牧場の娘 3
海の近くの診療所は、この街によくある石レンガを積まれて造られた2階建ての建物だった。同じ大きさの建物2つを1つにつなげたものであり、正面から見て一階の左側が診療室、右側が待合室になっている。
待合室に入ると木製のベンチが2行3列で並んでいて、客がまばらに座っている。その光景はどこか教会を思わせるものだった。
俺は足の悪いミルテを先にベンチに座らせ、代わりに受付を済ませることにした。
受付を終え、ミルテと同じベンチに腰を掛けると、笑顔で俺の横にくっついて来た。かわいい。
だが先ほどまでとは打って変わって一切喋らない。診療所だから静かにしようと思ったのだろうか。
客がそんなに居ないし待たされることも無いだろう、と思った俺は腕組みをして待っておくことにした。
しかし思いのほか順番が来ない。診療室の方からは捲くし立てるような中年女性の声が聞こえてくる。ここの経営者であるバルドーさんは腕も面倒見も良い白魔道士だが、度を越えて噂好きのおばちゃんである。大方、客と噂話で盛り上がっているのだろう。
この調子じゃあミルテを牧場まで送って行く頃には昼を過ぎそうだなあ、と考えているとミルテがふいに俺の肩に頭をあずけてきた。
ビックリして横を見ると静かに寝息を立てている。
しかし忍者は寝息の音で狸寝入りをしていることがすぐに分かった。ここで俺はミルテに「なぜ寝たふりをしているのか」と問うことも出来たし、脇腹をツンツン突っついてからかうことも出来た。
だがそうはしなかった。
正直に言うとミルテの胸を間近でじっくり観察したかったからだ。
確かに俺は毎朝ミルテと会う。彼女の胸があまりに大きいため見ようとしなくても目に入ることも事実だ。
「牛の乳搾りをしてみない?」
とミルテに誘われた時は
「お前の乳を搾らせろグへへ」
と思っていたし、頼み込めば胸を揉ませてくれるような気もしている。いや、それは気のせいかもしれないが。
だが色んな事情があってミルテから兄のように慕われている俺のプライドが、一線を越えることを拒んでいた。
しかし今は、これだけ「見てください」と言わんばかりの状況ならば話は別だ。
俺はゆっくり目線をズラしていく。
徐々に目に入る胸はやはり巨大だ。スイカ2つ分くらいあるだろうか。
ディアンドルの襟ぐりからはみ出した柔らかそうな肉だけで普通の女性の胸の大きさを越えている。彼女の胸を受け止めるボディス(ディアンドルの胴衣)は「もう限界です!」と言わんばかりに張りに張っていて、今にもはち切れそうだ。
もちろんミルテの胸を生では見たことは無いが、服の張り方からして釣り鐘型の形をしていると俺は見ていた。これぞ忍術。
ひとしきり観察したあと、今度は「触ってみたい」という欲望が湧いて来た。欲に限り無しとはよく言ったものだ。だが千載一遇のチャンスだからと言って、流石に無防備な相手に許可なく触ることは出来ない。
しかし、ここにきて俺の背中に、ミルテをおんぶしていた時の温もりがよみがえってきた。あの何とも言えないトロリとした柔らかさ、ぜひこの手で体感してみたい。
両手でその双丘を、頂上からふもとまで何度も滑らせてみた。
「ミルテ・グリューニングさん、診療室へお入りください」
俺はハッとして身体を震わせた。
「うぅん、もう朝かなあ」
ここで眼をこすって起き上がりながら渾身のボケをかますミルテ。
「朝じゃないけど夜にはなったぞ」
「え!? 嘘!?」
「嘘に決まってんだろ」
俺はミルテをからかっているその時気付いた。
胸の直前まで伸びていた、自分の右の手のひらに。
***
俺は診療室の入り口には付いて行ったが中には入らなかった。
理由はバルドーおばちゃんに噂を立てられると思ったからだ。噂のネタになってしまえば最後、明日の朝にはリザードテイルの隅から隅まで知れ渡って、脇溝のネズミでさえ知っている情報になってしまう。しかも尾ひれ羽ひれがたっぷり付いた状態でだ。それは何としても避けたかった。
俺は一人ベンチに腰掛けてボーっと天井を眺めながら隣の診療室から聞こえてくる声に耳を立てていた。バルドーさんの治癒魔法の呪文、ミルテがひそひそと話す無性音まで仔細に聞き取ることが出来る。
これはもはや職業病と言って良い。
聞き取った内容によると、どうやら一回の治療でミルテの内出血は治ったようだ。ただ「今日明日は走ることは控えるように」とバルドーさんが忠告している。
これなら牧場への帰りはミルテをおんぶすることは無さそうだ。少し残念だが。
「お待たせ」
診療室から出て来たミルテは俺の顔を見るなりふんわりとした笑顔になった。かわいい。
だが何故か彼女は足を引きずっている。ん? 完治したはずでは?
「んとね、治療してもらって随分良くなったんだけどね、まだ治り切ってないから、家まではおんぶしてもらえってさ」
目の動きや声色からミルテが嘘をついている事は分かった。
何故そんな嘘をつくのだろう。毎日会って話しているから分かるが、ミルテは楽をするために嘘をついたりする奴ではない。
では何故? 俺の背中に胸を押し当てるため? いや、ミルテに限ってそんな痴女なハズがない。
「お願い、して良いかな?」
ミルテは上目遣いに潤んだ瞳で聞いてくる。これは断れない。
ま、何故嘘をついてるのかなんて詮索するのは止めて、牧場に着くまでたっぷり背中の感触を楽しもうじゃないか。
***
牧場までの道のりを、ゆっくりミルテと談笑しながら歩いて行った俺は満ち足りた気持ちだった。主に背中の感触によってだが。
そうして「また明日」と名残惜しそうな表情のミルテに別れをつげ、すっかり御機嫌になった俺は闇魔道士の経営する小料理屋でたらふく飲んで喰って、ほろ酔いの良い気分になっていた。
そんな俺の酔いを一瞬で覚ましたのは、屋敷の玄関の前に立っていた満面の笑みのフィアールカである。
いつものように腰のあたりで両手を組み、笑顔で何も言わずに俺の方を見つめてくる。だが俺は酔いも手伝って
「なんだ? お帰りのハグでもしてくれるのか?」
と口走った。後で思えばこれがまずかった。
「ねえサルワタリ」
笑った表情を崩さずに言うフィアールカを見て俺は急に嫌な予感がしてきた。
「ど、どうしたのかな?」
「貴方は今日の晩御飯抜きですわ。夜の外出も禁止」
「え? 何でだよ!?」
「身に覚えがあるでしょう」
フィアールカは最後まで表情を崩さないまま俺に背を向け、屋敷の中に入って行ってしまった。待て、何故俺の行動を把握しているのか。
しかし何か悪いことをしたのだろうか? 俺の頭は必死に今日の事を思い出す。
今日は足をくじいたミルテを助けて診療所へ運び、そこから牧場まで送って行った。いやこれは問題ない。
とすると、その後の小料理屋での俺の態度が問題だったのだろうか。
確かに俺は羽目を外していた。マスターのクラウスと、ちょうど店に来ていた剣士とゲラゲラ笑いながら飲んで「俺のチ〇コはヤマタノオロチ」などと訳の分からない歌を歌ったりしたのがいけなかったのだろうか。いや、そうに違いない。
いくら非番だからとはいえ、俺は忍者として、何よりこの屋敷の守りを負う兵としての自覚が欠如していたようだ。フィアールカはそれを咎めているに違いない。
許してもらおうとは思わないが後で謝っておこう。
だが俺の謝罪を聞いたフィアールカは許してくれなかったどころか、俺の明日の朝飯まで抜きだと笑顔で言い放った。何故だ。
どうしてこうなった。
***
グウグウ鳴る腹を抑えながらベッドで仰向けになっていた時、不意にドアの前に人の立つ気配があった。
俺が素早く近づき、静かにドアを開けたところに立っていたのはシュミーズを着たカティアであった。
「カティア! どうしたんだ?」
するとカティアは俺の声に慌てた様子で左右を見渡した後、人差し指を口に当て「しぃー」と息を吐いた。
「カッペイちゃん、晩御飯抜きで可哀そうだから、これ」
蚊の鳴くような声で言うカティアの左手には風呂敷が握られている。
「パンとソーセージと、あとビスケットが入ってるから、ごめんね、こんなものしかなくて……」
「いやいやめっそうも無い! とても腹が減っていたんだ、ありがとう。この恩は必ず返すからな」
「そんな、恩を返すなんて大げさだなぁ」
そう言いながら例のようにグイグイと身体を寄せてくるカティア。これが彼女の癖であることは分かっている。だがカティアのシュミーズの襟ぐりからのぞく胸元はやはり健康的でハリがあり、何より俺の部屋の前であるというこの状況である。瞬間的にカティアを担いでベッドまで連れて行きたい衝動に駆られた。
いや、それはダメだ! そんなカティアの善意を利用するようなことは出来ない。
「ありがとう。美味しくいただくよ」
俺はカティアの両肩を掴んで自分の身体から引きはがしながら言った。
「うん、しっかり食べてね!」
うす暗い廊下の中で、パッと光が照るかのような笑顔で言うカティア。
俺はこの少女もいただきたいと思った。
おわり
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