 天井扇の回転がゆっくりに見えた。

 誓はかがみこんで相手の拳の突きを躱しながら間合いに入り込もうとする。すると、エリックは出した手をそのまま絡めて誓の首を極める。


「馬鹿力だけが喧嘩じゃないんだよ。元気なだけの下町のごろつきがメルヴィナや俺にかなうわけねえだろ」


 誓は相手を巻き込みながら前転し、相手を床に叩きつけようとする。エリックは気付いて、投げられた方向に飛び込みながら腕を外し、一回転して立ち上がった。

 エリックは冷や汗を流した。お互いがお互いの本来以上の力を出させられている。そう長くはもたない。

 どちらかの技が一度でも当たれば、勝負が決まる。

 その時だった。不意にエリックの目がきらめく。

 エリックの視線が動いた。すると、何故かその先にあるものを誓の目も追ってしまう。

 意識がそれた誓の頭にエリックが上半身をそらせながら強烈な回し蹴りを放った。壁に叩きつけられた誓が力が抜けたように崩れた。

 ゆっくりとエリックが息をつく。


「これが俺の眼の力、チャームだ。相手の意識を自分の視界に入った一点に向けさせることができる」


 食器や小物が入った棚にしなだれかかる事で誓は何とか立っている。目は半分閉じたまま揺れる視界の中で相手を探している。

 相手の声がおぼろげに聞こえてくるが、それ以外何が起きているのかわからない。

 うっすら見え始めた視界の先に相手の顔を見た誓は咄嗟に思考を働かせた。少しずつ足が動くようになってきている。

 誓が慌てて部屋を出ていった。廊下を走っていく足音が遠くなっていく。


「逃げ出したか」


 ジャングが椅子から立ち上がってドアの方へちかづいていく。エリックはジャングへは向き直って頭を下げる。

 ジャングは何かに気付いてエリックの前で立ち止まる。 


「追いますか?」


 エリックがそう言ってドアの外へ出たその時だった。エリックの目前に逃げ去ったはずの誓の靴の裏が現れた。 

 誓が宙を飛びながらエリックに向かって蹴りを繰り出す。


「な!?」


エリックは吹き飛ばされて床に転がる。

 笑っている誓がジャングの前に立ちはだかった。


「エッヒャヒャヒャッ! その場で足を踏み鳴らして遠くに行ったように見せかけたのよ! さぁて覚悟しろよおっさん、てめぇの番だ!」


 ジャングは無言で誓の方を見るがその目の焦点は誓にはない。さらに奥の何かを見つめているような眼だ。

 次の瞬間、誓は背後からの衝撃で気を失い、今度こそ地面に突っ伏した。

 背後には先程までの余裕を失い、目の色の変えたエリックがいる。


「手間取ったな、エリック」


 悔しげな顔でエリックがジャングを睨み付けた。口の端からかみしめた歯が見える。

 こういう訳でエニスが社長室にたどり着くと、そこには誓が倒れていることになった。

 エニスがパワフルエニスから飛び降りて、駆け寄る。伸びっぱなしの誓の髪の毛をかきわけて、頬を叩く。


「アニキ!」


 目を覚ました誓が慌てて起き上がろうと膝を立てた。ふらつく体でエリックとジャングの方を向く。

 ジャングは近寄ってきて、誓とエニスの首根っこを掴むとソファの上に放り投げた。


「これで少しはまともに話を聞く気になったか」


 ジャングが社長椅子に腰掛ける。

 最早誓の体は動かない。気力で姿勢を起こしているだけだ。


「お前に仕事をやろうといってるんだ。悪い話ではないと思うが」


「お前に何かを頼まれる義理なんかねえ!」


 誓が机に手をついて怒鳴る。

 ジャングが面倒そうな顔で顎を上げる。ため息をつくと誓を見ずに話し始めた。 


「お前の眼、誰が金を出したと思う。中流程度の家庭のお前の元になぜ最高級最新型の機眼が回ってきてるんだ。何かおかしいと思わないのか」


 エニスが誓の方を見た。

 誓にもジャングが何を言おうとしているのかはわからないらしく、ただ眉をひそめている。

 ジャングが深く座り直し、背もたれに体を預けると目だけを動かして誓を見る。

 誓は記憶を仲の情報を手繰り寄せながら、答えた。


「親父の知り合いの好意だって、おふくろは……」


 ジャングは黙って誓の話を聞いている。

 誓がジャングの眼を見た。何かに確信を持っている眼をしている。

 この男が自分以上にこの目について何か知っている。そう思った誓は自分自身の言葉を遮った。

 ジャングが代わりに話し始める。


「好意ねぇ……ただと言った覚えもないんだが。お前の親父とはお前がこの会社の工作員として働くって所まで含めて承諾を得てる」


 ジャングが机に薄く画面の大きな携帯端末を置いた。誓に見るように顎で促すが、誓は戸惑ってしまい動かない。

 隣に引き合えていたエリックがそれをもって誓の目の前に持ってきて渡す。

 画面には現在よりかは幾分若いジャングとおぼろげな記憶の中にいる父親が映っていた。


「わかるな。お前の親父と俺だ。お前の機眼はお前の親父が俺に頼み込んで作らせたものだ」


 エニスが脇から画面を覗き込んでいる。

 誓は画面に映っている男とジャングを何度も見比べた。

 

「これから二、三日したらお前をとある人の所に送る。そこで最低限役に立つようお前を鍛えてもらう。以上だ」


 話が終わった事をジャングは目を閉じる事で表現した。

 エリックが携帯端末を受け取ると持って行ってしまう。そのままドアの前に立ち、帰るように促している。

 誓はその場で立ち上がって食い下がった。


「なんで俺なんだ」


 ジャングが口を半分開いて小さく笑った。誓の事になどさして興味もない様子だ。

 コーヒーをすすり、足を組む。


「別に誰だっていい。沢山いるうちの会社の工作員の一人として動けと言ってるだけだ。

せっかくの機眼もお前にしか使えないような作りになってるし、使わないともったいないんでな」

 

 誓は自分がいる状況に得体のしれない不快感を覚えて拳を握る。

 人を飲み込むような、魔眼でもないのに人を支配する濁った白目がちの眼。


「数日の間に俺が逃げるとは思わないのか」

  

「思わないね。お前は親父と弟の事を知りたがっている」 


 ジャングは即答した。有無を言わせない。

 誓はこれ以上ジャングが何かを話そうとは思っていない事を感じた。

 そして、この男にしたくないと思う事をさせるような力が自分にはない。


「他言無用だ。わかるな」


 誓の背中にジャングが声をかけた。

 じび男は何か父親と弟に関する事を知っていて、それを聞き出すには従うしかないのだ。 

 誓とエニスは自分達が叩き壊したガラスの自動ドアを抜けて外に出た。

 建物を出て、二人はしばらく歩き続けていたが、誓は自分が黙り込んでいる自覚もなく、口を閉じ続けていた。

 エニスが固まったままの誓の顔を見る。


「アニキ……」


「なんだ?」


 自分の動揺がエニスに伝わらないように誓は疲れて眠たいような表情で平静を装った。しかし、声は上ずる。

 そして、状況にそぐわない表情というのは、逆にそれだけでエニスを不安にした。


「まぁ、あいつらの話に付き合ったとして、少し様子を見に行くだけだ。お前が気にするな」


 町に近づくと店の立ち並ぶ通りの入り口に人が集まっているのが見えた。下町の店主達だ。

 中に入ろうとすると、エニスを叱る声や誓を罵る声や二人を心配する声が四方から聞こえてくる。たまに掴みかかってくるものや頭や肩を平手で叩いてくる者までいた。


「エニスをどこに連れまわしてたんだ! 怪我してんじゃねえかどういう事だ!」


「エニスあんたまた街を壊しやがったね! ついには天下のEMMAのビルに突っ込んでいったて言うじゃないか! 悪戯にも加減ってものがあるだろう!」


 怒り返す事は出来なかった。自分が間違っていた自覚もあり、エニスを心配するゆえの怒りに対して、反抗心を見せようとは思えず、されるがままにうつむきながら通りを進んだ。

 セントリーが誓の隣を歩く。


「よお」


 誓が話しかけても、セントリーは黙って誓に歩調だけ合わせてついてくる。

 気まずさに誓が堪えられなくなった頃、ようやくセントリーは口を開いた。


「エニスはお前に懐いているらしい。エニスの傍にいてやるなら、お前には奴が危険に巻き込まれないように見守る責任があるはずだ。

だが、この失態はなんだ。エニスと共にEMMAのビルを破壊し、二人とも怪我をして帰ってきた」


 セントリーは静かに怒っていた。一気にしゃべって息を継ぐと、最後に呟く。


「失望させるな」


 誓はセントリーの顔を見る事が出来ずに、少しだけ目をそちらに向けた。

 自分の後先を考えない性格を変えようと思った事などなかったが、それに他人を巻き込んで顧みないでいた事が恥ずかしくなった。

 誓の表情がさらに暗くなり、口が一の字になったまま動かなくなる。誓はセントリーを真っ直ぐは見つめずに、あえて視界の端で見た。


「おう」


 ゆっくりと時間を掛け噛み締めると、やっとの思いで誓は返事をした。セントリーの言葉に応じる事の重さが誓には解っていた。 

 セントリーはそれを聞くと群衆から離れていく。

 入れ替わるように酒屋の店主やあの女店主がそばに寄って来た。


「逆を言えば、ある程度は希望を持ってるって事さ」


 女店主が誓の肩を叩きながら言った。

 言われなくても誓にはそれが解っていたが、女店主に言われてよりはっきりとそれを認識した。

 ジャングに会ってからずっと感じていた暗い緊張感がやっと薄れた。


「おう」


 誓は女店主の顔を見て答えた。 

 女店主に付き添われているエニスが周りの大人達の声を鬱陶しそうにしながら無視している。


「うっせえなぁ」


 エニスが少しも悪びれない様子で悪態をつくとわざとらしく耳をふさいだ。

 女店主がまたエニスの頭を叩いた。

 気の抜けた誓は急に空腹を感じ、寿司屋の看板を見つける。


「エニス、今日は外で食っていこうか」


 エニスがきょとんとして誓を見る。誓はエニスの手を引いて、店に入った。

 群衆の中から男が飛び出してきて、カウンターを飛び越えて座っている誓達の前に立つ。


「さっきのいまでよく寿司食おうとおもったな! てめぇに食わせる寿司なんざねえよ!」


 誓は黙ったままお品書きを見た。一皿作ってもらってもいいが、好きに食べたい気もする。


「中トロ二人前!」


「無視かてめぇ! てやんでい! 一丁上がり!」


 文句を言いながら寿司屋は一瞬のうちに握って、机に中トロを並べた。

 形の小さく綺麗にまとまった白米の上に赤みの強い桃色の中トロが乗っている。

 エニスは白く波打つ脂を見て、開けた口に涎を貯めている。

 群衆の一部がそのまま寿司屋になだれ込み、席を占領しだす。

 酒屋の店主が何本か酒の瓶が入ったプラスチックの籠を持って来た。


「酒がないといかんだろ。酒が!」


「てめぇ酒屋コラ! 家にも酒はあるんだよ! 持ち込み禁止だ馬鹿野郎!」


 酒屋の親父は勝手知ったる人の家といった様子で勝手にグラスを取り出すと、その場の客達に酒を注ぎ始める。

 エニスは醤油にしっかりと寿司を丸ごとつけて手づかみで口に運んだ。目を輝かして、頬を抑えている 


「うんめえ! 親父、次はウニだ!」


 誓は財布の中が心配になってきたが、やけくそだった。二つ並んだ皿の一つを取り一口で食べる。

 塩気と海産物の香りが口の中で広がり、鼻にまで昇ってきた。涙が出るほど旨い。

 カウンターに座った客はたまに寿司を注文しているが、その後ろの四人席にいる客は持って来た思い思いのものをつまみにして、酒を飲んでいる。

 終いには子供達が脇の席でお菓子を持ち寄った小さな宴会を始めた。


「ああ……おれっちの大人の寿司屋が……」


「親父、甘海老!」


 エニスは食べに食べまくり、誓は食べながら時々飲み、商店街の店主達は飲みまくりながら食べまくった。

 エニスはお腹いっぱいになると座敷に降りてうとうとし始める。

 誓もそちらへ行って、店主達に酒を押し付けられながら、どうでも良い話をした。

 そうして深夜になるまで宴会は続き、誓もつのまにか眠っていた。

 ふと気づいて、起き上がると、周りには子供も大人も関係なく横に伸びている住人達がいる。

 寿司屋であけを飲んでいた男達のうちの一人が誓に近づいてきた。


「おう、兄さん。俺は杉浦ってもんだ。この辺をたまに通る行商人……ていうには少し商売の規模が大きいが、まぁとにかくそんなようなみたいなもんよ」


 何かを誓の方へ差し出しながら、明るい声で話かけてくる。誓は瞬きして杉浦を見た。

 塗り薬のようなものを持っている。杉浦が誓の腹の上にそれを置く。


「これ良く効くんだ。兄ちゃんの事が気に入ったからくれてやるよ。またその内どこかで会うかもしれねえし、そんときゃよろしくな」


 誓が酒のせいで回らない口を開こうとするが、男は巨大なリュックを背をって急いで店を出て行ってしまった。

 翌日、誓はエニスの仕事とやらを手伝った。

 住人の家電製品を修理したり、パワフルエニスで重いものを運んだりしてエニスは生計を立てているらしい。

そして、夜になれば二人で外食した。

 それを繰り返すうちあっという間に数日が過ぎる。誓は無意識に日にちを気にしないようにしていた。

 ある日の夜、エニスの友達が数人、小屋に押しかけて来た。ゲームやお菓子を持ち寄って、遊び始める。

 大人がおらず、自由に過ごせるエニスの小屋は子供たちのたまり場になっているらしかった。

 子供達の中から女の子が畳を這って急に寄ってきて、誓の隣に座った。誓は周りにいる他の少年より少し大人びてい見える少女に気後れすら感じてしまう。

 年頃の娘らしく同じ年の子供達より成長が早い。自分より少女の方が大人であるかのように思える。


「エニス、元気いいね」


 少女が真っ直ぐに誓の方を見て。言った。

 誓は笑顔で横目に少女を見るが、相手は真っ直ぐに誓の方を見つめ返す。


「元から元気な奴に思えるけど」


 誓が言うのを聞いて、少女は頭を振った。誓は首を傾げて少女の方を見る。


「一人でいるの嫌いなんだと思う。

皆でエニスの家に遊びに行ってね、夕方にみんなが帰ろうとすると、いつもエニスがもっといるようにずっとせがむんだよ」

   

 誓にもそれは何となく見ていてわかるような気がした。

 昨日エニスに自分の家に住むように誘われたことを思い出す。相手が気に入っても、会って間もない人間に自分と一緒に暮らそうなど子供でも普通考えない。そばに誰かいて欲しいのだろう。

 今も目の前でゲームの勝ち負けに一喜一憂して大騒ぎしているエニスの底抜けの明るさはきっと普段の寂しさの裏返しだ。

 誓は自分の幼い頃を思い出す。孤独を感じる事はあったが、エニスのそれとはきっと種類が違う。

 何日か経った頃の午後の事EMMA社の社員がやってきて、書類を渡された。

 エニスもすぐそばにいたので隠しようもない。誓はエニスの顔がまた曇っていくのを見た。

 必要そうなものを買い揃えて、出発の日に備える。一人で行くと言ったが、エニスはずっと上の空のまま買い物についてきた。

 夜になると商店街の入口に面した広い車道にEMMAのロゴの入ったバスがつけられた。小刻みに破裂音をさせながら、エンジンをふかし続けている。

 暗い車内へ足元を気にしながら誓は入っていく。自分と同じように訓練を受ける人達なのだろうか。誓は学校を思い出してうんざりした。

 いつもの癖で一番後ろの席に座る。窓の外から建物の立ち並ぶ方を見た。

 白い光の点が大通りに沿ってどこまでも広がっている。

 置いていく事になったエニスが心配だ。見送りに来ていない。

 

「よ!」


 誓は目を疑った。前の座席の隙間からエリックが顔を覗かせている。


「なんでここにいる?」


 にやにやしながらエリックが誓に隣に来る。この間の事などなかったかのように親しげな口元のゆるんだ表情だ。

 距離の近さにイラついた誓は反射的にエリックの顔を軽く殴った。


「ぶへ、お前なんかに苦戦するようじゃ問題だからな。俺も訓練受けなおすことにしたのよ。それとお前の見張り役も兼ねてるけどな」


 突然バスが下部から小さく揺れた。昇降口の方から大きな荷物を背負った小さな影が現れる。

 衝撃はバスにあの荷物がぶつかった時のものらしい。

 エリックが目を細めて様子をうかがっている。誓は中腰になって椅子の背からそちらを見る。

 誓の方を確認すると、小さな影がものすごい勢いでそのそばまで近寄ってきた。


「エニス!」


「デヘヘ」


 エニスが荷物を降ろしてエリックを押しのけ、誓の隣に座った。

 鞄からは入り切っていない水筒やお菓子や玩具がはみ出している。

 押しのけられたエリックがエニスにつかみかかろうとするのでエニス越しに誓はまたエリックを叩いた。

 見送りに来たのか。誓は焦ってエニスの肩を揺らす。


「エニス何してる! 早く降りろ」


 エニスは誓を見る事もなく、座ったまま楽しそうに足をばたつかせている。騒ぎを見ていた他の乗客が後ろを見ている。


「無駄無駄。アニキが何言っても俺はついてくんだ。EMMAとも話がついてる」


 思い出したようにエニスは巨大な荷物を前の席の椅子の下に突っ込み、そこからチョコレートを引っ張り出す。 

 誓がセントリーの言葉を思い出し、絶望感から頭を抱えようとした時、バスに爆発のような衝撃が走る。

 さっきと同じようにエニスが機械か何かをぶつけていると思った誓はエニスの方を怒った眼で見た。


「またなんかしたか?」


 エニスは慌てて首を振った。


「違う! 違うよ! 何もしてないよ!」


 誓が焦って膝を立てて後ろの窓を見る。

 その横で、エリックは窓を見た途端、驚いて口と目を小さく開いた。振り返って大声で怒鳴る。


「やべえ! 運転手、車を出せ!」


 車が急発進して三人が背もたれに叩きつけられた。

 誓はさらに跳ね返って前の席の背もたれに当たり、転んだ。

 誓が慎重に頭を上げると窓から先日見た奇妙なコートの集団を載せたトラックが見えた。

 一緒に見ているエリックが面倒そうに眉をひそめて呟く。


「ネイル教団だ」

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