本 3
部屋を出ると先ずドアの左に立って目を伏せているアンナに目が行く。チャンスだ。ここでアンナにフィアールカ(バトン)をタッチすればこれ以上 理性と本能のせめぎあいをしなくても済む。
「アンナ、済まないんだがアァ!」
不意打ちを食らった俺は面白い声を屋敷の廊下に響き渡らせた。
爪を立てたフィアールカに思いっきり胸をつねられたのだ
目を向けると相変わらず狸寝入りを決め込み、寝息を立てている。
クソ。このまま連れて行けって事か。
「どうかなさいましたか?」
無感情な声でアンナが俺に問う。
顔を上げコチラを向いたその瞳は野性的に光っていた。
「す、すまん、なんでもない」
俺は苦悶の表情を浮かべたまま言った。
アンナはしばらくじっと俺の顔を見ていたが、短く、ほんの一瞬 左目だけを閉じて開けた。
おや?
アンナは俺よりも年上で頭の良い女だ。
恐らく俺の置かれている状況を察してくれて、後で助けに来てくれるつもりなのだ。俺はアンナの目くばせを希望的観測に基づきそう解釈した。
「フィアールカが寝ちゃったから俺が部屋まで送ってくるな」
アンナは答えず正面に向き直り、再び目を伏せた。
俺はフィアールカを抱えたまま歩いていた。
燭灯で照らされただだっ広い廊下は無機質で、どこか冷たさを感じる。
それは漠然とした不安や空恐ろしさを駆り立てているかのようだ。
俺はフィアールカを抱える手を先ほどまでより少し強めに持ちなおした。
その体に触れている俺の手や腹から暖かな体温と柔らかい感触が伝わってくる。
恐らく部屋の手前辺りで丁度アンナが来て
「あとは私にお任せください」
とかなんとか言って助けてくれるだろう。というかそうなることを祈るばかりだ。
だがもしアンナが来なかったらどうするべきか?
その時は土遁の術でも水遁の術でも土下座の術でもなんでも使って逃げよう。
撤退でござる! なんてな。
ふとフィアールカの顔を見ると目を開けていて、例のねっとりした表情で俺の方をじっと見つめている。
「起きちゃったわ」
「ずっと起きてんだろうが」
暗くて誰も居ない廊下で妖しく誘い込むかのような表情を見ていると再び
「もうどうなってもいいからこの女を抱きたい」と思う衝動が息を吹き返してくる。
ひょっとしたらアンナは助けに来てくれないし、俺は手を出してしまうのではないか?
ホイホイ フィアールカの部屋に引きずり込まれて、そのまま欲望に任せてこの女を襲ってしまうのではないか?
俺はフィアールカから目線を外しブンブン首を振る。
いや、決してそんな事はしない。
何故なら俺は忍者だから!
そんな一切何の根拠もない理由にすがりながら、俺は大理石の廊下を一歩一歩進んでいくのだった。
終わり
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