珈琲の香りに忘れてきたモノー後編ー
さっきまで歩いてきた道を戻り、珈琲を楽しんだ喫茶店に辿り着く。
扉を開けると「カランコロン...」とベルが鳴る。
カウンターにいたマスターがこちらに顔を向ける。
「いらっしゃいませ・・おや」
お客さんに珈琲を出していたところなのだろう。席に腰かける女性の前にカップを差し出した姿勢で目が合う。
「やあ、ご主人。・・・先程ぶり」
つかつかとカウンターに向かう先輩がマスターに声かける。
入口の傍で私も小さく会釈を返す。
マスターは先輩が目の前に来ると、口を開く。
「もしやお兄さん、何か忘れ物ですかね?」
朗らかな笑みと共に、先輩に問いかける。
先輩も軽くうつむき気味に答える。
「ははは...いやはや、お恥ずかしい」
そう返しながら、事情を説明する先輩。マスターも我々が座っていたテーブル席に促してくれる。
先輩が退店後すぐに舞い戻った事に全く動じてないところを見ると、過去にも何度か同じ事があったのかもしれない。
先輩はテーブル席に着くやいなや、椅子の上やら床やらをのぞき込んでいる。
まばらに居るお客さん達もそれとなく彼の行動に気が向いているようにも見える。
「あったあった、駿助くん!見つかった・・・よ?」
顔を上げる先輩がこちらにそこそこ大きな声で報告するが、後半は疑問形となっている。
はて?と先輩に目を向けると、彼は自身の携帯電話を持ちながら、反対の手に小さなケースを抱えている。
「ハッハッハッ、どうやら忘れ物をしたうっかりさんは私だけでは無い様だ!」
何故か自慢げにケースをこちらに見せつけるように掲げる先輩。なぜだろうか、不思議な同族意識でも芽生えてしまっているのか。
見れば小さめのアタッシュケースだ。A4サイズの物が丁度よく入るであろう、ジュラルミン製のまだ新しそうなケースだ。
「ご主人、お隣の席の下にこれがありました!!」
マスターに告げる先輩はテンション高めに告げ、言葉を続ける。
「見たところこの忘れ物の持ち主も、店を出てまだ時間が経っておらんようです。
せっかくなので私がついでに届けて来ますよ!ねっ、駿助くん!!」
・・・いい笑顔でこちらに同意を求める先輩。というより、持ち主がまだ近くにいるという確信は何処からきているのだろうか?こういった物はお店に預けておくのが一般的では?
そんなことを考えていると、マスターが口を開く。
「ふむ、そうですな。わしもお客さんを追いかけて店を開けるわけにもいきませんので・・・申し訳ありませんがお願いできますか。見つからなかったときはまたそのカバンをお持ちください、持ち主も気が付いて戻って来られるかもしれません。」
マスターは席にいた持ち主に届けるという先輩の言葉にそう答える。
「ええ!任されました!さあ、少し走るぞ駿助くん!」
元気にそう答えて店を後にする先輩。・・・ちょっと、その持ち主が店からどちらに進んだかもわからないのに。
そんな私の不安をよそに、先輩は迷わず店の前の道を行く。
アタッシュケースを両腕で抱えるように持ちながら軽快に走る先輩。夏の暑い中でこれはなかなかの運動だ。私は周りをきょろきょろと見ながら持ち主を探す。
・・・いや、まて。
近くに持ち主が居ると断言していた先輩だが、そもそもその持ち主が誰かすらも私はピンと来ていないぞ?先輩はケースの持ち主に心当たりがあるようだが、一体どうやって見つけようと言うのだろう。
「先輩、ちょっとまってください!そのケースって誰の物なんですか?というか、こっちで間違いないんですか?」
疑問を先輩にぶつける私。小走りしながら声を上げるのは少々辛い。
先輩は私の質問を聞いてか、ちらりとこちらに振り返り答える。
「なに、大丈夫さ!こっちの道で間違いない。それと、持ち主もそうそう短時間で遠くへはいくこともないだろう。」
こっちで間違いないって...なんでまたそんな..
「ほら、見つけた。あそこにいる彼だ」
あっさりそういって速度を緩める先輩。見れば、公園の木陰の下にあるベンチに腰掛け、携帯電話をいじっている男性が見える。あれは・・・たしか奥の席にいたお兄さんだ。
「うむ、間違いないだろう。よし!届けてくるよ」
そういって彼に近づく先輩。本当にこんなに早く見つかるとは。
「すみません、お兄さん!先ほど喫茶店でこれを忘れませんでしたか?」
カバンを片手に声をかける先輩。
自分が呼ばれている事に気が付いたのか、お兄さんは携帯電話から目線を外し、先輩を見てギョッとする。
「なっ!?なんでそれを!!?」
どうやらかなり驚いている様だ、そりゃそうだ。知りもしない人からいきなり大声をかけられ、自分の持ち物を差し出されたら少し動揺する。
「やはり貴方のでしたか!はい、これをどうぞ」
そういって驚いたまま固まっているお兄さんにケースを預ける先輩。うん、彼ので間違いないようだしいいことしたな。
「それではこれ「うわぁぁぁーーー!!!」」
「へ?」
鞄を渡して満足した先輩が一言声かけ踵を返そうとすると、突然お兄さんが走り出して奇声を上げる。
何事かと驚くと、お兄さんは突然鞄を明後日の方向に投げ飛ばした。
「「ボカーーン!!」」
鞄を投げた方から激しい炸裂音が響く。
唖然とする私に、突如発生した強い風がかかり思わず目を瞑る。
目を開けると目の前にはひっくり返っている先輩と、倒れているお兄さんが。
状況が呑み込めない私が立ち尽くしていると、むくりと先輩が起き上がる。
ハッとした私は先輩に駆け寄り、声をかける。
「せ、先輩!大丈夫ですか!?」
近づく私に気が付いたのか、目をパチクリと見開いた先輩が
「あ、ああ、大丈夫だよ駿助くん。一体何だったんだ今のは」
先ほどの奇行を傍で見ていた先輩は、倒れている彼に目を向けた。