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リコール  作者: 別当勉
9/33

ビジネスマン「平尾」

(6):商品企画者 平尾


 平尾の自宅は、吉祥寺の駅から歩いて15分、武蔵野の森に囲まれた池のある公園に隣接するマンションである。オフィスのある汐留までは、ドア―・ツー・ドア―でちょうど1時間である。

 月曜日の朝、名古屋に一泊で出張に出た予定が、名古屋では宿泊せずに大阪と米沢にそれぞれ一泊して帰社し、夜の打ち合わせを終えて帰宅した。まだ週半ばの水曜日である。一泊が二泊三日の出張になっただけなのに、随分と長く留守にしたような気がした。

 平尾が生活の心掛けとして一番大事にしている主義は、オンとオフを明確にすることである。週の単位で言えば、月曜から金曜までは仕事に集中することにしている。一日の中でも仕事の開始と終了は明確にするようにしている。もちろん、子供達の学校の行事がその間にあればそれは極力優先するようにしている。そして、夜については、取引先との接待や社内の飲みは優先するが、会社以外の友人達との飲みも大事にしている。それに、本当にたまにではあるが、妻の千夏とコンサートに行ったり食事をしたりすることも心掛けている。

朝6時30分には家を出て7時30分には会社につく。始業の9時まで1時間30分の時間は自分の時間である。これは、指揮者の小澤征爾の、夜はお酒を飲んでリラックスし、その変わり朝は早く起きて勉強するという「主義」に習った。しかし、入社3年後にこの生活パターンにする前は9時の始業間際に会社に駆け込むという生活パターンであった。接待や残業とその後の残業食で同僚と飲みながら話し込む。帰宅すると風呂に入って寝るだけ。さらに、京都生まれで京都で学生時代を過ごした平尾にとっては東京の通勤は辛かった。通勤に時間が掛かるという体力面で辛いということもあったが、人が多い上に気が立って感情的になっている人々に囲まれて通勤するということが平尾にとってはストレスであった。自分の二日酔を棚に上げてであるが、京都弁で言うと、

「オッサンの吐く息は臭いし、出っ張った腹で押されると気持ち悪いし、こっちは何もしてないのにお姉ちゃんには睨まれるし・・・『好き好んでアナタの横に来ていません』『自意識過剰やっちゅうねん』『女に不自由しているちゅうてもそこまで不自由していません』

・・・って、心の中でブツブツ言いながら時間過ごすのは耐えられんわあ!・・・時々すっごい美人もいるけどな!でも、近づいていくわけにもいかんし・・・そこは、男のやせ我慢や!」

というわけで、通勤の行き帰りも新聞も本も読まないような新人時代を過ごした。

 しかし、入社3年目の初の海外出張で「早起き主義」に変えた。その出張はシカゴでの家電の見本市の視察で、平尾にとっては初めてのアメリカであった。

シカゴに到着した翌朝、時差ぼけで日が昇る前に目が覚めた。ミシガン湖に面した高層ホテルの35階の部屋の窓から何気なく湖を眺めたが、眼下のフリーウエイには郊外からダウンタウンに向かって列をなして車が走っていた。・・・「こんなに朝早くから・・・」・・・そして、ダウンタウンに面した窓をみると、オフィスには既に煌々とあかりがついていた。目を凝らして見ると、掃除中の部屋もあるが既に机に向かっている姿も見えた。・・・「何だ!アメリカ人だって働くんじゃないか!日本人をワーカーホリックって馬鹿にするけど・・・」・・・素直な感想だった。

 平尾は、その見本市でのデイストリビューターとの会食の際、その話を持ち出してみた。同席していたVP達は、口々に「アメリカのエクゼクテイブは朝早くから働く!クリエイテイブを発揮するには朝だ!」と言った。そして、その出張中にデイストリビューターや自社の現地法人を訪問する際、7時に訪ねてみると、既に多くのマネージャーが仕事を始めていた。しかし、夕方は、仕事を終えると4時ごろ既に帰宅を始めるものが出てきてオフィスは静かになっていった。家族との時間を過ごすとのことであった・・・「朝の6時から11時間もオフィスにいる。充分仕事をしただろう!」・・・「日本で言えば9時から8時か?そら充分だよな!」・・・平尾は、なるほどと思った。

 そんなことを帰りのフライトで思い返してしると、指揮者小澤征爾が師匠カラヤンから指摘を受けて、生活パターンを早起き型に変えた話を思い出した。

小澤征爾は、シンフォニー指揮者として活躍していたがオペラは殆ど振らなかった。その姿を見てカラヤンが小澤に言ったのは、音楽が好きでプロの指揮者として生きていくのなら、オペラを演らないと音楽家としての満足は半分に終わる。後悔するぞ!オペラを演れ!勉強してオペラを演れ!ということだった。シンフォニーだって死ぬまでどれだけの曲を振れるかわからないが、一曲が長いオペラも古今東西にごまんとある。シンフォニーもそうだが曲だけを勉強しても音楽は演れない。オペラは、話、歌、舞台、歴史と曲ごとに勉強しなくてはならないことシンフォニーよりはるかに多い。何時勉強するか?リハーサルや打合せやコンサートで疲れ、夜はどうしてもお酒を飲んでしまう。そうすると朝しかない。昼はしっかり働いて、夜はゆっくり疲れをとって、朝勉強しよう。そう決めた時から、朝は4時、早いときは3時に起きて勉強するそれをずっと続けて今でも続けている。

・・・それを小澤征爾が著書やインタビューで語っていたのを思い出し、帰国後の時差ボケを利用して早起き型を試してみたところ非常に快適で、その後20年、海外駐在を除いてこのパターンの生活である。

従って、飲んでどんなに遅く帰っても6時45分の電車に乗る。車内がまだ空いている電車に乗った方が、もう1時間の睡眠はとれるが混んでいる電車に乗るよりは遥かに快適であった。

しかし、この飲んでも・・・というのは、商品企画部長になってからは、ほぼ毎日であった。健康診断を受ける前日以外は毎日というのが正確なところであった。本社にいるときは、国内海外の大手取引先を迎えて営業会議をする。経営層やバイヤーによって打合わせる内容は変わるが、商品関係の議題を担当する。新製品の企画についての意見を聞いたり、開発の進捗状況を説明したりする。そして会議後の接待に参加することになる。そういった大きな営業会議でなくてもリレーションが上手くいっている国内のバイヤーはふらっとやってくる。もちろん営業部門が担当窓口であるが、商品企画も一緒に応対するのがX社の営業マインドである。夕方であれば会食となる。また、商品企画に関わる課題でもデザイナーやマーケティング会社との付き合いもある。開発関係者との打ち合わせは、基本はもの作りの現場である各事業所で行うが本社で打合わせる場合もある。会議が終わればいろんな話もしたい。同様に、事業部内の他部門、本社内の管理部門や他事業部の部長達との情報交換もある。そして、平尾が大事にしていて楽しくもあるのが、部下との「飲み」である。あらかじめメンバーを決めて早い時間からの始める場合もあるし、残業の流れで三々五々集まって飲むこともある。いわゆる飲みにケーションである。これは、それぞれの担当者が新製品の企画開発課題を抱え忙しく動いている。出張も多い。開発製造拠点の米沢事業所、中国工場をはじめとする海外製造事業所、協力メーカーの国内外事業所、デザイナー事務所、国内営業拠点、現地法人、大手得意先、国内外の市場サーベイ、国内外の見本市出展や視察、業界団体の会合等々で部内メンバーが一同に会することはめったにない。平尾の主義として報告はうるさく求めない。方向性を示し、進み方を確認し、部下を動機付けするのがマネージメントの役目だと思っている。聞きたいことがあれば自分が部下に聞けば良いと思っている。部下には精一杯経験を持たせて能力を高めて、その能力を信頼して、動きやすいように動いてもらうことによって一番質の高い成果が出る。そういう主義で部を運営している。だから、1980年の後半に流行って一部の会社では今でも使われている標語、「ほうれんそう(報連相)」つまり「報告連絡相談の徹底!」のような主義ではない。どちらかで言うと放任主義である。放任主義で組織が回る、そんな「大人の組織」を目指そうと部下とも話し合っている。部下も良く理解をしていてくれて、要所要所で報告を入れ判断を求めてくる。しかし、平尾はまだ報告が多いと思っている。日頃から部下とコミュニケーションが取れていれば本当に大事なポイントの報告は外さないもので、そのコミュニケーションは仕事を通してもそうであるが、アフターファイブの飲み会も大事な手段で良い機会だと大事にしている。オーディオ事業部は、事業部長の松本もMAM本部長の芦田を始めてとしてPAMとHAMの両本部長もこの主義であるから、事業部員は飲む飲まないを別として飲み会が好きだ。わいわいと騒ぎながら仕事の話をし、夢を語りあうこともあれば言い合いになることもある。たわいのない馬鹿っ話もあるが、そうやって互いを知ってチームワークを高めてきている。固い向きには不謹慎にも見えるかも知れないが、部下との飲み会は、平尾にとっては大事で楽しい機会で正直言ってストレスを発散できる会である。そんな毎日だから、従って、月曜から金曜までは家で夕飯を食べることはまずない。

部長会は9時に終わった。しかし、さすがに飯に行こう・・・つまり飲みにということにはならなかった。残業飯を食べに行けば酒抜きということにはならないだろうし、こういった時に不謹慎だからと気遣いながらというのも不自然だし、会議で話したことを場所を変えて部長同士で話し込むという課題も残っていない。ならば、この会議の内容を明朝に部内に下ろして進める仕事の進め方を考えながら、今日は静かに帰宅するほうがいいだろうという場の空気であった。

 特別な家族のイベントがない限り、平尾が11時前に家に帰るということは、年に1回あるか2回あるかといったところであった。


「えー、はやいじゃない。どうしたの?」

「ちょっと、まじめな会議があって飲まずに帰ってきた・・・」

「へえーやっぱりねえ。いつもの『打ち合わせ』の後飲むっていう『打ち合わせ』ってのは『まじめな打合わせ』じゃないんだ。いつも楽しいそうにいい気分で帰ってくるものねえ!」

「そうじゃないよ。いつも『まじめ』だよ!でも、今日は、ちょっとヤバイって感じの大真面目な打ち合わせだったんだよ・・・」

「ふーん・・・飲まないで帰ってくるって、かなりヤバイんじゃないの?」

「ああ、かなりヤバイ・・・」

「ふーん・・・で、ご飯たべる?・・・『食べる』って言われれても作ってないわよ!電話してくれたら良かったのに・・・」

「いいよ、残り物で・・・白いご飯があれば、納豆と佃煮と味付け海苔で充分や!それにお味噌汁があれば言うことなしや!インスタントでもええで!」

「ハイハイ・・・何時も外でごちそうを食べてる人は言うことがちゃうねえ!」


 妻の千夏は、京都の高校時代の2年後輩である。平尾は、高校に入ってアメリカンフットボールを始め社会人のクラブチームで引退するまで、どのチームでもずっとクオーターバックであった。

千夏との最初の出会いは、毎年12月に開催される全国高校アメリカンフットボール選手権大会のクリスマスボウルへの地区大会を前にグランドで練習をしている時であった。平尾が3年のその時、ひょっとしたら出場可能の前評判があった。クリスマスボウルは、1970年の第1回以来関西の私立競合校がずっと出場していた。京都の公立高校が出場するという可能性が囁かれることでさえも画期的なことであった。公立高校の狭いグランドで、運動部それぞれが全国大会出場を目指すアメリカンフットボール部の練習を気遣いながら活動していた。張り詰めた空気がグランドには流れていた。平尾は、グランドの端でレシーバーの選手とキャッチビールを繰り返していた。その平尾が投げた球をレーシーバーの前に飛び出てキャッチして10メートルほど走ったあとでタッチダウンのポーズをするという悪戯をしたのが千夏であった。千夏は、陸上の短距離の選手で新人戦で記録を出していた。しかし、狭いグランドで沢山の運動部がスペースを融通しながら練習している中で、更に全国大会を目指して緊迫した雰囲気で練習している2年先輩のエースの練習を他の部の1年が悪戯をして邪魔する。普通あり得ないことであった。千夏はそんな大胆なところと茶目っ気のあるところを合わせ持った女子であった。平尾は、最初あっけにとられたが印象は悪くはなかった。


「むっちゃええ運神やなあ・・・あっかるい無邪気なやっちゃなあ・・・ほとんどアホやなあ・・・」

そうつぶやいた時から30年ずっと千夏と一緒にいる。

「なかなかええ足してるなあ・・・」

「どこみてんねん!うちのQBはエッチやなあ!」

「ちがうわ!中々韋駄天やっちゅうてのや!」

「おおきに!・・・でも、あんなへなちょこな球・・・すぐインターセプトされんでえ!気つけや!」

「すんまへん。よお気をつけまっさ!・・・」


 平尾は、結局この高校時代にはクリスマスボウルへの出場はかなわなず全国レベルの選手にはなれなかったが、一浪して入った京都大学ではキャプテンでクオーターバックを努め甲子園ボウルを制覇した実力選手となった。加えて、その精悍な容姿から人気のあるスター選手でもあった。女性ファンも多くいたが、いつも千夏と一緒であった。

千夏は、現役で京都の私立の大学へ行き、好きな英語を勉強しながら陸上にも打ち込みインカレにも出場し100mの学生記録も出した。卒業後は洋酒会社に入社し、関西財界で名物の会長の秘書をしたが、平尾が30に千夏が28になった時に二人は結婚した。千夏が勤めたその洋酒会社には全国制覇する実力を持つ社会人ラグビーチームがあり、その会長は、千夏をそのチームの選手の嫁にと思っていたし選手達も争ってアプローチしていたので、甲子園ボウルのスターQBがラガーから美女をさらったと話題を提供した。二人の結婚披露宴は、アメリカンフットボール界、陸上界、そして千夏の同僚のラガーに名スピーチの名物会長が加わり大変楽しい大宴会となった。

 平尾は、大学に入るのに1年浪人したので23歳で入社した。X社は、現在ではモバイルフォーン、パソコン、ビジュアル機器、オーデイオの4事業がそれぞれ独立してグローバル展開している総合エレクトロニクスのメーカーであるが、平尾が入社した1983年の時点では、創業以来の音響技術を機軸に、品質と斬新なデザインを特徴としたコンポーネントステレオ、小型カセットテープレコーダー、小型テレビを作るオーデイオビジュアル専門メーカーであった。事業規模においてはナショナルなどの総合家電メーカーには大きく引き離されていたが、洗練された企業イメージで就職したい企業として学生に人気があった。

入社して最初に配属されたのは国内販売部であった。国内販売には販売代理店経由と自社販売会社経由の2つの販売ルートがあり、部に2つの課を持って販売を推進していた。この流通形態は今でもそうであるが、当時は各地域に代理店があり主要流通であった。自社販売会社は、代理店が往訪しない店への販売を担当していた。

平尾は、販売一課で代理店を担当した。村田商会は最初に担当した代理店であった。毎月大阪に出張し、村田社長や営業担当者と同社の営業車にのって同行販売をしながら営業の現場経験をした。その担当を3年経験したあと、名古屋の自社販売会社に転勤し、中部北陸6県の直販店への販売を担当した。通常、地方転勤は3年から4年は経験するが、1980年代の半ばは、ちょうど同社が多角化による事業を拡大する時で組織もたびたび改変された。その流れの中で、平尾も1年半で東京に戻ることになった。この東京から大阪を担当した3年と名古屋にいた1年半は、平尾と千夏にとっては遠距離恋愛というようなことを感じることなく過ごせた。二人にとって好都合な人事であった。

東京本社に戻るとサービスと商品企画をそれぞれ1年間担当した。X社の人事方針として、新人は入社後3年から5年掛けて、先ずは営業を経験してからバリューチェーンのマーケティング課題を担当しながらマーケターとしての基礎を経験するOJTを行っていた。

サービスの担当は、サービス窓口の管理とそこに寄せられるクレームや提案を分析し、その中に含まれるマーケテイング課題を見つけ各担当部署に報告や提案をするといった業務を行った。そして、その後商品企画の担当を経験し、28歳の時に社内トレイニー制度によって現地法人のXUK社に赴任し1年間ロンドンに暮らした。

帰国後は、海外販売部に配属になり、東京から各国現地法人やデイストリビューターへの販売を推進した。

千夏と結婚したのは、この海外販売の担当をしている時で、平尾が30歳千夏が28歳の時であった。東京に住むことになる千夏は洋酒会社を退社した。その会社は、大阪が起業の地であるが2本社制で東京にも本社を持っていた。会社は、千夏に東京本社での勤務を提案したが、海外出張が多い平尾とすれ違いの生活になるのを懸念したことと、好きな英語の翻訳の仕事を自宅でしたいという思いから、会社のせっかくの配慮ではあったが退社をすることを決めた・・・その後千夏は、年に1冊程度の翻訳本を出す翻訳家となったが・・・。

長男の太郎は、結婚後1年して生まれた。そして、さらにその1年後の、平尾が32歳の時、X社米国現地法人「X‐America」に駐在となりニューヨークで4年間暮らした。

千夏は、京都から東京へ、そしてニューヨークと生活の場が変わっていったが、それぞれの地で柔軟に対応していった。その千夏のポテンシャルに平尾は随分助けられた。とにかく、家のことはまかせっきりであったが気がかりになるようなことはなく仕事に集中できたし、休みの日も気持も体も休めることができる家庭を作ってくれた。しかし一方で、そのことが夫婦の関係においてある種の位置づけが決められた。それは、「千夏にはかなわんなあ」というものであった。

4年間の駐在を終えて本社に帰任し、商品企画係長を4年、海外販売の各エリアの担当課長を4年、そして商品企画部長になって現在4年目である。48歳になった。

デジタル技術の革新が進む中、X社は、品質、ダウンサイジング、デザインを開発コンセプトに精力的に技術開発を進めた。創業以来の専門のオーデイオ技術を核にビジュアルや通信の技術へと拡大し、音響、映像、通信の要素を融合した高い付加価値を創造する商品やサービスを開発し業容を拡大していった。

平尾が入社した時は、オーデイオを専業に売り上げ3000億円規模の会社であったが、今や、オーデイオ、ビジュアル、パーソナルコンピューター、モバイルの4っつの柱となる事業を持ち、連結売り上げ1兆6000億円の日本を代表するIT家電企業となり、そのコーポレートブランドは世界中で認知されるまでになった。

会社の成長とともに平尾も成長できた。オーデイオ事業のマーケターとして様々な経験を重ねながら力をつけてきた。国内や海外の販売を担当している時は、オーデイオ商品を全般に扱い営業力を磨き、商品企画者としては、特に携帯型オーデイオの担当であった商品企画係長時代は、その当時画期的な商品として登場した『Cカセットによる携帯型オーデイオ』のソニーのウオークマンを、小型軽量斬新デザインを商品コンセプトに追いかけた。そして、商品企画部長になってからは、シリコン型メモリーや超小型ハードデイスクを記録メデイアにした携帯オーディオを創業以来こだわってきた高音質で競合メーカーをリードさせる商品戦略を推進している。音質は、目指す品質の機軸となる要素であるが、それらも耐久性や安全性といった商品としては当然の信頼性の基盤の上に成り立つものである。平尾自身もそのことにこだわってきただけに今起きている事態には忸怩たる思いがある。仮に今起こっている事態が大きく広がるようなことになれば、社全体的なイメージダウンが大きいこともわかりすぎるほどわかっている。特にX社が強みとしている感性に訴える『音質』や『画質』に対する評価には大きく影響する。ブランドのイメージダウンは避けられない。全ての商品に影響する。そのことを考えると、まさに『今そこにきている危機』として慎重にかつ完璧な対応が迫られる。この問題を起こした商品の企画責任者として如何なる行動を取るべきか・・・月曜日に松本から第一報を貰ったそのときから、平尾の判断基準はその一点であった。


「帰るコール」もしない突然の帰宅であったが、千夏は、平尾の好物のお刺身と干物の焼き物、そしてビールを食卓に並べた。

「どう?これで!」

「気が利くなあ!疲れも吹っ飛ぶわあ・・・魚を肴にビールを飲みながら、10時のニュースをゆっくり見られるなんて最高やなあ!」

「パパぁ!そうじゃないでしょう?『家族とゆっくり話ができて最高!』じゃないの?」

「そうやそうや、その通り!・・・それで、さくらは、今日は学校でなんかおもろいことあったか?」

「まあ、いろいろ面白いことはあるけど、パパと私は毎朝一緒やからコミュニケーションは完璧やけど、私のことよりママとの話はないの?」

 さくらは、都心の国立の付属中学に通っているので、朝は最寄の駅から友人達と通学するさくらと一緒に家を出る。その駅までの10分が夜遅く帰宅し朝も早々に出勤する平尾のファミリータイムで父親と娘の関係をつくる時間として大切にしている。

「太郎は?」

「勉強・・・と言いながら部屋で寝てるんとちゃうかなあ?」

「水泳は疲れるからなあ・・・まあええて・・・受験は1年頑張ったらなんとかなるもんや。現役であかんかったら1年浪人するのもええで。2年頑張ったらなんとかなる!」

「パパは、何とかなったの?」

「パパは、3年の秋まで部活やってたからなあ。浪人して1年頑張ったんや。あの時は・・・あの1年間は本当に勉強したなあ」

「じゃ、私も大丈夫だよね!」

「だめよ!勉強は毎日続けて力をつけていくのが一番!大学に入るのが目標じゃなくて、大学に入ってさらに勉強して専門性を付けるのが目標なんやから」

「ママは現役でしょ?」

「そうやよ!夏まで部活で走ってたけど、ちゃーんと現役で合格したんよ!」

「・・・あれは、半分セレクション合格やないか!」

「セレクションって何?」

「ママは、短距離のええ記録持ってて勉強もまあまあ出来たから、スポーツ推薦で簡単に入学しよってんで・・・要領ええやろ?」

「文武両道の総合力やん!」

「パパは?」

「国立にはセレクション入試はないからなあ・・・」

「で、勉強したの?」

「そう、浪人の1年間は勉強したでえ!京大で甲子園ボウルに出ることがモチベーションやったからなあ・・・」

「関西の私大のスポーツ推薦は来なかったの?」

「そうや・・・失礼するやろ?京都一番の名QBやったのになあ・・・同じ京都の同志社も立命も無視しよったんや!」

「大阪の高校で超高校級のクォーターバックが2人いはってん・・・」

「その人達に取られたの?」

「パパは、最初から京大でアメリカンっていう高い志やったんや!」

「負け惜しみですか?あの時結構悔しそうな顔してましたで・・・」

「ママとパパはその時から付き合っていたの?」

「パパは結構その気やったけどね!・・・スポーツ推薦も来なかったってしょげているからカツを入れたったんや!」

「まあ、そんなこともあって、京大に入って私立倒すってのも強い動機になったんや!」

「そういうことは、大学はやっぱりアメリカンってこと?」

「正直言うてパパの場合はやっぱりそうやったなあ・・・勉強もそれはそれで面白かったけどな!・・・太郎もオリンピックに出る位に頑張ってくれたらパパは大泣きするんやけどなあ・・・」

「お兄ちゃんのあの根性ではちょっとその夢は遠いなあ!」


 平尾と千夏が太郎とさくらに課していた約束は、部活や学校の行事といった公式行事は別として『日曜の夜は家族でご飯を食べること』というものであった。ボーイフレンドやガールフレンドとのデートも夕食までに帰ってこなくてはならなかった。だから、出張で平尾がいない時以外は、日曜の夜に家族で取り留めのない会話を楽しみながら晩御飯を囲むということは結構あった。しかし、平日の夜にそのようなことがあることはこの10年間なかった。毎日曜の夜にやっていることではあるが、平日に同じことをやると何か特別な感じがした。そして、少し気持ちが落ち着いた。

 しかし、これからしばらくは、ひょっとすると休日にもこのよう気の休まる時間をつくることが難しくなるかも知れない。そう思うと、平尾は今のこのくつろいだ気分に感傷的になった。

「パパは、皆がいるから頑張れる。皆がいるから幸せや!」

「パパ!飲みすぎ!」


(7)リコールの届出

(経済産業省産業政策局製品安全課)


 5月12日木曜日、平尾は何時ものように7時30分に出社した。その時間に出社するのは芦田と平尾の二人である。二人の席は広いフロアーの両端にあるので、急ぎの用件がある時以外は互いに干渉せずそれぞれ自分の時間を過ごしていた。

 しかし、既にその時間に多くの事業部員が出社していた。常務の松本も芦田の横の打合わせテーブルにいた。今進めている課題にリコールの課題を加えて2倍の仕事をこなす・

・・その自覚の上で既に一日の仕事に取り掛かっている様子であった。

平尾の商品企画部も既に部下のほとんどが出社していた。女性社員が男性社員に朝一番でお茶を出すという習慣は、Ⅹ社では20年前に廃止されていた。しかし、その日は、小澤慶子が平尾にお茶を出してくれた。平尾は日本茶が好きだった。

「おっ!えらいサービスやなあ。朝お茶出してもらうなんて入社以来やで!」

「部長!今朝は何時通りの元気一杯って感じですけど、昨日は何か思いつめた顔をされていましたよ・・・部長には元気な顔でいてもらわないと・・・私らも仕事がやりにくいですよ!」

「うん。そうやなあ・・・リコールなんて初めてやからなあ。わからんことばかりで考え込んでしまうわ・・・」

「部長!大丈夫ですって!MAMの皆でやれば絶対乗り切れます!・・・根拠はないですけど!」

 小澤慶子は、ハードデイスク系モバイルオーデイオの商品企画を担当する香野課長グループの担当者で昨年の新人であった。平尾の秘書業務も兼務していた。

「おっ!何だ平尾は恵まれているなあ!」

「・・・常務!おはようございます・・・私が冴えない顔つきをしているので小澤が気合を入れてくれているのです!」

「じゃあ、私も気合入れてもらおうかな!」

「私の入れたお茶でよろしいんですか?秘書室の皆さんみたいに上手じゃないですよ!」

「いや、今朝は小澤さんのお茶がいいなあ!」

「有難う御座います。では、少しお待ちください」


「今日明日は大阪と博多だよな!」

「ええ、米沢の杉江部長と京阪守口の駅で1時に待ち合わせしています。村田商会の営業担当も同行して貰います。先ずは守口店にお邪魔してから被害者のお宅にお伺いして謝罪した上で現場を確認させて頂きます。サンハウスのバイヤーには当初先に千里の本社にお伺いすることになっていましたが、守口と博多のあと報告に伺うことになりました。大阪支店の営業と一緒に伺うようにします」

「お店とお客様にはくれぐれもよろしくな!」

「はい!」


「遠藤!9時になったら皆に集まるように言ってくれる?」

「了解!」

「昨日の部長会の報告をしようと思う。で、9時30分には出掛けたいんだ。大阪と博多の事故のお客様のところにお伺いするんだ!」

「だったら、すぐにやりましょうか!皆、もう来ています・・・」

「じゃあ、皆の都合が良かったらすぐに始めさせてくれ!」

「では、ミーティングルームCに集まります」

 平尾は、部長会で確認したリコールの方針と進め方について説明し、そして大阪に向かった。


 松本と芦田は、経済産業省の商務情報政策局製品安全課を訪ねた。石塚社長は、電機工業会や電子工業会の会長や役員をしていることから同省の歴代の事務次官や局長との付き合いは深く良好である。松本自身も経済産業省が主催する各種委員会に参加したこともあるので、審議官や幾つかの課の課長との付き合いもある。そういった関係もあるので事前に個別に相談をしてみようと思った。しかし、それは監督官庁である同省の中で上手くやろうということではなく、とにかく初めてのことなのでどのように進めて良いかわからなかったので、届出や報告に始まる同省への対応をどのようすれば良いかといった基本的なことを事前に知りたいというのが本音であった。今の理解では7つの部局と関わらなけれならない。松本は、大臣が委員長のデジタル技術を活かすネットワーク社会の提言を行う委員会で同席した局長に相談し経済産業省の商務情報政策局製品安全課の課長にアポイントメントをとった。リコールの届出で課長が最初に面会に応じるのは異例である。大手企業と言えでも通常は同課の担当者が対応する。

二人は、製品安全課の部屋で課長に面会を求めた。本省の課長と言えば、企業の課長とは違って権限は大きく部下の数も多い。乱暴な言い方をすれば、大手企業の部長クラスと同格である。リコールの届出をする企業によってはそういった事情がわからず、「課長」の肩書きを甘くみた対応をして機嫌を損ねて失敗した企業も結構ある。松本は、各種委員会での経験でそういった幹部職員とのつきあいは結構あったが、それでも応対には気を使っていた。その日面会したのは製品安全課の稲本課長と石毛課長補佐であった。石毛は見るからに聡明でキレル感じではあるが表情に柔らかさがないといった第一印象の女性の担当官であった。


「稲本課長じきじきにご対応頂き恐縮致します」

「いえいえ、そんなこと気になさらないで下さい。局長も心配しております」

「恐縮です・・・実は、まだ原因につきましてはっきりしないところがありまして、ご説明する資料もなく申し訳ないのですが、なにしろ出火に至る危険があるものですから、仮に多発しますと消費者の皆様の生活の安全に重大な事態を招くことになります。そんな事態は絶対に避けたいものですから、リコールを前提に日程を立てて動いています」

「それは企業としては大変立派な心がけかと思います。消費者の安全を最優先する。これは、どの企業も口では言っているのですが中々実行出来ないことです。事故が起こっているにもかかわらず、原因が確定しないとの理由で中々リコールの報告をしないという企業が少なからずあります。ユーザーの使い方に問題があって、設計、製造には問題ないと思いたがる。そんな姿勢で原因の解明に取り掛かるから時間が掛かる。しかも正確でない。もたもたしている間にも事故が起きる。ひどい場合には、その事故の様子から原因がようやく見えてきて、それで慌てながらリコールをする。これでは、消費者の生命や財産を犠牲にしながら品質検査をしているようなものです・・・リコールをしても、その対応の準備が不足しているものだから各方面から不満が出てクレームになり問題を大きくさせてしまう。そうなるとメデイアからさらに厳しく追求されることになる。追求されると最初はそれなりに対応することが出来るのだけれど、そんな企業は本心から『悪い』と思っていないものだから少し厳しく突っ込まれるとすぐに馬脚を現してさらに評判を落とすようなことになる。最近そんな企業が多い。信頼を必要以上に下げることになって将来の経営の可能性を狭めてしまうようなダメージを受けることになる。リスクマネージメントが出来ていない企業が多いのも事実です・・・」

「弊社も肝に命じて対応致したいと思います。ご指導宜しくお願いします」

「X社さんは、石塚社長が人物だからその辺のところはよくお分かり頂いている企業だと我々も承知しています」

「・・・恐縮します・・・」

「石塚社長から次官にもご挨拶頂いたようで、次官から私に連絡がありまして、製品の安全に対してきちんと配慮する企業と国民の生活の安全に配慮する役所の連携が、国民、ユーザー、業界、企業の事業的な発展のために重要なことが広く伝わるよう対応に怠ることがないようにとの指示がありました!・・・こういっては何ですが、製品の安全性を広報するには御社はベストパートナーだと思っています。精一杯協力致します」

「有難うございます」

「それで、どのような手順で進められますか?」

「当社商品をお買い上げ頂きお使い頂いているお客様の安全を第一に、次に回収に際してお客様に手間を掛けさせない利便性を考えて最短でリコールの発表が出来る進め方で準備しています」

「最短って何時ごろですか?」

「5月20日の金曜日を予定しています」

「石毛?どう思う?」

「8日後ですね?」

「ええ、その間に原因を究明し、対象を確定し、様々な対応の体制を整えて実行したいと思います」

「対応って?」

「コールセンターや流通でのお問い合わせ窓口の設置、回収や交換の物流手配や交換品の準備などです。いろいろご教授を頂きたいのですが、この辺を整備しないでリコールを実施しますと、当社商品だけでなく同種の他社商品にまで不安感を与えて消費者の皆様を混乱させることになるように思えます」

「該当品は特定できています?該当品が特定できなくてはリコールは出来ませんよ!」

「いえ、まだ特定できていません・・・が、いま絞り混んでいます」

「この数日間で原因を究明して該当品を特定できますか?」

「できると確信しています」

「自信を持っておっしゃるところを見ると、かなりのところまで調査は進んでいますね!」

「正確性を期したいと思っておりまして慎重に進めています」

「昨日電話でお聞きしましたが、現在の発生件数は2件でしたよね・・・その後増えていませんか?」

「ええ、2件です。その後の発生の報告は受けていませんが、今、発生の事実がないか調べています」

「もし、リコール前に多発したらどうします?」

「その場合は、緊急記者会見をし社告を打ちます。多発したモデルの全てのロットについて使用の中止を呼びかけます。そして原因究明後にリコールを行います。ただ、これは問題のない商品をお持ちのお客様にまでご不便をお掛けすることになりますので、その間の補償をどのようにしたら良いのか検討がつきません。しかし、私どもの方針は、お客様の安全を第一優先にしておりますので、多発ということになればこのように対応致したいと思います」

「それは大変立派なご対応ですが、一企業としては大変なことですねえ・・・」

「はい。しかし、自分達の商品でお客様が怪我をされることは絶対あってはならないことです。仮に死亡事故が起こった場合は、事業は続けられないものと思っています・・・そのリスクを絶対に避けたいと思っています」

「うーん、やはりリコールは大事ですねえ・・・今後の対応は、この石毛と連絡を蜜にしてお願いします。本件は、企業と本省が連携してリコールに取り組み国民の安全を守り企業も経営リスクを回避した成功事例にしたいと思います。広く企業の皆様へ啓蒙する事例にしたいと思います・・・石毛!頼むよ!」

「記者会見は、私から記者クラブに連絡すれば即OKです。NHKの報道担当デイレクターは良く知っていますから、全国ニュースに入れさせます」

「お手数お掛けします。ただ、まだ記者の皆さんにはお話されないようにお願いします。不正確な情報が一人歩きしても困りますので・・・」

「それは、了解しています。ただ、発表について方針が決まりましたらまずこちらにご報告下さい。情報が先にマスコミに流れて我々が知らないようなことがないようにして下さい・・・そんなことがあってはこちらも対応しづらいですので・・・」

「はい、その点は承知しております。新聞社告の掲載枠の確保は進めますが、内容につきましてはこちらへの報告まではデイスクローズすることは致しません。その辺の情報管理は徹底致します」

「宜しくお願いします」

「省内の他局や課への説明は、リコールの届出の時にさせて頂こうかと思いますが問題ないでしょうか?」

「今日は、こちらへ相談に来られたということですから、そのようなかたちでいいと思います。石塚社長から次官に連絡を頂いておりますので他局で問題になることはないでしょう!」

「時々、俺は聞いていないっていう人がいますが、そんな人には私から上手く言っておきます」

「稲本課長と石毛様にはこれからもご相談に乗って頂き示唆を賜ることがあるかと思います。何卒宜しくお願い申し上げます」

 松本と芦田は、深々と頭を下げて退出した。


「常務!やはりお役所というのは大変なところですねえ・・・本省だから特別なんですかねえ?」

「ああ、大変なところだよ。かなり気遣わなくてはいけない・・・今の次官は、ニュートラルな人柄で企業に出向した経験もあるから企業の事情も理解しておられる。だからまだいい」

「でも、現場経験はないでしょう?」

「ないだろうなあ・・・本当の現場って言うのは・・・それと、担当官の石毛さんへの対応は気をつけてね!ご機嫌を損ねるとあとあと大変だよ!さっきも言っていたけど、情報が先にマスコミに流れるようなことがあってはルーズフェイスって言うか面子をつぶすことになる。そういったことは役所は敏感だから・・・反対に味方についてもらうとこれほど強いものはない。管理本部の広報とうちの遠藤あゆみにもよく言っておいてね!」

「了解しました・・・で、常務は、今日は米沢に行かれるのでしょう?」

「ああ夜にね!最終のつばさで向かおうと思う」

「最終ですか?夕方に移動すれば有川は待っていますよ!彼もお話したいことあるのではないですか?」

「彼もそういってくれていたけど、この緊急時に幹部が二人社外で話しするってのも問題だろう?」

「そうですね・・・社内は問題ないけど世間の眼がありますからね。あとあと話題になってもいけないですからね!」

「ああ・・・夕方に社長へのさっきの件を報告してから出掛けるので結局遅くなってしまう」

「米沢は何かつかみましたかねえ?」

「根拠はないけど、何か端緒はつかんでいるんじゃあないか?発火を再現したといった報告を受けた時一気にいくんじゃあないかといった感じがしたんだ・・・考えが甘いかな?」

「発火のメカニズムの仮説ぐらいはまとまっていることは期待したいですね?」

「そう期待したいよなあ・・・でも、2日でそこまで来ているとしたら、彼らの頑張りは大変なものだよ!」

「ええ、彼らの頑張りはノークエスチョンで認めます。しかし、2日で見当がつくっていうのも、反対にそんな単純な不良かって心配になります。つまり、発火に至るメカニズムが単純で発火が起きやすいのじゃないかって心配になります」

「うん。それも問題だよな・・・本当にいったい何が起こっているんだ・・・幾らリコールの覚悟を決めてもそれがわからないから不安でしょうがないような!」

「・・・ええ・・・で、常務はこのあと米沢に向かわれれるまでのご予定は如何になっていますか?」

「うん。一度社にもどる。社長に報告したあと、三宅さん、竹川さん、森部さんに状況を話しておこうと思う。各事業部に迷惑を掛けることになるし、協力もしてもらうことにもなるだろうから」

「お忙しい常務4人が揃うってのは珍しいですね」

「うん。今日の夕方は皆いるってんで時間をつくってもらったんだ。こういうことは最初から包み隠さず言い訳せず話しておいた方がいい。それぞれの事業部でも対応し易いだろう!」

「ええ、どの常務も人肌脱いでくれそうですね?」

「ああ、頼りになる!」

「こういう時、当社はいいなあって思います。変な社内政治も確執もなくって・・・家族経営主義のいいところですねえ・・・」-

「ああ。でも甘えてはいけないんだけどな!」

「ええ、でも常務4人のチームワークを見ていますと我々下もそうでなくてはって思います・・・」

「・・・」

「やはり米沢へは遅くなりますね!」

「予定通り最終に乗ることになる!」

「気を使いますねえ・・・」

「そういうわけじゃないけど、米沢の邪魔をしてはいけない・・・で、お前はこれからどうする?」

「青木と合流して東京日本海上火災に行きます」

「PL保険関係か!充分把握しておいてね!」

「了解しました!」  



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