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人生と社会のエッセイ  作者: 増本淳一
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生老病死

お寺に行くとよく聞かされる話だが、人間の一生とは生まれる苦しみ老いる苦しみ病気になる苦しみ死ぬ苦しみ、つまり四苦というものらしい。


なんとなく聞いてるとなるほどと感じてしまうが、よく考えるとそうでもないと思ってしまう。


お坊さんに反論すれば説法の座が白けるから反論はしない。


我が身を振り返れば生まれる苦しみはあったのかもしれないが今は記憶にございません。老いる苦しみはわかる気もするが、日本人には老いを楽しむ文化伝統がある。病は避けがたいかというと、健康管理をしっかりすれば苦しむほどの病気にならないで済む手立てがある。また、死ぬ苦しみとはむしろ死ぬ直前の生きている苦しみに違いない。


こうして仏教で四苦と言われる説法のネタは脆くも崩れ去るわけだが、お寺にとってそんなことを考える檀家は甚だ迷惑な存在だろう。


そもそも仏教は議論が好きな宗教であるが、我が国では議論というものは好まれないので、お坊さんは説教をして檀家はただ頭を垂れて聞くだけという役回りに徹してきた。また、お坊さんの説教を心に染み渡らせ生きる知恵にするほど真剣かと言えば、法事後の会食の方に熱を入れている。


世の中そんなもんだと皆思っている。


その世の中は金儲けや性欲の解消やレジャーに忙しく、煩悩まみれの様相を呈しているのは今も昔も変わらない。その世相の中には僧侶の姿もあり、これを観ると仏教は常に敗北していると思わざるを得ない。


我が国の伝統として賢しらな言あげを嫌うセンスがあるが、日本人が仏教を受け入れつつも本来の仏教に馴染まなかった訳は、このセンス故からかもしれない。


日本人はあまりにも理路整然とした理屈にはどこか危険を察知してしまう。経典宗教などドグマを有する宗教は結局日本に根を下ろすことはできないでいる。それでいて近代社会に適応もし豊かな産業社会を築いてきた。


日本の外から見れば「なんで?」と感じるのも宜なるかなである。


なんで?


そんな問いさえしないまま日本人は暮らしています。

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