転がる世界
【誓】
誓は森の魔族達と別れを告げ、そのまま隊員達と一緒に基地へ帰った。
名残惜しそうにしているのを察して隊員が声を掛ける。
「お前がたどり着いたのは偶然だが、あそこはそんなに行きにくい場所じゃない。会いたきゃまた会いにいけるさ」
基地に戻った誓が歩いていると、顔も知らない隊員達が心配そうに駆け寄って、労いの言葉をかけてくる。
一方では、顔を見た途端小声で話しはじめ、馬鹿笑いする者達もいた。
「活動中に大樹から落ちたって」
と話しているのが聞こえて、誓は不機嫌になったが、恥ずかしさもあって言い返せない。
建物の中に入ると、入り口近くの休憩所にはるかが行儀よく腰掛けている。どこを見るでもなく、顔を上げている。
エリックが小走りで駆けて行って耳元で話しかけると、垂直に立ち上がり、入り口の方へかけてくる。
「誓!」
はるかに顔や肩を叩くような勢いで触られまくり、誓は目を閉じて耐えた。
「ただいま」
誓が笑いながら言うと、はるかが半泣きで笑う。
「おかえり」
ふと反対の壁際で女性隊員達と何やら話しているパンドラと目が合う。
誓は大樹から落ちた時、パンドラが助けようとした事を思い出して、申し訳ないという顔で見返した。
それを察してか、パンドラは少しの間誓の方を見返してから、頷くでも無視するでもない微妙な動きで顔を反らした。
その後誓は、連れられるまま、飛空船の氷雨の部屋に向かった。中に入ると、氷雨は待ち受けた様に立ち上がって、誓の肩を叩いた。
「運が良かったねぇ。開拓が進んで、行方不明になる隊員は大分減ったけど、一度行方不明になると大抵生きて帰ってこないもんだよ。
まあ、しばらくは体をゆっくり休めるんだな」
そうして、次の日から三日間、誓は任務に出ずに済む事になった。
ベットから起き上がっては時々はるかの様子を見に行ったが、はるかは個室でパソコンに向かって忙しそうにしていた。
一日をほとんど寝て過ごした次に日の事だった。また、はるかの部屋へ行くと、部屋の外で右往左往しているはるかが見えた。
「どうした?」
「あ、誓! この辺りに何か落ちてない?」
そう言うと、はるかは地面に手を付けて撫でまわすようにした。
誓はしゃがんで、頭を付けるように視点を下げるが何も見当たらない。
「何か落としたのか?」
「メモリなんだけど」
「仕事で使ってるやつか?」
「基地の仕事には関係ないけど……大事かも……ごめんね。ありがとう、大丈夫だから」
はるかは立ち上がって笑ったが、先程までの狼狽ぶりを見ると、誓には大丈夫とは思えなかった。
夜まで気持ちが悪くなる程寝た誓が虚ろな表情で闇を見つめていると、突然ドアが開く。
「おい! いいから来い!」
エリックはそれだけ言って、走り去った。その後ろをエニスが付いて行く。
誓がエリック達の後を追うと、はるかの部屋にたどり着いた。
地面には何か緑色の破片が落ちている。
誓はそれを拾い上げた。機械の基盤が割れたもののようだ。
エニスが壁に取り付けられた棚の少し高い位置から、壊れた機械部品を持ってくる。
ベッドの上でははるかが自分の膝に顔をうずめて、座って居た。
「どうした」
誓がエリックに聞くと、エリックは答えない。ベッドの傍ではるかの肩を叩く。
はるかはゆっくり顔を上げた。
「部屋に誰か入ったかも」
はるかは呆然とした様子だった。悲しみなんてまるで感じていないように淡々と話している。
エリックが口を開く。
「前にトイレではるかを突き飛ばした奴がいただろ? あいつとあいつの取り巻きがはるかに嫌がらせしてるんだ」
「嫌がらせっていうか……」
エニスは手の上の壊れた機械を見ながら言葉を濁した。慎重に部品をまとめて机の上に置く。
誓にも既にちょっとしたいさかいの範疇でないように思えた。
「訓練を受けているっつっても、大陸の調査員として雇われてるのは、正規の軍人じゃない。
金があるのに、とにかく人手が足りないってんで、ごろつきみたいな奴も拾ってるし。
ここまでひどくなるとは思わなかったけど……やっぱりはるかが来るべきじゃなかったか」
エリックは言ってから、まずい事を口にしたと思って、やりにくそうにはるかを見た。
誓とエニスも険しい表情でエリックを見ていたが、反論が出来る訳でもなく、黙り込む。
誰も声を出す事が出来ないまま、本当に数分が経ってしまった。
「誓、私は喋っても良いのか」
沈黙を破った声は誓の中から聞こえた。機眼が起動している。
他の三人の注意が向いているのを感じながら、誓は少し小さな声で話した。
「なんだよ……」
「はるか、君は家に帰るべきじゃないのか」
はるかはさらに表情を暗くして、顔を俯かせた。
エリックがゆっくり詰め寄ってくる。
誓は自分に掴みかからんばかりのエリックを押しのけた。そして、自分の目を怒鳴りつける。
「余計な事いうな!」
「はるか、君がここにいなければいけない理由はなんだ」
機眼は構わず話し続けた。
「皆の……傍で、役に立ちたい」
「役に立つとはいっても、君が今している仕事は君じゃなくても出来る仕事だ。
目が見えず、特別な機械や周りの助けが必要な君が、危険な場所な場所に赴いて優先的に引き受ける仕事じゃない」
機眼の突き放した冷静な言葉にはるかは口を開けたまま、立つ瀬が無く黙ってしまう。
泣きそうになっているはるかをエニスが傍で心配そうに覗きこんだ。
不意にはるかが小さく何かを言ったかと思うと、立ち上がって部屋を出て行った。
誓とエリックが慌てて、追いかける。
誓がおぼつかない足取りで急いでいるはるかに肩を貸そうとすると、手を叩かれた。
エリックも乱暴に押しのけられる。
そうして、はるかは少し時間をかけながらも食堂にたどり着いた。一瞬立ち止まって、周囲の音を聞くと、また進み始める。
その先にはパンドラとその取り巻きが話し込んでいる。
はるかが取り巻きの顔や肩を押しのけながら、壁際の椅子に座っている人物に向かっていった。
押しのけられた取り巻きがはるかに詰め寄ろうとしたが、後ろでエリックが目を光らせているためか、立ち止まる。
パンドラははるかが入って来た一瞬だけ驚いた顔をしたが、時間を掛けて自分の方へ向かってくるはるかを退屈そうに見守っていた。
パンドラまでたどり着いたはるかは手探りで、突然相手の髪と肩を掴んで、壁に叩きつけた。
「ちょっと! やめてよね!」
周りの取り巻きが騒ぎ始めるが、パンドラは少し嫌そうな顔をしただけだ。
「あたし、ここにいるって決めたから! あんたの役に立つかどうかなんか知らない! あたしがここにいたいし、ここにいる事にしたから!」
はるかが大きな声を出した事で、食堂中の視線が一点に集まった。はるかを引きはがそうとしていた取り巻きも、息を呑んではるかとパンドラを見守った。
はるかはそのままその場を立ち去ろうとする。
圧倒されていた取り巻き達が我に返ったように抗議の声をあげるが、はるかに寄り添ったエリックやエニスが負けじと言い返している。
いつのまにかその場にパンドラと誓が取り残された。
誓がパンドラの方を見ると、パンドラはまばたきをして顔を逸らす。
「怒り慣れてないの丸出し……」
先程までの興奮の名残のように、パンドラは独り言にしては少し大きな声で言った。
誓は立ち尽くしたまま、パンドラの方を見ていた。
「やったのお前じゃないんだろ」
誓の口から何の気なしにそんな言葉が飛び出す。
パンドラは表情を変えずに視線をそらしながら、話した。
「多分、私とあの子が仲の悪いのを見ていた私の友達の誰かがやったんでしょ」
お互い相手を気遣う様子も無く、パンドラと誓は黙った。
周りにはパンドラの取り巻きが乱暴にぶつかっていった椅子がそのままになっている。
沈黙に耐えきれなくなったわけではなかったが、しばらくして誓は思った事を口にした。
「お前の言う事、わからんでもねえよ。はるかは良い奴だけど、度が過ぎて自分の為にやる事と他人の為にやる事の違いが解らない事があるんだと思う」
誓は相手の顔を見ずに話し続けた。
パンドラは誓の言葉に驚いて、一瞬目を見開いた。怪しむようなむずがゆいような顔で誓を見る。
「それって、恩着せがましくて性格が悪いって事じゃないの」
真っ直ぐ前を見ていた誓は俯かないまでも、考え込むようにして下の方を向く。
誓は自分でも気付かない家に苦笑いを浮かべていた。
「でも、俺達ははるかと一緒に何かするのが楽しいしな」
誓はそう言い切って、パンドラの方を見る。
そうすると、またパンドラは誓から目を逸らした。
誓がはるかの部屋に戻ると、中で機械の破片を掃除している三人が見えた。
誓は手伝えるだけ手伝い、はるかも落ち着いていた様子なのを見届けて、部屋に帰る。
次の日、誓はジャングから呼び出しを受けた。指定された場所へ向かうと、会議室のような巨大な場所にジャングが一人でいた。
ジャングは人形のように力なく椅子に座り、相変わらず虚ろな目をしている。
「どうしたんすか」
「お前が乗っていた人型兵器は回収していたぞ」
「あれは、あの村にいた奴のです。返しておいてください」
「元は整備設備も機体も村と基地が付き合いがあった頃に会社が作っていたものだ。ちょいと型は古いが使わないのはもったいない」
誓は驚き、同時に納得した。道理でフェイが機械の部品や人間の痕跡を持っていた訳だ。
「村に基地の人間がいたんですか?」
「以前別の基地があった場所で大規模な事故が起きた。
うちは大きな損失を出した上に大樹の森の魔族と関係が悪くなって、一度大陸の開拓から手を引いたんだ。
慌ただしかったからな。色んなものを置きっぱなしになっていたんだろう」
誓は相手に警戒するような表情を向けたまま、驚きの感情を隠せずに口元を小さく開いた。
よく考えれば、それが一番筋の通る可能性である。誓は考えが及ばなかった自分が何だか恥ずかしくなった。
なんとか言おうとしていた本題を思い出し、自分の方を見ようとしないジャングに睨む。
「一度捨てたんだろ。組み立てたフェイに返してやってください」
ジャングの方は話に飽きたように黙り込んでしまった。
誓はジャングの横柄な態度に苛立ったが、無感動な相手の表情を見ると、それ以上は食い下がる意味が見いだせなくなった。
「とにかく返しといでくださいよ。俺はもう行きます」
「明日、お前は俺と一緒に別の村へ調査に向かう。他の隊員と同じ時間に出動の準備をしておけ」
振り返って部屋を出ようとする誓にジャングはのんびりとした声で言った。
半身で話を聞いた誓は顔を相手に向けた。そろそろ休みは終わりだろうと察していたし、出動する事自体には驚いてはいない。
「あんたも来るのか」
「ああ」
誓は首をかしげながら部屋を出た。
翌日誓が言われた通りに他の隊員の列に混じっていると、別の場所に呼び出された。
呼び出された先は、人型兵器の格納庫だった。
無数の鉄の人形達が誓を見下ろしている。部品を運ぶ車両の出す音や金具同士が触れる小さな音が広い空間に良く響く。
格納庫の一角にジャングをはじめとした数人が隊列も組まずにくつろいでいた。エリックやエニスもいるようだ。
「なんでお前らがここに」
エリックが軽い調子で手を振ってくる。
「俺は社長のお付き。エニスは勝手について来た」
他にも見知らぬ顔の隊員が三人程いる。
誓が来たのを確認すると、ジャングが立ち上がった。
「目的地まで人型兵器で向かう。先導の俺に付いて来い」
エリックやエニス達は勝手知ったる様子で、他の隊員達と同じく通常配備の機体に乗り込んだ。
誓は戸惑ったが状況から察して、先日乗ったフェイの機体に乗った。
格納庫から出た機体達が次々と飛び立っていく。誓は少し手間取りながら操縦桿を握った。
推進器の振動が機体をせりあがっていく。誓のおっかなびっくりな操作に合わせて、機体が宙に浮いた。
誓が高度を大樹の上になる頃には既に仲間達が遠い点になっている。慌てて、誓も飛び立った。
加速による重力と風を切る感覚に誓は若干焦りを覚えたが、青い空に障害物があるわけでもなく、飛び始めてしまえば操作する事もない。
数時間経った頃、先頭のジャングの機体が下に広がる大樹森へ降下し始める。
誓が後に続くと、大樹の木の上を柱にしたコンクリートの土台があった。基地の人間が建てた移動の中継地点のようなものだと、誓は察した。
エリックやエニスが周囲を興味深そうに見渡す。
周囲は大樹の森でも基地の近くとは雰囲気が違った。より太い幹をしてキノコのように頭に葉を広げた木が間隔広く並んでいる。
少し年上の隊員がエリックとエニスの横に並んだ。
「来るまでにでかい川あったろ? あれ越えるとこんな感じなんだよ」
誓は機体から降りて、森の奥の方を見た。
木の枝に合わせてあちこちに道が出来ていたジェヴォダンの村とは違い、鉄骨と金具で作られた橋や足場が直線で規則的につながっている。
エニスが橋に踏み出してから急に立ち止まって足元を見た。
「どうした! 怖いか!」
年上の隊員に笑いながら、脅かすようにエニスの背中を押した。
エニスは言い返す余裕も無いようで、はるか下の地面から目をはなさない。
「こ、こわくねえ……こわく……ない!」
自分の頭より少し下の位置にある手すりを手を置いたまま、エニスは全速力で橋を渡り切った。
機体を遅れて降りた誓はその様子を眺めていた。
不意に人がいないはずの方向から音がする。
誓が振り返ると、そこには体が黒く、顔の周りの毛だけが白い奇妙な生き物が座っていた。
興味深そうに小刻みにあちこちを向いたり、首を傾げたりしている。
生物が誓に気付くと、誓と生き物はお互いに驚き、固まった。
それを見ていたエリックは馬鹿にした顔で橋を渡って行く。
「似た者同士だな!」
「似てねえよ!」
すかさず誓がエリックに向かって怒鳴ると、猿もつられてエリックを見た。そして、またすぐに誓の方に顔を向く。
誓は猿から目を離さない様に少しずつ後ずさり、ゆっくりと向きを変え、他の隊員の後を追った。
隊員達はアリの巣状に広がった道を進み、目的地らしき村の傍まで歩いた。
木に空いた穴に暖簾のように布をかけ、生活空間にしている。
時折、鉄の扉やコンクリートの足場を持った建物も見られるのは、基地の建物のようだ。
誓はジェヴォダンの村とはかなり様子が違うように感じた。あちらでは土台を建て、その上にさらに木造建築を建てていた。
大樹の隙間に見える遠くの景色を見ながら、誓は歩いた。隊員達が歩くのに合わせて、鉄橋は小さく、素早く振動する。
不意に視界の奥で白いものが動いて、誓は身を震わせた。
「ありゃアデルじゃねえか!」
「アデルじゃねえ。その親戚だ。この辺りは原始魔族達が多い」
進むのをためらう誓の横を通り過ぎながら、ジャングが訂正する。
「ゲンシ……アデルの事か?」
誓が小さな声でエリックに尋ねた。
エリックは記憶にあるような無いような顔で目を細めて、思い出そうとしている。
誓は村の奥まで進み、鉄橋の交差する広場まで歩くと、その中心に生えた柱に人が縛り付けられてるのが見えた。
再び誓は息を呑んだ。
「アデルもいるんじゃねえか……」
ジャングが後に続く隊員達を手振りで遮り、アデルに近付いていく。
誓は二人が何か話すのを固唾をのんで見守っていたが、どうやらアデルの方は身動きが取れないらしい。怖いわけではなかったが、もう一度戦いたい相手でもなかった。
ジャング手招きされて、隊員も広場に近付いていく。
最後尾を歩いていた誓はアデルと目が合った。
「おう、反省したかよ」
軽口を叩いて見せる誓から目を外し、アデルは遠い目をした。
アデルの繋がれている柱には何やら芋虫のように呪詛らしき細かい模様が刻まれている。
やはり気味が悪い奴だ、誓がそう思い、その場を離れようとする誓の後ろから声がする。
「あー臭かったぜ」
「あ?」
誓は意味が解らず振り返る。
「ほんとお前くっさいな。周りの迷惑だぞ。気を付けろよ……」
誓は顔を真っ赤にした。
断じて自分の匂いに不安があったわけではないし、相手が理不尽ないちゃもんを付けていると理解していた。だからこそ、そのおざなりな暴言に苛立った。
誓は鼻息荒く深呼吸すると、息を整えた。
「あれ? お前この前見た時より髪薄くなってないか?」
「は?」
アデルは眉を吊り上げて、誓を睨んだ。
「うわ可哀想。そのうち絶対禿げるわー」
「ふざけんな! 俺の家系に禿げはいねえんだよ!」
アデルが尻を地面に付けた状態のまま、飛び跳ねた。
誓は相手を憐れむような表情で煽り続ける。
「もう無理。絶対禿げる」
「てめえうるせえこら! おい! 殺すぞワキガ!」
「ワキガじゃねえ!」
突然、声を荒げる二人の間に先程の猿が橋の手すりから飛び降りた。猿はおもむろに手に持った楕円形をした木の実をアデルの口におしこめる。
遠くでエリックが笑っている。
「似た者同士仲良くなー」
「似てねえよ!!!!!!!!!!!!!」
二つの怒声が森に響いた。
隊員達は、村のさらに奥へ進み、鉄の扉とその左右で銃を提げている警備員を見つけた。警備員達は真っ直ぐ正面を向いて、ジャングが扉の前に立った時だけ、少し相手の顔を見て、頭を下げる。
扉が開かれて、誓達は大樹の内部へと続く、扉をくぐった。塗装された壁と、煌々と通路を照らす蛍光灯を見て、誓はここが森の中であった事を一瞬忘れそうになる。
その通路をしばらく歩くと、四角い狭い部屋に出た。
部屋の奥の部分だけ床も敷き詰められていなければ、壁もなく、木の表面がむき出しになっている。
ジャングがむき出しになった部分の正面に立った。
その様子を見た誓も安全と判断して、壁に近付く。木とはいっても質感は滑らかな石のようだ。鍾乳洞のように液状だったものが固まったようにも見える。
「読んでみろ」
ジャングが突然そう言った。
誓は何の事を言ってるのか解らず、怪訝な顔でジャングを見る。よくみると、壁のジャングの正面にあたる部分は盛り上がって、何かが刻まれていた。
機眼が勝手に動き出す。
「ノーグ……」
機眼は壁の文章を読み上げようとした後、何かを処理するために黙り込んだ。
「奴らは突然現れた。私達の仲間も多くが死に、多くが奴らの仲間になってしまった。
敵と接触はしていないはずだが、私も最近目の様子がおかしい。
……位置は正しいはずだが、私達の暮らしたはずの街はここにはなかった」
意味が全て解らずとも何となくものものしい雰囲気を感じて、誓はジャングの方を見た。
ジャングはじっと碑文を見つめた後、興味が薄れたように目を逸らした。
「これなんだよ」
誓が尋ねるが、ジャングは答えずに部屋を出ていく。
「いくぞ。ついてこい」
エリックや他の隊員達は社長の態度に慣れた様子で笑っていたが、誓とエニスは頭に湧いてくる疑問を処理するのでいっぱいいっぱいだった。
村を抜けて、人型兵器を止めた場所まで帰ってくる。
再び人型兵器を飛ばす事数時間、大樹の森の中に禿げあがった綺麗な円が見えた。大樹どころか草も苔も見当たらない。
その中心にこじんまりとしたほとんど小屋のような建物が立っている。
隊員達は円の中には入らず、その周囲にある大樹の足場に機体を止めた。取り付けられた階段を下りて、地面に降りる。
誓は円の周囲に沿うように何かの施設が並んでいるのが解った。上からは大樹の陰に隠れて見えなかったのだ。
明かりが付いていて、人が動く気配もする。
大きな扉から入ると、施設の中には大きな画面や計器類が並んでいた。中心にある小屋の質素さからは想像が出来ない設備だ。
画面には一様に何か管ののようなものが移っている。
「なんだぁ?」
エニスが口を開けて画面によって、エリックと誓も後ろから覗きこむ。
誓は目にしてなおそれが何か良く解らなかった。結果から言うならば、そこには巨大な目があった。
「母胎と呼ばれる巨大な魔眼だ。その場に無いものを呼び出す力がある」
ジャングが脇に立って話し始める。
誓は曖昧な理解をした。何か物を瞬間移動させて呼び寄せるという意味かもしれない。
「それがどうだってんだ?」
「そこに存在する可能性がゼロの物質やエネルギーを平行世界から無理矢理に引きだす力が魔力だ。
魔眼も魔法も形は違えど、すべてその原理で動いている。
この魔眼は全ての魔眼の祖であり、全ての魔力の源だ」
ジャングは珍しく少し考え込むような自信が無いような表情をする。かといって、声の調子が変わる事も、表情が変わるでもなかったが、視点を正面から外し、俯いてた。
彼を知る者にとっては、そんな微妙な変化が大きなものに見えた。
「1万年程前、おそらくこの世界には魔力は存在しなかった。
こいつはこの世界とは別の可能性を辿った平行世界で生まれ、自分が生み出した魔族と共にこの世界に移動して来たんだ」
ジャングは誓の方を落ち窪んだ眼で見る。
誓は自分が聞いた話への驚きで、呆然としていた。
しかし、ジャングが自分の方を向いていると気付いて、ちらりと相手の顔を見る。誓は相手の表情を読みかねて、わずかに眉をひそめた。
ジャングはそれに構わず話し続ける。
「そして、ネイル教の教えに沿うなら、
こいつは時が来たら、別世界から自分が連れてきた種族の為にこの世界の人間をよそに飛ばそうとする」
不意に誓の奥底で勘が働いて、誓はゆっくりとジャングに向き合った。
誓自身に怒っているつもりはなかったが、目を見開いて無表情で迫るその様子を見て、エニスは少しおびえた。
ジャングは誓の目を見て話し続けた。
「昔からネイル教では、この母胎の能力への対策をや利用法を常に探し求めていた。そして、その為の行動を楔の儀、楔の民の儀として教えに付け足していった。
大元の教えでは、いつか母胎を制御出来る人間が選ばれし血族から生まれると言われていて、今でもそれを待つ者達もいる。
少し時代が下って生まれた一派では頭のおかしな超人を作れば、そいつは母胎の干渉を受けずにそれを打ち倒す事が出来ると信じられていた。
共通しているのは狂人を生み出そうという部分だ。
理由はわからないが、母胎は人間を他の可能性へ飛ばす時、その人間の認識能力を狂わせ幻覚を見せる。元から狂った人間ならば、飛ばされない、という考えなんだろう」
「今まで飛ばされた人間がいるって事なのか」
「いる。
母胎に関わる者以外へ常に情報が開かれていた訳ではないが、そうでなければ必死になって対策を考えはしない」
誓は頭がしびれるような感覚に陥る。自分の知っていた世界が崩れていくような気持だった。そして、さらに不愉快な思い付きが頭の裏を突いて来る。
「その話が親父や弟に関係あるのか」
「……EMMA社は何度か楔の民の儀を実現しようとした。
その第一プランとして、母胎をコピーした人工の魔眼を作ろうした。
その実験に参加していたのがお前の弟だ。
実験は失敗し、一瞬で母胎の周囲にある全てがどこかへ飛ばされた」
「親父は、なんで」
「幼少期の子供にしかその機眼は適合しない。
人類を救う為とはいえ身内でなければ、公に参加者は募れなかった」
「俺は……その頃にはもうでかすぎたのか」
不意に画面に向き合っていた職員達が食い入るように頭を下げた。
誓はそれ所ではなく、ただ黙ってジャングの方を見た。睨んでいるわけではなく、ただ信用できないと判断した目だった。
騒がしく職員達の声が入ってくる。
「え?」
「なんだよ! これ!」
「社長! 母胎が消失しました!」
「定点カメラの映像は?」
職員が端末を操作して、映像の時間をわずかに巻き戻す。
画面に一瞬、若い男の姿が映った。
男は爽やかな視線を送りながら、ポーズを取るようカメラに向けて指をさしていた。
【シモンと旭】
砂風の吹く街の建物の屋上にシモンと旭はいた。
旭が空間を歪めて少し離れた建物の屋上を自分達の方へ引き寄せた。
二人が恐る恐る歪めた屋上の足場に足を踏み入れると、空間が勢いよく元の形に戻り始めて、二人はもう一つの方の建物へ吸い寄せられる。
シモンは勢いあまって、屋上の建物に顔をぶつけた。
「もう少し上手く出来ねえのかよ!」
「シモンの炎で飛べばいいじゃん!」
「音でばれるだろバカが!」
「ああああああ! うるさいなあああああ!」
二人は文句を言い合いながら、結局旭の魔眼で建物の屋上を渡り、人通りの少ない通りを飛び越え続けた。
「おい!」
突然二人に向けて下の方から声がかけられる。
旭もシモンも縮み上がり、跳ねるようにして声の方を振り返った。
「おい! シモン!」
下から声をかけているのはドリダだった。わずかに後ろからはあの老人もシモンの方を見上げている。
シモンは振り返り、逃げてきた建物からの距離を確認した。問題ない、そう判断して段差を利用し、地面に降りる。
「ドリダ、まだいたの?」
「じいさんが突然上を見上げて走り出して、追いかけてたら、二人がいたんだよ」
「そんな事より、EMMA社の支社に行かなきゃいけねえんだ。どこにある?」
四人は少し急いで、さらに教会から離れた道に出た。
「ねえ、EMMAの支社の場所わかる?」
ドリダは軽い雰囲気で通りに面した店で道を聞いた。
聞いた通りの道を進むと、EMMAのロゴが入った建物が見えてきた。
旭とシモンが思っていたより、建物は小さく解りにくい場所にあった。
小奇麗なたたずまいで、シモンとドリダは入るのを一瞬ためらう。旭も少し緊張した様子だ。
それでもと、旭が先陣を切って建物に入る。
荒い息で勢いよく入って来た旭達を受け付けの職員やその後ろでコンピュータに向かっている職員達の視線が集まる。
「あの一緒に旅をしてたヴントが攫われちゃって! ヴントはヴォイニッチ王国の王子で!」
職員達は相変わらず目を丸くしていたが、受付の一人がヴントの名前を聞いた途端、何か理解した様子で、どこかに連絡し始めた。