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髪飾り 3

 あの女は何をたくらんでいるのだろうか。もしかして図書館に爆弾でも仕掛けられているのか? 

 俺は恐る恐る開け放たれていたドアから図書館の中を覗いてみた。両端を本に埋め尽くされた部屋に人影は見当たらず、奥の日取り窓からこぼれる光の中をホコリが舞っているだけだった。この部屋は隣の応接室とは対照的に日取り窓が小さいため薄暗く、甘い古書の臭いで満ちている。

 部屋を見回していた俺は窓際の机の上にスミレの髪飾りを見つけた。


 図書館へ一歩足を踏み入れた俺は俊敏に左右を見る。罠が仕掛けてあるかもと考えたためだ。一歩一歩、俺はゆっくりと歩を進める。両脇にはうず高く伸びる本棚が立っていて、中には分厚い皮で装丁された本が所せましと並んでいる。本棚に少しの汚れも積もっていないのはメイドたちが毎日掃除をしている証拠だ。

 不意に視線を感じて振り返る。しかしドアからは暗い廊下が広がっているだけだった。


 机の前にたどり着いた俺はゆっくりと髪飾りを掴み上げた。手のひらほどもあるスミレの造花は淡い紫色の花びらをいっぱいに広げていて、花の中央からは作り物とは思えないほど細かく装飾された()()が伸びている。お金持ちはこういった所にも金をかけるんだなあと変に納得してしまった。フィアールカはいつもこれを耳の上あたりに付けているので匂いを嗅げば幸せな気分になれるだろう。しかしそんなことをすればまたフィアールカに見破られてしまうと思った俺は手と鼻を十分に離した状態で匂いを嗅ぐことにした。



 俺は光の漏れ出している応接室を目前に一旦歩みを止める。これは警戒心なのだろうか。だとしたら、なぜ俺はこんなにフィアールカをこんなに警戒しているのだろう。たぶん俺が恐れを抱いている対象はフィアールカ自体ではなく、フィアールカの誘惑によって理性を失うかもしれない自分なのだ。

「早く入っていらっしゃい」

 まるで背後から発せられたかのような声に俺は身構えた。部屋に入るのを戸惑っていることさえフィアールカはお見通しのようだ。

「今入るよ」

 俺はため息混じりに言うことで平静を装った。応接室に入ると先ほどの暗い図書館とは逆に光が溢れていて目が痛い。

「あった?」

 光の中のフィアールカは柔らかい表情だが試すような口調で言った。

「あったよ」

 俺は進みながら手に持つ髪飾りを突き出した。フィアールカの方も近づいて来て髪飾りに手を伸ばした、かと思うとふいに両手で俺の右手を包み込んだ。

 一瞬、俺の呼吸と心臓の鼓動と命の活動と時間が止まったかに思われ、そのあと額から何の汗かわからない汗がどんどん吹き出してくるのが分かった。

 フィアールカの手は柔らかく、日に干したての布団に全身を包まれているよりも暖かくて心地の良い感触だった。

「あらぁ? どうして汗をかいているのかしら?」

 フィアールカはそのねっとりとした声とともに俺の指に自分の指を絡ませる。対する俺は完全にこう着状態にあり、ただただ彼女の顔を見返すことしか出来なかった。日差しの中、明るさに慣れてきた俺の目の前には眉を下げて俺を見上げる悪魔の微笑みがあった。光に影を落とす彼女の顔の中で2つの目だけが爛々と輝いている。


「ほ、ほ、ほ」

「フクロウかしら?」

「違ぁう! ほ、ほら、コレだろ?」

 フィアールカの手の中で小刻みに震えている自分の右手を視界の端に捉えながらなんとか言葉を発する。

 フィアールカはまるで俺の腕から指にかけてまで、手のひらに着けた透明な絵の具を滑らせるかのように髪飾りを絡め取った。その瞬間俺は急いで手を引っ込めて身体の後ろで組む。


「ありがとうサルワタリ」

 その笑顔は無垢で汚れない少女のそれで、固い氷で覆われた心さえも一瞬で溶かしてしまいそうな熱と魔力を帯びていた。

「いいよ別に」

「ところでコレ、私に付けてくださらないかしら?」

 もう用は済んだと後ろを向きかけていた俺はフィアールカの顔を二度見する形となった。

「付けるって、何を?」

「あらぁ、髪飾りの他に何かあるのかしら?」

 ――狙いはこれか!

「い、いやでも俺髪飾りの付け方分からないし」

 ここで「いいよ」というのは見えている罠にかかりに行くようなものだ。しかしウチのお嬢様は俺が苦し紛れの言い訳を並べたところで引き下がるわけがない。

「今、やり方を教えて差し上げますわ」

 そう言った彼女は髪飾りのピンの部分を指差した。

「ここを、結った髪の下から差し込むだけ」

 俺に対して首を斜めに向けたフィアールカは慣れた手つきで、耳の上のあらかじめ結われていた箇所に髪飾りを差し込んだ。かと思うとまたスッと抜き取って俺の前に突き出す。

「付けて」

「いや、さっき自分で付けてたじゃん! なんで外したんだよ!」

「付けて欲しいの」

 髪飾りを俺の胸に押し当てる。

 俺に拒否権は無さそうだ。例えそれが見えている罠だとしても覚悟して踏みに行かねばならない時もある。そう自分に言い聞かせた俺はゆっくり髪飾りを受け取る。

「ところでサルワタリ」

「ん?」

「あなたはファーストキスの時、目を閉じていたい? それとも開けていたい?」

 俺の心臓がまた一瞬はねる。しかし今度は冷静にフィアールカの言葉の裏を探ろうと試みた。


 なぜ唐突にファーストキスの事を聞いたのか?それはつまり俺とキスしたいって事か? いや違う。このシチュエーションを考えろ。応接室に2人きり。何も起きないわけがなく……やはり俺とキスしたいって事か? いや待て理性的に考えろ。フィアールカは今俺に髪飾りをつけて欲しいと言っている。つまり、俺に髪飾りを付けさせる事によってフィアールカが何か得することがあるという事だ。それは何だ? ……俺に髪飾りを付けさせる→「お礼にキスしてもいいよ」→つまり俺とキスしたいって事か!


「ねえ聞いているの?」

 気づけばフィアールカの顔がすぐそばにあった。やはり俺とキs

 その大きく見開かれた目に飲み込まれそうになった俺は気圧されて後ずさる。

「ちょっと待て。なんで俺がまだキスした事ない前提なんだ」

(マウストゥーマウスは)無いけど。

「あらぁ? キスした事あるの?」

 さらに眼を大きく開けたフィアールカが俺の視線を捉えて離さない。

「あるし!」

「ふぅん」

 フィアールカは顔を近づけ、じっとりと俺の表情を観察する。それは少し間違えれば唇が触れ合ってもおかしくない距離だった。

「じゃあ質問を変えるのだけれど」

 フィアールカの吐息がかすかに俺の顔に掛かってくる。

「ファーストキスの時、あなたは目を開けていたの? それとも閉じていたの?」

 さあ、ここでも俺は試されている。どっちだ? 開けていたか閉じていたか、正解はどっちだ!?


 ふと俺はファーストキスの事を思い出してみる。あれはこの街に来て間もない頃の事だった。相手は街外れに住む娘で、不意に柔らかい感触を頬に感じたと思ったらその娘が顔を真っ赤にして俺のすぐ横にいたのだ。娘の表情と湿った頰の感触から俺は状況を察した。で、その後どうしたのかと言うと逃げた。

 俺「が」逃げた。そう。小さい頃からずっとこんなんだからワタシサクランボなのだ。


 話を戻せば俺はその時目を開けていた。というか完全に不意打ちだったため目を閉じる余裕など無かったのだ。

「開けてたよ」

 俺はフィアールカに負けないくらい目を見開いて自信満々に振る舞った。

「そう」

 じっとり目を細めたフィアールカはゆっくりと言葉を続ける。

「私は閉じていたいわ」

 そう言って彼女はゆっくり目を閉じた。その切れ長の目尻は長いマツゲのおかげで余計に走って見える。

「早くして」

 硬直した俺のすぐ目の前で瑞々しい唇がそう主張するのだった。



 続く


お読みいただきありがとうございました!


次は8月8日更新予定です。

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