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リコール  作者: 別当勉
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山野電機深圳工場の調査・・・事実の確認をする

(20)インスペクション オブ 「深圳工場」


 5月17日(火) 平尾と杉江は朝一番のフェリーに乗るために、朝食ビュッフェを少しつまんでホテルを出た。チャイナフェリーターミナルへは、九龍公園を抜けていくと近い。公園では、ローカルが気功や太極拳を楽しんでいた。今まで何十回となくこの公園を通ったが、ベンチに座りゆっくりと過ごしたことはなかった。二人はそんな話をしながらターミナルへ急いだ。

 隣接するホテルの中を通る近道をしてターミナル内に入った。返還後も中国本土との往来は出入国の手続きを必要とする。パスポートコントロールはごった返していた。珠海デルタ地区や広州の工場へ出張する香港人、香港駐在各国人、他国からきた出張者、中国で手持ちで行商に行く香港人、中国のゴルフ場へいく香港住人でごった返していた。フェリーの出発は、8時であるのに6時30分にホテルを出なくてはいけないのはこの混雑に掛かる時間が計算できないからだ。列に並んで待っていると知った顔があった。X社の駐在員やローカルスタッフ、競合メーカーや部材メーカーの知った顔。まさに呉越同舟という感じであった。パスポートコントロールを抜けるとロビーがあり、そこで乗船案内を待つが、先ほど目で挨拶したX香港の駐在員とローカルスタッフと話をして乗船を待った。彼らは、吉川の部下達であったが、リコールのことは社内でもすでに報告があり、海外仕様の商品ではないためリコールを行わないが、個人使用で持ち込まれたり、並行輸入で持ち込まれている場合もあるので問い合わせに備えて体制を準備するよう植田社長名で社内に指示されているとのことである。このことは、吉川から聞きそびれていた。

ローカルスタッフが言うには、その指示書には、当社のCS、品質に関するポリシーが明記されその高い志に改めて感銘したということであった。そして、香港Xのスタッフである自分は、問い合わせ対応程度しか実際の作業はないかも知れないが、その作業を通じてそういった志を顧客に伝えコーポレートブランドに対する評価を高め自分達の仕事につながるようにするといったことを述べ、さらにリコール業務に対応するMAM部を励ましくれた。

世界の工場と言われる中国であるが、香港に隣接シンセンから珠江デルタ地区を中心に広州に広がる一帯が先駆的な地域である。現在は、長江下流の上海・蘇州地区他中国国内に工業団地が点在する。

しかし、X社が中国進出した1970年代後半から天安門事件が経て1997年7月1日に香港が中国返還されるまでは、香港の資金や物流といったインフラ環境を背景にした経済特別区域であるシンセンに集中していた。

平尾の初めての海外出張であった1989年は、6月に起こった天安門事件後9月であったが、その頃は、軍事境界線は厳しく管理され、香港からシンセン経済特別区域に入り広州に向かって進んでいくと第1国境、第2国境と2箇所のパスポートコントロールを通らなければならなかった。

当時の製造状況を大まかに言えば、高品質な成型品を作る金型を作る技術は持っていなかったので、金型やIC等の基幹部材は日本から持ち込んでいた。そして労働集約的な組み立てラインで生産するというもので、コストは、香港から第一国境を越えた第2国境までのエリアで生産した場合、香港での製造コストの50%、第2国境を越えるとその50

%、そしてさらに奥地へ行くと50%ダウンする。かなり誇張の部分もあるが、当時の中国製造について、コストを語るときにはそんな説明がされた。しかし、様々な事情は大変厳しいものがあった。

 シンセンに入る場合、工場のロケーションにより交通手段が変わった。フェリー、バス、自家用車、列車があったが、シンセンに入ってからの道路の整備状況でその手段を使うかを決めた。即ち、駅から近ければ列車を使ったし、港から近ければフェリーを使った。自家用車は、中国に乗り入れるためのライセンスの入手は、変換前は現在と比べるとはるかに厳しく普通の手続きでは殆ど不可であった。つまり相当強力で特別な中国役人とのコネクションが必要であった。

X社も、当時既に幾つかの工場をシンセン経済特別区域から広州市に掛けて持っていた。

当時平尾が商品企画を担当していたカセット型の携帯オーデイオ(ウオークマン対抗商品

)の製造を予定していたのは、広州市郊外、

黄甫ウオンポー地区にある工場であった。

 当時もやはり、列車やフェリーといった交通手段であったが状況は全く違った。現在のよう香港九龍と広州市を結ぶ特急列車であるインターシテイーは走っていなかったし、新鋭のフェリーとは比較にならない素朴な客船での移動であった。香港、シンセン、広州と高速道路が整備されている今とは違い。バスや自家用車での移動は不可能であった。いったい何時着くかわからないといったようなところがあった。物量が増え交通量が増えているが、交通ルールを理解していない運転技術の未熟な生活感覚の全く違うドライバーが未整備な道路を運転するとどうなるか。

 例えば、片側2車線の幹線道路が渋滞するとどうなるか。反対側2車線が空いていれば

どんどんそちらに入っていく。正面衝突を避けながら走ることになる。そのうち。避けることもできなくなりフェイス・トウ・フェイスというかスクラム状態になる。それぞれの後続はどんどんやってきて渋滞の帯がどんどん伸びていく。そうなる、今度は、事故を起った車線、事故の先は空いているので、当初は流れて走行できていた車線の車が事故を起こした車線に侵入して事故の現場に向かって走っていく。当然事故の現場で同じようにスクラム状態になる。ここで4車線が完全に渋滞で固まったようになる。こうなると数時間そのままということになる。ドライバーは、「アイヤー」といったきりだ。実際どうしようもない。スクラム状態になっている同氏がもめているかといったら、そんなことはなくて、ただ笑っている。「しょうがない」といったところであろう。彼らには時間は幾らでもある。急がねばならない理由はなかった。

X社のような企業の出張者を、駅やフェリーターミナルから工場まで運ぶ社有車のドライバーは、そういった渋滞になると、前後を何とかこじ開けて脇道へ入って渋滞を抜けるという業を見せた。彼らは、そうすることで誉められ、時にはチップを貰えた。機転を働かせたり、努力する動機があったのである。当時は、ただ時間で管理されたトラックのドライバーには、そのような動機につながることはなかったのでただ笑って、或は昼寝をしながら待つしかなかった。

 渋滞から逃れて脇道に入ればは道路事情はさらに悪く、一度雨が降れば道路には水溜りが出来た。そもそもが激しい凸凹道であるから中には大きく深い水溜りがあった。そんなところへ渋滞してきたトラックがやって来る。

水溜りの深さなど考えずに突っ込んで車輪を取られる。車体が傾き身動きが取れずに、そのまま「アイヤー」と言ったきり何もしない。そのトラックを避けて通ろうと狭い道を交互に行き来するのでまたそこも渋滞となる。水溜りにはまったトラックは、救援の手配をしているわけでもなさそうで、ただ「ダメだこりゃ!」という風で自ら解決に乗り出そうという風でもない。ただ、運転席に座ってニヤニヤしている。でもそのうち別のトラックが横付けして何か話している。話がまとまったのか脱出の作業が始まる。漸く運転台から降りてロープで互いのトラックを結んで引っ張り出す。あれは、有料であったのであろうか?

 そんな道路事情も、3ヶ月も見ないと全く違った風景を見るように改善される。親切の道路がどんどん出来る。平野にとって不思議であったのは、どうみたって建設現場で忙しく働いている様子がない。見れば、木陰で昼寝をしている作業員が何人かいるといった感じである。何時工事をしているのかといった疑問が浮かぶが、しばらく見ないうちに高速道路が出来上がっている。建物もそうだ。高度成長期の建設ラッシュと言えば、そこかしこで忙しそうに働く人や動く機材である種の勢いを感じるものであるが、そんなことはない。確かに、建築工事は行われているがそのような気ぜわしさ、勢いは見えない。しかし、ある期間が過ぎると立派に出来上がっている。それが平尾には不思議でおかしかった。

 高速道路が出来上がると、今度は交通事故の問題があった。当時のシンセン人々が高速で走る自動車に慣れていなかったのである。

自動車専用道路といっても、そんな情報は徹底されないし、交通法規なんて教育されないから横断禁止の標識も知らずに渡る。車はまだ遠くに方にいるから大丈夫だと思っているとあっとの間に近づいてきて跳ねられるという事故が頻繁に起こった。

 1989年、平尾の初めての海外出張は、そのような状況の香港とシンセンであった。

 九龍を始発とする広九鉄道は、広州を通って北京までつながっていて、直通の急行も走っている。平尾は、天安門事件後で、まだ騒然とする香港に前泊し、早朝の九龍のHUNG・HOM駅を二日酔で乗車し広州に向かったことを覚えている。車内の給茶サービスは、最初にお茶の葉の入った湯飲みを購入し、後でサービス係が大きなヤカンでお湯を注いで回るというサービスであった。窓から見るシンセンは、香港との国境のシンセン駅付近の高層ビル群を抜けると、経済特別区域と言えでもまだまだ未開発で、閉ざされていた開発途上国へ足を踏み入れた興奮を感じたのを覚えている。広州駅は、天安門事件後3ヶ月経っていたが、その警備の物々しさは香港の比ではなかった。通常の銃剣とは違う武装した公安が多く駅構内に大勢配備され緊張したことも覚えている。駅前には、ざっと数えただけで1万・・・いや、2万を超える人が、特に何をするわけではなく座ったり寝そべっていたりしていた。「ああ中国だ!」と平尾は思った。広州駅には、当時X香港駐在で広州工場の責任者である総経理を兼任していた吉川が迎えに来てくれていた。ワゴンで駅から工場に向かったが、少し脇道に入ると、自転車の集団が車に向かってウンカの如く向かってきた。その光景も印象的なものとして覚えている。

 郊外の工場に近づくと、車から見える人々の暮らしぶりは豊かでないことがすぐわかった。バラックの小屋に囲まれたでこぼこ道を通って付いた工場の鉄の門の前には、採用希望の女性ワーカーが長い列を作って並んでいた。鉄の門の外と内は別世界、別秩序であることがはっきりわかった。工場では、女性ワーカーが黙々と作業をこなしていた。女性と言っても少女であった。聞けば中学生から高校生程度の年齢であったが、発育の問題か小学生に見えるワーカーもいた。壁の大きな模造紙には、5S、即ち、整理、整頓、清潔、清掃、躾が大きな文字で書いてあった。そしてさらに大きく切り抜いた赤い字で、ワーカーの誰もが見える位置に「禁私語、禁股」と貼ってあった。前者はわかるが、後者を想像できなかった平尾は、吉川にあれは何だと尋ねたところ、文字通り股を広げて作業をするなということだとのことであった。背筋を伸ばして作業をしろとは言わないが、椅子の背にもたれて大股開きで作業をしていたのでは幾ら視力が良くて手先が器用でも質の高い作業が出来るように見えなかったということであった。躾をしたということであった。実際作業効率は改善されたとのことであった。説明を聞きながら、製造ラインに目をやると、

確かに大股開きのワーカーがいて可笑しかった。工場は5階建てであったが、周囲を見渡してみようと屋上にあがったら、そこにはワーカー達の洗濯して下着がハンガーに大きく広げて干してあり圧倒され「すごい迫力ですねえ」と言って笑ったことを覚えている。

 その後、平尾のこちらへの出張は30回を越えている。1989年には工場の携帯ラジカセの製造移管とその量産立ち上げのために。

次に、ロンドンでのトレーニーから戻り海外販売やニューヨークの現地法人に転勤していた時は、各国の大手顧客の工場視察のために。そして、係長として最初に商品企画を担当していた1995年からの4年間は、中国生産が一気に拡大した時なので、設計担当者や品質管理担当者と毎月のように出張し、企画商品の製造立ち上げのために、香港や中国内のパーツメーカーベンダーと呼ぶ協力工場を回りながら自社工場での量産準備を進めていた

1999年に海外販売課長になってからの3年間は、販売の現場責任者として再び顧客のツアーに同行する出張で訪ねた。そして、2003年に商品企画の部長となってからは、さすがに現場を飛び廻ることはなく出張回数は減ったが、それでも年に2~3回は、こちらへ来ていた。


 曇天の下、少し高い波の上を速度の遅い一般の船を右に左に抜き去りながら高速で走ってきたジェットフェリーは、珠江に入りスピードを落とした。日本の河のイメージとは違う川幅ではあるが、さすがに高速で走るわけにはいかない。東莞の到着間際になると乗客は

早々に荷物を持って下船口に並んだ。到着後のパスポートコントロールを速やかに抜けるためだ。下船は、上階のファーストクラスから始められ、少し間を置いてエコノミークラスの客が降りた。ファーストクラスと言っても。2千円程度の追加料金で乗れるが、椅子が少し大きく、静かで、軽食が出る。英字邦字新聞が置いてある。利用しているのは、日本企業の上級職員や欧米人で地元香港や中国の幹部社員や職員はあまり見かねない。彼らはコスト意識が強いのか、或は、中国内のライセンスを持っている高級自家用車で自走で往復しているのか・・・。平尾がファーストクラスに乗る理由は只一つ。エコノミークラスはエアコンが効きすぎて寒すぎるからである。

 フェリーに限らないが、香港人はエアコンを効かせ過ぎるきらいがある。理由を聞くと部屋の中の空気は流れていなくてはいけないとのことであった。ならば、温度を下げることはないではないかとも思う。フェリーのエコノミークラスは、大部屋に大勢の乗客が乗っている。何時も満員というわけではないので、座席は豪華なものではないが、平尾は不満に思ったことはない。平尾は、そのようなことを気にしないほうである。しかし、困るのはエアコンは乗客数に関わらずいつもフル稼働で温度が低いことである。セーターを着ても寒い。エアコンに関する使用方針は、ファーストクラスでも同じであろうが、幾分温度コントロールがされている。そういったこともあるし、何時も空いているので熱いお茶のサービスも頼み易いこともあり、2千円程度の追加料金を払って乗っているのである。

 平尾と杉江は、あとから下船し走ってくるエコノミークラスの客に抜かれることなくパスポートコントロールのブースについた。

 パスポートコントロールの事情も、香港の中国返還後に変わった。まずビザが不要になったこともあるが、窓口業務の対応が随分と改善された。フェリーの港では、香港のターミナルで香港出国手続きを済ませ、その船に乗ってきた乗客の入国手続きがされるので、審査の窓口に並ぶ競争に出遅れてもどってことはないが、香港からKCRの電車でシンセンに入る場合は大変だ。KCRは、そのまま広州、そして北京に到る全中国の鉄道網につながっているが、シンセン行きは、国境の羅湖ロウウが終点の駅になる。ここから香港の出国、中国の入国、検疫、税関の検査と4っつの手続きをしなくてはならない。それぞれの窓口は、1本の列車の乗客をスムーズにさばくほどの数はないし、係官の要領も良くなかった。さらに列車は、15分置きに到着する。人の列は常識を超えるものであった。特に、朝の香港からシンセンへの移動、夕方のシンセンから香港への移動は難行であった。

2つのパスポートコントロールを通過するのに3時間以上掛かることはザラであった。人の列も整然と並んでいるわけではなく、雑然と並んでいるので前に進む様子を感じることなく只待つという風であった。シンセンサイドの事情は厳しく、出国窓口とホールが、そういった大勢の人が待つことを想定して作られていないので、人の列がターミナルのビルから出て、さらに駅前のビルに続く陸橋をすぎそのビルを1周するといったすさまじいこともあった。そんな中でトイレに行きたくなったり、気分が悪く行きたくなった時には泣きたい気分であった。いったい何時になったら通過できるのかと・・・。だから、移動は、昼間や深夜の窓口が閉まる直前に通過するようにしたが、業務の都合上そういうわけにもいかず、空いていることを期待して突入することが度々であった。旧正月前後は、特にひどく移動は控えたが、またそんな時に問題が発生することが多かった。

窓口のサービスは、特に中国サイドは、サービスといった概念が無いか乏しいので、ストレスを増大させた。中国窓口の係官のあまりのスローば仕事振りに対して、作り笑顔で「ええかげんにせえよ」なんて言ったりしながら気を紛らわせていた。

返還後は、さすがに施設も対応もかなり改善され以前のようなことはないが、それでもKCRの電車での移動は気をつけなければならない。


平尾と杉江は、パスポートコントロールを出ると迎えに来ているはずの山野シンセンの

ドライバーを探した。二人とも、これまで何回か会っているが、顔はうる覚えであった。

通常、迎えのドライバーは、迎える客の企業名と個人名をローマ字で書いたボードを持って待っていて、到着した客側もそのボードを探して「やあやあ」というのが、世界どこでも見られる光景である。

 しかし、この方法はセキュリテイ上問題があり、他のドライバイーのボードを見てコピーのボードを作り待っていて、不案内な客が釣るということがある。白タクであれば、ボラれるだけですむが、質が悪いと強盗にあうということがある。これは、発展途上国だけで見られることではなく、1980年代のニューヨークのJFK空港では、東京から到着した日本人を狙った事件がよく起こった。正装した運転手がきちんとしたボードを持って待っていてリムジンに案内されたら、あらかじめ現津法人や顧客から聞いていた迎えの車だと思い込んでしまう。まさか、同じようなボードが2枚あったなんて気づかない。偽者は、バッゲージクレームから幾分高揚しながら出てくる到着者に見えやすいところに本物のボードより先に目に入るように愛想良く立っているからすぐ騙される。結局、目的の近くまで行ってすごまれるか、乗ってしばらくして高額な料金の話を持ち出され揉めると凄まれて、お金を払った上に高速の道端に降ろされるということになる。

 二人は、山野シンセンのドライバーの顔を覚えていなかったが、ドライバーの方は自社の大事な顧客の顔は覚えていることは仕事での評価を得ることになるので覚えていて、何時もは、ドライバーの方から声を掛けくれる。平尾と杉江は、到着客と迎えのドライバー、それに白タクのドライバーでごった返すロビーの中で、見つけてくれるのを待った。

 しばらくすると、人懐っこい笑顔と目が合って二人はいつもの「彼」を確認した。二人は、北京語も広東語も挨拶程度しかできなかったが、握手をして挨拶を交わした。ドライバーは、車をビルの正面に回すからといったことを言っているが、そんな気遣いはよくって駐車場まで一緒にいったほうが簡単だといったことを身振り手振りで説明しながらドライバーに付いていった。船着場のターミナルビルのロータリーの脇にある駐車場には、日系企業を初めとする外資との合弁企業の迎えの車が並んでいた。多くは、日本メーカーのワゴン車やマイクロバスであった。中に、ベンツ等の欧州車もあるが、欧米との合弁会社か、もしくは、欧米との取引をする香港資本の合弁企業のものであった。

 平尾と杉江は、8人乗りのワゴン車に乗って工場に向かった。この日は、香港からの出張者や出入り業者もいなく他に乗客は居なかった。 

 ターミナルの駐車場を出ると、シンセン空港の滑走郎の先を横切って町の方へ向かった。

通りに出るまでの道は、両側に淡水魚の養殖池があり未舗装であることは、初めて東莞にきた10数年前と変わらない。しかし、大通りに出ると片側2車線から4車線ある舗装道路になり中央分離帯と歩道は色彩豊かな花壇が作られ町全体が整備されている。この道は、自社の東莞工場に来た半年前に走って以来である。天安門の後の頃の様変わりするスピードとは違うが、やはり半年経つと町が様変わりしていることがわかる。日系のブランドを掲げた工場も、新しいもの、拡張したものが建設され依然進出のスピードは衰えていない様子がわかる。

 港から30分程走り、車は渋滞もなく工場に着いた。充電クレードルの製造がストップしている山野シンセン工場は静まり返っているかと思われたがそうではなかった。5月と言えば、8月から10月に向けて出荷する北米の大手デイスカウンターやチェーン店のクリスマス商戦向け商品の製造の作りこみを始める時期には少し早いが、その製造ピークを前に通常品のつくり置きといった調整の製造も始まり、雰囲気としては悪くない様子であった。平尾にすれば、X社に対して起こしている問題を思えば、少し反省が感じられるような緊張感があっても良いのではないかと思われた。


 車を降りると土屋が出迎えてくれた。土屋は、1年間に定年を迎え、今嘱託として山野シンセン工場の製造と品質の管理をしているが、山野がX社の中国移管に対応しシンセン工場を立ち上げた時の責任者で中国製造に見せられた一人で山野の中国製造のエキスパートであった。定年後も嘱託契約を行い1年のうち半分はシンセンに駐在して、案件毎に出張でくる後輩である現役社員のフォローをし、日常的には香港ローカルのマネージャーや現地化した中国人のライン長を指導しながら製造現場を管理し、山野シンセン工場の製造を実質スーパーバイズしていた。実際、それぞれのスタッフも土屋を頼っていたし、デービットは法人として山野シンセンの財務や対役所とのことで忙しく、製造現場のことは土屋とマネージャーに昇格させた香港人の部下にまかせていたところがあった。

 製造現場の現地化は、2000年を過ぎたころから進み、高度な製造技術管理が必要なものは別として日本人の技術者が駐在や長期出張によって製造管理することから、香港人のエンジニア、或は製造ラインの班長程度は中国人に任せるおとによる合理化が進められていた。

 当社は、ワーカーの中から選びインセンテイブを設けることは社会主義の平等に反して許されなかったし、さらに、工業系の大学を出た人間が合弁企業の工場で採用することは、国策で技術取得というの名の一種のスパイ的な送り込みを除けばかなわなかった。しかし、

2005年の現在では、ワーカーも旧正月で郷里に帰ったあと戻ってこないとか、厚遇を求めて近くの工場に移るといったこともなく定着することにより工場として製造技術力も工場し、一方、日本の製造技術力を学ぼうとする大学卒業のエンジニアや他社で製造を学んだエンジニアのリクルートが出来るようになり現地化が勧められるようになった。X社のような高付加価値の製造を行う大手日系メーカーの場合は、日本からの転勤者が駐在して管理するといったことがまだ行われていた。しかし、山野シンセン程度の規模で、生産数量は多いが労働集約型のような工場の現地化は積極的に進められる傾向にあった。一般的に言えば、その程度の商品の品質は現地対応で実現できるようになっていたのである。


「平尾さん、杉江さん、ご苦労さん。迷惑掛けて悪いねえ」

「土屋さんご無沙汰しています。お元気そうで・・・」

「土屋さんは、完全に現地化していますね。ずっとこちらですか?」

「2週間に一度は香港に帰っているよ。2ヶ月に一度は米沢にも帰っているし・・・でも、香港のホテルよりこちらのマンションの方が広くて快適だし、米沢に帰っても、子供達は東京で暮らしているしカミサンは友達と登山旅行でいないから帰ってもしようがないんだよ。こっちでローカルの皆と仕事しているのが一番楽しいかな」

「そうですよ・・・土屋さんがこちらに居られると聞いていたので安心していたのですよ・・・」 

「本当に申し訳ない・・・とにかく上に上がってゆっくり説明させてください。ちょっと言い訳がましくなるかも知れないけど・・・」


「今日お邪魔した目的は、3つあります。一1つは、問題の発生原因の現場検証。2つ目は、こちらの製造管理体制の確認。3つ目は、代替品の製造の可能性を確認したうえで量産手配です」

「それで、土屋さん・・・私なんかは、何で山野さんで今回のようなミスが発生したのか理解できないし、米沢本社の説明を聞いても、昨日のデービッドの話を聞いてもどうも釈然としないことが多いのです。だって、部材変更のプロセスのイロハが山野さんで抜け落ちるなんておかしいじゃないですか?デービッドの話を聞いていると、自分が勝ってにやったなんてことを言ってるけど、デービッドだってそんなイロハは当然知っているし、第一

土屋さんがこちらに居られるのに何でそんなオーダーが通ったのか不思議でならないのです」

「杉江さん。ご迷惑掛けて本当にすみません。お恥かしいばかりで・・・」

「何があったの?」

「平尾さん・・・私にもまだ良くわからんのです。実は、言い訳がましいけど、私は先週中川から連絡を受けて確認して初めて部材の変更を知ったのです」

「中川部長も知らなかった?」

「そうみたいです」

「でも、そのようなことってあるの?言い方悪いけど、シンセン工場で土屋さんの確認がスキップされたわけでしょう?嘱託で、アドバイザーっていう立場でしょうけど、品質に関わることは全て確認されるわけでしょう?」

「そうなんですが・・・その時、私、居なかったんです・・・」

「居なかったといったってリポートはされるわけでしょう?」

「昨年の10月から今年の2月の旧正月明けまで、家の用で帰国していたのです。こちらに戻ってからも、安定している商品については製造リポートは見ていますが、居なかった時に部材変更されたり、量産がスタートした商品は、米沢のものが来てやって増した大丈夫と思って確認はしていませんでした・・・

充電クレードルの製造品質も安定して直行率も非常にいいもんでね、問題があるとは思わなかったのです・・・」

「土屋さんが居られなかったのかあ・・・」

「それは、当社としては、言い訳でね。社員の駐在が居なくても、私みたいのがアドバイザーでいる位で高品質の製造が出来ると。それ程現地化が進んでいると世間に言っている限りはローカルだけで出来ていなくてはいけない・・・責任逃れをするわけではないけれど・・・しかし、毎日製造現場にいる私としては、気づかなかったというのは大変な失態だったと思っています。本当に申し訳ないです」

「そうですか・・・でも、他の商品で大量に採用している部材でしょう?量産の流れが出来たら、部材の管理もその流れで管理されているのが普通だから、現場で流れている限りは中々見つけ難いでしょう」

「でも、日創電子のトランスは、Ⅹさんしか採用していないし、ウレタンとエポキシじゃ色が違うので、現場を歩いている時にでも、御社の充電クレードルに充填しているのを見て変だと気づかなければいけないのですが、2月に戻ってきてから何度も前を通っているのに何とも思わなかったのです。私も鈍って来ました・・・」

「手続きとしては、かなり例外のようですから、気づかなかったとしても仕方がないとは私の口からは言えませんが、やはり仕方がないでしょう。でも、偶然でも気づいて欲しいかったのですが・・・」

「そういった現場力を持っている企業がやはり力ある企業で、山野さんも持っていると思っていたのですが・・・」

「申し訳ない・・・」

「で、今回の兼は、土屋さんの方でも腑に落ちないというか、ここの品質問題ですから調査をされたのでしょう?如何でした」

「最初、中川部長から連絡を受けてね、まず製造ラインを見てみると、確かにエポキシが使われいる。これは、色が違うからすぐわかりますよね。トランスは、タイガー社製。これも、北米向けの充電式懐中電灯で使っているから、この工場では見慣れている部品なんですが、おかしいなとは思いました」

「どうして?」

「いやあ、エポキシもタイガーのトランスも、採用しているのは、長時間充電の商品で、急速充電の商品には使っていません。特に、トランスは、電流負荷が全く違う急速充電には向かないという品質試験の結果があるはずです」

「本当ですか?」

「昨年の初め、旧正月の頃だったと思いますが、米沢でやったはずですよ。コストを下げようと思っていろいろ部品を試した時に候補に入っていたはずです。エポキシもその中に入っていたはずです。それで、部材変更が可能と思われるものは、再度各商品で試験サンプルを作って品質試験を行って変動手続きをしたことはあったんです。それで、アスリートZの充電クレードルもそうだったかなあと思ったのです。それで、仕様書と製造手配書を確認したのですが、仕様は、日創電子のトランスとウレタン材で、特に変動手続きも取られていないのですが、製造手配書が1枚あって、昨年の11月から変更の指示が出されているのです」

「米沢からですか?」

「それが、規定のフォームには違いないのですが、コピーで、こっちの製造マネージャーの指示で行われているのです」

「そんなに簡単に変更できるものですか?」

「そうなのです。それで、担当マネージャーに確認したところ、デービッドからの指示だと言うのです」

「ええ、昨日会いましたが、デービッドはそんなに明確に言わなかったなあ。製造指示書もなかったし・・・」

「でも、それらしきことは言ってましたよ。

使用実績あるから問題ないって・・・」

「じゃあ、デービッドが決定して指示を出したのですか?」

「そうなんです・・・」

「米沢から指示があったわけでもなく、反対に米沢に変更の提案とかお伺いをたてたということもなく?」

「そうなんです」

「何で?」

「コストダウンだと言うのです」

「コストダウンって・・・デービッドは変動手続きを知っているでしょう?」

「ええ、分かっていますが、手続きに時間が掛かるからって・・・使用実績があって問題ないことがわかっているから試験はあとからすればいいと思ったそうです」

「デービッドの程度でその程度でしたか?品質ってものはそういったものではないことは分かっていると思っていたんだけどなあ。第一、あとからって言うけど、それもやっていないじゃないですが」

「申し訳ないです」

「後からやったとしても問題ですが・・・」

「昨日は、何にも言わなかったけどなあ」

「言えなかったのではないですか?今日私から説明があると思って頼ったのではないかと思いますけど・・・」

「何か、無茶苦茶ですねえ」

「お恥かしい限りです」

「デービッドってそんな奴だったかなあ」

「互いに信頼できると思っていたんだけどなあ」

「彼も、そうでしょう。それだけに、二人の信頼を裏切った思いが強く自分からは言えなかったのでしょう」

「・・・ちょっと待って下さい。これって、中川部長というか、米沢本社には報告されましたか?」

「ええ」

「何時ですか?日曜の夜に電話しましたから、昨日にはうちの常務に報告が届いているはずです」

「え?でも、うちには何も連絡が来ていないよ。報告があれば私にも連絡が来るはずなんだけど・・・」

「中川と石川は、昨日は香港への移動でしたから・・・」

「でも、御社の広川常務から、うちの芦川か松本に報告があっても良いと思いますが」

「申し訳御座いません」

「土屋さんはお分かりだと思いますが、リコールをするってことは大変なことなんですよ。

リスクの内容をお分かり頂いていないのじゃないかと不審を持ってしまいますよ・・・WINWINの関係って言いますけど、リスクもシェアしていること、まずいことがあれば共にダメージを受けることは同じだということ・・・土屋さんにガミガミ言っても悪いけれど、山野さんとしてお分かり頂いているのかなあと思ってしまいます」

「申し訳ありません・・・」

「それで、中川部長と石川部長は、今日は香港事務所ですか?」

「ええ、デービッドとそちらの皆様と打ち合わせをして、明日一緒にこちらに入らせて頂くようです」

「何か行動もはっきりしませんねえ」

「・・・」

「・・・では、土屋さん。現場を見せて頂けますか」

「はいわかりました」


 平尾と杉江は、土屋の案内で製造現場に向かった。山野シンセン工場には、同じデザインの5階建てのビル3棟で出来ている。真ん中のビルが管理等で、3階の渡り廊下で並行に建てられている他の2つのビルと繋がっている。フロアーの広さは、25mX75mといったところである。家電関連商品で連結売上が100億円規模の企業の中国工場とすれば大きい。これは、数量の大きい北米向けOEM商品を労働集約型で生産しているためである。即ち、工程で細分化して安い賃金のワーカーでの製造ラインを構成して組み立てている。従って、比較的長い製造ラインを数多く設置する必要がある。

 また、敷地内には、女性工員の寮と食堂、そして、出張者の宿泊施設と幹部社員の食堂があった。日本からの出張者は、通常は、車で10分ほどのホテルに宿泊していたが、量産準備などで残業で遅くまで工場内に留まらなくてはならない時は、その宿泊施設を利用した。土屋も月金はそのホテルに宿泊し土日を香港ホテルで過ごすといった生活パターンであった。

 1990年代の日本企業の駐在者も概ねそういった感じであった。家族で香港に駐在し、シンセンへは出張ベースで対応するといったパターンである。しかし、香港が中国に返還され、シンセンへの交通の便や住環境も整備されるようになると、香港への単身で駐在している者はシンセン常駐に変わっていった。

 マンションは香港の高くて狭い部屋より高いグレードのものを安く借りることが出来る。日本食レストランも出来、質の面でも満足は出来ないが少しづつ改善されている。休みの日は、ゴルフを安く手軽に楽しむことができる。情報も、インターネットで見ればタイムリーに日本の様子がわかる。但し、新聞の衛星版に対する渇望は常にあるが・・・。テレビは、ホテルでNHKの衛星BSのサービスを提供しているところはあるが、一般マンションではまだ整備されていない。第一ホテルのものも正規の手続きを踏んでいるのであろうか?・・・従って、香港や日本からの出張者にビデオを持ち込んでもらって顔見知りの駐在員同士で貸し借りして楽しんでいる。ということで、少なくとも2週間の一度は香港

に出張し、上質な日本食を食べたり、新聞や雑誌を手に入れることもできるし、西洋ナイズされた雰囲気にも触れることが出来るのでシンセン駐在の僻地感もなくなっていた。

 ただ、工場敷地内の宿泊施設の長期滞在はストレスであった。仕事が終われば、することはなかった。出張者同士でお酒を飲むか、マージャンをするか、或は読書か・・・。

中央の管理等には、管理部門、調達部門、製造管理部門、品質管理部門、出荷部門が2階と3階の2つのフロアーに分かれて入っていた。他のフロアーは部品や治工具の倉庫として使っていた。

管理部門は、総務、経理、人事、法務、システムといった課題を担当しタイトル上は所謂「管理」えであるが、その内容は、中国の風土、文化、仕組みで対応しなくてはならない。地元の村や市との折衝、手続き、納税、工場建物管理、インフラ管理。特に、電気の供給問題は工場の操業に大きく影響するので自家発電を設置する。すると、一部を村に供給せよといった要請がきて対応しなくてはならない。経理も、工場内の損益管理、現金管理、地元銀行での決済などである。人事は、中国人幹部社員の採用、ワーカーの採用、教育と管理、給与の支払い。村、市、州から派遣される役人。アドバイザーということであるが、インスペクターであろう。監視、1980年代は「諜報」かと思われたが、今はそんなこともない。大手企業は、上手くやっていてそんなスタッフの雇いいれの要請は来ないようである。

その他、調達部門、製造管理部門、品質管理部門、出荷部門が管理棟にあり、香港人の課長が中国人の担当者を束ねて推進しているといった組織である。1980年代に中国進出したときとは隔世の感がある。

平尾と杉江は、土屋の案内で、先ずは、管理棟内にある。調達部門に行き部材の調達の管理状況について確認した。発注、仕入れ、受け入れ検査、製造使用、在庫の管理が出来ているか、その帳票を確認できるように担当者に頼んだ。後で、在庫と現品を確認するためである。

次に製造管理部門に行き、該当商品が製造された昨年の11月より2ヶ月前の9月から製造をストップさせた先週までの製造手配と製造実績についての手配書と製造報告書の一部を見た上で、詳細を確認できるように用意して欲しい旨を担当者に依頼した。

二人は、ちょっと見ただけであったが、部材管理も製造管理も決められた通りに進められていて何か現場でミスが起こったようには見えなかった。しかし、一瞥しただけであるが、やはり部材変更の指示がわかる書面はなかった。帳票や手配書、報告書を詳しく調べた上でのことであるが、二人は、やはり現場でのインタビューしかないかなと思った。


「土屋さんは、現場の担当者に、何時部材の変更をしたのか確認されました?」

「ええ、一昨日に米沢から連絡があった時に調達と製造の担当マネージャーに確認しました」

「えっ?じゃ土屋さんは、原因が何だわかってんだ」

「いえいえ、それがはっきりしないんです」

「はっきりしないってどういうこと?」

「まず、11月生産のための部材発注は、リードタイム3ヶ月で8月初旬なんです。しかし、その日創電子へのトランスの発注に手違いがあって11月の生産分が間に合わないということが9月の半ばに分かって、9月末から10月に描けて日創と交渉してたのです」

「交渉といったってリード1ヶ月じゃ厳しいでよう。電子パーツメーカーの増産キャパはそんなに無いじゃないですか?」

「ええ、そうなんで。ですから、日創も、12月発注分の前倒しや他社分を調整して何とか回そうと努力してくれて、それにウチの方でも他社の在庫を当たってかき集めようとしていたのですが中々全数集めるのは難しかったようです。7割を見込むのが精一杯であったようです」

「そういった納期と数量のことは、うちの製造購買部に連絡が行っていたのかしら?」

「いや、ご報告していないようです」

「それはおかしいじゃない。毎月の定例会議でリードタイム内の生産状況の報告、納品スケジュールの見込みについて報告を受け、増減の調整をするのじゃないの?」

「ええ、そうですが、恐らく10月の初旬の打ち合わせでは、御社からは、発注数量を当初予定通りのスケジュールで欲しいと言われて、当社は問題ないと答えていると思います」

「悪い報告が出来ない、したくないって気持ちはわかるけど『しない』ってことはありえないことでしょう。そんなレベルの会社じゃないでしょう・・・遅延はまずいけれど、これまでにもあったことだし、当社内だってあることだし、普通『切った貼った』になるけど何とか対応できるものだし、これまで何とかしてきたことは互いにあるのにどうしてなのかなあ?」

「それで、ある時点で交渉や手配を諦めてタイガー電子のトランスで対応した?」

「そのようです。カタログ仕様が変わらないから問題ないと『思った』ようです」

「『思った』って、誰が思ったのですか?」

「ローカルスタッフです」

「カタログ仕様が同じといったって、電気特性が同じだけであって、耐久性は違うし周辺回路との相性も違うでしょう。第一、部材の変更は4M変動手続きが必要ってことはローカルスタッフだってわかっているでしょう」

「基本的にはそうです。しかし、その辺がこちらの怖いところでねえ」

「確かに、中国移管したころはそうであったかも知れないけど、今はそんなことないでしょう」

「日創電子との交渉は、日創香港とするのでしょう?」

「ええ、そうです」

「ローカルスタッフ同士で交渉していたのですか?」

「そのようです」

「そういった時って必ずデービッドが出て行くじゃないですか?ローカル同士で埒があかない時、日本人のマネージャーに直接交渉することがあるじゃないですか?デービッドは今回そういったことをしていない?」

「いえ、私も先週末は香港に戻らずこちらに居たので、デービッドにはまだ会っていなくって、電話で聞いただけなのではっきりしないことが多いのですが、彼も報告を受けて交渉のサポートをしたらしいのですが、部下のマネージャーから納期対応できたという報告を受けて、てっきり日創電子が間に合わせたと思ったらしいのです」

「なんか変だなあ。具体的なデリバリースケジュールも見ないで『ああそう』ってな判断したのかなあ。デービッドってもっときちんとしていなかったでしょうか?」

「さらにおかしいのは、発注ミスした11月分だけでなく12月以降もタイガー電子のトランスとエポキシが使われている。発注した分はキャンセルしたのですか?」

「そのようです」

「キャンセルって簡単じゃないでしょう。日創電子にペナルテイーを払ったのですか?」

「いやあそんな無駄はしないでしょう。全く誉められたことではないけど、もしタイガー電子製を流用するなら足らない分だけでしょう。月の後半の何ロットかだけに使用する・・・」

「やはりそれじゃあまずいと思って、部材変更に踏み切ったのではないかなあ。変動手続きは後でということは規定違反だけど、11月以降は全てタイガー製仕様で統一した方が自然であると思ったのでしょう。しかし、変動手続きもしなかったということか・・・」

「しかし、変だよねえ・・・そんなことがメーカーで起こるのかえ?」いずれにしろ後で帳簿とシステムを見せてもらって確認しましょう」

「じゃあ、次はポッテイング材のかくはん器のところへお願いします」


「防水性と難燃性を持たすためのポッテイング材って、ウレタン材とエポキシ材ですか?」

「一般的というか、当社では他は使ったことがないです」

「うちは?」

「ウレタンしか実績はないです。私はエポキシは、名前は知っていますが特性や詳しいことは知らないです。コストは、安いのではないですか?」

「20%は安いですが、絶対額からしてしれています」

「こちらでは、ウレタンとエポキシとどちらが多いですか?」

「ウレタンは、Ⅹさんのものだけです。うちのOEMの商品は全てエポキシです。エポキシが原因で不良が起こったことはありませんよ・・・」

「そういった問題ではなくって・・・」

「工程としては、材料を加熱して溶かし、攪拌したものを、基盤をセットした充電クレードルのケースに注ぎ込むという手順ですよね」

「そうです。今、充電式のポケットライトをポッテイングを行っていますので見てください」


「なるほどね」

「回路基盤から部品がはみ出て、ポッテイング不良から防水性能に問題が出るということはありませんか?」

「回路基盤上の部品の位置を目視と枠で検査した上で、ケースには位置決めがありますから、はみ出た部品がケースに当たったままポッテイングされることはありません」

「まあそうでしょうねえ。その変のところは設計上配慮されているでしょう」

「エポキシの色は、どのメーカーも黒なんですか?」

「エポキシの素材の色なのかどうかはわかりません。ここで・・・というか、私が知る限り、ウレタンはアンバーと言うか白で、エポキシは黒ですが・・・杉江さんは、他の色を見たことがありますか?」

「いいえ、私の知る限りも同じです」

「2月にこちらに復帰してから、この工程こ何回も歩いているのに氣が付かなかったのは完全に落ち度です」

「11月から変更されていたのでしょうが・・・ウレタン材の在庫はないのですね?」

「ええ、ありません」

「なんか変ですよね。発注ミスで材料変更したのであれば、それまで使っていた材料の一部が未使用であってもおかしくない。在庫は全く残らないように使用して、11月の第一ロットから変更している。非常に整然と変更されている。かなり計画的に見えるのですが・・・」

「発注ミスの挽回が効かないとわかった時から急いでやったのではないでしょうか」

「それにしても・・・」

「部屋に戻りましょうか・・・」


 平尾と杉江は、工場の管理部の会議室に戻り製造実績について書類面での確認を進めた。

 現場のインスペクションでは、何で部材変更が行われたのかということを土屋に問い詰めるような感じになった。その真相を確認するのも大切なミッションであるが、優先しなくてはいけないのは、リコール対象品についてであった。現在の段階で、リコール対象と見られているのは、11月から4月までに製造された16万台であるが、果たしてそれが間違っていないかということである。16万台の全てのロットが同じ条件、部材で作られた結果同じ品質不良を持っているかということを確認しなくてはならない。また、16万個以外には問題ないかを確認しなくてはいけない。

リコール対象商品の限定が不正確ではリコールをする意味がない。事故の予防を徹底できないばかりか、対象商品以外で事故が発生した場合、リコールに対する信頼性を失う。

公表している商品以外にも問題ある商品を隠しているのではないかといったことになれば昨今問題となっている、企業の不祥事の隠蔽問題と同じく扱われX社とブランドに対する信用をさらに落とすことになる。それでは、「雨降って地固まる」「災い転じて福となす

」といったことは全く望めなくなってします。 

 何より、対象商品を限定するということは他の商品は安全であることを念を押して保証したことになる。その商品で重大事故が起こるようなことがあってはいけない。それ故、対象商品の限定が重要なのである。

 二人は、当初認定した仕様でつくられたロット、商品と部材変更されて作られたロット、商品がどれであるかといった事実を確認することに集中した。

 山野香港からの製造指示に基づき、部材の調達をする。部材は、香港や地元のベンダーにオーダーを出して調達する。成型品は、山野シンセンの内製である。その工場内の指示。

さらに組み立ての指示。ラインは、量産開始時より固定された専用ラインである。1日3シフトの勤務体制で生産ピーク以外は、深夜シフトはない。その組み立て指示。そして、生産実績。オーダー数量の生産に対して不良の発生が幾つであったか。即ち歩留まりが幾つであったか。結果、当該のロットに対して用意された部材の数量と在庫数量の確認をロット毎に行った。これを、問題が発生したと思われる昨年11月の前月の生産、即ち10月からラインを止めた先週までの内容について確認した。確認しなくてはいけない書類は多いが、確認しなくてはいけないことは、一点であった。即ち「間違った仕様であるが、11月以降同じ仕様で生産されているか?同じ不良品であるか?」ということであった。その間に新たな部材の変更がされていないかということであった。昨年の10月以前に問題がないかと言えば、こういった品質問題を起こした以上確認しなくてはいけないが、さらに量産を開始した1年6ヶ月前に遡って書類を確認している時間は今はない。この数日間に少なくも書類の抜き取り確認は行わなくてはいけないが、今は、山野及びデービッドの「昨年10月以降の生産で規定に違反して部材変更した」という報告を信用できるものとした。しかし、その報告に嘘があった上に問題が発生した場合の重大さを考え、昨年の10月以前の製造の問題の有無については、書類を確認しながらも事ある毎に各担当者に確認した。

 書類は、英語の標記もあったが、主に広東語で書かれていたので、香港人や現地中国人スタッフの協力が必要であった。彼ら彼女らは、協力的であった。

 平尾と杉江がこの作業に当たって、最初に説明したのは、不良が発生してその原因が部材変更によるので昨年の10月から5月までの生産のプロセスについて確認したいので、山野香港からの製造指示に始まり、郵船香港への出荷に到るプロセスに関わる書類を確認したいということだけであった。香港人のマネージャーが一人手伝ってくれた。しかし、細かいことになると要領を得ないことがあり現地中国人スタッフが呼ばれ説明した。そういった時に、その若いスタッフ達は、今質問したことに対する答えだけでなく、二人が次に確認したいと思うようなその関係する問題について、数ある大きなファイルから即座に書類を見つけ出し説明してくれることであった。ここの業務については、これまで担当したことは全て把握しているといった風であった。組織の位置づけでは、末端の一担当者であったが、その質は自分達X社の中と比較してもかなり質の高いものであった。

 彼らの協力で作業は手際よく進んだ。あまり手際が良いので、一瞬、出来レースかなと疑ってみたが、そのような準備がなされた形跡はなかったし、一両日でこれだけの書類の辻褄を合わせるには普通は不可能である。ここの労働力を持って徹夜でやれば出来ないことはないが、そのような痕跡はなかった。保管されているファイルがそのまま集められたことは確信できた。何より、彼ら彼女らの説明には疑いの余地はなかった。香港からの指示に基づき、決められたプロセスを守り、納期通りに品質基準もクリアーし高い歩留まりで製造したことに誇らしげであり、そのパフォーマンスを出すプロセスに「問題」があったことに全く知らないというようであった。

 徹夜も覚悟した確認作業は夕方遅くに終わった。山野香港が日創電子へのトランスの発注ミスを挽回できないと判断し、代替部材での製造を決意した後、シンセン工場へ製造手配した10月初旬以降の書類から何の不備も見つからなかった。手配通りに「間違った仕様」で正しいプロセスで製造されている。平尾と杉江がひっかかったのは、この部分である。通常、部材の手配ミスが発生した時は、製造スケジュールに合わせるために「切った貼った」と少なからずの混乱を生じながら挽回が進められるものであるが、そういった感じがどのファイルからも感じられなかった。あらかじめ決まられた手順により整然と変更手配が進められたといった臭いがした。

 もう一つ二人が「おやっ」と思ったのは、

一人の現地スタッフが言った「この部材変更の指示をうまくやったことによりコストダウンが実現できた」ということであった。平尾は反射的に「よくやったじゃないか!で、昇進かボーナスはもらったか?」と英語で聞いたところ、そのスタッフは「班長」と答えた。

昇進したということである。ということは、

組織として狙ってやったことなのか?


「彼らは、指示されたことをどれだけ実現できるかってことで管理されていますし、結果として商品コストが下がれば、その変更の目標を達成したことになりますからねえ」

と、そばで聞いていた土屋は、答えたが二人には違和感が残った。

 

 残業があるという土屋を工場に残し、平尾と杉江はホテルにチェックインし、ホテルのレストランで夕食をとった。中華料理は大勢で囲むといろいろな料理を食べることが出来て楽しいが、今回はそのような出張ではない。蒸した海老をつまみにビールを飲んだ。


「豊田さんらの方はどうだったでしょうかねえ」

「うん、電話もなかったから、明日予定通りこちらに入るんじゃあないかなあ」

「ウレタン材の手配は問題ないと思いますけど、トランスはどうでしょねえ。30000個揃えるのは結構厳しいでしょうねえ」

「緊急っていったって、普通は揃わない。日創のあのトランスが、今他社でどの程度採用されているかによるだろうなあ」

「日系メーカーは結構使っていると思いますよ」

「だったら可能性があるかも。確定オーダーにフォーキャストによるオプションを含めた発注をして、前倒し納品や翌月繰越で部品メーカーは苦労しているはずなんだ。その状況で、彼らのリスクで前倒し生産して持っている在庫があれば、そこから回してもらうことができるかもしれない」

「3万個ですよね?」

「取り合えずね。4ヶ月で12万個。リコール対象商品の数が16万個だからあと4万個必要で、そこまで一気に作っていいのかなあ?」

「わからないですよねえ。大体、リコールをしてからの回収ってどんな風に進むのでしょう」

「車のリコールと違って、販売履歴がないから回収は大変苦戦する。業界の集まりで聞いたことがあるのだけどS社が充電式の懐中電灯のリコールをして、90%近く回収したうえで事故の発生もなくなったので終結宣言をしたんだけど、そこまで15年掛かったという。パネルヒーターのリコールでは、回収率50%を中々超えないって言ってたけど・・・」

「難しいですねえ。社告の仕方にもよるのでしょうけど、やはり、最初の2年ぐらいが勝負ですかねえ?」

「うん。今回のリコールのことを考える時に参考にしているのは、家電メーカーS社の電気シェーバーのリコールなんだ。業界の集まりでの報告を聞いた程度で詳しく知っているわけではないのだけれど、結構上手くやったんじゃないかと言われているんだ」

「聞いたことあります。でも、事故も結構あって苦労されたとか・・・」

「うん・・・12万台をリコールして、5年で10万台回収しているらしんだけど、初年に70%、2年で80%まで行って、そこからは、回収が進まなくて90%まで行くのに3年掛かったらしいんだ。販売履歴のほとんどない家電商品で90%の回収ってのは、ちょっと驚くほどの回収率だけれど、それほどの早い、しかも高い率の回収を進めても火災事故が、大小含めて400件も起こっているらしんだ」

「リコールって難しいし厳しい仕事ですね」

「ほんまになあ・・・S社も、1年目に徹底的に社告をやったそうだ。2年目は、単独の社告では回収はあまり進まなかったそうだけど、事故のニュースの反応はすごくて、同時に社告をやって回収を進めたそうだけど、それでも、2年目は10%しか進まなかったということらしい」

「単純に当てはめるのは意味がないでしょうけど、我々の回収は、16万個ですから、70%ですと11万2千個ですよね。これは1年目。2年目は、1万6千個。その後の3年間で1万6千個ってことですか。そうすると、月産3万個を4ヶ月続けて12万個を生産して、あとの4万個は様子を見ようっていう計画は間違っていないかも知れませんね」

「いや、そういう計算をしたんだ。見当もつかなかったので、回収が非常に上手くいったというS社のようなリコールは少なくともしたいと思って、あそこの実績を目標にしたのであおのような計画になったんだよ。商品が違う、知名度が違う、お客様が違う、社告のやり方が違うといった細かい条件の違いはあるだろうけど、ほかに計算の根拠とするものがなかったんだよ・・・」

「外していないじゃないですか・・・これも根拠がないけど・・・」

「部品在庫を持って回収の進み具合に合わせて作るってのは、品質上問題あるよねえ」

「製造品質を高く安定させるためには、部品が入荷したら検品して即アセンブルして完成品にするのがいいのです。部品のまま、或は、基盤上にアセンブルしてあっても、その状態である期間在庫すれば、完成品に組み立てる前に検品をしなくてはいけないし、その検品の質により完成品の品質も影響します」

「完成品にしても何年も持っているわけにはいかないしね」

「代替品を欠品させてお客様に不便を掛けさせるわけにはいかないし・・・リコール対応だからと言う理由で、無駄を覚悟で全数作り込んでしまうというのもあるけど、大枠でもある程度回収が見込めるのであればそれにこしたことはない」

「当初2年の12万個とそれ以降の4万個に分けるぐらいが精一杯でしょう」

「うん。ということは、最初の12万個は死守しないと代替品の欠品が出て2次クレームということにもなってしまう」

「他社実績では明確な根拠にはならないけれど、参考にはなるし、少しホットしますね」

「ああ。業界団体の会合ってのも退屈なこともあるんだけど、出ていればそういった情報も貰えたし、ビジネスっていうか、仕事って言うのは、面白いね」

「そうですね。リコールも前向きに取り組まないとだめですね」

「そうだよ・・・結構ガッツがいるけどね。それで、製造は問題なさそう」

「明日、皆が来て、部材管理、製造ライン、ワーカー、組み立て票、品質工程それぞれをチェックしなくてはいけませんが、今日、ざっと見ている限りは問題はないと思います」

「ああそう。それならいいや。僕なんかが見ても、こちらの工場には問題なさそうなんだなあ」

「そうなんですよ。私もそのように思いました。香港の指示で、部材の変更も確認したうえで、言い方が悪いですが、品質を意識して確信的に通常のプロセスの中で工程をきちんと管理して生産したって感じです。もっと言えば、部品の発注手配ミスが原因であやふやな指示が来て、ちょっとあわてながら対応したってあとが見えるのです」

「整然としている」

「でも、その指示を香港からしたのでしょうが、その指示書が見当たらない」

「指示書をファイルから抜いて隠したという様子も感じないですよね」

「ウソついているって感じもしませんしねえ」

「なんなんでしょうねえ」

「この気味悪さっていうか、はっきりしない中に問題の本質が隠されているよね」

「その辺がはっきりすれば、リコールも自信もって出来ますよねえ」

「反対に、それがはっきりしないと自信をもてリコールが出来ない。新たなリスクを抱えることになる」

「うん・・・そうだよなあ・・・やばいよなあ・・・」



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