表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
人生と社会のエッセイ  作者: 増本淳一
1/9

言葉や文字

いつ頃からか人類はこの世に生きながら言葉や文字の世界にも生きることになった。


犬や猫や鳥などのペットと身近に生活しても、奴らは言葉や文字などという面倒な荷物は背負ってない。


どっちが幸せなんだろうなんて言葉や文字を背負う人間の一人として考えてしまう。


人間は表情や雰囲気でも付き合いをする生き物だが、やはり言葉を発してなおかつ文字を通してお互いを知ろうとするややこしい生き物である。


言葉や文字が人類の進歩を可能にしたのは間違いないが、同時に他の動物にはない悩みや不幸をもたらしたとも言える。


今こうして何の役に立つわけでもない文章を書いているのも、言葉や文字の世界を通してでないと気持ちの新陳代謝が巧く運ばないという事情ゆえである。


人間として生きていくのは言葉や文字が生み出す誠に面倒な意識を伴う。であれば、物静かに微笑んで暮らせばいいようなものだが、社会の中で生きる以上言葉足らずは損や誤解の元になる。


どうすりゃいいんだ、お母さ~ん、って呟きたくなるが、母は昨年の建国記念日に死んだ。


その母が生前何度か自分に言った言葉が思い出される。


「あんたはすぐ人の言うこと信用する」


言われてみればその通りで、人の言葉を不用心に信用すると痛い目に会う。つまり、

言葉は人を災難に導く道具にもなる。


従って、言葉は正確にその意味を知る知性が要るのと同じくらい言葉の裏にある意図を想像できる勘も必要な次第である。


言葉や文字に生きざるを得ない人間は言葉や文字を操るリスクを背負うことになる。信じ合える言葉や文字もあれば騙し裏切る言葉や文字もある。


そんな言葉や文字が氾濫する社会で生きながら死んで行くのが人生らしい。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ