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リコール  作者: 別当勉
3/33

米沢工場に移動し事故品の技術検証が始まる!

(2):技術検証


米沢の街は、雪解けが漸く終わり春本番を迎えようとしていた。

平尾は、朝一番のフライトで伊丹空港から山形空港に飛んだ。山形新幹線に乗り換え米沢駅についたのは十一時少し前であった。

X米沢(株)は、AVを機軸に事業展開するオーディオ商品関係の子会社工場である。

蓄音機やラジオは、創業以来東京の下町の本社で、研究、開発、製造を一貫して行ってきた。しかし、戦争が本格化し東京への空襲も避けられないような状況下で製造部門を疎開させて作ったのが米沢工場である。

東京大空襲でダメージを受けた本社工場に変わり、戦後の同社の製造面での復興は、米沢をベースに行われた。そして、その後の高度成長期に、付加価値の高い独自の技術を開発しテレビ、ステレオ、ポータブルラジオの販売の拡大と共に生産体制を拡大していくなかで、研究開発からサービスに至る「モノ作り」に関わる全てのバリューチェーンを統括する拠点として米沢工場も育っていった。

その後、電気から電子の時代になり、さらにITテクノロジーの開発の比重が高まるにつれ開発と製造に関わる設備と人に対する投資が高まった。研究開発のための施設や最新鋭の機器を持つ製造工場の拡張、さらに全国から優秀なエンジニアを集めるために福利厚生施設も拡充された。また、下請けの協力工場も、創業期からの付き合いのある会社が東京から移転し、更に、米沢の地場で新たに協力工場として成長した企業が出できたりで、米沢はさながらX社の城下町の様相を見せながら街も大きくなっていった。

そして、X社の事業が更に多角化するにつれ技術拠点も他府県へ広がっていった。ビジュアル事業関係はX郡山、パーソナルコンピューター事業関係はX浜松、モバイル通信事業はX御殿場と、それぞれの地に事業のベースとなる研究開発と製造工場を構えていた。そして、協力工場も同社の事業多角化とともにそのベースとなる地方に進出し成長していった。

海外への生産移管については、1980年の初めから主に東南アジアに進出したが、主に労働集約的な生産が向く価格オリエンテッドなローエンド商品に限っていた。しかし、主力となる高付加価値商品については、原価低減の努力をしながらも厳密な品質管理による高い品質を維持するために日本国内のベース工場で生産していた。従って、X社の各事業がベースとする地域においては、他社メーカーが生産拠点とする国内地方都市で見られるような製造の海外移管による空洞化といった問題は起こらなかった。


朝一番のフライトで山形に飛び、山形新幹線を乗り継いでZ米沢に到着したのは十一時を少し回った頃であった。平尾には、既に半日を使ってしまったとのあせりがあった。

携帯オーデイオの開発設計を担当する第3技術部の大部屋に入ると、氣合いの入った顔着きでモノ作り取り組むいつもの仲間がいた。その仲間の顔を見てその部屋の空気を感じ、平尾は少し安心し、そして勇気付けられた。 その仲間は、技術的な困難を幾つも乗り越えイノベイテイブな商品を開発してきた優秀なエンジニア集団であるが、当社の優秀な・・

・というレベルよりも、メイドインジャパンのモノの技術革新と品質を創造する代表選手の集まりである。その仲間と創った商品に間違いがあるわけはない・・・もし、万が一そんなことがあったとしても必ず乗り越えられる・・・「大丈夫だ」・・・平尾はそんな気がした。


「有川さん!おはようございます」

「おお。ご苦労さん!」

平尾の予想とは違って、有川は落ち着いていた。第3技術統括部統括部長の有川は、携帯オーディオの技術面のボスで、製品開発、設計、品質管理、製造を統括するチーフエンジニアであった。


「みんなには声をかけてあるよ・・・平尾が来たら集まることになっている」

「お手数お掛けします」

「何だそれ・・・『お手数』って・・・」

「・・・」

「常務はどう?慌てている?」

「そうでもないです。『逃げないでやろう。やる限りは及び腰でやるのではなく真正面から取り組もう』と言っていました」

「なるほどなあ・・・そうだろうなあ」

「『逃げてはいけない』と言ったのは石塚社長ですが・・・」

「社長らしい言い方だなあ・・・でもまだリコールと決まったわけではないしね」

「・・・これ見てください」

 平尾は、村田商会から持ってきた充電クレードルを取り出した。

「・・・なるほどなあ。不思議なことが起こっているなあ・・・」

「そうでしょう?・・・こんな穴、普通開かないですよねぇ・・・」

「・・・じゃあ皆に集まってもらって検討しようか」


 二人は、設計部の部長大木と3人のグループ長(課長)を伴って会議室に向かった。有川の席がある第3技術部の部屋には設計部がいて、品質管理部、製造部、サービス部は、それぞれの現場に部屋を設けていた。

 会議室には、設計、品質管理、製造、サービスの部長と各グループ長が集合した。いつもの「ものづくり」の仲間である。テーブルの真ん中には、分解作業を行うための台、道具、記録するためのカメラ、加えて平尾の前日の連絡に従って同じ製造ロットの保管品とそのロットの製造品質記録が準備されていた。


「平尾さん!おはよう御座います」

「朝一番で来たの?ご苦労さん」

 会議の参加者それぞれが平尾に声を掛けてくれた。起こった問題は皆で対応しよう・・・会議室にはそんな雰囲気があった。平尾はこの仲間と共に問題に立ち向かえると思うと少し気が楽になった。

 

「それじゃ、平尾からこれまでのいきさつを説明してくれる?」

「はい」

 有川に促されて、平尾は、村田商会の村田社長から松本常務に連絡があり、電話での様子から、松本が名古屋にいた平尾と合流して直接村田商会に出向いて確認したもので、即日品質確認すべきと判断してハンドキャリーしたこと。サンハウスの大阪守口店と博多店から同じ日に村田商会に返品されたこと。それぞれのユーザーからはクレームにはなっておらず、また店側もまだシリアスには捉え

ていなく商品本部までリポートは上がっていないこと。また、まだ詳細が判明していない状況で社内に混乱をまねかないために詳しく調べていないが、営業及びサービス窓口には同種の返品や修理依頼については今のところないが、返品倉庫の戻入品の調査も含めて今日のこれからの会議の結果によって実施するべき提案をし、もし、会議の結論が、リコールを実施する懸念のある内容となれば、どのような課題があってどのようなプロセスでその後の作業を進めれば良いかについて、芦田部長が確認していること。さらに、未確定の情報で社内が混乱してはいけないので、この不良品の発生の事実を知っているのは、昨日平尾と共に出張していた企画担当の遠藤課長と池谷、それに村田商会で合流した大阪支店長の多田しか知らないこと。そして、社長には松本常務が報告し、社長からは『小さなことでも隠したり逃げたりせずに徹底して対応する』ように強い示唆があったこと。最後に、松本の方針としては、杞憂と思える些細な問題でも慎重に確実に対応すること。仮にひょっとしたらと思ったことが何の問題でもなかったとしても、組織には業務品質の経験、実績が残るので杞憂のような内容でもスピードと高い質の対応が必要であると考えて欲しいこと。そして、高いレベルの製造品質を行いながら出火したという事実は重いし、お客様を危険な目に合わせることになるので、その事の重大性を認識して対応して欲しいことを伝えた。

 平尾は、品質に関して日頃から意識が高く実績も残している技術部門の現場に対してこのような確認事項を自分が伝えることは非常に僭越なことと思いながら喋った。しかし、そんな仕事をしてきた自分達の商品からこのような想像し難い不具合が発生したことが不思議で仕方がなく一方でそれが不安であった。

その自分の不安を仲間に訴えたかった。


「平尾!ありがとう。じゃあ作業を始めようか。品管!どのような手順でする?」

「はい。それでは、守口店をA、博多店をBとして外観から確認していきましょう」

 品質管理部長の和田が発言し、品質調査グループの山口シニアマネージャーと品質検査グループの林シニアマネージャーに作業を促した。サービス部の小池シニアマネージャーが記録をとる体制に入った。

 品質管理部が手順に沿って検査作業を進めながら、他の参加メンバーが意見を述べていくという方法で作業が開始された。つまり、設計、品質管理、製造、サービスを担当するエンジニアが担当する現場の課題を踏まえながら技術者としての専門知識、経験に基づく評価をしていくなかで問題を見つけようということである。


「外観には熱による変形が見られます。場所はほぼ同じところですが、変形は両方の商品で少し違いがあります。A、守口店ですか・・・こちらの方の火力が強かったような幹事がします」

「出火の継続時間、火力に差があったということかなあ・・・」

「成型材料はABSだろう。耐燃性能はどうなっている?」

「材料メーカーの仕様書を確認します」

「出火よって出来た穴の径を測ってくれ!」

「6mmから8mmってとこでしょうか。穴の周囲が溶解して真円ではありませんので」

「他に気づいたことないですか?」

 品質管理部の山口がリードして作業が進められた。上司部下関係なく、それぞれが一人のエンジニアとして目の前の問題のメカニズムを解明しようという熱気が徐々に高まってきた。


「では中を見てみましょう・・・分解しますがいいですね?」

「よし、ではAから分解してみよう」

有川の声を受けて山口が底ブタのビスをはずした。


X社の充電システムは、小型ボタン電池よりもサイズの小さい「小型キャパシター」というコンデンサータイプのデバイスを『電池』として使って急速充電を実現している。その充電回路は、急速充電機能の要素技術をカバーする独創的な特許で構成されていた。

一般的な小型家電製品や携帯電子機器は、100Vから240Vの家庭用の交流電源を3V程度に降圧して充電するのであるが、従来のニッカド、ニッケル水素、リチウムといった電池への充電回路は、急速で30分から1時間、通常は5時間から8時間の長時間を掛けて安定的に蓄電していく。一般的に、この方式が、こういった商品のコスト面でも、また、電池寿命や安全性といった信頼性を含む充電性能の面でも企画や設計をし易い方式として普及している。

但し、30分から1時間といった急速充電方式の設計は依然として慎重を要するところがある。

 長時間充電は、降圧した微電流を長時間を掛けて電池に負を掛けずに充電していく。しかし、急速充電は、簡単に言えば、時間を短縮する分電流値を上げなくてはいけない。その分電池に負担を掛ける。つまり、単純に言えば、1時間充電は5時間充電の5倍の付加を掛けている。その分、異常が発生した場合の負荷は大きい。その結果、電池が熱を持ちガスを発生させたりする可能性が高い。従って、急速充電回路は、技術要素的には難度の高い要素技術と言える。  

その設計の与件は、電圧を検知し安定的に蓄電し、満充電になれば電流を止め、異常が発生すれば電流を止めることである。特に、過電流が流れた場合に即座に電流をストップさせることは重要である。また、過電流が原因ではなく電池側の問題で電流が流れ続けた場合や過電圧状態になった場合には即座に回路を遮断することが設計与件で数値にて定義される。数値は、電流、電圧、時間、温度である。そのそれぞれの設計規格数値を電子制御して、安全性、充電時間、電池持ち、電池寿命といった企画性能を実現している。これを同社では、「タイマー付電圧検知式充電制御回路」と呼んでいる。

企画性能においてもっとも重視されるのが、安全性である。AC(交流式)充電の商品の設計においては、まずこの点が担保された上で他の企画性能の実現されなければならない。

当然のことではあるが、家庭用電源からはブレカーが落ちない限り、電気エネルギーは発電所から無尽蔵に供給される。充電回路上で異常が発生した場合、その供給を止めなければその異常な状態は増長され続ける。充電池の場合、ガスの発生と発熱という状態が続き発火や破裂という結果となる。その危険を回避するために、充電回路には、異常電圧や電流を検地した際に電流の供給を遮断するプログラムが組み込まれている。また、電子的な制御に加えて、温度ヒューズにより回路上に過電流が流れた場合に物理的に遮断するようにもなっている。ガスの発生は、電池の種類によって発生の症状は異なるが、充電池の性能に沿った電圧と電流で充電供給しないと充電中にガスが発生する。通常、電池の容器にはバルブが付いていて容器外にガスを逃がすような構造になっている。そのガスは、電池が剥き出しであればそのまま空気中に放出される。しかし、防水構造になっている製品など密閉性の高い製品の場合、製品のケース内部にガスが溜まることになる。この溜まったガスを防水性能、即ち機密性能を保ちながら如何に上手く外部に放出するかが外装設計の課題となる。一般的にはガスを放出する小さな穴が防水性を邪魔しない場所に、或いは防水性を保つ処理、例えば、穴の内側に不織布による通気材を貼り付け、ガスは放出するが水の浸入は防ぐような構造にしてある。

 では、ガスが上手く放出しないとどのようになるか・・・電池から放出されたガスは、

製品のケース内に滞留する。放出され続けるとガスが充満しケースが膨張して破裂する危険がある。或いは、電子制御のスイッチではなく接点方式のスイッチを持つ商品や防水構造の電気シェーバーのように内部にモーターを持つ商品であると、スイッチのオンオフに伴って起こる接点のスパークやモーターのブラシによるスパークが充満したガスに引火して発火や破裂といったことになる。

また、フル充電後に電流の供給がカットされずない場合は過充電状態となってガスの発生を伴って発熱する。こういった状態では、ケース外へのガスの放出が追いつかない。一方電池の温度は上がり内容物が化学変化を起こし溶解していく。安全回路が機能せず電流供給が続くと最終的には溶解した電池が化学反応を起こし出火、或いは破裂するといったことになる。つまり、充電回路をどのように設計すれば良いかということを平たく言えば、

「電池に負荷を掛けないで電池の状態を見ながら電流を流して充電する」ということになる。充電回路を設計する時に最優先されるのは安全性であるが、それを確保した上で発揮されなくてはいけない充電機能は、充電時間、充電完了、充電残量、充電メモリー効果対策、充電池寿命の維持といったことをコントロールすることである。製品上は、コントロールした上で表示するといった機能に活かされる。

 従来から、充電技術には、電圧検知方式、タイマー式制御方式、充電池温度検知方式といった充電回路があるが、電池の製造も行う総合家電メーカーが様々な特許をとりながら技術開発をリードした。部品メーカー各社も特許を避けながら独自の充電回路を開発しユニット化した製品を作っていたが、結局は充電池との相性の点では充電池の性能条件に制約を受けるし、設計の段階で技術サポートを受けなければならないので、結局のところ充電池を設計製造する技術を持っている総合家電メーカーの性能を越える差別化した回路を実現ないでいる。

X社は、自社の充電池を持っていないが、携帯家電の普及を見越し、小型で環境に優しく、設計に際して充電技術で先行している総合家電メーカーの影響を受けない、しかも差別化しやすい充電方式について早くから研究開発を進めていた。採用した充電方式は、ニッカド電池や水素電池、リチウムといった従来から仕様している充電池による充電方式ではなく、「キャパシタ」を使用したものである。「キャパシタは」、電解コンデンサーの一種で「電気を電気のまま蓄えることができる蓄電システム」である。原理は、1879年にドイツのヘルマン・フォン・ヘルムホルツが考えたもので、電極と電解質の界面に生じるプラスとマイナスの電荷が分子レベルの距離を隔てて存在する状態を示す概念に由来し、従来の化学反応を用いた二次充電池と比べて次のような特徴がある。


1.化学変化を伴わない物理現象なので信頼性が高い。

2.充放電効率が高く電気ロスが少ない。より多く蓄電することができる。

3.急速充放電ができる。

4.充放電に強く原理上劣化しない。

5.重金属を含まないので環境に優しい。

6.ガスが発生することはなく破裂の危険性がない。


欠点としては、蓄電容量が少ないので、ビデオの時計電源や大容量大型でも問題のない大型自動車トラックなどの特定の分野で実用或いは実用を検討されていた。

X社は、この技術要素を使って小型のキャパシタと小型の低電流急速充電制御回路を使った充電回路を開発し自社製品を差別化する付加機能として携帯家電に採用していた。

原理は、1次電源からの大容量電流を、言ってみれば、ひとまとめにしてキャパシタ内に移動させ急速充電するという方式である。

帯型オーデイオの充電機能の設計思想は、本体を小型軽量にして携帯性を高めるために、本体側にはキャパシタのみを持たせて電池とし、クレードルタイプの充電アダプター側に充電回路を組み込んだ設計となっている。通常「充電クレードル」と呼ばれている。電源は、AC電源とパソコンのUSB電源の2系統である。

ACは、国内、USA、台湾等100V~110V地域用、ユニバーサルタイプの100V~240V仕様の2種類ある。超急速充電をする際は「AC充電」で行う。

USB電源は、パソコンとUSBコネクターと接続し充電する。充電池の状況をPCで管理しながら充電地の寿命に配慮して充電できるし、データのアップロードダウンロードの作業中に充電することもできる。

充電回路の設計に関して言えば、ACコネクトよりもUSBコネクトの充電方式の方がシンプルで設計し易い。USBによる充電方式では、急速充電15分で3時間、通常充電120分でフル充電させると40時間再生することができる。1次側のUSB電源から充電回路に流れる電流値は、ACからパソコンに供給されパソコン内のトランスで降圧されているので、既にDC5.0V/600mAの弱電流になっている。従って、充電クレードル内のトランスで電圧を特に大きく降圧させる必要がない。回路が熱を持つこともない。

安全対策で言えば、充電クレードル側で過電流等充電回路に問題が発生した場合は、1次電源側から大容量の電流が供給されるAC電源による充電条件によって設計された安全対策は問題なく有効である。仮に、トランスに不具合が生じたとしても、パソコンのトランスで一度変圧されたUSB電源の電流が流れているの危険な状態を招くような負荷が掛かる可能性は少ない。その意味でUSBコネクトの場合の安全対策は二重に施されているわけである。仮に何らかの状態で危険な状態になってもAC電源を想定した安全対策は有効である。それは、仮に過充電状態となってもその条件は、ACからの直接供給に比べてパソコンのトランスからの供給は、圧倒的に負荷は軽い。

USBコネクトに比べてACコネクトによる充電に対する安全対策は慎重を要する。従って、設計条件は多く複雑となりサイズも大きなものとなる。従って、携帯小型が設計条件と本体にその回路を搭載するのではなくクレードル側に搭載して「充電式クレードル」としたのである。

USBコネクトに対してACコネクトによる充電の安全対策は2重3重でなくてはならない。それは、1次電源側からの電源供給は、供給側のブレーカーが落ちない限り無制限に供給される。つまり、極端な言い方をすれば1次電源側は発電所に直結している。さらに1次電源から2次電源への降圧は大きく回路上に負荷がかかる。この負荷が回路上で熱を発生させたり、またコントロールが上手く行かない場合に充電池からガスを発生させることになる。家電用電源を使用の場合、ブレーカーがあって、家屋内の使用許容量を超えた場合にブレーカーが落ちる。しかし、小型家電の充電器が過充電状態になったとしてもブレーカーが落ちる状態ではなく電流の供給は続く。従って、製品側での安全対策は2重3重で、絶対安全と言えなくてはならない。

 安全性という点において、X社の防水型充電クレードルの設計思想は次のようになっている。まず、入力は、AC電源とUSB電源の2系統がある。AC電源は、ローエンドの100V仕様と100V~240Vのユーバーサル仕様の2種類がある。従って1次側電源は最大240Vである。この電圧をキャパシターを含む充電池の充電性能に合わせて数ボルトまでトランスによって降圧する。この降圧された電流がクレードル内の充電回路を流れている。この回路にトランスの問題等の不具合が発生し過電流が流れた場合に回路基盤が発熱する。この発熱が出火に至る前に電流を遮断し出火を回避しなくてはならない。また、万一出火に至っても延焼するような規模に拡大しないような対策を施さなくてはならない。

この回路を遮断する方策として使われるのがヒューズ抵抗である。ヒューズ抵抗は、過電流が流れ温度が上昇すると溶断し回路を遮断する。この回路の遮断により発火に至ることはないというのが回路設計の考え方である。

しかし、仮にそのヒューズ抵抗が何らかの要因で機能せず発火した場合のことを想定して2重の対策として採られるのが、回路基盤や外装ケースといった材料に難燃性のものを使うという安全対策である。

 この充電クレードルは、本体がアウトドアーでの使用もできる防水設計となっており、それを一つの「売り」にしている。充電がアウトドアーでされることはまずないが、ジョギングでの使用を想定するとシャワー後の充電を洗面室のドレッサー周りで行われることもまれではあるが想定される。ジョギング後の外出に備えてシャワー中に充電するという生活スタイルも機能アピールの一つとしてカタログで謳っている。また、防水機能は、こういったユーザー使用のパフォーマンスを高めるためだけではなく一般使用環境での安全性を高めるためにも必要な機能としても本来必要な機能である。それは、使用される室内の温度湿度によってケース内につく水滴が起こす回路上でのトラブルを避けるために必要となっている。

この防水性を出すために一般的にとられるのは「難燃プラスチック材」の使用である。つまり、回路基盤をこの難燃プラスチックで覆うことにより水が回路に侵入するのを防ぐようになっている。また、仮に回路上で発火が起こったとしても消火する性質がケース内の回路の燃焼を防ぎ、その結果ケース外への延焼を防ぐというのが設計の意図である。

 回路基盤をどのように覆うかという点では2つの方法がある。ケース内の結露から基盤を守る防滴構造の場案は、基盤上だけを難燃プラスチック材で覆えば良いが、ケース自体を防水構造とする場合は、基盤が設置されているケース内全体を難燃材で埋めるという方法をとる。製造方法としては、溶かした材料をケースに流し込む。その材料が固まると、水あめか寒天でケース内部が埋められているような状態になる。

難燃プラスチックの材料は幾つかあるが、求める性能、コストにより、X社充電クレードルは、コストは高いが難燃性能の高いウレタン材を使用していた。それは、AC電源による急速充電は、USB電源や、ACによる長時間充電に比べて回路上の温度が上がる傾向にあるので、安全性を高めるためであった。

平尾が大阪から持ち込んだ問題の充電器のケースの裏ブタを開けると、少しクリーム色がかった寒天のようなウレタン材の中に回路基盤が埋もれていて、その回路上に出火の形跡が見える・・・会議に参加しているものはそんな風に思いながら分解作業を見ていた。


「これ何?この黒いの何?」

「ウレタンのポッティング材ってこんな色だっけ?」

「いいえ・・・アンバーというか、少し黄みがかっていますがほとんど白で半透明です」

「透き通っているわけではありませんが、回路基盤は見えます」

「発火で炭化したのじゃないの?」

「難燃剤だから炭化はしないのじゃあないの?」

「・・・そうか・・・」

「基盤が燃えてその煤が基盤の接しているところについたとか?」

「でも、全体に黒いよ!」

「・・・」

「・・・材料の変更ってしたっけ?」

「いいえ」

「これは、山野電気の深セン工場で作っているんだよなあ?」

「ええそうです」

「5M変動ってあったけ?」

「いいえ」

「でも、ポッイング材の色は変わっているよ?色の変更は材料の変更にならないの?」

「ポッテイング材は、ポッテイング材でしょうから・・・」

「でも、何時から色が変わったの?」

「わかりません・・・」

「保管サンプルも開けてみて!」

「はい」

「・・・・・・・・」

「・・・これ量産サンプルです。やはりアンバーですね。黒ではありませんね・・・」

「色が変わったってことは管理項目じゃあない?」

「いえ、5M変動の対象項目だと思います」

「でも記録はありません。量産時からポッテイング材の変動報告はありません」

「5M変動でなくてもいいから、製造リポートや品質リポートでは確認できないかなあ?」

「山野との月例品質会議でそのような議題や報告があったことはありませんが、ドキュメントを再確認します」

「品質管理が知らないのに材料の色が変わっているというのはまずいんじゃないか?」

「ええ・・・」

「同じロットのサンプル用意した?」

「ええ、これです」

「その品質試験ってやっているよね?」

「ええ、各ロットから抜き取って耐久試験をやっています・・・この試験は山野が行って当社はそのリポートを毎月受けています」

「米沢で?」

「いえ、香港です。半期のリポートは我々も入って行っています」

「ああそうか・・・」

「ロットサンプルは、各10個当社で保管しています」

「量産頭だしの3ヶ月は、こちらでも並行して品質試験を行っていましたが、安定してからは山野の品質報告を信用しています」

「まずかったですか?」

「いや、問題ないよ。規定の通りじゃあないか・・・」

「ええ」


 5M変動とは、人(MAN)、材料(MATERIALS)、方法(METHODS)

、設備(MACHINE)、測定方法(MESURE)の5つの頭文字をとって5Mと言

う。この何れかの変更をする際は、変更する根拠、変更することによる変化についてデーター等の証拠とともに量産承認した機関に報告し変更に対する承認手続きを行う。これは社内製造であっても、外部製造の仕入れ商品でもあっても同じ手続きをとる。外部製造の場合、その製造メーカー内でのプロセスを経た上で報告されその内容を自社で再検証して承認するプロセスをとることになる。例えば、材料の色が変わったというような些細と思われる変更であってもこの「5M変動」手続きのプロセスを経なければならない。品質管理の成果は、愚直と言われても厳格なプロセス

を続けることによって実現する。


「事故品のBの方のフタも開けてみて!」

「・・・同じ黒です」

「・・・さて次はうするかね・・・中が見えないかなあ・・・」

「X線で見てみますか」

「見えるか?」

「見えます」

「X線カメラは要素技術研究所にあります。借りてきますか?」

「ああ頼む。プロジェクターにつないでね・・・昼は、ここから始めることにしよう」

有川がそのように指示して昼食解散となった。


 東京からの出張者の昼食は、地元の老舗の蕎麦屋へ行くことが常であったが、この日は当然社員食堂へ向かった。食堂は社員で込んでいた。平尾に気づいた社員達が代わる代わる挨拶してくれた。同じ釜の飯を食っていると互いに認め合っている仲間である。平尾は、この仲間達とチームワーク良く仕事をしていて問題が起こるわけがないと改めて思った。

 食堂の窓から吾妻、蔵王、飯豊の各連峰が見えた。これから新緑に向かおうとしている山々からは、葉を広げようとする木々の氣が感ぜられた。


「山野電気って最近どうなの?近くにいながら行っていないんだけど・・・」

「相変わらずです。会長が亡くなって弘さんが頑張っているようですが、山野精密出身の社員を重用して山野電気の実力社員を遠ざけようとしているようです」

「弘さんには古株社員はうるさいのかなあ」

「それじゃ経営は駄目なんですけどね・・・技術部長の戸塚さんも辞められましたからねえ。あの人がいたころは緊張感があったのですがねえ・・・」

 設計担当部長の杉江の話に周りのものが頷いた。


山野電気は、現在の社長山野弘の父、山野一郎が戦後創業した電気パーツ製造のメーカーでX社の協力工場のひとつである。今回問題となっている充電クレードルの組み立て=アセンブルを担当していた。山野電気との取引は、X社が東京の下町で製造していた頃からで、X社が米沢工場を作ったのに伴い同時に米沢に移転した。X社の業容拡大と共に同社も成長し、他の弱電メーカーの黒子となってパーツの製造、回路基盤への実装、アセンブルなど所謂下請け製造を担っていた。その成長の過程で、下請けで製造していた商品の単機能廉価版といったような商品にYAMANOブランドをつけてオリジナルの商品とし、事業拡大を進めるために作ったのが山野精密で、一人息子の弘が社長となって進めた。弘には、下請けメーカーから脱皮したいという思いがあった。

しかし、創業者一郎が亡くなり弘が後を継いだ10年前、山野電気を存続会社にして山野精密を吸収合併し、メーカーの協力工場としての事業と自社ブランドの事業の2つの事業を同一の企業で進めることとした。しかし、2つの事業を比較すると、売上利益の両面では協力工場としての事業の実績は圧倒的で主力事業と言えた。自社ブランド事業は、メーカーの下請けという立場を嫌った山野弘が、世界制覇を目標に進めたが、特徴ある商品の開発も出来ず単機能低価格をコンセプトにした商品による単発的な販売に留まった。時には、下請けした商品のコピーもどきの商品をYAMANOブランドで製造販売し発注メーカー等とトラブルになり協力工場としての事業に影響が出たこともあった。

合併後も、山野弘のその経営方針は変わらず、協力工場としての事業で得た利益を自社製品の開発につぎ込むということが続いた。その経営を推し進めるために、山野弘は山野精密出身の社員を偏重する人事を行ってきた。

この結果、合併後の山野電気には、創業者に厳しく鍛えられてきた職人肌の実力社員と2代目のお坊ちゃんの野心に調子を合わせてきたサラリーマン社員が、互いに価値観の違いを感じながらも狭い地方都市の企業の中で、本音で仕事をすることで大きくぶつかることを避けて大過なく過ごすというような勤めぶりであった。

しかし、そういった中でも、特に品質に関しては、山野一郎が徹底した教育が生きていて、目先の営業に走りがちな山野弘の方針で甘くなりがちな品質基準に対して、設計、製造、品質管理の現場にいる旧山野電機のベテラン社員達がそれまで築いてきた顧客からの信頼に応える品質レベルを必死で維持していた。

その中心にいたのが、技術部長の戸塚であった。戸塚は東京下町の工業高校を出て山野電気に入社し山野一郎に「もの作り」について徹底的に鍛えられた。仕事中の厳しい表情から一見するととっつき難そうな感じがするが、仕事振りと面倒見が良く優しい人柄で社内外の両方で人望が厚かった。 

戸塚は、設計、製造、品質管理の技術部門の全ての面で睨みを利かせ妥協を許さない仕事振りで技術陣を引っ張っていた。社員にとっては厳しいがレベルの高い仕事を経験できることで尊敬できる同僚と上司であり、取引先からは、任せて安心な信頼できる責任者であった。

戸塚は、自分を育ててくれた創業者山野一郎とその会社に忠誠を尽くし仕事をしていただけであった。しかし、山野弘にとっては、社員や取引先が、社長である自分の方にではなく戸塚の方にいつも顔が向いているように思えて気にくわなかった。それは男の嫉妬であった。山野弘は、自身の存在を誇示するために社長としての強権を振るい強引にものごとを進めることがあったが、それが途中で上手くいかなくなると途中で社員に任せて責任を転化するようなこともあった。そんな時、技術的な問題に関する尻拭いは殆ど戸塚の仕事であった。

また、山野弘は海外志向が強かった。海外の、主にアメリカの音響や無線関係のブランドメーカーに対して、完成品のOEM供給を積極的に進めた。しかし、これもトップセールスと言えば聞こえは良いが、設計や製造のキャパやコスト対応ほ考えずに進めるので、現場が対応に追われ定常の業務に支障が出ることがあった。

その混乱に対応したうえでオーナー社長の山野に意見具申できるのは社内では戸塚しかいなかった。山野精密出身の幹部社員はもとより社長の茶坊主であったし、山野電気出身の幹部社員も、強権による人事異動を恐れ意見具申などするものは居なかった。その幹部社員も、その山野の行動の問題は認めていたので、その対応に当たる戸塚の指示に逆らうものはいなかった。

そんな戸塚が仕切る時は、旧山野電気と旧山野精密の社員は互いに協力して課題に取り組むが、そうでない時は社長を意識して互いに牽制しあうような仕事の進め方であった。そんな山野電気の業務品質が次第に落ちてきているのは取引先ほどよくわかった。その結果、創業者山野一郎の努力で得た信頼により広がった取引先も、一つ抜け二つ抜けしていったが、戸塚個人への信頼とそれに応える戸塚自身の頑張りもあり事業に大きく影響でるほどの落ち込みには至っていなかった。

X社もそういった業務品質の低下、加えて発注先メーカーのコピー廉価版を海外OEMする山野弘の経営方針もあって、協力工場として取引を続けて良いのかという問題を感じていたが、山野一郎以来の長い協力関係があることと戸塚の対応とX社技術陣の連携は上手くいっていたことから協力関係は維持された。そして、X社との継続取引の実績が、一部離れていった大手メーカーはあるものの、「Xの協力工場」というレッテルが効果を生み大きな落ち込みにもならず、同社の内情に不安を持たれつつも取引は継続された。

 

そういった状況の中で、同社における戸塚の存在感は、本人の思いとは別に大きくなっていった。そして、山野弘にとって戸塚は更にウルサイ存在となり戸塚に対する嫉妬も強くなっていった。

自分の意のままにならないということも増え、山野弘の独断専行が多くなり、社内の業務は混乱した。つまり、同社の技術力、即ち、開発力、コスト対応力、納期対応力、製造キャパと関係なくトップセールと称し案件をもってくる。その多くは、海外OEMやYAMANNOブランドによるGMSでの販売案件で、キーワードは、「海外」「大ロット」「大手メーカー対抗」であった。そして、それをお膳立てする「ゴマすり社員」は、山野精密出身か山野弘が連れてきた中途採用社員であった。

 こういった商談による開発案件には、山野弘自ら関わった。もちろん、同社はISO9001の品質基準を取得していることもあり、その要求事項を満たした社内規定に沿って開発が進められるので、社長と言っても思いのままに進めることは当然出来ない。しかし、山野弘は、戸塚が出張中で不参加の会議や、或いはそういった手順とは関係なく担当者に直接指示を出して進めることがあった。こういった場合、当然問題が発生し混乱した。そして、その度に戸塚が自ら開発の進捗を見ていて発見したり、或いは、そのプロセスの問題を理解している戸塚の部下である課長達や担当者から相談を受けたりして対応していた。そういった対応が出来ているうちは、時間や費用のロスはあっても顧客に迷惑を掛けることはなかった。

様々な社内的なロスや長年の取引先からの不信感は別として、社長案件は表面的には結果を出していた。しかし、自分の思うにならないと感じた山野弘は、戸塚と距離を置いている社員や、若手社員、そして当然ながら山野精密から自分の近くにいる社員に強権的に下命した。そういったことから社員300人の中には4つのグループが出来た。

(グループ1:現社長グループ)

先代時代、親会社の山野電気に劣等感を持っていた山野精密出身で山野弘に取り入っている部課長と彼らに媚びる自己主張のできない若手社員のグループ。

(グループ2:創業社長の起業精神尊重グループ)

先代社長が唱えた、「高い品質」「高付加価値」の「モノ作り」を追求することを生きがいに絶えず「モノ」の本質を求めて仕事をするグループ。創業者山野一郎に採用され厳しく躾られながらも可愛がられた、戸塚を中心とする部長グループとその上司の生き方や仕事の進め方を尊敬し慕う課長及び若手の部下グループ。彼らは、一郎のことを尊敬と愛着と感謝を込めて「親父さん」と呼ぶ。

(9TO5)

要するに、9時5時で仕事をする社員。

(山野弘が連れてきた転職組)

 山野弘が自分の思いを果たすために、他業界にコネを持ち、かつプロパーの社員にはない経験を持ち実力社員の反発を押さえ込む対応に利用できる社員。


 狭い人間関係でなりたっている地方都市の中規模の企業の中でのことであるから、露骨に派閥を競うようなことにはならなかった。

表面上は、社員同士は和気藹々仕事をしていたが、それはあくまで表面上で実際のところ割り切って働くような、つまろどこか身が入らない「シラケ」たようなところがあった。

そんな中、戸塚の存在が唯一緊張感をもたらしていた。戸塚を慕う社員は当然として、煙たく思う社員も半ば割り切って仕事をする社員も、戸塚が仕切る課題に関しては緊張感を持って仕事をしていた。戸塚の強い求心力が山野電気の業務品質を支えていた。

しかし、戸塚は山野電気を退社して行った。

戸塚は、40になった時、人生の後半は会社主体でない生活を中心に生きていこうと考えた。山野での責任も広く重くなり、また部下達の将来に対する責任もある。簡単には退社出来ないと考えていた。一方で、社長の独断専行や強権によりもたらされる混乱は、社長山野弘の自分に対するある種の思いがエスカレートしているからではないかと考えていた。社長が一人の部長に張り合う必要はない。しかし、弘の「器」ではそのようになってしまう。組織を考えれば、その弘が一番力を発揮できる状態が良いのではないか。であれば、やはりかねてから考えていたとおり自分が身を引いて、弘には社長として気持ちを落ち着けて業務に遂行してもらうことが山野電機にとっても良い方向に進むことなるのではないかと思った。


戸塚がこの決断をして山野電気を退社したのが3年前であった。その時、松本、芦田、有川、平尾は、米沢の山野電気で開催された「新製品の量産承認会議」の後、戸塚に「一杯飲んでいかないか」と誘われた。開発と製造に関わる技術案件が解決し商品の量産を開始することを両者で合意するこの会議は、製造委託で関係する両社の契約を実現する節目の会議である。会議終了後、その案件に関わった関係者が集まって「打ち上げ」の宴会をする慣わしであった。しかし、この時は、山野の担当者が他の案件を抱えて忙しくしていたこともあり、また近々に両社の忘年会が予定されていたこともあり「打ち上げ」もその時にということになっていた。 

出張で来ていた4人は、駅前の蕎麦屋で一杯飲んで東京に帰るつもりでいた。しかし、戸塚がいつもとは違う、少し重たい感じで「少し付き合って欲しい」と言うので4人戸塚の車に乗ってついていった。戸塚が連れていったのは米沢の郊外にある民宿であった。その民宿の離れの部屋で飲もうということであった。4人は、山野電気との付き合いは長く、米沢には数多く出張に来て戸塚とも何十回も飲んでいるがここは初めてであった。市の郊外といっても山の麓に近いところにあるその民宿の離れの庭は、素朴な作りではあるが手入れの行き届いた庭でその向こうには米沢の町が見渡せた。昼頃から降り出した雪が積もりつつあり、それが更に当りを静かにしていた。雪は空から落ちてくるものの空気は完全に止まっていた。


「戸塚さん・・・いいところですねえ・・・こんないいところ・・・隠していたの?」

「静かだけどね・・・松本常務をお連れするようなとこじゃないね・・・不調法でわるいね・・・」

「なんのなんの」

「ここはね、うちにいた社員の実家でね・・・気の利いたものは何もないけど・・・地鶏と山菜と蕎麦しかないけど、酒は美味いから飲みましょ・・・」

「そりゃご馳走だ・・・やっぱり隠していたんだ・・・戸塚さんの隠れ屋か・・・」

「常務!まだ4時ですよ!」

「・・・お前らまだこれから仕事をするならそうすれば?・・・俺は、久しぶりに戸塚さんと飲むよ・・・」

「そんなあ・・・私たちだって・・・」

「・・・」

「雪が降りだすともうひとつ静かになっていい雰囲気ですね・・・」

「有川さんと平尾さんは一度来てねえか?」

「ええ、何度か・・・」

「お前ら!報告ないぞ!」

「常務と私は蚊帳の外で寂しいですねえ」

「ホントだよ・・・」

「・・・でも、これでようやく作れるで・・・いろいろ難しいことあったけどな!有川さんも平尾さんもよく付き合ってくれて助かっただ・・・松本常務!量産承認有難う御座いました」 

「・・・戸塚さん。ご苦労さんでした」

「・・・いやいや常務・・・有川さんのところの皆さんには助けてもらっただ。我々はまだまだ勉強が足りん・・・助けてもたっていたのでは我々の役割が果たせていないということだもんなあ・・・申し訳ないで・・・」

「ところで、戸塚さんは大丈夫として、お3人さん!今日はお時間ありますでしょうか?」

「ええありますよ・・・何だったら、泊まって朝一番で帰ればいい」

「・・・その手、得意ですよね、常務は!」

「・・・」

「皆さんよく働いているから、たまにはゆっくりしたほうがいいです!」

「・・・働きはあまり良くないけど、そうさしてもらおう・・・」

「そうされまし、そうされまし・・・」

「・・・」

「お前ら先に帰りたいのなら先に帰っていいよ・・・有川は付き合うよな!」

「ええ」

「かんべんしてください。もちろん我々もご一緒します!」

「・・・」

「皆さんには長い間お世話になったけど、私、年末一杯で区切りにしようと思うだ」

「・・・ごくろうさま。こちらこそお世話になって・・・私は戸塚さんと仕事をしていて楽しかったよ・・・」

「えっ?常務はご存知だったのですか?」

「いや、今初めて聞いたんだよ」

「なんだ・・・驚かれないんで既にご存知だったのかと思いましたよ」

「うん。でもね・・・実は、今日の会議中にひょっとしてそうかなあと思ったんだよ・・ねえ戸塚さん!」

「え?そんな感じが出ていましたか?・・・緊張感なかったですか?」

「いや、反対ですよ・・・」

「うん・・・できるだけのことは残しておきたいと思ってね・・・せめてもの恩返しにね」

「有川は知っていたの?」

「戸塚さんははっきりとはおっしゃいませんが、地元でしょっちゅう顔を合わせながら仕事をして飲んでいると何となくそうじゃあないかなあと思っていました」

「なんだ、鈍いのは俺と平尾か・・・戸塚さん・・・何にもわかっていなくてすすみません」

「なんの・・・芦田さんと平尾さんが持って来る企画は挑戦的なものが多かったから、私もね、新しいことうんとさせてもらって力つけさせてもらったから感謝しているだ」

「無理ばっかりお願いしましてすみません」「デザインはいつも難しいものばっかり持ってくるし、性能も品質も求めるものは厳しいし・・・」

「でも、皆実現して頂けたではないですか?」

「いやあ、いつも有川さんにおんぶに抱っこさ」

「そんなことなかったですよ・・・私は戸塚さんにエンジニアの先輩として色んなことを教えて頂きました」

「・・・いやいや、反対さあ。俺もね、うちの若いもんもね、いろんなこと教わってね、それで高い壁を乗り越えさせてもらって・・・山野の技術はX米沢のお陰だよ・・・うちのみんなは感謝しとるんよ・・・」

「いえいえ、私はいつも口うるさいだけで・・・無理ばっかりお願いして・・・でも皆さん粘り強く取り組んで必ず成し遂げて下さって助かっています」

「有川さんはね、うちの奴らを自分の部下のように引っ張っていってくれる・・・俺はね

それ見てて勉強なったよ・・・」

「恐縮します・・・」

「それにさあ、納期や品質で俺らがX社の要求に応えられない時も、うちのことうんとかばってもらったってよ・・・本当に世話になったで・・・うちもまだまだだけどね、それでも少しは力ついたのは、X社の皆さんに鍛えて頂いたお陰だからね・・・本当に世話になったよ」

「で、戸塚さん、次は何をされるのですか・・・」

「ああ・・・もうサラリーマンはいいかと思ってね・・・」

「おっ!それではいよいよですか?」

「常務は知っているのですか?」

「・・・前に少し聞いた『あれ』かとは思うけど・・・」

「前に、一度、市の展覧会に見にきてもらった木彫りね・・・昼間は木彫りの教室を開いて、夜はカミサンの店を手伝ってね・・・それで年に幾つか作品を発表してね・・・そんな生活できればいいなあと思って・・・」

「おお、それはいいなあ・・・」

「それはいいって・・・常務!私が言うには僭越ですが、戸塚さんほどのエンジニアがもったいなくはないですか?」

「そうじゃないさ・・・」

「そうだよ・・・」

「芦田さん有川さんまで・・・」

「平尾さん。そうじゃないさ・・・俺本当にそんな生活したいんだ。それなのに、そういったことが出来ずに歳とって死んじゃたら、俺の人生もったいなくって悔いが残るってもんだよ。人生の終焉を向かえて、そろそろ死の床につこうかって時に、『ああ、あの時ああすれば良かったってことが思ったら、悔しいって言うか情けないって言うか、死に切れないよ・・・平尾さんは若いからそのようには思わないかもしれないけど・・・いや、人が誰でもそのように思うということでもないと思うけど、私はそう考えるのよ・・・」

「俺はわかるなあ・・・激しく同意するなあ・・・」

「・・・松本常務!有難う御座います・・・雪も降って来たし・・・皆さん泊まっていきませ・・・」

「私はそうします・・・帰りたいやつは帰っていいぞ・・・俺は、今日は戸塚さんと飲む

・・・」戸塚が退社を打ち明けてくれたその日のことを平尾は鮮明に覚えている。

 戸塚が去ったあと、社内で意に反対するものがいなくなった山野弘が、かねてから拡大したいと思っていた海外取引の案件を積極的に進めた。そのために、アメリカ大手スーパーが日本製品の買い付けをするために現地事務所として東京に出しているBuying office

の3名を中途採用し海外OEMの受注と自社ブランドの販売を行う部門を作った。

 自社ブランド商品の製造販売と海外ビジネスは、山野弘の夢であったが、戸塚を始めとする創業者山野一郎に育てられた幹部社員によって強く自重を求められていた。しかし、戸塚の退社後その箍がはずれ、一郎は自分のの思いを実行してくれて尚且つ反対する社員を説得するために働いてくれる社員としてその3人を採用したのである。更に自分の方針に異を唱える社員の配置も換え、自分に対する抵抗勢力の力を弱めていった。そして、戸塚のように問題の本質を指摘し、山野弘の独断専行を諌める社員がいなくなった。そのことが更に山野弘の行動に拍車をかけることになった。

これは、従来スムーズに流れていたメーカーとしての業務に対して、突発的に変更を強いることで進められることが多くそれぞれの工程に混乱を来たし、結果、品質問題や納期遅延を引き起こし、その対応に追われることが更に混乱を増幅される悪循環に陥っていた。た。それでも、山野弘は強権で海外取引案件を優先させたので、長年取引のあった国内企業の信頼を失い、取引先は1社2社と離れていった。

そういった混乱の責任を、従来からの山野電気の技術基盤を守ってきた旧山野電気出身者に押し付けた。理由は、「昔からのやり方でやっているからだめなんだ」ということであった。戸塚のやり方を否定する意味もあった。そして、自分が起こし愛着がある旧山野精密の気心の知れた出身者を新担当に就けるという人事を進めた。極め付きは、戸塚の上司であり、山野弘の最後の「目の上のコブ」であった、技術担当取締役の和多田を技術顧問に追いやり日常の現場業務に口出しできないようにしたことであった。

 X社も、そういった混乱と問題を把握していたが、山野電気がX社の協力工場として創業し、X社東京工場の米沢移転の際にも同様に移転し一番の下請けとして貢献したこともあり、またそういった両社の関係から、経営の問題や日常の現場の問題も一歩踏み込んで

対処できるし、またそのことによって同社を導いていかなくてはいけないとの判断から取引を続けてきた。従って、日常業務のやりとりをするXの社員も山野電気の業務品質のレベルの低下を感じていたが、両社のそういった経緯を理解しながら他の協力業者とは違った対応をした。山野電気の社員もその対応を感謝し、社内の問題を認識しながらX社の期待に応えようと努力していた。こういった姿もX社が山野電気を支援し続ける動機となっていた。そして、山野弘も、創業以来ずっと下請け業務を行い最大の取引先であるX社との取引は経営の基盤と考えていた。従って、X社からの要望やクレームに対しては過剰に敏感に反応し自社の中にある問題の本質を省みることなく担当者を厳しく感情的に責めながら挽回策を迫った。そんな状況を知るX社の担当者も次第に要望やクレームを出しにくいという雰囲気が出てきた。当然求める業務品質のレベルにも影響しだした。そして、X社の中でも山野電気の協力業者としての位置づけを見直す必要が出てきた。実際、山野電気への開発、設計、製造を依頼する件数は減り協力業者としての序列は下がっていた。

 それまでの長い貢献と再生の可能性を期待し支援を続けるか、或いは、協力メーカーの1社として割り切るか?その扱いについて方針は出ていなかった。そういう事情もあって

、有川は、「山野電気は最近どうなの?」と聞いたのであった。


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