米沢工場のエンジニア達による事故品の調査作業がはじまる!
事故原因を分析するために集められたメンバーは、昼食が終わり再び会議室に集合した。
テーブルの真ん中には、X線カメラ、PC、プロジェクターが2セット配線され準備が整っていた。左右に並べられた2つのスクリーンの左に事故品の透視画像、右に正常サンプルの透視画像が映し出されていた。有川がその画像を見ながら分析評価を行いそれに対して他のメンバーが意見を述べる形で進められた。
「では始めようか・・・これがフォーカスした画像?」
「ええそうです。右に正常品を映しておきます。左に事故品を映して比較してみれば良いと思います」
「じゃあ、サンプルAから見てみよう。画像は順番に記録してね!」
「・・・」
「何か変わったところあるか?」
「よくわかりませんが、残っている部分では変わり無いと思います」
「右の正常品とよく見比べて!」
「部品の向きが若干違うものもありますが、配置には問題ないと思います」
「出火したのはここか?基盤か?」
「ええ、その基盤の上から貫通したケースの穴に煤跡が見えます」
「その基盤には何が乗っているの?右のサンプルの画像と回路図面で確認してみろ!」
「・・・抵抗です。ヒューズ抵抗が乗っています」
「ヒューズ抵抗が火を吹くことなんてあるのか?おかしくないかい?」
「うーん、でもそこにあるのは確かにそうなんです・・・間違ってないと思いますけど・・・」
「抵抗が溶断するときは熱を発するというか熱を持っていますが、溶断して回路が切れるとそれ限りです」
「溶断する時に一瞬火花が出るかも知れません」
「でも、周りは難燃性のポッテイング材で覆われていますから延焼するというのはあり得ないはずです」
「でも、その中を突き抜けている感じじゃない?」
「・・・」
「不思議だよねえ・・・」
「じゃあ、サンプルBの方も見てみよう」
「・・・」
「・・・ほぼ同じですねえ・・・火の通ったところが少し様子が違いますが・・・」
「火の勢いが強かったのかなあ?ちょっと太いね・・・」
「他に何かないか?気付くこと・・・」
「・・・」
「ヒューズ抵抗は溶断するわけで、スパークするようなことはあるのでしょうか?」
「さっき言ったけれど、だいたいヒューズ抵抗が火種になるなんておかしいじゃない?」
「・・・そうなんですが、この映像で見る限り2つとヒューズ抵抗の上から火が出ています」
「ヒューズが溶断しているということは、回路に過電流が流れたということだろう」
「回路に問題ある?それも同じところ・・・」
「防水は大丈夫?水が入ってショートしたってことはない?」
「ポッティング材は完全に回路基盤を保護しているか?」
「基盤からポッテイング材と外装ケースを突き抜けているので、今の段階では保圧試験での確認はできません」
「そうか・・・」
「でも事実としてでも、回路から火が出ているよなあ」
「・・・出ていますねえ」
「こんなことあるのでしょうか・・・」
「回路設計はうちがやったんだよな?」
「そうです・・・電圧検知方式の回路です。図面もうちが引きました」
「外装設計は?」
「山野電気です。外装デザインは当社で行いデザイン図面を山野に渡して、内装も外装も設計は山野で行いました。設計としてはそんなに難しいものではありません」
「防水構造は?・・・ポッテイングで防水しているのだよなあ?」
「ええ。洗面所周りで充電されることはほとんど無いでしょう。しかし、本体は防水されていますから、そういう使い方をする人もいるかも知れないということもありますが、それよりも、防水にしてあるのは水滴対策です」
「ポッテイングの材料はウレタンだろ?」
「ええそうです。さっきちょっと言ったかも知れませんが、普通・・・我々が知っているウレタンの材料は半透明でクリーム色・・・というか、アンバーです」
「量産承認した時の色もそれでした・・・というか、これまでその色しか見たことは無いです」
「アンバーって琥珀色だろ?」
「そうです」
「でも、ここにあるのは黒じゃあないか・・・」
「新しい材料を採用したのかなあ・・・」
「5M変動報告ってあったの?」
「いえ、ポッテイング材についてはありません・・・なかったと記憶しています」
「色が変わっても材料変更になるから5M変動で試験データーをつけてリポートされるのだろ?」
「ええそうです」
「材料メーカーの仕様では性能に変化がないということで5M変動対象ではないと山野は判断したのかも知れません・・・」
「性能に変わりはなくても、材料変更だから変動になるだろう」
「・・・そうです」
「いやあ、彼等も5M変動は知っているでしょう」
「本社の人間はそうだけど、山野のシンセンはどうだろう?シンセンが管理するのだろう?」
「品質の最終管理は本社ですが、購買部品の検査、製造の品質は香港とシンセンで管理して本社の品質保証部に報告され最終的に管理されるようになっています」
「シンセン工場は、組織的には山野香港の工場だから山野香港が現場管理しています」
「組織的にはどうなっているの?」
「香港のDavid Lowが見てます。山野香港のVP(=Vice President, 副社長)で、シンセン山野精密の総経理です。責任者です」
「土屋さんが技術アドバイザーで駐在しています」
「土屋さんって、品管の部長だった?」
「ええ。役職定年で山野を一度お辞めになったのですが、契約社員として香港に駐在されています」
「じゃ現場の状況は、本社でも結構把握できたんだ」
「ええ、そのはずです。それに、本社からも3ヶ月に一度は監査に行っているようですし、大体毎週誰かが何やかやで出張に行っていますから、現地の状況はわかっているはずです。現地にまかせっぱなしというわけではないと思っています」
「・・・なるほどね!」
「ロットごとのサンプルと品質リポートは来ている?」
「毎月の定例の品質会議時に来ています」
「事故品のロットサンプルある?」
「あります。持ってきましょうか」
「2005年の11月の第1週と3週のロットです」
「量産承認サンプルも持ってきて!」
「了解しました」
「ポッテイング加工については、事故品に問題はないようです。火が出た穴は別として水は入ることはないですし、入った形跡も見る限りありません・・・外観では防水性は問題ないようです・・・中を見てみないとわかりませんが・・・」
「じゃ中を見てみるか!」
「じゃあ、基盤と部品を傷つけないようにポッテイングを削って取り除いてくれる?まずサンプルでやってみよう。練習になる」
「量産承認サンプルの外ケースを外してくれ・・・」
「・・・」
「お馴染みの色じゃないか。これがウレタン材だろ?」
「そうです。ウレタン材でポッテイングするとこうなっているんだけどなあ・・・」
「じゃあ、次に、事故品のロットの保管サンプルを開けて見て・・・」
「・・・」
「やはり黒です・・・」
「黒のウレタン材って聞いたことがあるか?」
「いや。聞いたことないけど、材料メーカーが色を変更したとか、メーカーを変えたら色が違ったとかってことじゃあないの・・・」
「そうだとしたら、やっぱり5M変動要因だろう?」
「そりゃそうだ」
「性能に変化がなくても、品質工程の作業指示書の内容やサービスマニュアルに影響してくるから材料変更は連絡してこないといけない・・・」
「性能も確認してリポートしなくてはいけないよ!」
「・・・」
「じゃあ、それぞれのウレタンを剥がしてくれる?事故品は、まずサンプルAからだ。基盤と部品を傷つけないようにな!」
「・・・」
「どうだ?」
「保管サンプルについては、量産承認サンプルもロットサンプルも外観では問題は見当たりません・・・」
「まあ、当然だろうな」
「事故品はどうだ?」
「・・・ちょっと待ってください・・・」
「火が出たところが微妙で・・・」
「部品がくっついているか?」
「・・・ええ・・・」
「・・・」
「外せました・・・」
品質管理部の調査課長山口は、ウレタン材を外したプリント基盤に目にやりながらそれを有川に渡した。有川は、眉間にしわを寄せて基盤を見ていた。
「ヒューズ抵抗が溶けているじゃないか」
「大きな電流が流れたのですかねえ・・・」
「そうだろうが、どれほどの電流が流れたんだ?」
「ヒューズ抵抗は30Ωで、200mAですから6アンペア以上の電流が流れたことになります」
有川は回路設計の担当者の話を聞きながら品質管理部長の和田に回路がむき出しになった事故品を手渡した。
「本当だねえ。ヒューズ抵抗が溶断しているねえ・・・切れる時は『バチッ』という音とともにスパークするはずだよ。誰か部品仕様書持っている?溶断する時の温度を調べてくれるか?六〇〇度以上だと思うけど・・・何度?」
「・・・700度です」
設計の宮川課長が答えた。
「700度で切れて、回路が遮断されるから一瞬火花が出ても周りには延焼しないんだよね?」
「わかりません。そういう環境での強制試験はやったことがありません・・・すみません」
品質管理部検査課の林課長が答えた。
「いや、強制試験をやってないことは試験項目としてはいってないからいいけど、ヒューズが切れる瞬間は、エンジニアとして見て確認しておいたほうがいいよ・・・700度で切れるんだけど、過電流が流れて熱を持ち始めて700度に達して切れるまでいったいどれ位の時間が掛かるの?」
「・・・過電流の条件毎のデーター取りはしていません・・・すみません」
「いや、いいんだけど、何秒かなあ、何分っていう単位かなあ?」
「でも、仮に発火してもポッテイングしてある難燃性のウレタンが消火する役目を果たすから延焼はあり得ないだろう」
「・・・そうだよね・・・ところが外装ケースを突き破るほどの火が出たのは事実だよ」「どういうこと?」
「・・・」
「じゃあ、事故品のBも見てみよう」
「Bの方はどう?」
「火の勢いが違ったのか、消火に掛かった時間が違うのか、外ケースの焼損の程度に差がありますが損傷の傾向はほぼ同じです」
「事故品AとB。量産承認サンプル。ロットサンプル2台、最新製造サンプル・・・計6台を比べて違いを整理するとどうなる?」
「・・・外観上は、ポッテイング材の色が白か黒かということが違うのみで使われている部品と材料に違いは無いようです。しかし、個々の部品の品質はそれぞれチェックしないとわかりません」
「確認にどれだけ掛かる?」
「一晩あれば・・・」
「徹夜してくれるのか?」
「そういう内容の案件ですよね」
「そう。そういう問題だ。すまんが早急に確認してくれ!」
「・・・その作業に入る前に、せっかく皆が集まっているんだからもう少し知恵を出し合いたい・・・要するに、この発火が多発するかどうかだ。今晩の作業も含めて技術情報がまだ少ない中で何とも言えないところがあるだろうが、今一番知りたいのは事故の多発の可能性だ。そうだよな、平尾!」
「はい。そうです」
「多発ならリコールですよね・・・」
「リコールって・・・当社は経験ないですよね・・・」
「ええ、ないです・・・リコールするとしてどういう事をしなくてはいけないのか検討がつきません。しかし、万一に備えて松本常務の命を受けて芦田取締役が確認されています」
「リコールは大変な仕事ですよね」
「規模によるけど、サービス部門にお任せってわけにはいかないのじゃあないかなぁ」
「でも、まだ決まったわけではない」
「覚悟して・・・準備っていうか、そのつもりで想定しておいた方がいい」
「あわてて対応するとドタバタになって、問題を大きくすることもある・・・危機管理だよ!」
「危機管理室から対応マニュアルって出てない」
「いやあ、そこまで想定していないだろう」
「ええ、重大事故の発生については規定されています。社長には、昨日常務が一報を入れましたが、その時石塚社長は、『絶対に逃げるな。逃げると、買って頂いたお客様に迷惑を掛けることになる。取引先にも迷惑を掛けることになる。社会にも迷惑を掛けることになる。だから絶対に逃げるな』とおっしゃったそうです・・・それを聞いて、常務は、私に『どーんと行こう』といっていました・・・2件連続で同じ症状で出火ということで、営業サイドとしては・・・と言っても常務と芦田さんと私しかまだ知らないのですが、リコールをするつもりです。常務は腹を固めると言っていました。しかし、正確なメカニズムがわかった上で実行しないと正確な対応が出来ず2次的な問題につながることもある。また、反対に、もし正確にこの2台だけの固有の問題だとわかれば、それはそれで個別対応でリコールを回避できるのです。ただ、それを期待して時間を掛けているうちに事故が多発し対応が後追いするようなことも絶対避けたいと思います・・・皆さん、大変ですがぜひ協力をお願いします」
「平尾さん!・・・『協力』って変でしょう」
「これは営業課題ではないよ!」
「全社課題でしょう平尾さん」
「・・・すみません・・・」
「・・・」
「よしわかった・・・じゃこれからの作業を確認しようか!」
有川は、そのように言って自らホワイトボードの前にたった。そして、これまで行った作業、これから予定している作業課題について一覧にした。そして現在の仮説とその検証作業の工程を一表にして書いた。
「ざくっとこんなところかな?足りないことは無いか?あったら言ってくれ。書き加えるから」
「・・・」
「山野電気への連絡はどうしますか?」
「未確定なことでクレームも出来んしなあ」
「クレーム報告をしないまでも事実は事実として伝えておかなくてはいけないでしょう?」
「明日、この作業の結果が出てからにするか?」
「でも一報は入れておいた方が良いのではないでしょうか」
「混乱されても困るし、そうかと言って、うちで調査するからといって安心されても困るしなあ・・・」
「自分たちの問題じゃあないって思う?彼ら
・・・」
「そこまで暢気じゃあないだろう」
「でも、あの会社はありがちですよ!」
「じゃあ、品質管理の中川部長の耳には入れておこう」
「では、ウレタン材が量産承認仕様と違って何で黒なのか?変更したのは何時なのか?そして、何故変動届が出ていないのかを確認してもらえますか?」
「ああ、そうだなあ。その確認は必要だな・・・やはり中川部長への連絡は必要だ」
「中川さんには私が電話を入れて確認しましょう」
日頃から品質課題で交流の深い和田部長が答えた。
「平尾はどうする?東京へ戻るか?」
「いえ、皆さんが徹夜なら商品企画担当の私も手伝います。記録係をします」
「記録は品管の専門でないと出来ませんよ」
「すみません。なら作業に同席させて下さい。・・・何でも引き受けますよ」
「平尾部長!ありがとうございます。気持ち、頂いておきます」
「俺と平尾は、万が一リコールをすることになったとして、販売サイドと技術サイドの連携をどうするか考えよう。それに付き合え・・・」
「はい了解しました」
会議は終了し、各担当はこれから始まる作業の段取りをグループ毎に行った上でそれぞれの準備に散っていった。
「有川さん・・・すみません・・・ちょっと慌てました。私が徹夜でつきあっても意味ないないのですが・・・」
「わかるわかる、その気持ち。リコールすると、君らマーケティング部隊が世間の矢面に立つんやからな・・・」
「やっぱりリコールですか?」
「わからん・・・しかし、回収した二つは、同じ現象やったやろ?・・・ロットが別なのに同じ現象いうのは事が大きくなる可能性がある。そうなるとちょっとまずいよなあ。仮にリコールをするにしても、出来れば発火のメカニズムを解明して、多発の可能性と、その発生率と現象の度合い・・・つまりどの位の火力の火が発火するのか、それぐらいは見極めた上でしたいけれどなあ・・・でも、ぐずぐずしている間に事故が起きると困るしなあ・・・俺もリコールなんて経験がないからその判断の間尺がわからなん・・・」
「・・・とにかく、今日の会議の内容を芦田さんに報告します。向こうでも万が一の段取りを進めながらリコールをするしないの判断の基準を考えていると思います」
平尾は東京の芦田に電話を入れた。
「どうだ?何かわかったか?」
「ええ、しかし、発火のメカニズムについて技術的に因果関係を解明するには至っていません。解明に至るにはちょっと遠いなという感じです」
「どういうこと?」
「発火して返品された2個は、同じところ・・・つまりヒューズ抵抗が溶断されてその部分から発火しているのは事実です」
「ヒューズ抵抗から発火って変だろう?溶断したら発火しないだろう?それに、ポッテイングして回路を覆っているから外に火が出ないようになっているんじゃないの?」
「そうなんですが、事実です。ヒューズ抵抗の部分からポッテイングを突き抜けて発火しているのです」
「うーん、想像つかんなあ・・・で、多発の可能性は否定できないと・・・」
「肯定も出来ないのですが・・・」
「・・・」
「で、とにかく事故品が当社の設計通りに組まれているかの確認を今晩やります」
「徹夜か?」
「ええ。量産頭だしの承認サンプル、同じロットサンプル、発火した事故品2個、最新ロットのサンプルの全部品について量産承認仕様書通りに組まれて製造品質が維持されているかを確認します・・・とにかく事実を確認していき仕様と異なるところがないかを確認していこうということです」
「なるほど・・・お前、今晩そちらに残ってくれるか?」
「ええ、そのつもりです」
「しかし、多発の可能性は皆目検討つかないか?」
「理論上は、量産品が同じ不具合を起こしているわけですから『ある』ということになりますが、その不具合率や出火の発生頻度は、とにかく不具合のメカニズムが判らない限り何とも言えないと・・・」
「有川がそう言っている?」
「そうおしゃっています・・・」
「そうか・・・そうだろうなあ・・・」
「そちらの方は如何ですか?」
「昨日、PRSの三富局長に相談したら、PRSに危機管理室ってのがあって、今朝そこの広田さんという室長を連れて社に来られたよ。常務が朝一番ののぞみでもどられていたので一緒にいろいろ話をお聞きしたんだけれど・・・やっぱり大変な作業だぞ・・・リコールってのは!」
「やはり難しいですか・・・」
「・・・大変だよ・・・回収方針を決めてそれを組織に徹底させ莫大な作業を進めなければならない。バリューチェーンの逆回転だ。もちろん、バリューをアウトプットしなくてはいけない。逆回転させながらバリューを提供していかなくてはいけないから難しい・・
・マニュアルはあるのだけれど、その基本を踏まええた上でリコールの個別条件に配慮して莫大な作業を進めていかなくてはならない。しかし、その前にリコールを実施する決断が難しい・・・PRSの話を聞く限りでは、まだ今の段階では『リコールする』とは決められないと思う・・・でも、判断をつきかねているうちに事故が発生するリスクもある・・かといって拙速な判断は無用の混乱と不要なロスや信用の失墜をまねく・・・難しいよ・
・・これは・・・」
「流通の返品とサービスの修理の内容は確認できましたか?」
「いや、悪いけどそこまで進めなかったよ・・・PRSの話を聞いて、常務とあれやこれや相談していたら夕方になった・・・そちらの調査結果に期待したところもあって次の行動を決めきれなかった・・・申し訳ない」
「いえ・・・謝んないで下さい」
「平尾としての意見でも提案でも何かないか?・・・常務にそちらの状況を報告し、これからの進め方を相談するのでお前の意見も欲しい」
「そちらは、どこまで状況が伝わっていますか?」
「まだ、誰にも言っていない」
「営業の藤井部長とサービスの古賀部長には状況を伝えておいた方が良いように思いますが、如何でしょう?もし多発の傾向があるのなら既にお店や販社、代理店、当社の各サービス窓口にそれらしい返品や修理品があるかも知れないと思います。そんな情報がひょっとして上がってきているかも知れません。流通の状況も確認したほうがよいと思います。もし、疑わしい返品や修理品があれば、発火のメカニズムが判明する前でも多発の兆候があるということでリコールするという判断になるのではないでしょうか」
「なるほど・・・騒ぎにならないで調べる上手いやり方はあるだろうか?」
「藤井さん古賀さんにも相談しなくてはならないですが、こそこそと調べるのも変に勘ぐられるし、万一リコールする時に、その態度が『隠していた』なんて言われることになってもまずいと思います」
「PRSも同じことを言っていた・・・」
「だからと言って、『万が一』と断ってもそのコントロールは難しいでしょう・・・結局『なぜリコールしない』という批判をされて騒ぎになるのじゃないでしょうか・・・」
「・・・難しいなあ」
「でも、大手流通とサービス窓口は確認して置いたほうがいいと思います。藤井さんと古賀さん・・・いや、少なくとも部長クラスには状況を説明しておいたほうが良いと思います。いざという時に早い対応が出来ると思います。米沢は、・・・第3技術部は課長が調査してくれていますので、そのレベルまでは知っています」
「いや、皆に隠すつもりはないんだ。しかし、いらない混乱や心配を掛けたくないと思って、そちらの検討結果を聞いてからと思っていたんだ・・・そうだよな、常務と二人で悩んでいてもしょうが無いよな。常務に話してそのようにするよ」
「皆で危機に対処する心積もりをしておいた方が良いと思います」
「・・・そうだな」
「我々商品企画が管理をしくじったのかも知れないのに何ですが・・・」
「それは違うだろう。そんなことは言うな」
「・・・すみません」
「今日は、常務と私は社にいるから、そちらで何かわかったら連絡をくれ!」
「わかりました。ありがとうございます」
「だから、その『ありがとうございます』って言うのは変だぞ。止めろ」
平尾は、商品企画部長になって以来、「商品」に関することは全て自分が責任を持つということを自分に言い聞かせて仕事をしてきた。だから、昨日名古屋で、芦田から最初に連絡を受けた時から、この問題は自分が責任を持って解決に当らなければならないという思いが抜けなかった。それは、例え設計や製造に問題があったとしても、その商品の発売の承認は商品企画の責任者である自分がしたのであるし、発売後も企画意図した内容で市場に供給し続ける管理責任は自分にあるという思いからであった。
窓の外に目をやると日は既に西の山の向こう側に落ちていた。山の背後から漏れる陽でで米沢の里の様子がわかった。今朝大阪を出て昼からここで会議をした。常務と新幹線で落ち合って村田商会へ行ったのは昨日のことだ。しかし、既に幾日も経ったように思える。それもあっという間に。平尾は、自分は随分あせっているなと思った。そして、そんな気持ちで仕事をしては「危ない」と思った。
「お茶でも飲みにいこうか?」
「ええ」
有川に誘われて食堂に向かった。終業は5時半であるが、米沢工場内の研究開発棟ではエンジニアの殆どが残業をしていた。協力会社の来訪や社内会議から開放され自分の課題に静かに集中していた。研究開発棟から渡り廊下でつながっている製造工場では、東南アジア諸国へ製造移管していない付加価値の高いハイエンドの商品の製造を行っている。この製造は24時間操業するほどではないが残業での操業は日常化していた。製造工場、研究開発棟、事務等の各棟から渡り廊下でつながる食堂では、残業をする従業員のための夕食を準備していた。
「我々はしばらく待機だな・・・」
「・・・ええ」
「起こるであろういろいろなケースを想定た上で打つ手について検討するべきなのかもしれないが、あまりにも不確定な要素が多いよなあ・・・検討しても意味がないかも知れないしなあ・・・」
「ええ、でもさっきの会議で有川さんが言った『どこで決断するか』がまず重用でしょう
・・・芦田さんもおっしゃっていました」
「症状が同じ二つの不良が出たということは、こうやっている間にも同じことが起きていても不思議ではないんだよなあ・・・」
「何個見つかったら回収というものでもないでしょうし・・・」
「そうだよなあ。でも、あと2個出てきたら確実に回収したほうがいいよねえ」
「そう思います。1個ならまだ迷いますが、2個なら絶対です。症状が症状ですから」
「・・・でも何故発火するのか検討がつかない。何故なんだろう・・・いや、基盤上で部品が発火することもあるさ。しかし、ポッテイング材も外装ケースも突き破って発火するようなことってあるのかなあ。そんなエネルギーはヒューズで遮断されるから瞬間だけだし、発火して外に出ることはないと思うんだけどなあ・・・」
「今晩の作業で何かわかりますかねえ?」
「うん。地道に手順を追ってやっていくから必ず見つけてくれると信じている」
「ええ」
「もし不良部品や規格外の部品が使われていたら、その条件で再現させてみて出火のメカニズムを解明するという作業になると思うんだ。でも、やっぱり、部品の発火で基盤からポッテングからケースまで突き抜けて貫通する火の勢いって相当な火力だろ?本当にそんなことってあるのかなあ・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・最近企業の不祥事で上手くない対応って結構あるじゃないですか。ひょっとして、私たちもその轍を踏んでいるってことないでしょうか?」
「わからん。でも、村田商会の社長から連絡があったのは昨日だろう?その後の対応は最速最善だと思うよ・・・でも当事者には見えていないってこともあるのだろうなあ・・・」
「あるのでしょうねえ・・・」
「ちょっと皆の作業を見に行こうか」
時間は既に8時を回っていた。缶コーヒーを人数より多めに買い食堂のお盆にのせて持っていった。
「・・・ご苦労さん。どうだ。何かわかったか?」
「・・・いいえ・・・今のところはまだ・・・」
「4っつの班に分けて対象サンプルの部品を確認しています。一表にして比較しています。平行して充電試験をやっています」
「それと、山野電気の中川部長が来られるそうです」
中川は、山野電気の品質管理部長である。
作業は、品質管理部の和田部長の指揮のもと、昼間の会議に集まった品質管理、設計、製造の課長を中心に召集を掛けられた係り量クラスのメンバーで進められていた。
作業の進め方は、まず品質管理部がサンプルとして保管している充電クレードルの量産品の部品について確認が行われていた。量産開始時に承認したサンプル、平尾が大阪から持ち込んだ事故品2個、事故品と同じ生産ロットのサンプル、最新のロットのサンプル。4種類計8個のサンプルの部品が量産承認した部品が使われ、かつ仕様条件にあった性能を満たしているかの確認が進められていた。もちろん事故サンプルは可能な限りではあったが・・・。
電子電気部品は1個1個テスターで電気特性が確認された。成型品等の材料は化学分析をする手立てがないので目視での確認となっていった。
全ての部材と言っても充電クレードルを構成するのは、電気ケーブルやハンダまで含めても30点程度であった。会議室の壁にプロジェクターで映し出されていたエクセルシートの一表には、まず30点それぞれの名称と承認された仕様がリストアップされていた。
各班が部品を実測し規格値との誤差を確認し部屋の真ん中のテーブルに置かれたラップトップコンピュータに入力し表が作られていった。作業自体は難しいものではなく、検査したデータが次々と表の中に加えられていった。
一方、充電試験は、更に別の保管サンプルで通常の使用条件で充電と放電を繰り返すという試験が進められていた。この試験条件に関しては、出火に至る仮説としての条件で強制試験を行おうとしたが、その条件が想定できなかったのでまずは通常の品質試験条件での確認を行っているとのことであった。
有川と平尾は、皆の邪魔にならないように部屋の隅の椅子に座りデーターが書き加えられていく表を眺めながら作業の様子を見守った。
遅くなって山野電気の品質管理部長の中川がやってきた。
「ご苦労さんです・・・今晩は徹夜ですか?」
「ええそんな感じです・・・でもこの作業はもうすぐに終わりそうです」
「じゃ何かわかりそうですね」
「・・・いやあ、そんなに簡単じゃないみたいよ、これは・・・」
「有川さんがわからないということはないでしょう!」
中川はことの内容が理解出来ていない・・・というより、今起こっていることが品質問題として深刻な内容を含んでいるかも知れないという製造者としての真摯な態度で向き合おうという態度ではなかった。
「・・・場合によっては回収ということになるかも知れません」
「回収ってリコールですか?」
「そうだよ。深刻だよ・・・」
「そりゃあ大変だ・・・でも、今のところ2個でしょう?」
「・・・発火しているんだよ」
「多発しますかねえ」
「たとえあと1個でも火が出れば回収で、火災事故になれば事業の危機で、お客様が死傷っていうことになんかなったら会社が危機です・・・」
「中川さん・・・我々とはちょっと温度差があるよ。早く追いついてね・・・」
「・・・すいません。回収事故なんか起こしたことないものですから・・・どうなりますかね」
「・・・うちだってないよ・・・今、万が一の場合を考えて対応を検討しているけど非常に難しい課題だよ・・・とにかく今こちらでするべきなのは事実確認しその内容をよく見極めるということだと思う」
「・・・出火した商品を検品しているところですか?」
「検品して設計仕様通り作られているか、そして品質がきっちり出ているかの確認だよ。もし出ていないところがあれば、そこから原因を追求していく・・・そちらの製造サイドは大丈夫?」
「ええ、連絡をもらって香港とシンセンに連絡したのですが、香港は担当者が帰った後だったのでローさんの携帯に掛けました」
「デービッド・ロー?」
「ええ・・・彼の携帯は何時でもつながるようになっていますから・・・で、こちらの状況を説明しましたが、細かい製造状況はわからないので確認してみるけど何を確認したら良いかと聞くので、とりあえず『充電クレードル』の製造過程を端から端まで問題ないか確認してくれと言っておきました」
「今、デービッドは、香港とシンセン工場の両方の社長でしょ?」
「・・・ええ・・・シンセン工場には土屋さんに駐在してもらっていますが、今日は香港に戻っていて、それにこちらからの出張者もいないし、ローカルの担当者ではこの事の意味がどこまで正確に理解できるか分からないのでローさんにお願いしておきました・・・先ずは品質検査のデーターが送られてきますので、それ直ぐにお持ちします」
山野電気の中国生産体制は、X社の海外製造移管に連動して拡大して進められた。しかし、実情は、X社の中国製造の拡大に伴い協力業者としては付いていかざるを得なかったということであった。
X社は、付加価値の高いハイエンド商品の製造は国内で、価格訴求優先のローエンド商品は海外生産との製造戦略を進めた。中国生産は、同社の主力商品の一つであったカセットレコーダーの組み立てを1980年に初めたのが最初であった。部品調達、基盤アセンブル(実装)、金型作成、成型、本体組み立て等製造体制の整備を進める過程で協力工場の何社かも中国へ進出していった。
山野電気が中国へ進出し工場を創設したのは、X社の進出から3年後の1985年であった。山野電気の中国での役割は、ローエンド商品の基盤アセンブル(実装)から始まり最近では充電器に関しては完成品で供給するようになっていた。
山野電気は、先に進出したX社の指導により中国製造のノウハウにより製造体制を整備し力をつけてきた。
例えば、工場設立のための地元の役所との交渉や契約、工場施設の調達、日本からの送金や資金の管理、税金の支払い、日本から持ち込む機械設備の輸入通関手続きやその設置、税関との調整、物流、ワーカーの手配やその寮の整備、ワーカーの教育、製造組織の構成と運営、部品の調達、さらに下請けの協力工場の調査と取引ノウハウ、品質管理課題、香港との物流、香港からの国際物流、本社との連携の仕方、中国政府や地元役所の役人との交渉方法や日頃の付き合い方などなど、本来独自で進出した場合は独自で見つけていかなくてはいけない様々なやっかいなことは、既にX社が経験し対応し実績を持っていたので
それを参考に進めれば良く大した困難もなく比較的にスムーズに中国への製造進出が進められた。
この中国への製造進出は、創業者である山野一郎社長時代に行ったが、2代目山野弘が海外事業部長時代にプロジェクト責任者として進めた。その当時山野弘は32歳であったが、同業の他社が中国進出に悪戦している時に若いながらも上手くやり遂げたということで自負する実績の一つであった。しかし、実際にはX社に「おんぶに抱っこ」での進出であったがその事実には目を向けなかったし理解も出来ていなかった。
実際、山野電気の中国製造は順調に進められた。1989年の天安門事件の時は、日系メーカーのほとんどが工場を一時閉鎖した。その時もX社の製造再開作業に相乗りして同レベルの日系協力メーカーと比べても早い段階で工場の操業を再開した。
加えてX社の製品の製造で得たノウハウを武器に、X社の商品と競合しない商品のOEMを受託するようになった。これには、X社にも当然異論があって、『競合しない』の理解は難しく、現在の商品構成では競合していないがそれも同社の商品政策、或いは営業戦略的に商品をラインナップしていない事情から競合とならないだけで、その部分に協力関係にある同社が他社にOEM競合することによってX社の商品政策も営業戦略も崩れてしまう恐れがある。X社としても、協力会社の事業展開に対して強制はできないが、同じカテゴリーの商品のOEMに関しては、市場の混乱を招き、結局は山野へ発注している協力生産に影響する可能性があることを理由に自重を促した。
しかし、X社と山野電気との資本関係はないこと、X社の下請けとして生きていくためとは言え東京の下町時代から米澤、中国進出と、X社の生産体制の移転に際して全く山野独自の費用で付いて製造協力してきた貢献を考えれば、OEM事業により体質強化しようという方針に対して強く制限を求めることはできなかった。加えて、もし山野がOEMを請け負わなければ、X社の競合の協力会社が製造を受けることになり、その場合、自重を求めることも牽制することも出来なくなり、山野であれば出来る市場への制御が難しくなる。そんな理由からも山野電気のOEM事業を苦々しく思いながらも協力会社として取引を続けてきた。
一方、山野弘は、中国製造を軌道にのせたことやOEM事業で国内外の客先を増やしたことから更に自信を深めた。特に海外展開については、自分が積極的に進めて実績を延ばしたこと社内外でアピールし『山野電気はもうX社の下請けではない』ともアピールしていた。
X社は、経営姿勢として山野電気のような協力会社をいわゆる『下請け』として服従させるような強引な取引をするようなことはしなかった。互いにWINWINとなるような協力関係を目指した。しかし、山野電気に関しては、山野弘の強い独自路線志向から将来的には課題があると認識していたが、日常的には、要求する品質、納期、価格対応は守られていたので一定規模の製造委託を続け協力関係は安定していた。
発火事故の技術検証作業は淡々と進んでいた。人や残業となり10時を廻った頃に、保管サンプルの部品について性能確認をした一表が出来上がった。
作業をしていたメンバーは、プロジェクターで映し出されたそのエクセルシートを見ることの出来る位置に座った。
その表は、一番左端の「列」に、この充電クレードルの使用されている部品名がリストアップされ、それぞれの「行」に、メーカー、型番、性能規格値、材料が記入されていた。部品点数は55個であった。そして保管サンプルそれぞれの列には検査した確認データが記入されていた。量産承認した規格値と実際の生産時の品質実績が比較できる表になっていた。
「皆ごくろうさん。ここに座っていいの?」
「ええ、どうぞ。中川さんはこちらにお願いします。平尾はそこでいい?」
品質管理部長の和田が案内した。3人が席に座り、和田の司会で会議が始まった。
「検査結果が出たので、この一表を見ながら検討しよう・・・まず、品質管理の誰かの意見を聞こう・・・やっぱり調査課の課長に口火を切ってもらおうかな・・・山口!お願いできる?」
「はい了解!・・・ただ、ぱっとご覧なってわかるように出火の原因がこれだというものはまだ見当たらないのですよ・・・結論からすると使用されている電子部品は指定どおりですし、性能値も全て測りましたが規格値を満たしています。成型品は外観での確認ですが問題ありません。防水性も規格値を満たしていました・・・ただ信頼性の試験は時間が掛かるのでこれからです。この結果を精査して、使用条件について規格条件と違った仮説設定をして信頼性試験を行いたいと思います」
「つまり現状では商品に問題はないということ?」
「ええ。保管サンプルの評価を見る限り設計品質管理製造プロセスに問題はないように見えます・・・しかし、ちょっと臭いところがあります」
「『臭いところ』って何?」
「事故品の評価は、焼け残っている部品についてダメージの程度は別にして一応確認しました・・・まずトランスが短絡していました。1次電源側2次電源側ともに断線していました。それと、ヒューズ抵抗は当然ながら溶断していました。2つともそうです」
「出火した商品、2つとも?」
「そうです」
「トランスは臭うねぇ」
「というか、今のところ事故品のトランスしか問題が見つかっていません」
「そのトランスは、事故品の製造月から部品変更をしています。それまで日系のメーカーの部品を使っていましたが、台湾製に変えられています」
「5M変動だろう?」
「ええ。5M変動対象ですので、山野さんから変動届と品質データが出され5M変動認定会議が開かれて承認されています」
「それ以降の生産はその部品が継続して使われています。当然、最新のロットのものもその部品で組み立てられています」
「両方の商品のトランスが同じように短絡しているのは問題なのですが、出火の原因なのか結果なのかはわかりません・・・」
「つまり、短絡したから出火したのか、出火したから短絡したのかっていうこと?」
「そうです」
「それ以前に、トランスが短絡してヒューズが切れているのに出火にまで至っているということが不思議です」
品質管理、設計、製造、サービスの各部門の現場を担当する課長達の発言が続いた。
商品開発の工程は、設計が完了し商品の試作した上で品質管理部による品質検査が行われ、商品を企画した際に規定した内容通りに設計できるいるかが確認される。出来ていない時は企画及び設計を再検討し品質基準も再設定し品質検査を行った上で設計についてひとまず承認される。次に、その設計で量産が可能か確認される。量産試作を行い、設計時の品質基準に合致する量産が企画通りに可能かが確認される。即ち、企画が意図した、性能、コスト、数量で量産できるかが見当される。製造の条件で出来ない時は、企画変更や設計変更が検討され製造条件に適うかが健勝される。そして、その検証の最終工程は必ず品質検査である。つまり、品質検査を通らない限り次の工程に進めないことになっている。
従って、量産承認というのは企画した仕様、性能、コスト、数量で継続的に安定的に意図した品質で生産できるということの確認ができたということなのである。
量産開始後は、承認された部品と材料、製造工場、組み立て治工具、プロセスで製造が進められる。
量産開始後の各種の「変更』は、量産開始時に規定した品質管理基準をクリアーした上で承認される。その承認プロセスは、「5M変動」という名称で定義された内容にそって進められる。
「5M」というのは、製造品質の管理を進める際に留意する5つの「M」を指す。即ち、人(MAN)、材料(MATERIALS)、方法(METHOD)設備(MACHINE)、測定方法(MEASURE)のことである。
量産開始後にこの5つに関わる変更を行う際には、量産承認時と同じプロセスで品質検査を行い品質基準に合致していることを確認した上で変更が承認される。X社では、これを「5M変動会議」と呼び、企画、設計、調達、製造、品質管理、サービス各部の関係者が一同に会し変更内容を確認した上で更にそれぞれの部門での最終承認を得て「変更」を承認するという手続きを取っている。メーカー企業では一般的な製造品質の管理方法である。
「山口がざっと表を一瞥して説明してくれたけど、それも頭に入れながら個別の項目について愚直にかつ事実を冷静に確認していこう。本当に規格値に合致しているか順番に見ていこう」
プロジェクターで写し出された表に書き込まれている数値データと評価コメントが順番に確認された。それぞれの内容の確認は、相当の実力と経験を持つ中堅のエンジニアにとっては本来退屈な単純作業であった。数人でやる内容のものではなかった。しかし、参加者は問題の解決に行き詰ったり、最初から難題だと思われる課題については、原点から単純なことを愚直に確実に進めて行くことが重要であることを先輩達から叩き込まれていた。参加者は面倒くさがらず、反対に最新の注意を払って作業を進めた。
「事実確認できていないことはないか?仕様や規格と違うことはないか?」
有川は再び聞いた。
「・・・」
「・・・」
自分達に見落としがないか改めて見直してみた。こういう時は、簡単なところを意外と見逃しがちであるということもわかっていた。「慣れ」や「常識」「思い込み」が小さな問題を見逃すのである。
「トランスが部材変更されているけれど、うちで試験はやった?・・・仕入れ商品の部材変更ではやらないか・・・」
「ええ、やっていません。山野から提出された試験データの報告で変動承認を行いました
」
「その変動承認関係の書類を持ってきてくれる?事実を順番に確認していこう・・・他に気づいたことないか?こんなことって思うことが結構重要なんだよ・・・」
「量産開始時と違うと言えば、ポッテング材の色が違います。ポッテイングの色まで仕様で規程していなかったけど、白が黒に変わっています・・・色が変わったからと言って性能がかわるということもないと思いますが・・・」
「色だけが変わったの?モノが変わってない?」
「中川部長。メーカーはどこだっけ?」
「えーっと。確か・・・部品リストに書いてなかったですか?」
「ポッテイング材は何社からも買っているの?」
「ええ、2、3社あります。でも中国工場は1社購買です。ずっと東海化学の香港を通して仕入れています」
「仕様書みてくれる?ポッテイング材の仕様はどうなっている?」
「ウレタン材で、メーカーは東海化学産業のW―G1です」
「で、当社内での材料の現物確認は?」
「・・・現物の確認は、試作品評価会議と量産立会いの際に確認していますが、山野さんの報告を確認している程度です・・・つまり実際に指定品が使われているかは確認できていません」
「実際部材ひとつひとつは確認できていないよね・・・」
「山野さんが提出する仕様書が当社の要求している品質と機能を実現する性能基準を設計上カバーしているかということと、それが実際に品質試験で実現できているかということを確認して仕様書通りの部材が使われているかを確認しています・・・部品は現物のメーカー名や品番で確認できますが、成型材料は確認できていません・・・品質試験データを見た上で山野さんを信用しているのが事実です」
「うん。そのプロセスは理解している・・・それで、中川部長!ポッテイング材の色の問題はどうなの?量産承認した色は白になっているのだけれど、何時変えたの?」
「材料メーカーの都合でですね、変更されることがあって、機能、性能、外観に影響しない場合、特に我々に知らせることもなく現地の判断で承認して変更されるってことがあります」
「でも、材料メーカーは、供給先が何に使用しているというかってことは日常的にわかっていても品質基準までは把握していないでしょう?」
「いえ、採用検討する際に性能について確認します。その時にこちらの使用条件を説明します。だから彼らが供給材の変更を提案する時は、その条件をクリアーするものを持ってきます」
「そういったこと結構頻繁にあるの?」
「彼らもコストダウンをしたいですから・・・もちろん、我々のコストにも反映させて提案を持ってきます・・・」
「変動手続きはそんなに開かれていないようだけど?」
「・・・」
「材料の世界ではそういった変更は変動ポイントには当たらないのでしょうか?」
「どうでしょう」
「どうでしょうって・・・中川さんがそういうようにあやふやだと困るなあ・・・」
「山野の品質管理の記録としては如何ですか?事実を当っていきましょうよ!」
「はい。品質記録のファイルを持ってきましたので確認します。ちょっと待ってください」
中川は、品質部長でありながら現場のことはあまり把握していないようであった。普段からそのような仕事ぶりであることは、X社の米澤工場のメンバーもわかっていた。
中川は、X社へ納入している自社製品の充電クレードルで品質問題が発生したとの報告を受け、まずは営業的対応をしなくてはとの思いで駆けつけ、本来の職責として対応しなくてはならない品質管理の課題についてX社に報告する準備もせずに来社していることがこの会議の参加者に見えていた。
中川は、持参したファイルから漸く変動実績の一覧を見つけて説明した。
「変動記録にはポッテイングに使用したウレタン材の変更はありません。材料の色が変わっただけです。従って、色の変更は変動管理項目ではないということです」
「色の変更は変動では無いって言うの?品質管理のポリシーとしておかしくない?」
中川は有川と同じ52歳であった。発注メーカーと協力メーカーの関係ではあったが、新製品の開発や製造で長年一緒に仕事をしてきた、いわゆる『同じ釜の飯を食った』という思いを互いに持つ間柄であった。だから、気心を知った話し方もするし、また、会社対会社の仕事での関係という互いの立場を考えて、馴れ合いにならないように少し間を置いた話し方をする時もあった。
しかし、最近の山野電気全般に見られる緊張感の無さから発生している諸所の問題が、これまで両社で築いてきた実績や関係からくる期待に答えていないという不満と、それに加えて、長年一緒に仕事をし『ものづくり』についての価値観を共有しているはずの中川が、品質の責任者というポジションにいながら課せられた職責の重要性を理解していないような緊張感の無さに、有川は感情的になった。話すスピードが速くなり、中川を問い詰めるようになった。
「でも、仮に機能に変更がないとしても材料の変更には違いないでしょう。品番は同じ?」
「WG1です」
「WG1のホワイトかブラックかの識別はどうするの?仕入れの管理、部材在庫の管理、製造指示はどうやってするの?ウレタン材の色が変更になったという連絡はどこにどうやってやったの?私の認識では、5M変動会議が持たれて・・・それが、色が変わったという報告だけの簡単なものであっても、それが開かれて承認されることによって各部に連絡が届いてそれぞれの作業や業務に反映され品質が実現されると理解しているのだけど・・・何でもない変更でも愚直にやるのが大事で品質ってものはそういった愚直な努力が大事だっていうそんな考えでものづくりをしてきたつもりなのだけど・・・色が変更になったという報告は必要ないの?製造上何の問題も発生しないと思うの?」
「機能が変わることはないですよ!」
「ほんとうにそうなの?・・・そんなに簡単に言わないでよ。言ったように、サプライチェーンの品質管理上は絶対に問題だと思うよ?」
「・・・すみません・・・でも今回の不具合・・・仮に不具合だとしてもウレタン材が原因だと確定したわけじゃないと思いますけど・・・」
「ちょっと待ってよ!この事の重要性を認識して欲しいなあ。火が出ているのだよ。同じ商品の同月のロットの同じ箇所から出火しているのんだよ。多発すればどうなるの?重大な火災事故になる可能性だってあるんだよ」
「充電器の出火でそんな火力がでますかねえ?・・・」
「あのさあ、本気でそんなこと言っているの?ちょっと冷静に考えてよ。小さな出火でも全焼でも我々の社会的責任に大小の差はないよ。お客様が怪我をしたり、まして死亡事故になったりしたら、まずこの事業はたたまなくてはならない位の責任はとらなくてはいけないんだよ。私はそれだけでは済まないとも思うけどね・・・だから、もし多発の可能性があるなら、そのメカニズムを確定したうえで回収して多発の可能性を食い止めなければならない。もし我々サイドの製品の問題ではなくお客様の使用上の問題で偶然このようなことが起きたのであっても、その使用を想定していなかった当社の製品企画上の問題と私は考えるよ・・・それで、その偶然が起きる可能性を明らかにしてその偶然がおきないような対策をして販売を再開するようにしないと販売は続けられない。仮にその大部分がお客様の使い方の問題であっても、我々の使用説明に落ち度や不親切が原因かもわからない。その時はそのことを改善しなくてはならないんだよ・・・わかる中川さん?あまりガミガミ言いたくないけど、この姿勢は、ブランドをつけて、看板出して商売するには当然の姿勢なんだけどなあ。継続的に発展的に社会貢献しながら利益を頂く事業運営ってそんな覚悟が必要なんだよ。わかっているとは思うけど・・・山野電気さんの品質に対する考えだってそうでしょ?我々は、その辺の考えは同じだと思うから長年お付き合いできていると思っているのだけど・・・」
「・・・」
「・・・それで、今メカニズムを確認しようとしているのだけど、簡単にはわかりそうでない状況の中で事実を一つ一つ確認することから活路を見出そうという作業をしていて、どんな些細な違いをも確認して問題が無いことを確認していこうとしているわけじゃないですか・・・これは品質検査の基本でしょう?中川さんなら当然わかってくれていると思っているのだけど・・・手間かも知れないけど協力をお願いしますよ・・・」
「申し訳ございません・・・」
「・・・で、ポッテイングの色の変更についてだけど、当然変動項目として各方面に連絡しなくてはならない項目だと思うよ。製造サイドの品質管理上の項目ということだけでなくサービス部門だって部品変更を知っていないと修理に困ることになる。充電器の修理の実際は商品のリプレース(素取替え)だから中を開けることはないけど・・・それに、製造だって『色が違うだけ』って言われて作っているのだろうけれど、明らかに製造管理や製造品質上問題あるよね。作業指示書通りに作っていないのだから・・・いずれにしても、今のところ出火の因果関係には結びつかないけど、まずこの点については確認しませんか
?中川さん!・・・明日朝一番に中国工場に確認とって頂けますか?」
「・・・はいわかりました。香港事務所のデービットに確認します。それに、本社の担当でこのウレタン製のポッテイング材の色変更について誰か確認していた者がいないかも確かめます」
山野電気の中国工場は、正確には、香港からは列車でも車でもフェリーでも2時間掛かる広東省東莞市にある。
一般にシンセンと呼んでいるが、最初に中国進出した時は、シンセン経済特別区に工場を設置した。その後、シンセンより奥に入ると更にコストダウン出来るということで引っ越して設置したのが現在の工場である。しかし、山野電気では香港から広東省広州市にわたる工業地帯をシンセンと呼んでいる。従って、その説明を聞くX社でも、業務で出張に行き正確な位置を知っているものを除いては「山野電気シンセン工場」と理解し呼んでいるという実情がある。
組織上は、山野電気の香港現地法人「山野香港=YAMANO HONGKONG」の下部組織で製造のオペレーションは香港からの指示に基づいて進められる。
従って、「YAMANO HONGKONG」の機能は、部品の購買、製造スケジュール管理、本社工場から送られてくる供給部品や自工具を香港で輸入し東莞の工場へ再輸出する手配、生産完了品の輸出、財務などのアドミニストレーションである。香港人20名ほどの従業員で運営されている。
一方、東莞の工場は、山野中国エレクトロニクス=YAMANO―CHINA ELECTRONICS」という名の独立法人となっている。
この工場の機能は、形状が比較的簡単で外装品質を厳しく求められない金型を自社製造。そして、その金型により作られる成型部品や外注部品による組み立て製造。日本では費用の掛かる労働集約型の品質管理作業。電子部品の基盤実装を行なうベンダー手配等の作業を、それらを行う300名のワーカーの手配や勤務管理も含めて、香港人スタッフによるオペレーションが行われていた。ただ、製造管理、品質管理については、米沢本社のエンジニアが長期出張で滞在しスーパーバイズしていた。
この香港と東莞の2つの現地法人の経営については、山野香港の社長は山野弘で、香港人のDAVID LOW=デイビッド・ローが副社長として山野中国エレクトロニクスの社長を兼務し、実質上香港と中国のオペレーションを統括推進していた。
デイビッドは、40才の香港人で日本の大学の経営学部を出ていた。ネイテイブとしての広東語以外に北京語、日本語、英語が使えた。
山野電気の社員の語学レベルは、社長の山野が拡大させた海外取引に関わって英語でのビジネス経験を持ち英語を使えるようになった営業担当と、中国製造の進出のために香港やシンセンに長期出張して香港英語や片言の広東語を身に付けた技術者がいたが、語学のレベルとしてはそれ程のものではなかった。そういった組織で海外案件を進めるに当たり、
日本に留学し日本語を流暢に使い日本人のメンタリテイーを理解し日本人的な気遣いが出来る上に、開発、製造、物流、営業、サービスといったバリュー・サプライチェーンのそれぞれ業務に対応できるデイビッドが、香港及び中国オペレーションだけでなく米国等その出荷先のバイヤーとの交渉や日常のコレポン(コレスポンデンス=連絡文)のやりとりも行うようになり、山野の社員は頼りきっていたというのが実際のところであった。その当然の結果として、デービッドは海外案件のキーマンにであった。
そして、香港やシンセンに関わることになると、香港人との英語ならまだしも中国本土の関係者との広東語のやりとりは更にデイビッド頼みになっていた。
「・・・今日確認出来ることはこれくらいだろう・・・ここまでにしておいて、日付が変らないうちに帰ろうか・・・」
「でも、有川さん・・・何か気持ちが悪いですねえ・・・」
「いや本当・・・何か簡単で単純なことを見落としていませんかねえ・・・」
「今確認できることを確実にできたというような、何か安心感って言うのかなあ・・・そんな感じがないのですよ・・・」
「これまでの慣れで見落としていることがあるんじゃないでしょうか?・・・」
「もう少し検討してみようか?」
「いやいや、今日はもういいよ!・・・今日出来ることは確実に出来たと思うよ!見落としがちなことを見つける閃きってのは、リフレッシュされた柔らかい頭でないと出ないものだよ!今日はこれぐらいにして帰ろう!そうしたほうがいいよなあ、和田!」
「ええそうしましょう。今日はここまでにして、帰って、風呂入って、寝て、また明日考えることにしよう!」
「有川、和田の両御大が帰っていいというんだから・・・皆!そうすっか!」
「皆さん遅くまで有難うございました」
「平尾さん!何それ・・・それはおかしいよ。これは商品企画の問題じゃないよ。どっちかって言うとこっちサイド・・・開発と設計の問題だよ。我々はがんばんねば・・・」
「どっちっていう問題じゃあないよ・・・会社全体で対応する問題だよ・・・」
「そうですよ!」
「ものづくりもチームワーク、危機管理もチームワーク・・・」
「・・・」
「もう遅いから真っ直ぐ家に帰るんだぞ!今からラーメンなんか食うと体に悪いぞ・・・」
「餃子でビールってダメですかねえ」
「代行呼んだら高くつくぞ!」
「週末にゆっくり飲めって・・・」
「ちょっと頭冷やそうかと・・・」
「早く寝たほうがいいって」
「寝られるかなあ・・・」
「さあさあ!」
打合せに集まっていた面々は、有川の声に追い立てられるようにして品質管理部の部屋を出て行った。
「平尾はホテルとれたの?」
「ええ、パークホテルです」
「じゃ送っていくよ。通り道だから」
「すみません」
米澤の春は遅い。建物の外へ出ると漸く春が来たことを思わせる、ひんやりした中にも少し生暖かい感じの陽気を感じた。平尾にとってこの感じは今年2回目であった。しかし、東京で感じたそれと違ったのは臭いであった。木や草の息吹を感いる臭いが違った。
「時間の猶予があればいいんだけどなあ。いきなり多発されたんじゃぁ、慌てることになる」
「ええ・・・でもやはり多発しますか?」
「ああ・・・覚悟しておいた方がいいかも知れない・・・技術的な根拠はまだわからないけれど、あの中川部長の受け答えを見ていて、『ああだめだな』って思ったよ。モノづくりっていうのは、ああいった感じの時、必ず何処かでクオリティが下がっているもんなんだよ・・・で、全く同じ症状だろう?」
「・・・だめですか?」
「うん。だめだな・・・」
「・・・」
「明日朝はどうする?」
「明日の作業はどういった感じで進めます?それによって決めようかと思います」
「ああ・・・この件は最優先だけど、今抱えている仕事も一杯持っているからなあ・・・朝一番に、皆にその辺を確認して体制を組もうと思う・・・部長達は手が空いているはずだから掛かりっきりでやってもらう。品質管理は課長達にも出てもらう。あと若手は、手すきの者・・・暇な奴はいないんだけど、何とかして出てもらおうと思う・・・こういう膠着した課題は柔らかい頭で考えた方がいいからね。俺らが考えると経験が邪魔するからね」
「それじゃあ、私も夕方くらいまで一緒させてもらいます。様子を見て東京に戻ります。万が一のリコールに備えての準備もしておかなくてはならないでしょうから・・・」
「わかった・・・でも、平尾ね・・・お前、商品企画の責任者として『やらなきゃ』と思っているのかも知れないけど、社の事業として企画承認して開発設計して製造しているのがから、問題が起こった時は組織の責任として対応するんだよ・・・わかっている?」
「ええ、わかっているつもりですが、どうしても力んでしまいます」
「気持ちはわかるけどさ・・・まあ、我々の立場からすれば、米沢の技術マターは俺が現場で仕切るよ。東京の営業マターに関してはお前が頑張って仕切れ!いいな!」
「はい、わかりました」